20.散らない執着の呼び方
古代文字とは文字であって、文字ではない。
我々からしたら模様ともいえるそれは、装飾の一部分として簡単に紛れることができる。
ヴァルトセレーノ王国の何棟にも分けられた宝物庫の片隅に、それは紛れていたらしい。
いつからそこにあったのか知る者はおらず、宝物庫のリストにも載っていない。そんな代物を王国きっての魔法士が偶々見つけ、性能の検証結果とともに内々に国王に報告した。そして、国王は教会に報告することなく、秘密裏に保管することにしたのだ。
何代も前の遥か昔の話である。
今では横並びにしても区別のつかない耳飾りを数個用意して、王族は全員が身につけている。王族の象徴と誰もが思っているが、古代魔法が込められた魔道具を使用するための隠れ蓑だ。
実際誰が使用するのかとなると日によって異なる。単純に考えれば国王だが、わざわざ魔道具に頼らずとも常に身を守る者がいるから毎日は必要ない。
そのため、学院入学と同時に次期国王である兄の手に渡った。そのまま卒業まで兄が身につけると思いきや、二年後には私の元へ。
魔道具の使用条件は物によって異なるが、それは至って簡単だった。適当な魔力を流して念じればいい。害為す者を示せと。
魔道具が察知する範囲に害為す魔力の意志がいると、触れている耳に微弱な痛みが流れるのだ。そして、発端となる人物に触れるとより明確な刺激が警告を鳴らす。
折角だからと有り難く使用させてもらうことにした私は、入学してからというものその痛みに頭を悩ませることになる。
敵意があるのなら勝手に寄ってくるだろうと観察していた。けれども群がる者の誰でもなくて、私に目もくれない品行方正な伯爵子息だったのだから、真っ先に魔道具を疑ったものだ。
たった一ヶ月でも彼の評判は何度と耳に入っていた。時折翳が差す優美な佇まいが何となく近寄り難いと言われていたが、行動を共にしているクレイグ・アルカシアとカスト・ブルーベンが親近感を抱かせる性格をしているので二人を介して話しかける者も多い。
そんな彼が何を画策しているのだろうかと、どんなあくどい手段を用いるのだろうかと気になって仕方がなかった。
それに、捕らえるにしても証拠はいる。
退屈しない余興を邪魔されないためにも、兄には近づかないよう忠告を試みた。
兄は退屈な一、二年次の講義の傍ら、禁書庫へと足を運んでは独自の研究を続けていたらしい。そうして、自身へと向けられる魔法を感知する魔道具を秘密裏に編み出した。とはいっても、高度な光魔法を扱える自身の魔力でのみ発動が可能な、使用の限定された物なのだが、それがあれば出所の不明な過去の遺物は不用なのだ。
聖人のように振る舞っていても、瞬く間に非情になれる兄は彼を放置はしない。そんな事はつまらない。
人を魅了させる微笑みに隠された歪みをこの目で確かめたい。伏せられた瞳に何が映っているのかを知りたい。
――そう思っていた私自身が、誰よりも彼に魅了されていたのかもしれない。
彼の視線の先を追って、足の赴く先を追って、彼が手に取る本を読み返して。
他の誰かへと向ける微笑みを、視界に入れてもくれない遠くから眺めているだけでは満足ができなくなっていた。
私に警戒していた心が解けて、恋愛感情でも向けられているのかと疑うほどに選りすぐった賛美を放つのを躊躇わなくなった彼と過ごす時間は満たされた。
自ら術中にはまってしまったのではないかと思いもしたが、それすらも楽しい。
そんな彼が寮に戻ってきていないらしいと従者から聞き知った私は、彼が足を運ぶ場所に確信があった。
予想通りに、人気のなく寂れた庭園の中でも薄ら暗い場所に設けられたガセポに彼はいた。
