16.目に見える一線
「おかえりなさいませ、ご主人様!」
待ってましたと言わんばかりの満面の笑みは、カーチェの常日頃の表情である。
「ただいま、カーチェ。ごめんね、ローブと手袋が汚れちゃったんだけど、とれるかな?」
「まあ! 安心してくださいませ。仕事のし甲斐がありますわ!」
握りこぶしを顔の横まで持ってきて気合を入れた彼女に微笑んだマルティエナは左腕に掛けていたローブを手渡した。内ポケットに差し込んだ手袋は黒く煤けているので面目ない。彼女が気負い過ぎないためにも「来年用に新調しておくいい機会かもね」と付け足しておく。
「ご夕食はいかがなさいますか?」
「今日はクレイグから誘われたから、食堂に行ってくるよ」
口にしながら携えていた数冊の本を戸棚に置くと、カーチェに別れを告げて再び部屋を後にする。
部屋で食事を済ませることが多かったマルティエナだが、今では五分五分。なんだかんだ交友が増えて、夕食を誘われる機会も多くなっていた。
男子寮棟と女子寮棟の間には外回廊で繋がった共通棟があり、食堂の他にも自習室や談話室、魔法訓練場やカフェテラスもある。
出入りが多いと他学年との交流の機会も増えるので、王族や高位貴族と相見えることを期待して足繁く通う者もいるらしい。
マルティエナの目的地である食堂は開放的な一階に設けられているのだが、その中でも二つに分かれている。
片方は大皿に盛られた多様な料理を食べたい分だけ取り分けていくスタイルで、席も自由。男女毎の学生寮棟と共通棟で取り囲まれた庭園にも随所に設けられた席は特に人気がある。
普段はそちらで友人と集まるのだが、今回は徐々に人気のなくなる奥まった空間へと歩を進めていく。
「お待ちしておりました、オーレン様」
「ごめんね、少し遅れてしまったかな?」
「クレイグ様も今し方到着されたところです。お席までご案内いたします」
マルティエナが辿りついたもう片方のエリアは、街中にあれば貴族御用達と大々的に宣伝されていそうな格式高いレストランといったところだ。
事前に予約をして席を用意しておく必要があるし、料理は特別仕様なので追加料金が徴収される。個々のちょっとした記念に利用されることが多いので、毎日のようにここで食事を摂る者は裕福な貴族でも極僅かではないだろうか。
使用人についても、基本的には連れてきた従者かメイドが給仕を行い、連れていない者にのみ学院側で雇っている者がつく決まりだ。
今回はクレイグが諸々の手配を済ませてくれたので、マルティエナは有り難くクレイグの従者のあとを追う。
行き先は窓際の二人席。
丁度、噴水が景色を飾る庭園が見える位置に案内されると、足音に反応したクレイグがを窓から視線を外して手を掲げた。
マルティエナも向かい席に着席してクレイグの従者が去ったことを見届けると、おもむろに口を開く。
「今日はカストいないんだ?」
「先約があるんだとさ〜。あいつ一番顔広いからな」
「人徳があるからね。クラタナス君が親切にするって相当じゃない?」
「カストには取り分けな。――いやいや、それよりもお前どうだったんだよ」
「どうって……」
クレイグが気にしているのは魔法学の実技実習だ。
運ばれてきた前菜に口をつけながら教師からの講評を振り返る。
「何とも言えないかな?」
魔物の討伐を終えたらセルベスタの元へ報告に行く。
何らかの方法で教師陣は一連を目にしているのだが、状況の的確な把握と最善と思われる行動に移す判断力、その理由を理路整然とした言葉で伝えることも実習の一環なのだ。
魔物を討伐するのではなく魔力暴走を止めることを選んだマルティエナに対して、セルベスタはただ微笑んで頷いただけだった。
アスタシオンは満足気だったが、セルベスタが微笑んでいたからといって結果が良しとは限らない。
「おい! そんなんで次年度の魔法学はどうすんだよ! せっかくこうして祝ってやったのに」
「随分と気が早いお祝いだね。君の気持ちは受け取っておくよ」
