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『マティアス・オーレン』の行方 〜ところで、兄はいつ戻ってくるのでしょう?〜  作者: 青葉 ユウ
-- Chapter 1 --

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12.それでも穏やかな日常



 師弟の発表がされてから数日。

 師弟揃っての合同講義は始まってすらいないのに、1年生の講堂が連なる棟には上級生の姿が散見されるようになっていた。


 上級生とすれ違う度に会釈をしながらも、Sクラスの講堂へと向かう。

 マルティエナの元に師は顔を見せていない。そして、マルティエナも挨拶のために3年生の講堂に足を運ぼうとまでは思わなかった。


 そもそも、きっかけは第一王子が弟子の元へと直々に赴いたことに他ならない。

 第一王子がそうするのなら、それに倣おうと大勢の者が足を運んで顔の知らない弟子に挨拶しにくるのだ。

 言い換えれば、コルスタンは第一王子に倣って行動するような者ではないらしかった。



「エレノアちゃんってば、一躍名を馳せたよな~」


 唐突でもなく持ち上がった話題に、マルティエナもクレイグの視線の先を追う。

 講堂に入ってきたばかりの彼女の周りには既に数人が駆け集まっている。

 謙虚な姿勢で手を振りながらも、恥ずかしそうにはにかむ彼女の姿からして、賛辞を送られているのだろう。


「王太子殿下から一目置かれるほどの光属性の持ち主だなんて知ったらね」


 稀代の魔法士になれると称えられる第一王子が目をかけて直々に育てるとなれば、元々努力家な彼女のことだ。将来、国内屈指の魔法士として名を揚げるかもしれない。

 今のうちに親しくなっておこうと、同じクラスの者はもちろん他クラスの学生まで集まってエレノアを取り囲んでいる光景を数日の間で度々目にしていた。


「それに対してお前は……。大丈夫だ、俺がいる」

「……やめてくれないかな? 暑苦しいよ」


 肩へと回された右手を軽く叩く。

 わざとらしく憐れみの目を向けてきたかと思えばこれだ。

 クレイグにはそんなに打ちひしがれているように見えるのだろうか。


 先日、稀に雑談をする間柄だった学友からコルスタンの弟子になったことを憐れまれたので、マルティエナは率直に聞き返した。何故、と。

 曰く、成績優秀な君の師が闇属性を有するカムデン侯爵では師にすらならないだろうと。

 マルティエナが自分も闇属性を有しているから彼は立派な師になると答えれば、それは泡が弾けて波紋をつくるように、瞬く間に水面下で広がった。挨拶すら交わしたことのない者からも視線が向けられ、気づかれないように指を刺される始末。


 彼は憐れむ振りをしつつ、探りを入れていたのだ。

 そうだろうと感じていたマルティエナもあっさり事実を告げたので、ほんの少しだけ人から一線を引かれたところで気にしていない。結局はその程度の間柄だったのだから、気にするだけ無駄だ。

 因みにダレンではない。彼は真っ向から勝利することに考えを変えたらしく、時折些細な勝ち負けを持ち掛けてくるようになった。


「おはよう、二人とも!」

「おはよう、カスト」

「はよ〜」


 それに、変わらずに居てくれる者もいる。

 微塵も態度の変わらないカストがどう思っているのか、マルティエナは気になって聞いてみたことがある。


 ――この世に闇がないと僕達は休めないから、困るでしょう? それと同じで、マティアス君がいないと僕は悲しい。それに、使い方を誤れば危険なんだろうけど、君は学院(ここ)にいて、誰かを危険に晒すような過ちを侵さない人だって僕は知ってるよ。


 気恥ずかしそうに答えたカストに、マルティエナは目の奥が熱くなるのを感じた。

 エルジオの言っていたことはこういうことなのだろうと実感できたのだ。


 そして、もう一人――――

 


「ご機嫌よう、マティアス様。御二方も」

「おはよう、アレッタ嬢。隣が空いているから良ければどうぞ」


 空いている、というよりは空けておいた席を手のひらで指す。

 マティアスとしては異性で、マルティエナとしては同性の友人。名で呼び合う仲になった女性は、エレノアに次いで二人目だ。


 にっこりと笑みを深めたアレッタが座ると、屈んだ拍子に流れ落ちた艶やかな黒髪が香った。


「もしかして、香水を変えた? 私の好きな、静けさが際立つ夜の香りだ。それでいて仄かに甘い。アレッタ嬢に良く似合ってる」


 複数の香りが重なって深みが出ているので原料が何かは分からないが、大層腕の良い調香師が手掛けたのだろう。香りが反発し合うことなく調和しているので、残り香の余韻まで心地良い。