元々中性的な美しい顔立ちをしていたが、力なく寝入っている姿はどこかあどけない。
枕替わりのローブは少々乱雑に丸め込まれていて、意外に思ったものだ。
オーレン、と声をかけてみても目を覚ます気配はなくて。何処かからやってきた刺客ではと疑っていた自分が途端に馬鹿馬鹿しく思えた。本当に刺客だったのならとんだ間抜けだ。
彼は無遠慮に触れてくるのだから、私が同じことをしても構わないだろうと彼の長い前髪へと触れた。
普段の何気ない彼の仕草。
耳から零れ落ちた長い前髪を一本の指先だけで掬い上げて、耳へとかける。
なぜだか胸が高鳴った。
見慣れたはずなのに、初めて魅入るような緊張感。
端から端までを隙間なく縁取った長いまつ毛。すっきりと伸びた鼻筋。色づく頬に、迷いなく触れたくなる潤った唇。薄らと開いた隙間からは赤い口内が見え隠れしていて扇状的だ。
殿下、と連れてきた従者に苦言を呈されるまで目が離せなかった。
そうして従者の反対を押し切って彼を抱き抱え上げたところで、ようやく気づけたのだ。
彼は、彼ではなかったのだ――と。だからこそ、彼の内で息をする彼女に魅入っていたのだと。
姿形を変える魔法だなんて聞いたことがない。
ヴァルトセレーノ王国の第二王子である私ですら小耳に挟んだことがないのだから当てにはしていなかったが、それでも翌日は禁書庫に篭って闇属性の魔法を調べてみた。
けれども当然のことながら手掛かりがなくて、結局こうして彼女を呼び出すことにしたのだ。
ネヴィルからは、マティアス・オーレンと瓜二つの男と会ったと聞いてはいた。別人でがっかりだと話していた姿から余程の人物だと思っていて、だからこそ、ネヴィルすらも騙し通せる実力を有した同一人物ではと疑ってもいた。
けれども実際はネヴィルが正しくて、彼が会ったユーマなる人物がマティアス・オーレンで、今目の前にいる『マティアス・オーレン』が瓜二つの双子の妹だった訳だ。
私の問いに答えるために吐露してくれた彼女の柔らかな髪を撫でる。
積もる話はあるが、今日でなくとも構わない。
彼女の不安を和らげるためにも、耳飾りの魔道具と、それに匹敵する兄の魔道具の存在を伝える。
今後の話を一言二言告げて、この場を後にしようと男らしい厚みと固さを感じる彼女の手を引いたところで、恐る恐る彼女は口を開いた。
「殿下、どうして殿下は……」
続きを口にするのを躊躇う彼女を見やると、手ぶらだった片方の手の指先が流れる前髪に触れていた。今の時点でも目を引く彼女の指先は、古代魔法を解いたらどうなるのだろう。
「君を気に入ってるから、だよ。オーレン」
同じ言葉を繰り返す。
どうして、と聞かれても彼女に親身になる理由が自分でも分かっていないのだから、他に言いようがない。
例えば、彼女以外の者が同じ行いをしたとして。
同様に興味を持っただろうか。協力するだなんて、今ある地位を揺るがす行為をするだろうか。王家の秘密を教えるだろうか。
例えば、彼女が兄に成り代わっていなかったとして。
彼女本来の姿で顔を合わせていたら、同様に興味を持っただろうか。彼女の視線の先を追って、彼女の行先が気にかかって、彼女の読む本を知りたいと思えていただろうか。
この執着が恋だったとして不毛なだけ。
私はこの国の第二王子という立場を手放せない。次代の王弟であり、生まれ名を与えられた瞬間からヴァンビエント公爵として領地を授かっている。
理想の兄であることを選んだ彼女を婚約者にだなんて、夢のような妄想だ。
それでも以前のように遠くから眺めるだけの日々に戻るだなんて想像もしたくなくて。
漏れ出そうになる溜息を呑み込んで、一方通行の出口へと足を向けた。