2年生になると魔法学は幅が広がる。これまでの徹底した各元素と属性の基礎が、応用する魔法や複数の元素を絡める複雑な魔法の習得に変わる。他にも実戦に向けた体術や剣術と魔法の融合、複数人でのチームワークの形成、魔導具の活用と学ぶことは盛り沢山だ。
学院の真髄に踏み込む一歩目なのだが、在籍する誰しもが通れるレールではない。
動物が魔力暴走を起こすということは、人でも当然起こり得る。
それを防ぐために、名付けとともに基準を超えた魔力を制御する文字を刻む洗礼を教会で受けている。
日常生活で使用する程度の魔法は誰しもが使えるが、複雑で高度な魔法は魔力制御の文字を解かなければ使用が困難なのだ。
世の理への理解。目に見えない精霊との相性。自我の形成。広い視野と的確な状況判断。場に呑まれることない冷静な思考力。
元来の魔力の才だけではなく諸々の人間性を元に認められた者のみが魔力制御の文字を解かれて、一部の選択科目を受けられるようになる。
選択科目が細分化されていることもあり、2年生以降は個々の実力差が明確になってしまうこの規律は学生の間では一種の恐怖でもあった。
「お前呑気すぎるぞ」
「そういうクレイグこそ変な気合いが入りすぎじゃない? なるようにしかならないよ」
なんだかんだと話しているうちに、メイン料理が運ばれてくる。
今日の主役は火牛のステーキだ。厚みのある肉にナイフを通すと、力を加えずとも皿にあたる。溢れ出る肉汁に注意を払いながら口の中に運ぶと舌の上で溶けていく。
元々四元素それぞれの特徴が強い動物は肉質にも影響がでるのだが、魔力暴走を起こして魔物になると、時間が経つにつれ更に変化する。
その変化が人の舌には美味しいと感じるものばかりなので、討伐された魔物はツノや皮、骨などの素材と食肉へと解体されるのだ。その解体作業も希望すれば学んでいける。
今回の実技実習で誰かが討伐した魔物だろうな、と火牛の魔物討伐を想像していたマルティエナに、クレイグが顔を寄せた。
「エレノアちゃんは王太子殿下と食事みたいだな。羨ましいねぇ!」
言われて、マルティエナも視線だけをギリギリまで横に向けてみた。
アスタシオンと同じ陽光のような金の髪が視界の端に映る。そして、その第一王子にエスコートされたエレノアが柔らかなピンクブロンドの髪を靡かせながら奥へと消えていく。
向かった方角は、壁で仕切られて壁画や骨董品を飾りつけられた特別仕様の一室。
自分たちと同じで、実技実習の結果を話すために会っているのだろうと推測できる。師弟関係は極めて良好のようだ。
「エレノアさんに頼めば同席させてもらえるよ、きっと」
言い終えるや否やフォークに差していた最後の一切れを口に放り込む。折角の高級肉が冷めてしまっては勿体ない。
「おいおい、冗談に真面目な返事しないでくれよ」
「半分本気かと思ったけど」
「そりゃあな? 王太子殿下の目にかけてもらえたらって願望は誰しもあるだろ。お前がないのがおかしい」
「うーん……」
アスタシオンからの忠告は今でも頭の中にある。意図は未だに分からないが、アスタシオンと親しい仲になった今では、だからこそ第一王子には近づくべきではないとも思っていた。
それに、理由は他にもある。
「あの中には入れないなって思うんだよね。オーラが違うというか……。いずれ上に立つ者の風格なのかな」
目にする度に引き込まれる神秘的な空気感があるエレノア。
遠目から見ただけでエレノアと似たような感覚を受ける第一王子に、第二王子のアスタシオン。遠路はるばるやってきたネヴィルもそうだ。
直接関わったことがなくても、同じ空間にいるだけで視線が留まってしまう人物は他にも数人いる。
マルティエナの師であるコルスタンにも、畏怖を感じながらも魅入ってしまう風格があった。
「お前の言わんとしてることはよく分かる。けどな、お前も独特の雰囲気醸し出してるぞ」
「それって褒め言葉なの? あんまり嬉しくないな」
いつも冗談混じりのクレイグが真剣な顔付きだったので、本心なのだろう。
兄に特異な雰囲気があることはマルティエナ自身がよく知っているのだが、クレイグの指すそれとは違いそうだ。
全くもって喜べない彼の物言いにマルティエナは顔を顰めたのだった。




