17.試験終わりの休息
期末試験は一週間かけて行われる。
日頃から手を抜かないマルティエナも、試験の度に繰り返す悔しさを糧に猛勉強に励んでいた。
一日の試験を終えると、振り返って精査したい気持ちを堪えて翌日に備える。
夕食時にはクレイグとカストの三人で、試験で出題されそうな部分や誤りやすい部分を話し合う。そうして自室に戻ると、マルティエナがあまり気に留めていなかったところを念入りに復習する。
翌日に試験を受けると、意外によく当たるのだ。選択問題や単語のみの解答ならば答えられていたとしても、記述式ではニュアンスの違いが減点に繋がる。
そうして手応えを感じながら過ぎ去った一週間。
最後の科目まで無事にやり終えたマルティエナは、寮へと戻る道すがら、行き慣れた庭園へと足を運んでいた。
クレイグに試験の打ち上げと称した食事に誘われていたが断っている。
解放されて晴れ晴れとした気分のまま、早々と寝てしまいたいのだ。
カーチェにもすぐ帰宅すると伝えてあるので、夕食代わりの軽食を用意してくれていることだろう。
乾燥した冷気が充満する庭園をゆったりとした足取りで歩く。
咲く花はなく、涼しい水音を奏でる水路もない緑豊かな庭園は、火の季節になると木々の葉が落ちて枯れ葉の絨毯をつくり、彩るもののない木の幹と枝が空へと伸びるだけの寂れた空間になっていた。
元々人が寄り付かないのに、これでは訪れる者は皆無だ。
庭師の手によって日々手入れされているのだが、ここの趣きに浸るには年端もいかない学生には早過ぎるのではないか。
そんなところも気に入っているマルティエナは物好きなのだろう。
火の季節は滅多に風が吹かない。
マルティエナの足音以外には枯れ葉が擦れる音すら鳴らない閑寂である。
葉のない木々に囲まれてひっそりと佇むガセポの中へと入る。ベンチの上に落ちた枯れ葉を払い、羽織っていたローブを脱いで丸めると、枕代わりに横になった。
寝にきた訳ではない。
真っ直ぐ寮に帰ろうとしていた足がいつしか庭園へと向いていて。雑音一つない静寂の中に立つと、これまでの疲れが怒涛のように押し寄せてきたのだ。
明日は休日。その翌日は一年生最後の登校日。
期末試験の結果と長期休暇の課題説明で終わるその日を乗り越えれば、マルティエナは久々にオーレン伯爵領へと帰省する。
一年だ。
マルティエナが『マティアス・オーレン』として過ごして一年。
学院には兄が失踪を決めた手掛かりがあるだろうと思っていたが、兄に関する情報を掴めたのは結局、初日にネヴィルとクレイグからもたらされた情報だけ。
長くても数ヶ月程度と楽観視していた自分が愚かだったのだ。
父は兄の足取りを追えているのだろうか――
押し寄せる疲労に抗えず瞼を閉じたマルティエナは、記憶の中の兄の無事を願った。
◇◇◇
「エルジオ! 大変です、ご主人様がお戻りになりません!!」
まだ陽も沈みきっていない夕刻。
諸々の仕事を終えて主人の部屋に戻ってきたエルジオへと掛けられた第一声は、カーチェのそんな一言だった。
寄り道せずに戻ってくると聞いてはいたが、マルティエナは深い付き合いの友人もそこそこいる上に勤勉な学生だ。
状況次第で予定が変わることはこれ迄も幾度とあった。
心配するのが早すぎる、といった呆れが顔に出ていたらしい。
目尻を引き上げて腕を組んだカーチェが怒りを露わにする。
「ご主人様のことを理解しきれていない貴方には分からないのでしょうが、これは一大事なのですよ。私はいつご主人様が戻ってきてもお出迎えできるよう待機していますから、早く状況を確認してきてください」
(無茶なことを……)
そうは思っても口には出さない。
細く小さな両手で力強く背中を押され、今し方通ったばかりの扉の外へと追いやられる。
最後の一言は後押しでも労いでもなく「事は一刻も争うのですよ」と急かされただけ。
使用人が立ち入りを許される範囲は学院敷地のほんの一部分。
各寮棟と共通棟の他は規律が厳しく、そもそも完全に出入り禁止の区域もあれば、決められた時間のみ出入りが許可されている場所もある。
