30.そしてまた終わる
日々が過ぎ去るのは早い。
学年末の試験結果が張り出され、明日からは長期休暇に入る。
そして最終学年の四年生は学院を去る日であった。
日中に豪華な来賓が勢揃いの卒業式を終え、身支度を整えた後には祝いの場としての華やかな夜会が開催される。
昨年は運営の手伝いをする学生会役員だけが参加していたそこに、二年間師弟として関係を築いてきたマルティエナ達も参加することが認められていた。
「盛装だと雰囲気変わるよな〜」
「本当に。女性は特にそうだよね」
普段の学院生活では着ることのないドレスや礼服で飾り立て、見慣れぬ顔見知りを見つけては談笑する卒業生の様子を壁際から遠目に眺める。
手に持っているのはワイングラスでも中身は果実水だ。
「で? 結局アレッタ嬢とはどうなったんだよ」
「どうって……君といる時点でわかるでしょ。卒業するわけでもないのに、貴重なパートナー枠をもらえないよ」
社交の場への入場に異性のパートナーは付きものである。
けれど学院に在籍する男女の人数差から全員がパートナーを決めれはしない。必ず溢れることになる男性が女性をパートナーに出来るか否かは水面下での争いになっているらしい。
華やぐ容姿をもつアレッタは特に人気で、数ヶ月も前からパートナーになってくれないかと多くの四年生が尋ねてきたものだ。
初対面の相手からの誘いには即座に断りを入れていたアレッタでも、返答を迷う人物はいた。
悩んでいると相談してくれたアレッタの真意は十分に理解していて、その上でエスコートを受けるよう背中を押した記憶は新しく残っている。
「阿呆か」
クレイグの呆れと共に吐き捨てられた言葉にマルティエナは口を引き結ぶ。
「お前に会う前に見かけたけど、気落ちして見えたぞ」
「……なら、どうすれば良かったと思うの」
パートナーを選んだからといって恋仲になるわけでもない。そういった関係の者達もいるだろうが、感謝の意を表した結果の者だって多くいると聞いた。
だからアレッタは返事を決めあぐねていたのだ。
「お前さ、学院祭で買った耳飾りまだ渡してないんだって? それ貰えてたら安心できたんじゃねーの」
「言っておくけど、その件で彼女を不安にさせたのは君のせいでもあるからね」
「いやいや、お前が勿体ぶってるとは思わなかったんだよ」
あの日買った耳飾りは自室の引き出しの奥で眠っている。
セルベスタが念のためと品質確認をしてくれて、魔力の混ざりがない宝石だと手元に戻ってきた時に思い至ったのだ。
アレッタから好意を寄せられていることを承知の上で彼女をイメージした宝石を贈るなんて、学友の域を越えてしまうのではないか――と。
日常使いの文具程度であれば気にせずに渡せた。
けれども身につけて着飾るための装飾品となると、好意を表しているようなものだ。購入する前に気づくべきだったのに、祭りの昂揚に感化されていたのだろうか。
結局渡せずに引き出しに仕舞い込んだわけだが、あろうことかクレイグがアレッタに話してしまったらしいのだ。
普段は身につけずに大事に保管してるのか。
マティアスがデザインに拘ってたから楽しみだ、と。
アレッタの鈍い反応で察したクレイグが誤魔化そうとした時には手遅れで、以降はアレッタから複雑な眼差しが寄せられることになり、その中には応じることのできない期待が内混ぜになっていたので余計にマルティエナは渡すことが出来ずにいた。
「渡したら、さ。彼女の心を縛ってしまうから」
「お前もそんな気遣いができるようになったのか……」
「君は私をなんだと思ってるの」
驚きに目を見開いてまじまじと見てくるので、グラスを持っていない手で詰め寄ってきたクレイグ押し返す。
悪い悪い、と大して思っていなさそうな口調で謝罪を口にしたクレイグが「でもな」と続けた。
「そろそろはっきりさせたら良いんじゃね? お前も好きなんだろ。色々と条件も良いし」
ごもっとも。
アレッタの『マティアス・オーレン』に対する好意は多くの者が認識しているとクレイグから聞いていた。
異性との交流も増えたアレッタに積極的にアピールする男は山の数ほどいる。それなのに、アレッタは二年経っても一途でいてくれているのだ。
「言いたいことはわかるけど、私にも安易に決めれない理由があるんだよ」
――――お兄様が戻ってきたら。
何度もその言葉で思考を止めていた。
そうしている間に二年も経ってしまった。
(私はその先を考えないといけない)
兄とオーレン伯爵家を思うあまり、一人の女性の貴重な二年を蔑ろにした。その事実を重く受け止めなければ。
立ち込める暗雲に鈍い耳鳴りがして、額を抑える。
「ふ〜ん? なら息抜きがてら明日俺に付き合ってくれよ、大親友!」
深刻な問題を投げかけたクレイグは、軽い調子でそう言っては、複雑な心境に追いやられたマルティエナの肩を叩くのだった。
◇◇◇
夜会の会場となっている大聖堂を離れると、シャンデリアと同じ金色の光の街灯に照らされた庭園を歩く。
会場から漏れて流れる曲はワルツに変わっていた。
女性が少ないというのに毎年学生から根強い希望があって、夜会の終盤に舞踏の時間が設けられているのだとか。
弾む楽器の音色に耳を傾けながら庭園の奥まで進む。
ここまでくると人も疎になっているので、人探しは簡単だった。
街灯の明かりから外れた暗い影に潜むベンチ。
いかにも師匠が好むだろうと思っていたが、結果は予想通り。
