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『マティアス・オーレン』の行方 〜ところで、兄はいつ戻ってくるのでしょう?〜  作者: 青葉 ユウ
-- Chapter 1 --

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2.始まりは予感に包まれて

 


「おかえりなさいませ! お嬢様」


 寮の自室に戻ると、見慣れたメイドの眩しい笑顔で迎えられる。

 自然と疲れが和らぐ息を落とした。

 気を張り詰めて不自然にならないよう自然体でいることを意識したつもりでも、身体は強ばっていたようだ。

 首を緩く圧迫するネクタイに指をかけて、綻ばせる。


「ただいま、カーチェ。それと、もうお嬢様呼びは駄目だからね。荷物は受け取ってもらえた?」

「すみません、ご主人様。ただいまエルジオが受け取りに行っております」

「そう。大丈夫だよ、ありがとう」


 前ボタンを外すと、後ろからカーチェが手をかけたので、片手ずつ袖から引き抜く。

 ジャケット一枚脱いだだけで随分と身軽になる。男性もののジャケットはかっちりと厚みがあるので、慣れるまで時間がかかりそうだなと凝った肩へと手を回す。


「入学式はいかがでしたか?」

「在校生挨拶のために王太子殿下がいらしたんだけど、残念ながら姿は見れなかったよ。でも、歓迎祝いの魔法が見れたから満足かな」

「まあ! どのような魔法だったのですか」

「う〜んとね」


 ほんの少し前に体感した魔法を、大聖堂の雰囲気と照らし合わせながら説明していく。

 第一王子がどのような魔法を駆使したかは分からないが、それでも複数の魔法を複雑に絡めたものだということは誰の目からも明らかだ。


「素敵です~。私も見たかったですわ」

「私ができるようになったら、真っ先にカーチェに見せるよ」

「まあ! 絶対ですよ、ご主人様」


 にっこりと嬉しそうに笑むカーチェに、マルティエナも笑みを返す。

 カーチェは幼い頃からマルティエナの身の回りの世話をしてくれていたメイドで、良き話し相手でもある。

 マルティエナ自身の入学が決まった際に、カーチェにもついてきてもらうことは確定していたのだが、マティアスとして入学するとなると話は変わってくる。


 王立魔法学院に入学する際に連れてくる使用人は基本的に1名まで。伯爵以上の高位貴族であれば2名連れてきても良い規則にはなっているが、実際のところ1名というのが暗黙の了解となっていた。


 そして、男子学生は従者を、女子学生はメイドを連れるのが主流。マルティエナとしても、兄のふりをするためには兄の従者であるエルジオにいてもらったほうが心強い。

 かといって、女性が男のふりをして生活をするには、様々な面で支障がある。細々とした困りごとに対応できるカーチェにもいてほしかった。


 とはいえ、使用人は主人と同じフロアに部屋を用意されているため、未婚で年若いカーチェが男ばかりの建物で1日の大半を過ごすことも気がかりだった。学院側で雇っている使用人の出入りももちろんあるので大事はないと思いたいが、カーチェの人生に影響がでるかもしれない選択を楽観視はできない。


 悩みに悩んでいたところに「何を悩んでおられるのですか」と問われ、この際だからと直接聞いてみると、思いのほかあっさりと返事がきた。当然お供しますと。「お嬢様をお一人で狼の群れの中に行かせるわけありません!」と鼻息荒く意気込んでいたカーチェに、マルティエナとしては、兄として赴く自分よりもカーチェ自身の心配をしてほしいと思っていた。


(でも、やっぱりカーチェがいてくれてよかった……)


 仕事を丁寧に卒なくこなすカーチェは天真爛漫な明るい性格で、出迎えてくれるだけでマルティエナの心も晴れる。自身を偽る学院生活を送るマルティエナにとって気心知れるカーチェの隣が一番心安らぐ。


 淹れてもらった紅茶を飲んで一休みしながら、オーレン伯爵邸から運び込んできた私物の置き場所について話す。基本的な家具は一式揃っているので、こだわりがない限りは持参する必要がない。既にほとんどの荷物をカーチェが整理し終えていたので、日頃よく使う文具や身の回りの物の配置を決める程度だ。



 そうして過ごしているうちに、控えめなノックの後に扉が開く音がした。

 素早く立ち上がって小走りでかけよったカーチェの後ろ姿を追うように目を向けると、大きな箱を抱えたエルジオがいた。


「随分と大荷物だね」

「今日受け取ったものは明日以降の講義で取り急ぎ必要なものですので、まだまだ増えますよ」

「へえ! 勉強漬けになりそうだなぁ。お兄様はどうして来たくなかったんだろう?」


 運び込まれた荷物を早速振り分けて整理していくカーチェの横で、エルジオから手渡された書類を受け取りながら疑問を呟く。


 思い返しても、物心ついた時から兄は勉強熱心だった。難解な図書も手に取っていたし、大人が読むような情報誌や新聞もチェックしていた。子どもらしさのない、とても大人びた賢い子どもだったのだ。

