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『マティアス・オーレン』の行方 〜ところで、兄はいつ戻ってくるのでしょう?〜  作者: 青葉 ユウ
-- Chapter 1 --

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27.死地と隣り合わせの幸運を




 静かに凪いだ屋上の片隅で、コツ、と革靴が乾いた音を鳴らす。


「……とりあえずは、一段落したようですね」


 状況を把握するための呟きが零れ落ちる。

 駆けつけたセルベスタが真っ先に視界に捉えたのは、連なる塔の壁を背もたれにして座り込み、頭を押さえているコルスタン・カムデンだ。

 殺気交じりの凍てつく眼光を状況を収束させるために駆け付けた教師に向けるのはどうかと思うが、それが出来る精神状態だということだろう。


 次いで、その少し手前で顔を真っ青にして気を失っているエレノアと、そんな彼女を抱きとめる男子学生に目を移す。

 地響きのような低く掠れたコルスタンの合図に反応した彼が首だけを回して、こちらへと振り返る。


 声すら出ないと表情が語っていた。



「エレノアさんは魔力を消耗し過ぎて気絶しただけです。私が応急処置をしますから、もう大丈夫ですよ――オーレン君」



 ざっと見たところ外傷はない。それはコルスタンも同様だ。

 エレノアの魔力は弱っているが、魔力の枯渇によって闇属性の影響を受けているのであれば、ある程度の対処はできる。

 とはいえ悠長に構えてはいられないのだが、同時に優先すべき事もある。


 余程張り詰めていたのだろう。

 血の気が引いて冷え固まった頬を溶かしていくように、ゆっくりと雫が伝う。


 普段は飄々と己を貫いていて、気品のある優美な佇まいからは次期伯爵であるという矜持も感じられた。

 焦燥に駆られた姿を見たこともなければ、恐怖に支配されている様は想像もつかない学生。


 だからだろうか。

 元々線の細い体付きをしていたが、救いを求めて縋る悲愴な眼差しがより華奢に見せる。

 消え入ってしまいそうな心の脆さが儚げな印象を引き立たせる。

 今が夜だったならば、青白く浮かぶ月のように美しさを保ちながら欠け落ちていったことだろう。


 そんな彼がこれまで成長を見守ってきたマティアス・オーレンと同一人物とはどうにも思えなくて。

 何が彼をここまで脅かしたのかと疑わずにはいられなかった。



 ◇◇◇



 腕の中にあった冷えた温もりが遠ざかる。

 セルベスタに抱きかかえられたエレノアは魔法の温かな光に覆われていて、これが消耗し過ぎた光属性の魔力の応急処置なのかと感心する。


「オーレン君、立てますか?」


 セルベスタは状況を把握しても、一度も動揺することはなかった。おっとりした陽気な声音が、臆する事態に陥る危機はもうないのだとマルティエナに安心感を与えてくれる。


 頷き立ち上がると、出入り口として利用している窓枠の横に立っているクレイグを見つける。セルベスタから待っているように指示があったのかもしれない。立ち止まったまま親指を突き立てて合図を送ってくるクレイグにマルティエナも返す。

 エレノアに助力を頼んだ際にクレイグには他の助っ人を探してきてもらうことにしたのだが、最も場を収めるのに的確なセルベスタを早々と探しだせたのは運だけではないはずだ。


「まずはエレノアさんとコルスタン君を治療室に連れて行きましょうか。オーレン君は彼に肩を貸してあげてください」

「わかりました」


 脱力して座り込むコルスタンの元へ駆け寄って腕を自分の肩に回す。

 反対方向に去っていくセルベスタはクレイグに指示を出していたので、マルティエナはコルスタンに声をかけながらも耳を傾けた。


「他の教師を呼びますので、それまでは誰も近づかないよう見張っていてください。不可解な物が散らばっていますので、貴方も近寄ってはいけませんよ」

「任せてください。見張りなら俺にもできますよ、先生」


 どうやら場の空気に呑まれないのはセルベスタだけではなかったらしい。

 緊迫感をまるで感じないクレイグの調子に固まっていた口元も緩む。


「おい、もういいぞ」

「え? ……ああ」


 耳元でぼそりと呟かれた合図に遅れて指先を口元に触れる。


 セルベスタは既に窓枠を潜り抜けているし、クレイグはその間抱きかかえていたエレノアを受け渡すために背を向けている。

 今なら気づかれる心配はなさそうだ。

 首の後ろへと手を回すと、指先へと流れる魔力を感じながら渦を巻く絵のような文字を描いていく。随分と書きなれた文字だ。止まった指先を離すと、空気に触れた首の後ろが熱を生む。


「誰にも気づかれねぇわけだな」

「師匠?」


 クッと喉奥で笑ったコルスタンを見遣る。


「発動時に強く感じる魔力の揺らぎがない。お前に触れてなきゃ俺でも分からなかった」

「そう、いうものなんですね」


 マルティエナにはコルスタンやネヴィルが感じ取れる魔力の波長が分からない。結果として言われてから知ることになるので、慣れ親しんだ魔法を人から教わるなんて妙な気分だ。


 けれど、発動の前後で触れていなければ気づけないというのなら、どのタイミングで師は知ったのだろう?


