23.遅効性の毒のように甘く
重い瞼に押し負けそうになりながら目を覚ますと、見たことのない天井が出迎えてくれた。
全身が沈み込んだ寝台の天蓋からは金糸で模様を描かれた重厚感のあるカーテンが垂れ下がっている。
僅かに開いた隙間から漏れる光は明るい。
状況を整理しようと体を起こしたマルティエナは、魔力制御の印を解除した後の行動を順に追って、口元に指先を這わせる。
(ここが殿下の寝室……なんてことある?)
身体を包み込むシーツと布団は肌にしっとりと吸い付く心地良さ。寝台を仕切るカーテンも、天井に描かれた模様からも大層趣向を凝らした高貴さが感じ取れる。
コルスタンの線でも考えてはみたが、やはりこの部屋の主はアスタシオンだろう。なによりも微かに布団に馴染んだ芳香が彼のものだった。
自分の状態を確認してみる。
身につけているものは制服であるグレーのシャツ。息苦しくならないように胸元までボタンを外されている。下も手のひらで触れた生地の素材的に制服のスラックスのようだ。腰回りのベルトは親切に抜き取られている。
そのことに胸を撫で下ろしたマルティエナは、深く考えすぎないためにもカーテンを一思いに開けた。
「ご主人様! おはようございます~」
予想した場にいないはずの声が明るく響く。
朝の清々しい陽の光で満たされた室内で、マルティエナへと晴れ晴れとした笑みを向けたのはメイドのカーチェだった。
瞬きを繰り返すマルティエナの側へと駆け寄ったカーチェがしゃがみ込む。
「お体の具合はいかがですか」
眉を八の字に下げて見上げてくる彼女は自分よりも年上の女性なのだが、可愛らしいという言葉が一番似合う。
「大丈夫だよ。心配をかけてごめんね? カーチェ」
「安心いたしましたわ~。食欲はございますか?」
「うん。少しなら食べれそう」
「では、先に身なりを整えてしまいましょう」
場所が変わっても緊張感のないカーチェに絆されたマルティエナは気が抜ける。
胸元のボタンを留めて、よれたシャツを伸ばすようにスラックスの中へとしまい込んでベルトを締める。カーチェが広げたジャケットへと裾を通せば、シャツの皺はあまり目立たないだろう。
ネクタイはいらないですよね、と確認の意味での問いに頷くと、今度は案内されてスツールへと腰掛ける。
目の前には上半身を映し出す鏡。幅の狭い台の上には数種類の瓶が並んでいる。
手渡された温かい濡れタオルで顔を拭くと、カーチェは使い慣れているような身のこなしで引き出しから櫛を取り出し、迷いなく一本の瓶を手に取って髪へと揉み込んでいく。
ふわりと空気を塗り替える、アスタシオンの香り。
緩み切っていた気持ちも一瞬で塗り替わる。
「あのさ、カーチェ。ここって殿下の部屋なんだよね?」
手慣れた手つきで髪を梳いていくカーチェへと鏡越しに目を合わせる。
恐る恐る口にしたマルティエナへ帰ってきた返事は、満面の笑みを浮かべたカーチェからではなかった。
「そうだよ、オーレン。おはよう」
どこまでも甘く、心地良く響き渡る低音。
所々で掠れているのは朝だからだろうか。
胸元が僅かに開いた真っ白なシャツに、ゆったりとしたアイボリーのズボン。左肩に寄せて流した橙寄りの金の髪が、陽の光に当たって眩しい。
清々しい朝のアスタシオンは色っぽさの方が優っていて、心を落ち着かせるためにも頭を下げる。
「おはようございます、殿下」
「ごめんね、身支度中に割り込んで」
「いえ、丁度整え終えたところですわ!」
マルティエナが口を開くよりも早く、カーチェがいつもの調子で返事をした。
貴族同士の会話に使用人が口を挟むのは基本的に厳禁だ。いくら学生同士、そして非公式の場といえども常に立場を弁えた振る舞いをしてきたカーチェの一言に驚いたマルティエナは、アスタシオンの反応を見ようと視線を泳がせてから余計な心配をしたことに気づく。
アスタシオンがカーチェへと笑みを向けていたからだ。
カーチェの物怖じしない態度や、アスタシオンの私物を遠慮なく使う様子からも、自分が眠っていた間に何度か言葉を交わしていたと見てとれる。
「そう? ――なら食事にしようか。色々と用意させたけど無理はしなくていいからね?」
再びマルティエナへと蕩けるような笑みを浮かべたアスタシオンは颯爽と開け放たれた扉の奥へと消えていく。
「殿下は本当にお優しい方ですねぇ……」
そう呟いたカーチェへと振り返るとうっとりとした表情を浮かべていた。
