21.二度目の風を親しむ日
長期休暇を終えた風の初月。休み明けだからといって気を抜いてはいられない。
怒涛のように始まった講義は、長期休暇中に課せられた課題を真剣に取り組んでいなければ早々と置いていかれそうな勢いだった。
長期休暇とは何かと疑問に思うほど勉強漬けだったマルティエナは問題なく聞いていられたのだが、隣に座るクレイグは時々「何の話してんの」と漏らしている。
流石に冗談であってくれと願うしかない。
ヴァルトセレーノ王立魔法学院には留年の制度は設けられていない。
如何に成績が悪くとも、不真面目な学院生活を送っていても進級はする。ただ、基礎科目のクラスはランクが下がるし、選択科目の幅も極端に狭まるというだけ。
とはいえ、一度も講義を受けていないとなると問題だった。
学院側から復学の見込みはないのかと度々連絡はきても先延ばしになっていた返事は、マルティエナが帰省したことでようやくまとまった。『マルティエナ・オーレン』に寮生活は困難なので退学する、と。
貴族令息であればヴァルトセレーノ王立魔法学院が第一にして絶対のルートだが、貴族令嬢はそうとも限らない。
もちろん王立魔法学院への入学は人気だが、その上を行くのが聖テレシア女学院だ。当時の社交界の流行を次々と生みだしていた王妃が王立魔法学院の設立と同時期に開校した歴史の長い学院である。
貴族の家柄に嫁ぐための花嫁教育を目的としており、評価が高いほど上位貴族に名を売り込むチャンスにもなる。
王族が在学している間は王立魔法学院を希望する令嬢もそこそこいるが、そうでなければ聖テレシア女学院を選ぶ者が多かっただろう。
だからこそ、マルティエナはあっさりと自身の退学を進めた。
聖テレシア女学院は卒業に足る評価が得られるのなら費やす講義時間の多少は問わない。
在学可能な年齢も二十歳までと大まかに決められているだけ。女性の場合は社交界デビューや婚姻する年齢が人によって様々なので、多様な受け入れをしているのだ。
兄が戻ってきたら入学手続きを済ませて適当に評価をもらえればいい。高位貴族の元へ嫁ぎたいわけでもないので、評価も程々で良い。
楽観過ぎかもしれないが決して難しくはないことだし、嫁ぎ先がなければ兄の右腕になって領地経営に励むのも悪くないのではないか。
そうして長期休暇の間に退学の手続きを終えたのだったが、二年生の基礎科目クラス分けでマルティエナ自身の名がない事を真っ先に心配してくれたのはクレイグだった。
体調は徐々に回復しても学院に毎日通うほどの体力はなさそうだ、と告げると胸を撫で下ろしていた姿を思い返す。
(お兄様が私を彼に託したのはそういうところなんだろうな)
お調子者な感じが否めないが、常に場の空気と相手を見定めている。兄はそういうところも気に入っていたのだろうし、マルティエナも好感を抱いている。
講義についていけなくなったクレイグは、教本を捲っては行ったり来たりを繰り返していた。
この様子では今年もカスト頼りになりそうだと苦笑いを浮かべたマルティエナは、彼の忙しない手を止めて教師が説明している箇所を指し示すのだった。
◇◇◇
「では、本日はここまでにしましょう。――次回の講義までに第三節の内容に目を通してくださいね」
講義の終わりとともに課題を告げて去っていく教師へと一礼すると、広げていた教本をぱらぱらと捲る。予習が必要な量を把握しておこうと思ったのだが、目的を終える前に諦めた。
「空腹で頭が働かないんだよなぁ……。マティアス、行くぞ!」
ぱたん、と閉じて息を吐くと、勢い良く立ち上がったクレイグにつられるように立ち上がる。
「私も同じことを思っていたよ。明日からは何か食べれるものを包んでもらおうかな?」
学年毎に造られた四つの棟の中央には渡り廊下で繋がった食堂がある。
寮から昼食を持参して適当な場所で済ませる者もいるが大抵は皆食堂を利用するため、一年、三年の学生と二年、四年の学生の講義時間を調整して食堂が混まないようにしているのだ。
昨年よりも遅くなった昼休憩に加えて、剣術の講義が朝一に変わったので余計にお腹が空く。
「ならカーチェちゃんに俺の分もよろしくって伝えてくれよ〜」
「良いけど……お礼を忘れずにね?」
「俺が忘れたことなんてないだろ」
数冊の教本と筆記具を片手で持つと視線を後方の席へと向ける。隣に座る学友の教本を一緒に見て身振り手振りを交えながら口を動かしているのはカストだ。
カストの元へは勉強を教えてほしいと多くの人が訪ねてくる。彼は一人一人に真摯に向き合うし、相手に合わせて教え方を変えるので、隣で聞くたびにマルティエナは関心していた。
