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『マティアス・オーレン』の行方 〜ところで、兄はいつ戻ってくるのでしょう?〜  作者: 青葉 ユウ
-- Chapter 1 --

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29.兄弟の立ち入らない関係





「兄は君が気になってしょうがないんだね」


 物憂いげな眼差しで告げるアスタシオンが指の関節を口元に当てる。自然と血色の良い唇へと視線が落ちそうになって、自分の手元へと意識を向けた。


「その言い方は誤解を招く気がしますが……」


 そのまま目元にかかる前髪に指先を添わせる。

 アスタシオンの何気ない所作一つ一つが目に毒だ。優雅な気品の中で見惚れてしまう色気を垣間見てしまうので、相対していると心臓が保たない。


「困らせてしまったかな? ごめんね」

「いえ。一人では良い策が思い浮かばず、どうしたらよいものかと悩んでいまして」


 ふふっと声を出して柔らかく笑むアスタシオンに首を振る。


 オーレン伯爵家の秘密を知られてからは夕食の時間をアスタシオンと二人で過ごす機会が少しばかり増えた。

 毎度アスタシオンが席を手配するため、壁で仕切られて壁画や骨董品を飾りつけられた特別仕様の一室である。

 それだけでも会話が外に漏れる心配はないと思ったが、魔法で風の薄い層をつくることで会話はしてると分かっても正確に聞き取れないという、内緒話をするのに有難い空間をつくりだしてくれた。


 学院祭でのコルスタンの魔力暴走の経緯と日頃使う古代魔法の推測を伝え、最後に第一王子からの視線を時折感じるようになった理由の憶測を話し終えたマルティエナは食後の紅茶を飲みながら、思案するアスタシオンが口を開くのを待つ。


 コルスタンにも相談しようかとも思ったが、第一王子を「あの野郎」呼びするコルスタンの手を借りるのは火に油の一色触発状態になりかねない。

 二人の会話に入らずにただ立っているだけでも気まずいだろうと想像だけで気が滅入るので、アスタシオンが上手く間に入ってくれるとマルティエナとしても安心できるのだが。


 そうだな……、と呟くアスタシオンをそっと伺いみる。

 思考を遮らないよう視線だけを動かしたのに、それにすら反応したアスタシオンは風を纏うように笑んだ。


「いっそのこと、こちらから出向いてみようか? その方が物事を上手く進められるしね」


 ――そう、なのだろうか。


 第一王子に接触せずに済む手立てを必死に考えていたマルティエナは、真逆の返答に戸惑いつつもアスタシオンの案に耳を傾けるのだった。



 ◇◇◇



 第一王子とエレノアは週に二度、決まった時間に勉強会を開いているらしい。

 大抵は二人だが、居合わせた第一王子の友人兼将来の側近候補である侯爵令息やアスタシオン、ネヴィルやカストまでも集うことがあるのだとか。


 そんな場に参加しようと言われたら断固拒否するところだったが、アスタシオンもそこまでの強行は考えていなかった。


 向かう途中の通路で、第一王子と偶然を装ってすれ違おうという提案である。



 学院には全学生を代表した自治組織である学生会がある。

 行事の進行や広報活動、教師が介入する必要のない学生間のいざこざの解決、学生の意見を取りまとめて学院の運営方針の改善を図るなど活動は多岐に渡る。

 本業の勉強だけでなく雑務もこなす学生会役員の特権は様々だが、そのうちの一つは学生会専用の塔が与えられていることだ。

 フロア毎に複数の特殊な部屋が用意されていて、実験設備が整っていたり、魔法の練習ができたり、仮眠が取れたりと大抵のことはできるらしい。


 ただのいち学生では奥まで踏み入ることのできない塔で開催される勉強会。

 存在を知れば誰もが羨むだろう場に向かう通路を、マルティエナは相反する感情を抱きながら歩いていた。


 名目は親しい友人であるカストを訪ねて。

 教師の推薦が必須の学生会役員にはアスタシオンだけでなくカストも在籍しているのだ。ちなみに本人の意志で断ることもできて、ネヴィルは面倒だからと拒否しているのに入り浸っているらしい。

 役員でなくとも学生会の面々が連れてきた者や手伝いを頼まれた者は内部に出入り可能なので、マルティエナも『カストを探していたらアスタシオンに偶々会って招かれた』のである。