そして、学生の講義が全て終わった今の時間帯、使用人が表立って動ける場所は皆無も同然。主人に従う形であれば幾分か範囲が広がるが、探すのは当のマルティエナだ。
エルジオが直接動き回れる場所にマルティエナがいるなんてことはまず有り得ない。
無理難題を押し付けられたエルジオは使用人が頻繁に行き来する通路へと足を運ぶことにした。
試験明けで早々と体を休めたいマルティエナが友人からの誘いを優先するなら、相手は数人に絞られる。
(アルカシア様とブルーベン様は事前に断っているとなると、第二王子殿下かラングロア様。カムデン侯爵の可能性もなきにしもあらず。それも違うなら教師に呼び止められたか……)
誰かの使用人とすれ違えたら聞き出そう。そんな運任せで足を運んだエルジオは自分の幸運を喜んだ。
「こんばんは、オットー」
黒髪を丁寧に撫で付けた長身の男を見つけると、素早く声をかける。
「おや、エルジオ。どうかしました? 少し焦っておられるようですが」
「いえ、そんなことは」
第二王子付きなだけあって、流石に目敏い。自分の何処に悟られる要素があったのか尋ねたくなるくらいだ。
「第二王子殿下はもうお戻りになられましたか?」
「ええ、戻ってきておりますよ。……オーレン様はまだ戻られていないのですね」
「急な用事が出来たのだと思いますが、メイドが心配しておりまして。主人の親しいご学友が戻られてるか確認する為に声を掛けさせていただいたのですが、宛が外れてしまいました」
深々と礼をして別れを済ませると、今度はカムデン侯爵の従者を探すべく、数多の使用人が行き来する廊下を途方もなく歩いた。
◇◇◇
刻一刻と時間が過ぎ去る中、使用人用の廊下を右往左往したエルジオは、一旦主人の部屋へと戻ることに決めた。
カムデン侯爵の従者を遠目から見ることもできたが、食事を運んでいる最中だったので、既に部屋に戻っているのだろう。
カーチェに追い出されてから既に一時間近く経っている。
急用を済ませていただろうマルティエナも戻ってきている頃合いではないだろうか。
魔法は年々発展しているのに人物の追跡ができないのはこういった時に不便だ。けれども誰もが人の追跡を出来てしまえたら、それはそれで恐ろしいので無い方がいいかもしれない。
せめて連絡手段はほしいが、日常生活に普及できる魔道具の開発は道半ばと聞いている。
現状へ嘆きながらもエルジオは通路を足速に歩く。
もう少しで主人の部屋に着くといったところで、見知った顔と再会した。
この場で会うことは普段では有り得ない。
マティアス・オーレンに与えられた部屋と、目の前の人物の主人の部屋は階が異なるからだ。
「良かった、これから貴方を探しに行こうと思っていたところです」
「オットー、どうして此処に?」
正面に立つと拍動が早まる。些細な動作も見逃さない彼に不自然に思われてはいけないのに、体が勝手に反応する。
マルティエナがアスタシオンへの警戒を解いたからといって、エルジオも同様だったわけではない。マルティエナの気が緩んだからこそ警戒は怠らず、オットーと親しくしながらも気を緩めなかった。
だからこそ感じる、肌が逆立つ嫌な感覚。
「いえね? オーレン様の件を殿下なら知っておられるかと思い尋ねてみたのですが、お心当たりがあると仰られまして。殿下と共に足を運んでみましたら、仮眠を取られていたので起こさずにお連れしたのですよ」
「ご迷惑をお掛けして申し訳ありません。ちなみに我が主人は何方にいらしたのでしょうか」
「人の寄り付かない庭園です。オーレン様がお一人になりたい時には必ずそこに立ち寄られると殿下が仰られていましたよ。それに、迷惑だなんて殿下は思ってもいませんのでご安心を」
「痛み入ります。後日改めてお礼をさせてください。それでは――」
和やかに会話を終わらせたエルジオは早々と礼をして主人の元へと急ぐ。
――マルティエナ様は一人になるための居場所を第二王子殿下に教えるほど気を許しているのだろうか。
そんな疑問が往々に過ぎった。