彼の様子を見るに、まだ少し時間がかかりそうだ。一声かけてから食堂に向かおうと話しかけるタイミングを見計らっていたら、視線を察したのかカストが顔を持ち上げる。
「カスト、席空けておく?」
「うん、ありがとう! 終わったら行くよ」
また後で、と手を掲げたマルティエナはクレイグとともに講堂を出て廊下を歩く。途中にあるロッカールームで荷物をしまうと、再び廊下を歩いて階段を降り切って、今度は渡り廊下へ。
学院内の食堂は食事時以外も解放されているため、雑談や勉強をしたりと何時でも人が立ち寄る場である。
中でも人気なのは二階で、湯気の立つ料理を自分の皿へと取り分けたマルティエナも見つけた空席へと迷いなく足を進める。
吹き抜けとなっている二階は賑やかな階下の様子を眺められるし、窓際であれば各棟に囲まれた中庭を見下ろせる。それに、天井を埋め尽くさんばかりのシャンデリアに距離が近くなるので宙を仰いでいるだけでも美術品を鑑賞している気分になれるのだ。
そんな食堂の各所に設けられた階段を更に登った先は教員一人一人の研究室になっている。
そのため食堂を除いた三階から上を教員棟と呼んでいるのだが、昼休憩に入ったばかりの今、その先へと歩みを進めている女学生を見つける。
「エレノアちゃんってば、新学期早々から熱心だな~」
「本当に。時々休みを取れているのか心配になるよ」
対角線上にある壁に沿った階段を登るエレノアは淡いピンクの髪をふわふわと靡かせながら、仕切りで区切られた通路の先へと消えていく。今日の髪型は頭の上で一括りにしたポニーテールだった。
剣術講義は男性は必修だが、女性は選択科目扱いだ。
魔法士は全線で戦う者もいれば、後方で支援を行う者もいる。向上心の高い王立魔法学院の学徒でも剣術を極める女性は少数なようだが、エレノアはその内の一人なのかもしれない。
食前の祝詞を告げてから、切り分けた料理を口へと運ぶ。
今日のメインは具がぎっしりと詰められたミートパイ。黄金色に焼き上げられたパイ生地の中は、豚肉と果物の層ができていて見栄えも良い。果物の酸味と甘み、そして豚肉に沁みた香辛料が効いて、肉料理でも重たく感じない。
添えていたサラダとスープも半分まで減った頃、カストが階段を上がってきた。
「お疲れさま! 二人とも」
向かいの席に座るクレイグはミートパイだけでは足りないと言ってサンドイッチを二つも取ってきていた。それを頬張りながらカストへと手を掲げる。
マルティエナも口元を布ナプキンで拭うと、空いている席に腰を下ろしたカストへと微笑む。
「お疲れ様。今日のパイはきっとカストが気に入る味だよ」
「楽しみだな〜。じゃあ、さっそく!」
そうは言いつつも、食前の祝詞を丁寧に唱えると瞼を閉じて祈る。
カストも同様にお腹を空かせているだろうに、こういった日々の祈りをおざなりにしないところが精霊との強い共鳴にも繋がるのだろう。
瞼を開けて組んでいた手を離すと、すぐさまナイフで切り分けてパイを口へ運ぶカストを見届ける。
「どう?」
取り敢えず尋ねることにしたが、返事を聞かずとも幸せそうな表情が物語っている。そんな姿を目にしたマルティエナも残り数口で食べ終わるパイへと口をつけた。
「~~~美味しい! 僕、一年ぶりに家に帰ったけど、ここの食事が恋しくなっちゃったんだよね。お母さんが作ってくれる料理も好きなんだけど、舌がここに慣れちゃったのかな?」
「分かる! 俺の家の料理人もかなり腕がいいんだけどさ、なんか違うんだよな~」
「どの料理も素材の味が引き立ってるよね」
オーレン伯爵家で腕をふるう料理人の味も勿論美味しい。
それでもクレイグの話す「なんか違う」はマルティエナも同感だった。
その要因の一つは素材や香辛料の違いだ。
地続きの国々であっても育つ食物や食文化は異なる。
本来ならヴァルトセレーノ王国で育たない植物を魔法の力で栽培する研究もしている王立魔法学院では食材も香辛料も豊富なのだ。
使用人が手入れをしている畑にカーチェが初めて足を運んだ日は、見たことのない植物が沢山育っていたと興奮して話していた。
そんな食材をどう調理するか。異国の地の伝統料理もいいのだが、毎日のように食べ慣れない味付けの料理が出てくるのは、たとえ美味しいといえどもストレスの元だ。そんな訳で物珍しい異国の料理は月に数回程度で、普段は王国で慣れ親しまれている料理にアクセントとして付け足す程度なのだとエルジオから聞き知ったことがある。