「どう? オーレン。折角だし、用が済んだら全体を案内してあげようか?」


 一歩先を歩いていたアスタシオンの顔がほんの少し傾いて、流された視線にマルティエナは苦笑した。どうも場違いだ、という感覚から抜け出せそうにないのだ。教師に学生会入りの話をもらった時に断った理由の一つである。


「光栄なお誘いではありますが……。ええと、此処は他と比べて煌びやかですね。飾られている丁度品はどれも質が高いですし、数も多い。ギャラリーにいる気分です」

「大半はこれまで学生会役員だった者が置いていった私物みたいだよ。此処で過ごす時間が長くなるから、心休まる空間を各々つくりたかったんだろうね」

「それで系統の違うものも多いのですね」


 長い歴史のありそうな骨董品もあれば、近代的な芸術品も飾られている。一歩間違えば纏まりのない空間になるだろうに、配置や照明のセンスが一体感を持たせている。


「楽しいよね」

「とても」


 マルティエナも微笑み返せば、弧を描く唇が音のない言葉を紡ぐ。

 たった三文字。

 ゆっくりと形を変えた口元を目で追って、それから視線だけで頷く。



 ――――来るよ。



 コツ、と小気味の良い足取りが白亜の廊下に響く。

 突き当たりの曲がり角。階段があるだろう場所から軽やかに姿を表したのは、アスタシオンと同じ陽光のような金の髪を靡かせた第一王子ソルディオン・リヒトライ・ヴァルトセレーノだ。


 階段を降り終えた足が向きを変え、少しだけ伏せられていた眼差しが持ち上がる。アスタシオンと似ている微笑みを浮かべた時に、片耳から垂れ下がる王族特有の耳飾りがシャラリと音を立てたのを感じる。


「やあ、アスタシオン。――お連れの方はマティアス・オーレン君、で良かったかな?」


 全てがスローモーションのようにソルディオンの滑らかな仕草に魅入らせられる。

 遠目から姿を垣間見る時も思っていたことだが、実際にその存在を間近に感じるとより強く思った。


 エレノアと同じだ、と。


 纏う空気が違う。近寄りがたいとも思わせる、息を呑む神聖な静けさ。どこにいても光を浴びて輝いているように視界に映る。身の内から光を放っていると錯覚してしまうのだ。


 当初は光属性を有する者特有のオーラなのかとも思ったが、そうではない。エレノアとソルディオンだけが特別で、至高の存在だと光の神に告げられているような感覚を肌身に感じていた。



「王太子殿下に名を覚えていただけて大変光栄です。改めて、マティアス・オーレンと申します」


 ソルディオンの言葉が耳に入り、ゆっくりと咀嚼したマルティエナが一拍遅れて礼をする。

 頭上では兄弟の気さくな会話が続いていた。


「兄さん、上にカストはいる? オーレンが探していたから連れてきたんだ」

「ああ、彼なら執務室にいたよ」

「そう、ありがとう。行こうかオーレン」


 淡々と話を終わらせたアスタシオンが、マルティエナへと柔らかく目を細める。

 そのことに頷くと、ソルディオンへと別れの礼をする為に目を合わせて、その行為を微笑みで遮られた。


「その前に少しだけいいかい?」


 予想していた流れだ。


「折角の機会なのだし、オーレン君に礼を伝えたくてね」

「私に、礼……ですか?」


 そんなことは感じさせないように、冷静に対処しながらも動揺を押し出す。身に覚えのない感謝への驚きも混じっていた。


「そうだよ。コルスタンの一件が大事にならずに済んだのは、君が上手く対処してくれたからだ。それに、君のお陰で商人の足取りが追える」

「内々で収まったのはエレノアさんのお陰です。私は何もできませんでしたが、少しはお役に立てて嬉しく思います」


 コルスタンの魔力暴走を誘発させた腕輪には、凝縮した闇の魔力が黒石の内に込められていたらしい。闇の魔力を腕輪に与えれば反応するように。

 その上で初見では魔力を察知できない工夫がなされていたが、割れた断面に触れた拍子にコルスタンが魔力を流してしまったということになっている。

 怪しい代物だと分かった上で安易に触れたコルスタンに呆れた様子を見せながら、教会で解析した腕輪の詳細をセルベスタが教えてくれた。


 けれど、実際は古代魔法を使い続けていたマルティエナの魔力に反応したのだ。その上で、全ての責任をコルスタンは背負って、自分が魔力を流したと愚かなふりをしてくれている。


