26.救いようのない恐怖は唐突に
師の第二の住処となっている屋根の上は、隣接する建物が障壁となって、人の往来が多い場所からは死角になっている。故に屋根の上に立っても学院祭の賑わいを眺めることはできないが、活気溢れた音だけは風に乗って小さく流れ着いていた。
窓枠を潜って屋根の上を数歩進むと足を組んで座り込んだコルスタンが見える。足音に気づいたコルスタンが顔を向けた。
昼寝はしていなかったのか、なんてマルティエナは少しだけ残念に思った。
「今日も来たのかよ」
「師匠こそ。学生生活を謳歌できるのは今年で最後なのに、何もしないのですね」
「そんなこともない」
手には何かを持っていて、様々な角度から眺めていたようだ。
平たい屋根の部分には木箱やブローチなどの雑多な小物が散乱している。
「それが使い道の不明な魔道具ですか?」
「おう。……なんで知ってんだ?」
「偶々、目つきの悪い太っ腹な客が買い占めてくれたと商人が話していたのを小耳に挟みまして。やっぱり師匠でしたね」
「目つきの悪い客なんざ他にもいるだろ」
じろりと冷めた視線は半目になったことで更にキツくなる。光を伴わないから尚更だ。
そんなコルスタンの眼差しを既に慣れ親しんでいるマルティエナは動じることなく、空いているスペースに腰を下ろす。
ついでに散乱している物の中で目についたものを手に取ってみた。
「これって本当に魔道具なんですか? 黒だと模様があっても分からないですよね」
真っ黒でつるつるとした輪っかを掲げて、コルスタンがしていたように眺めてみる。
魔道具というからには魔法の原点となる文字がなければ始まらないのだが、それが分からない。どこに触れてもなだらかで文字が刻まれているとは思えないし、黒のインクで模様が描かれたわけでもなさそうだ。
部品を組み立てたものであれば見えない内側に印すのだが、石を削って作り上げた輪には無理じゃなかろうか。
大きさ的に腕輪かな、となんとはなしに左手を窄めて輪を嵌めようと試みる。
「馬鹿! お前は駄目だ!!」
「師匠!?」
けれど、勢いよく伸びてきた手に掴まれた右手が引かれた。
腕ごと持っていかれたことで上半身まで体勢を崩す。顔を見合わせたコルスタンは今まで見たことのない、切迫した表情だった。
驚きによって力の抜けた指先から、魔道具らしい腕輪が滑り落ちる。
カンッと屋根に当たっては跳ね上がり、また屋根に当たって音を鳴らす。
最後はカラカラと輪が転がっていって、段差にぶつかって倒れた拍子に砕けた。
パキッと甲高い音が小さく響く。
「……すみません、壊してしまいました」
あっという間に使い物にならなくなってしまった、魔道具らしき代物に視線を落としたマルティエナは茫然と呟く。
ただ目についた魔道具が腕輪のような代物だったので、理由もなく嵌めてみようと思っただけ。
魔道具を発動するにも魔力を流した上で発動の条件となる何かを念じなければならない。だから、コルスタンが必死になって止めた理由が理解できない。
それでも自分の行動がコルスタンの気に触れたことは確かで、壊れる原因となったのも自分が元だ。
素直に謝罪を口にしたマルティエナに、掴んだ手を離したコルスタンは立ち上がりながら「驚かせて悪かったな」と素気なく口にした。
割れた魔道具らしきものの方へと歩き、拾うためにかがみ込む。
マルティエナも駆け寄るべく立ち上がった、その時――
「うグッ……ぁ……クソッ!!」
歯を食い縛るコルスタンの呻めきが空気を裂いた。
祭りで賑わう活気を感じられる穏やかな昼下がり。そうだったはずだ。
数歩先には欠片を拾おうと伸ばしていた右手を握りしめて蹲るコルスタンがいる。
駆け寄ろうとしていたはずなのに身体中の関節が小刻みにしか動かない。
息を吸うにも喉がひりつく。
それでも浅いまま荒くなる呼吸を振り絞って声を上げる。
「師匠っ!!」
理屈のない、救いようのない恐怖。
騒つく胸を握りしめて、ようやく硬直していた体を動かせることに気づいた。
コルスタンの身に何が起こったのか。
割れた魔道具が何かの引き金になったと想像できるが、状況に追いついていけない。
そんなマルティエナにとって、コルスタンの元に駆け寄る以外の選択肢はなかった。
コルスタンにも容易に想像がついたのだろう。
「近寄るな!」
蹲るコルスタンの背中から感じる気迫に踏み止まる。
「闇魔法使ってるだろ。お前まで暴走するぞ!」
絶え絶えの息と漏れ出る呻き声を必死に抑えて叫んだコルスタンの制止は、マルティエナを更なる混乱に陥れた。
「……どうして……」
結論のでないまま目まぐるしく移り変わる思考が漏れる。
(私が古代魔法を使っていることを知っていた? お前までって、師匠は魔力暴走を起こしているの? あの魔道具は何なの?)