「入学した当初は食べた事ない高級料理ばかりで慣れなかったんだけどね。卒業した後はもう味わえないって思うと、今から心配だな」
「あ~、いや、カストは大丈夫だろ! どうせ王城勤務したら美味しい食事にありつけるはずだ」
「王城勤務!? 僕には夢みたいな話だよ」
「そんなことないと思うよ?」
王城勤務ではなくとも、カストが実力に見合った職を選ぶなら国の中枢を担ういずれかの機関だろう。国内屈指の料理人を雇っていることは確かだ。
(卒業した後か……)
兄が戻ってきてくれることを心待ちにしているマルティエナにとっては、卒業を待たずに学院を去ることを念頭に置かなければならない。
カストの言ったとおり、味わえないと思うとなんだか惜しい。
今後は講義の合間で異国の植物の栽培方法も学んで、オーレン伯爵領でも育ててしまおうか。
そんなことを考えながらのんびり咀嚼するマルティエナと違って、会話をしながらでもクレイグとカストのスピードは速い。
結局、倍の量を取り分けていたクレイグと遅れてやってきたカストとも食べ終わるのはほぼ同時だった。
「そろそろ行こうか」
二年生の午後は全て選択科目になる。
長期休暇前に提出した希望の選択科目と進路を考慮した上で、個人評価を元に学院によって決定されている。基礎科目とは違い、講義によって講堂までの移動距離に時間がかかるため早めの行動が必要だ。
階段を降りて一階へ。渡り廊下へと繋がる道を歩いていると、通路横の席で本へと視線を落としている女学生が目に留まって、足も止まった。
反対に、マルティエナの視線の先の人物が本から顔を持ち上げる。
「まあ、マティアス様に御二方も。ご機嫌よう」
微笑むと同時に首を少し傾けたアレッタの艶やかに波打つ黒髪が流れる。
つい魅入ってしまうアレッタの美しさは、長期休暇を経て磨きがかかったように感じる。パッと見たところ大きな変化は無さそうなのに何故だろうか、と思ってすぐに答えに辿り着く。
「アレッタ嬢は今日も女神のように美しいね。俺のこともマティアスと同じようにクレイグ様って呼んでほしいんだけどな〜」
「アルカシア様ったらご冗談も程々になさって?」
隣に立つクレイグへと向けられた眼差し。そして、此方を見上げる眼差し。どちらも優雅に微笑んでいるが、マルティエナに向けられる瞳はことさら直向きだ。
「ご機嫌よう、アレッタ嬢。久しぶりに話せて嬉しいよ」
「私もですわ! 良ければ途中までご一緒しても?」
「私のエスコートで良ければ喜んで」
嬉しい、という素直な感情が彼女の笑みをより輝かせる。
クレイグとともに食堂に来た時には、アレッタは仲の良い同性の友人と席についていた。それなのに別の席に一人でいたという事は、話す機会を待ってくれていたと考えて良さそうだ。
アレッタが好意を寄せてくれていると知った日を今でも鮮明に覚えている。実際他の女性にどう思われているのかは分からないが、後にも先にも好意を表してくれたのは彼女だけだったからだ。
当然、エルジオとカーチェに相談しながら決めて翌日にアレッタへ告げた言葉の数々も。
――私は貴女を親しい友人と思っているから、貴女の気持ちにはまだ応えてあげられない。ごめんね?
折角学院にきているのだから、私だけじゃなく他の方々とも交流を広げてごらん。私以上に気の合う男性がいるかもしれないし、私は婚約者を決めるなら広く人脈のある女性がいいな。いずれ爵位を継いだときには手助けをしてほしいからね。
講義終わりにアレッタを寮へと送り届ける道すがら告げた内容はそんなところだ。
途中から頷きもなくなって、終いには涙目で見上げてくるアレッタに居た堪れなくて「その上で私を選んでくれたら心から嬉しく思うよ」と手の甲に軽い口づけもした。
それはカーチェが兄ならそうすると言い切り、マルティエナも兄のそんな姿にしっくりきたからだ。エルジオからは「それはいけない」と止められていたのだが、今にも泣き出しそうなアレッタを慰めるための方法が思いつかなかくて、咄嗟に行動に移してしまった。
それにあの時はまだ、兄はそのうち戻ってくると高を括っていた。
しかし、こうして一年が過ぎ去った今、かけた言葉通りに男女問わず交流を広げている上で兄を慕っていると言葉で表さずとも全身で伝えてくるアレッタを前にすると、嬉しく思う反面、騙している心苦しさが胸を渦巻く。
(早くお兄様にアレッタ嬢を紹介したいのに……)
そんな事を思いながら過ごす学院生活。
マティアス・オーレンとしての二年目は、見慣れた面々との穏やかな日常から始まった――