その奥の鏡に映る自分にも目に留まって、すぐさま古代魔法を発動させて兄を思い浮かべる。
鏡に映る自分は想像したままの兄に変わったのだから、平然としていればいい。
そう分かっていても難しいことはある。
言葉にしなくとも全てを表に出していた。
心配していたのだと。無事で良かったと。一目見て姿を確認したかったのだと。
誰だって、あんな、恋人に向けるような眼差しをアスタシオンから向けられて、同じくらい甘い声音で囁かれてしまえばこうなるはずだ。
だから、しょうがないじゃないか。
心のなかで不満を口にする。
足速にアスタシオンの後を追ったマルティエナは、触れた頬から感じる熱に平静を保てそうになかった。
◇◇◇
用意されていた朝食はマルティエナの好物ばかりだった。給仕は全てアスタシオンの従者がしてくれたのだが、カーチェだけでなくエルジオまでもこの場に控えていた。
部屋を移ってからのアスタシオンは、マティアス・オーレンという学友へ向けてきた、いつもと何一つ変わらない態度だった。そして、食事中の会話は余り好まないらしい。マルティエナも率先して会話をする性格ではなく、料理の感想を交わす程度で静かなものだった。
アスタシオンの纏う柔らかな雰囲気のおかげで沈黙はむしろ心地良く、緊張することなくお腹を満たせる。
「殿下。大変感謝しているのですが、なぜ私をここへ?」
食後の紅茶を飲み干したマルティエナはひとつ咳払いをして本題に入る。
アスタシオンの「迎えに行く」という言葉は、意識を失ったとしても部屋まで送り届けてくれるという意味に捉えていた。
アスタシオンの自室だったのは何か意味があるはずだ。
とはいえ、マルティエナが兄に成り済まして生活していることがアスタシオンに知られたことは二人だけの秘密にしようと決めたのは当のアスタシオンだ。
事情を知っているエルジオとカーチェにも、アスタシオンが使う耳飾りの魔道具の件は話せないし、この件が父にまで伝われば変な期待を生む可能性すらある。
兄の捜索で気が滅入っている父に更なる心配をかけることも、余計な期待をさせることもしたくなかったマルティエナは、アスタシオンの決定に同意した。
しかし、だからこそただの学友を自室に運ぶのは親切を越えて怪しまれるのではないだろうか。
表向きの理由を知るために尋ねると、アスタシオンはあざとく笑みをつくる。
「君を心配していたから――というのもあるけど、単に興味があったからかな? 闇属性の魔力にも、君自身にもね。それに、私の従者は光属性を有した優秀な騎士だから、オーレン程度であれば魔力暴走を起こしても制御できるよ」
「――そうでしたか」
壁際に控えるアスタシオンの従者へと視線を移すと、逸らされることなく視線が交わる。
アスタシオンの従者の名はオットー。元々は騎士志望だった彼は、実力を買われて第二王子の従者になったとエルジオから聞いていた。
そんな彼からの淡々と観察されるような眼差しにマルティエナは笑みを返した。
アスタシオンへの疑念は微塵もなく、主人である第二王子の興味に値する人物か見定められているといったところか。
その隣に立つエルジオは怪訝な顔を浮かべている。元々アスタシオンを警戒していたエルジオにとっては見逃せない発言だったかもしれない。
「殿下に興味をもっていただけて光栄です。制御されていた魔力も馴染んだようなので、従者の方の手を煩わせずに済んで安心しました」
「残念だけれど、そのようだね」
浮かべた表情も、声に乗せた温度も本心だと告げている。
それでもアスタシオンの本心はここにはない。それを既にもらっているマルティエナはへらりと笑う。
そうしてマルティエナが自室に戻ると、使用人二人の意見は割れた。
「第二王子殿下に懐柔されないよう、お気をつけください。深入りは危険ですよ」
アスタシオンへの警戒を更に強めたのは当然エルジオだ。
「まあ! エルジオは見る目がありませんね! 御立場上色々とあるのでしょうが、殿下はご主人様を大切に思ってくださる方ですわ。危険などありません!」
対するカーチェはアスタシオンへの信頼が強い。マルティエナとともにアスタシオンの本音を垣間見れたことが大きいのかもしれない。
毎度のことながらカーチェの反論に押され気味のエルジオへと「殿下とは程々に親しくするから心配いらないよ」とマルティエナは笑むのだった。