 師匠の危うい立場を悪化させているのは自分だと再び自責の念に駆られたマルティエナだったが、役に立てることは一つあった。


 それは腕輪の分析とともに追っていた商人の足取りである。

 学院祭初日、それも早々と荷をまとめて撤退した商人は、残りの二日間に顔を出すことはなかった。


 コルスタンがその商人から品物を買い占めたのは、単に効果の不明な魔道具に興味があっただけでなく、商人自体を不審に感じたかららしい。

 学院祭で店を広げる際の申請書は偽り。実際に同一の店はあったが、学院へ商人を送り込んではいないし、取り扱う商品は庶民に普及されている日用的な魔道具だった。

 そこで役に立ったのが、アレッタへの贈り物として購入した宝石を取り扱っていた商人である。旧知の仲ではなく、当日知り合って会話した程度だったようだが、追っている商人の容姿や特徴だけでなく、発音のイントネーションから出身地まで予想できていたらしい。


 クレメン教会は今回の一件を闇属性の魔法士集団(ドルミオス)が関わっているとみて、ヴァルトセレーノ王国と教会で捜査をすると話していた。

 場合によっては闇属性の魔法士集団(ドルミオス)の協力者や間者と疑われるのに、元の学院生活に不自由なく戻れたことは幸運だとコルスタンは言い、マルティエナも心底安堵した。


 兄の名を語る以上は悪目立ちすることなく、国や教会にとっての不穏分子になることなく、優秀で従順な学生として学院生活を終えたい。


「それにセルベスタ先生からコルスタンと良い師弟関係を築けていると聞いているよ。棘が丸くなってきたのは君の影響かな」

「いえ、師匠は始めから親切でしたよ。私がお世話になってばかりで師匠にはいつも感謝しています」

「そう。コルスタンが君といるところを一度見てみたくなったよ。エレノアもよく君の話を……と、ごめんね? そろそろ弟に君を返そうかな」


 ソルディオンがアスタシオンに顔を向けることなくクスッと笑う。


「私は何とも思ってないよ? 兄さん」

「どうかな? 少なくとも、お前のお気に入りだってことは分かるよ」

「オーレンはいい奴だからね」


 口を挟むタイミングを逃したマルティエナは目の前で繰り広げられる応酬になんとも言えず、流れ落ちた前髪を透いて耳にかける。

 穏やかに笑い合っていても、含みのある空気は伝わるのだ。


「それじゃあ、オーレン君。君と話せて良かったよ」


 颯爽と去って行くソルディオンに深々と頭を下げたマルティエナは、視界に映らなくなるまで見送るとソルディオンとは真逆の方向に歩き始めたアスタシオンの後を追う。



 ――私と兄はね、互いの"お気に入り"には深く介入しないことにしているんだよ。昔からね。誇張されては火種になるしがらみを増やさない為に自然とそうしてきた。

 兄さんは一度の会話で満足するよ。



 なんてことない、とあっさり告げたアスタシオンの通りだった。

 ソルディオンの様子からしても、滲んでいた興味がアスタシオンとの僅かな会話によって消えたように感じる。


(立場上、兄弟でも複雑なんだろうな……)


 仲が悪いわけではなく、アスタシオンの話を聞く限り二人の間にあるのは信用だ。

 大陸で最も広い領土を有し、歴史も国力も教会との繋がりもあるヴァルトセレーノ王国の第一王子と第二王子。配下の貴族達による水面下での権力争いは当然のようにあって、数年前までは第二王子を次期王にと望む声も上がっていたが、今はそんな言葉を漏らす者は表にいない。


 ソルディオンとアスタシオンがそうした棲み分けをするようになったのは、当人の意志に反する内部争いを牽制する一つの手段だったはずだ。


 アスタシオンのいう"お気に入り"はなにも人物に限らない。


 ――相手の"お気に入り"と知っても身を引けないことはなかったのかな?


 ソルディオンにとっての自分はその程度で、その事実を有難く思っている。

 これは二人を直に見て感じた、どうすることもない、ただの純粋な疑問だ。


 もういいよ、と振り返らずに言われたのを合図に、マルティエナはソルディオンに会う為に解いていた古代魔法を掛け直すのだった。





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