 兄に負けじと、マルティエナも同じ本を手に取ってみたが全くもって頭に入らなかった記憶が今でも残っている。


 そんな兄が最高峰の知識を得ることができる王立魔法学院への入学を拒むなんて、両親にとってはまさに青天の霹靂だったわけだ。


 学院生活の規則や注意事項がずらりと記された冊子に目を通すと、一枚ものの紙を眺める。

 ずらりと名前が羅列された表は、明日以降に行われる基礎科目のクラス分けだ。


 王立魔法学院では基礎科目と選択科目があり、選択科目は人によって受ける講義が異なる。入学審査の書類提出時に希望進路や希望科目を記入しており、それを元に学院側で基礎科目のクラス分けと選択科目の講義日程を調整しているのだ。一人一人異なる時間割で講義を受けることになるのだが、丸っきり同じ講義を受け続ける学生はいても指で数える程度らしい。


 けれど、1年次においての基礎科目は全体の3分の2を占める。クラス分けは特に重要だ。

 基礎科目クラスは入学試験時の成績と潜在能力で振り分けると規則で決まっているので、成績トップが集まるSクラスであってほしい。


 祈るように瞼を閉じて深呼吸置くと、左上から順に細かな字が記されている表を目で追っていく。


 思いの外、あっさりと見つけることができた。


 マティアス・オーレン

 マルティエナ・オーレン


 縦に並んで自分と兄の名前が記されていると、似通っている分目につく。

 クラスはS。手の届かない秀才の兄と同じクラスに振り分けられたことに胸を撫で下ろす。出だしから講義についていけない、なんて結果にはならずに済みそうだ。


 今度は同じクラスメイトとなる学生の名に注目して視線を下していくと、覚えのある名が二つあった。


 一つは、アスタシオン・ヴァンビエント・ヴァルトセレーノ。

 同い年の第二王子の名だ。Sクラスに名が上がるのは当然といえるので驚きはしない。


 そしてもう一つは――――



「エルジオ、嫌な予感が的中したね」


 名はクレイグ・アルカシア。

 アルカシア侯爵家の三男で、兄が王都に滞在していた時に偶然出会ったのをきっかけに何度か顔を合わせていたという、いわゆる旧知の仲。


 エルジオは兄に付き従っていた時に何度か顔を見ていると聞いたが、マルティエナは一度も会ったことがない。


 エルジオから当時の様子は聞いたし、申し訳なく思いつつもクレイグから受け取った兄宛の文に一通り目を通した。

 おかげで人物像のイメージは大まかにできたのだが、エルジオの見ていたものが全てなのだろうかという、クレイグに対する兄の接し方への拭いきれない違和感が付きまとう。


 エルジオは兄の従者だが、1秒たりとも離れず付き従っていたわけではない。兄はひとり、ふらりと姿を眩ませて過ごすのが好きだったのだ。

 のみ込みが早く、何においても優秀と評された兄のそんな趣向に、父も母も口を出すことはなかった。ある程度自由にさせていたほうが兄の才覚は広く伸びると見込んでいた。

 今となっては、それが今回の失踪に繋がったのかもしれないが。


 だから、正式な面会だけでなく、互いの両親に話が伝わらないようこっそりと会っていた可能性だってある。

 クレイグに対する兄の態度がいまいち想像できなくて、マルティエナにとっては上手く成り済ませるかどうかが最初の難関だった。


(唯一の救いは最低でも2年くらいは会ってなかったこと。少し不信感を与えてしまっても、なんとか取り繕えるはず)


 最悪、兄に成り済ましていることに気づかれても、言いふらすことはしない人物ではないか。なんといったって、兄が友と認めた人物なのだ。



(そういえば、あの子は同じクラスなのかな?)



 入学式に遅刻した女子学生。柔らかなストロベリーブロンドの髪を靡かせた、小柄で「可愛らしい」という表現がぴったりな女の子。


 彼女の姿を見たのは数秒だけだったのに、何となく忘れられない。

 それは遅れて登場したからとか、可愛らしいからだなんて単純な理由ではなくて、彼女の身をまとうどこか静謐な空気が目に焼き付いたからだ。


 学院生活は4年間。例え基礎科目クラスが違っても、選択科目で会うかもしれない。

 いずれ顔を合わせることもあるだろうと、ついに始まってしまう学院生活に思いを馳せて書類を捲るのだった。




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