どうして。なんで。どうしたら――
今に至る原因と対処の仕方。冷静であれば第一に優先すべきことは明確なのに、混乱した思考は着地してくれない。次から次へと思考が揺れて、また同じ問いを繰り返す。
「ぐッ……早く、誰か呼んで来い! 光属性の奴なら誰でもいい! 俺じゃ止めらんねぇんだよ!!」
聞いたことのない、慟哭のような叫びに弾かれたように走り出す。
誰でもよくなんてない。
コルスタンが魔力暴走を起こしたのなら、それを抑えられる人物なんて限られている。
マルティエナが魔力制御の印を解除した日にコルスタンから放たれた言葉が呼び覚まされる。
同格じゃなければ。
放たれる力が拮抗していなければ。
訪れるのは最悪――――死だ。
駆け下りる時間も体力も惜しくて、水と風魔法を発動させて螺旋階段の手すりを支えに滑り降りる。
その間にもコルスタンの魔力暴走を抑えられる可能性のある人物をなるべく多く上げていく。
幸いにもコルスタンには自我が残っている。いつまで保つかは分からないが、コルスタンが自身の魔力を抑えられている限りは、多少力が劣っていても光属性の魔法で止められるはずだ。
それでも同学年に数人いる光魔法を有する学生の中で頼れるのはエレノアだけだろう。
第一王子とセルベスタ含む魔法学の教師数名に、アスタシオンの従者。顔と名前だけ知っている、一学年上で実力が評されている先輩。
エレノアの他に名を挙げられるとしたらそれくらい。
アスタシオンが実力者だと話していた情報資料館の司書も光属性があるのではないかと思ってはいるが、あくまでも憶測で当てにならない。
第一王子はトーナメントに出場しているので、離れた位置にある闘技場だ。一学年上の先輩もきっと出場している。大半の教師は生徒の実力を見届けるために闘技場にいるので、セルベスタもそうだろう。
エレノアはどうだろうか。
今日のトーナメントは武術も得意とした学生が出場するので出ていないと思うが、師匠である第一王子が出場しているので観戦していそうだ。
残るアスタシオンの従者オットーはどうかとなると、誰よりも居場所が予想できない。学院祭では学生が連れてきた従者の半数が運営に駆り出されるからだ。残りの半数は客として自由に学院祭を過ごせる。カーチェとエルジオがどのように過ごすかは知っていても、流石に人様の従者の動向は知り得なかった。
距離が離れていようとも、確実に誰かを見つけられる闘技場に向かうのが最善だろう。
人気のない学院本棟から外にでると、数刻前にクレイグとともに散策していた遊歩道に出る。
一大事とはいえ、学院外から訪れた人々に事態を察せられるのは悪手だ。途中で道を逸れて人通りのないルートを通ろうと、人波の中を足早に歩く。
同時に、誰か光魔法を扱える人物がいないかと視線を彷徨わせた。
がやがやと盛り上がる人混みが速る拍動を急き立てる。
そんな感覚の中で、のんびりとした陽気な声がマルティエナの足を止めた。
「マティアス! これからトーナメント観に行くのか?」
声の主は数刻前まで並んで歩いていたクレイグだ。
背後から届いたということはすれ違ったのだろうに、気づけていなかった。焦燥から視野が狭まっていた証拠だった。
彼の一声のおかげで、浅くない一息を吸えた。
鼓動も徐々に落ち着きを取り戻す。
光属性を有する者でなくとも、信頼のおける人物がいれば心強い。
「クレイグ、良かった。頼みが――」
人混みの奥で手を掲げている人物の元へと歩を進める。
頼みがあるんだ、と人探しの協力を願おうとしたマルティエナは驚きで目を見開いた。
神聖な雰囲気が漂う、息を呑む静けさ。
明るい日光を浴びたストロベリーブロンドの髪も陶器のような白い肌も、内側から輝くように光を纏う。
いくら視野が狭まっていようとも、必ず視線が向いてしまう圧倒的な存在感。
そんな彼女は遊歩道の脇に設置されたベンチに腰掛けていたことで、人混みに遮られて目に留まらなかったらしい。
マルティエナが探し求めていた人物――エレノア・シュネヴィオールがそこにいた。