 魔力暴走を起こすから近づくなと制すだけでなく、気を失ったエレノアに悪影響を与えるからと常時発動している魔法を一旦止めるよう促してくれたのもコルスタンだ。


(隠し通すのに協力してくれるみたいだけど……)


 螺旋状の階段を一段一段降りていても足取りが遅い。肩にのしかかる体重もかなりのものだ。

 気力で意識を飛ばすのを耐えているのかな、とコルスタンの表情を盗み見る。


「マティアス」


 脳裏に響く擦れた低音が兄の名を呼んだ。


「お前があの魔道具に触れてたことは誰にも言うなよ。俺が割ったことにしろ」

「どうしてですか?」


 耳に口を寄せて囁くコルスタンに首を傾げる。先をいくセルベスタとは距離がかけ離れている。自分たち以外の足音も届かないので、歩くペースを考えると今頃は塔を出て治療室に着いていそうだ。それなのにコルスタンは周りを警戒して声を最小限に抑えている。


「お前が困るだろ。奴らに疑われたら一瞬で崩れるぞ」


 収まっていた鼓動がどくん、と大きく波打った。

 コルスタンの言葉には実体験が伴う。抑揚のない淡々とした一言がかえってマルティエナの背筋を凍らせる。


(その通りだ。私は偶々運が良かっただけ……)


 これ以上、秘密が漏れてはいけない。

 幸いにして強力な助っ人が二人に増えたのだから、まずは古代魔法の詳細を知るところから始めたら良さそうだ。



 ◇◇◇



 割ってしまった得体の知れない魔道具を拾ったコルスタンが突然魔力暴走に陥ったため、闇属性の魔力を抑えられる光属性の者を探すとエレノアに遭遇。そうしてエレノアが光魔法を使うもコルスタンの魔力暴走は収まらなかった。そのため、これまで成功したことのない光の古代魔法を一か八かで試したところ、見事成功して魔力暴走は収まったが、今度はエレノア自身が気を失ってしまった。


「――ということですね? オーレン君」


 事細かに伝えた出来事を要所を掻い摘んで端的にまとめるセルベスタにマルティエナは頷く。


 治療室に着くなりコルスタンは検査をすると別室に連れて行かれた。

 一人残ったマルティエナはセルベスタへと事の成り行きを説明することになったのだが、わざわざセルベスタの個人研究室まで赴き、気が休まるハーブティーを手ずから用意してくれる気の使いように少々腰が引けたほど。


 コルスタンの忠告もあり、自白剤でも混ぜられるのかと半分本気で疑ってしまったが、決してそんなことはなかった。

 気が動転していたから冷静になれる時間をくれていただけのようだ。


「オーレン君はご自身を責めているように見えますが、私でよければお聞きしますよ」


 緩やかに空気を震わせて優しく告げるセルベスタは、教師というよりかは枢機卿の顔をしている。

 身体を覆うローブも空間も、目に見える分には学院の教師なのに、セルベスタの表情一つ、声音一つで神の代理人に変わる。


 厳かな聖堂の一角で神に許しを乞い、導きを願う罪の意識を半分だけ。

 誰にも迷惑のかからない範囲ならば、吐露しても許されるだろうか。



「エレノアさんに全てを任せるしかなかった自分がやるせないんです。彼女一人に危険を背負わせて、私は安全な場所から見ているだけでした。……私が彼女を犠牲にしたも同然です」



 生まれ持った魔力の素質だからしょうがなかった、で済ませていい問題じゃない。自分がエレノアを選んだのだから。


 生まれながらに闇属性の魔力を有する者は忌避される。

 ならば光属性の魔力を有していれば輝かしい将来があるのかといえば、そうとも言えない。

 名を馳せて賞賛を浴びる姿は華々しい。けれども、力ある者には否応なく重荷を与えられる。死の危険すらあることを当然のように背負わされ、立ち向かわなければならない。


 そして、それをエレノアに与えたのは自分だ。

 コルスタンの魔力暴走が止まるまで古代魔法を発動し続けたエレノアがふらふらと倒れ込むのを抱きとめることしかできなかった。

 拍動とともに落ちていく体温を感じることしかできなかった。


 エレノアを目にする度に感じていた息を呑む静けさが、さらに濃くなって。真白い光で何もかもが消えていく無音の世界に、彼女までも溶け込んでしまうのではと恐怖に駆られても何もできなかった。



「オーレン君」


 いつの間にか下がっていたマルティエナの頭をセルベスタの手のひらが包み込む。


「人には危機迫る時にしか乗り越えられない壁もあります。エレノアさんにとって、今回の一件は決して悪いことばかりではないということを覚えていてください」


 肯定も否定もなかった。

 聖堂で罪を告白すると必ずと言っていいほど返ってくる許しすらない。

 それでいて、導きを与えてくれる。


 それがいい。


 許しを望んでいたわけではないのだ。

 そんなマルティエナの心情をセルベスタは分かってくれている。


 コルスタンの忠告通りに警戒はする。セルベスタがクレメン教会の枢機卿であることには変わりがないのだから。

 それとは別として、セルベスタ個人への敬慕が増すことは止められそうになかった――




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