脱いだジャケットで顔全面を覆っているので一見すると誰だか分からない。
けれどコルスタンにはエレノア同様に独特の空気感があるので、マルティエナは一目で分かった。
「師匠、せっかくの夜会をこんなところで過ごすのですか」
仁王立ちして数秒待ってみたが、コルスタンが体を起こす気配はない。
仕方なく園路と庭木の境目となる石段に腰を下ろして地べたに座ると、星屑の散りばめられた空を見上げる。
「興味ねぇんだよ。俺がいることで楽しめない奴らは多いしな。そんな奴らといるとこっちだって興醒めだ」
上質な生地で仕立てられたジャケット越しのくぐもった声。皮肉に塗れているところがコルスタンらしくて、ふっと笑いが溢れ出る。
「師匠は優しいですね。でも、私の気持ちも考えてくださいよ。一番に感謝を伝えたい相手がいなかったんですから」
「聞き飽きてるからいらねー」
「今日伝えることに意味があるんです」
「そうかよ」
クリアになったコルスタンの声音が耳に届いて、天を仰いでいた顔を落とす。
先ほどまで見上げていた、夜の明るい空の色。そんな一夜の美を内包した鋭い眼差しと目が合うと、したり顔で笑われた。
「なら有難く受け取ってやる。さっさと言え」
そんでとっとと戻れ、と続けたコルスタンにまたもや声なく笑う。
伝えてしまったら最後、追い返されそうだ。それならばとマルティエナは口を開く。
「王太子殿下がエレノアさんと踊る姿は素敵でしたよ。私だけでなく誰もが見惚れていました」
コルスタンの元へと来る前に眺めた二人のワルツは劇場のワンシーンを眺めているようだった。
誰も踏み込むことは許されない、二人だけが彩る空間。
「恋仲だと噂が流れるのも頷ける空気感がありましたし、実際どうなのでしょう」
これまで第一王子の婚約者候補として噂されていたのは、ネヴィル同様に留学枠で在籍している隣国の王女だった。
第一王子と同学年で、アスタシオンとは師弟関係。学院生活を通じたお見合いだったことは確実だが、第一王子が夜会のパートナーとして選んだのはエレノアである。
結果としてアスタシオンが王女のエスコート役を務めていたが、当本人が「師弟として過ごした上での礼儀であって他意はない」と話していたので、どちらとも縁談が進むことはなさそうだ。
「あの野郎はエレノアのために学院に残るようなもんだからな。そういうことだろ」
「師匠はどうでもよさそうですね」
「お前は違うのか」
「私はエレノアさんが心から幸せになれるなら、どちらでも良いのですが……」
第一王子の影響力は良くも悪くも大きい。
師弟関係だけならば光属性の素質があるから仕方ないと済ませられても、恋仲となると話は異なる。シュネヴィオール家の貴族としての序列では本来王族と隣り合うことなど有り得ないのだから。
隣国の王女の取り巻きと思われる4年生の女学生に取り囲まれている場に遭遇したマルティエナは、不況を買わずにエレノアを連れ出すことに成功したことがあるが、エレノアの様子から初めてのことではなさそうだったのだ。
それに「ありがとう」とはにかんだ笑顔が繕った笑いに見えた。そんな表情は彼女に似合わない。
「それこそあの野郎に任せとけ。お前が心配するようなことにはなんねぇよ」
「そうですよね」
コルスタンの言うように、エレノアの成長を間近で見届けてきた第一王子は些細な変化でも見逃しはしないだろう。
貴族の地位が低くともエレノアが稀代の魔法士として名を轟かせたら解決する問題なので、そのために第一王子が学院に残った可能性もある。
そして第一王子が学院に残るということは、コルスタンが卒業後も学院に居るということでもあった。
「師匠、二年間私の師でいてくれてありがとうございました。――これからは『先生』ですね」
渇いた空気が緩やかに吹き始めた風に乗る。
火の季節の終わりと、新たな年の始まりを予感できる今日の天気は、師弟関係の締めくくりにぴったりだ。
「俺はお前が受けそうにない講義を受け持つ教師に付く。もうお前に教えることはねぇよ」
「師匠ってばつれないなぁ。偶には私にも会ってくださいよ?」
「会わねぇつってもお前はどうせ来るだろ。――だから、つまりはだな」
一度、視線が逸らされる。
口元が不機嫌に歪んで、言いづらそうに唸って、そらから再び見上げられた。
「師匠でも先生でもないんだから、俺のことは名前で呼べ」
遠くから漏れ聞こえていたワルツの音が止まった。
「敬称つけたら許さねぇぞ」
付け加えられたドスの効いた一言はコルスタンなりの照れ隠しのようだ。
勢いよく起き上がっては頭を掻くコルスタンの背中しか見えていないが、気恥ずかしそうな雰囲気を肌身に感じる。
(なんだか……師匠って可愛いのかも)
年上相手に失礼かもしれない感想を抱きつつも、地についた手に力をいれて立ち上がる。そうしてぐるりとベンチの外側を回ってコルスタンの正面に立つと、手を差し出した。
「では遠慮なく。これからもよろしくお願いしますね、コルスタン!」
これからもだなんて、兄の早い帰りを待ち望んでいる気持ちと相反するが、どちらも本心なのだから致し方ない。
立ち上がったコルスタンと横並びで歩き始めると、タイミングを見計らったかのように大聖堂の鐘が夜の闇に静まる空に響き渡った。
学院での折り返しとなる二年目が終わりを告げる。
――兄は本心からオーレン伯爵家に戻る気がない、ということを認めるしかないのだろうか?