「まあ! 気に入っていただけて嬉しいですわ。特注した甲斐がありました」

「俺はアレッタ嬢には極上の薔薇の香りが似合うと思うけどな〜」

「私、アルカシア様の好みは聞いておりませんの」


 笑みを浮かべながらもばっさりと断ち切るアレッタは清々しい。クレイグもそんなアレッタの返答はいつもの事で、雑談の種として笑っている。


 極上の薔薇か、とマルティエナは視線を落とす。そのことに逸早く気づいたアレッタが上目がちに見上げた。

 アーモンド型に膨らんだ大きな紫の瞳は色鮮やかで、宝石が嵌め込まれているような輝きがある。


「私も似合うと思うよ。ドレスで着飾ったアレッタ嬢には、私を含めた誰もが薔薇の花を贈りたくなるだろうしね。……ああ、学生服姿のアレッタ嬢にも、許されるなら花を送りたいところだけれど」


 瞳と同じ色をした紫の薔薇も良いし、深紅の薔薇も良い。

 真っ白に明るく透き通る肌に、艶やかな光沢が波打つ黒髪を授かった彼女には既に大人の女性の気品に潜む妖艶さがある。飾り方一つで可愛らしさも押し出せるだろうから、黄色やピンク、白といった柔らかい色合いも似合うはずだ。


「では、その時は私をエスコートしてくださる?」

「機会があれば、是非ともね」


 違和感なくマルティエナの右腕へと両腕を絡ませたアレッタが、嬉しそうに頭を預ける。


 こうした所が可愛らしい、とマルティエナは目を細める。

 気品に溢れ、一際美人だと入学早々に目立っていたアレッタは、男たちにとって近寄りがたい高嶺の花だった。そんな中で早々に賛美を口にしたクレイグが冷めた眼差しを向けられ、その印象に拍車をかけていた。


 マルティエナからしたらクレイグこそが真の女好きで、わざとらしく女性との接点を持ってはあからさまな賛辞を送っている。なのに、女性から距離を置かれることは滅多にない。元の顔立ちと家柄の良さも影響しているはずだが、嫌悪感を与える下品な要素がないからだろう。

 女性との会話を楽しんで、女性を喜ばせることを優先する。そんなクレイグが裾に扱われるのだから、男が苦手なのかもしれないと思っていたのだ。

 けれども実際マルティエナが親しくなると、彼女はとても表情豊かで可愛らしい。異性と思われていないのではと不安になるくらい人との距離感が近くて、彼女の身を案じてしまうほど。


「いや〜、毎度思うけどさ。アレッタ嬢ってばマティアスに対してだけ態度違いすぎない?」


 口を尖らせたクレイグが羨ましげに言う。


「それは――」


 まだ誰もアレッタ嬢と親しくなれてないからでは? と告げようとしたマルティエナの右腕に柔らかなアレッタの感触が当たった。


「気に入った殿方は全力で口説き落とせとお父様から言われておりますの。つまり、私はマティアス様にしかこの様なことはいたしませんわよ?」


 一層身を寄せたアレッタの伏せられていた瞼が持ち上がる。そのゆったりとした動作から覗く瞳はどこまでも純粋で真っ直ぐなのに、染まる目尻と半開きのふっくらとした紅い唇が妖艶な雰囲気を醸し出す。

 同性だと言うのに、心拍が速まるのを抑えられない。目を逸らして落ち着きたいのに、それができない魅力が彼女にはある。


「男どもから嫉妬されるぞ、オーレン君!」

「一番嫉妬してるのはクレイグ君かな? なんてね」


 隣で談笑するクレイグとカストの声がマルティエナには遥か遠くに聞こえた。


「……いかがしました? マティアス様。もしかして、気づいておられなかったのですか?」

「あ……ええと……」


 またもや自然に、マルティエナの頬へとアレッタの指先が伸びた。

 ひんやりとした指先の熱で、自分の体温が高まっていることがよく分かる。


「まあ、照れていらっしゃるのかしら。そのような所も私は好いておりますわよ?」


 はにかんだアレッタには先ほどまでの妖しさはなくて、心の底から嬉しそうしている。

 そのことに安堵しながらも胸の高鳴りを抑えられないマルティエナは、返すべき言葉を見つけられずにいた。


(私、口説き落とされていたのね……どうしたらいいの)


 学業評価と人脈作りに気を取られ、婚約者探しという名目が頭から抜けていた。

 予期せぬ難問に快く思いつつもマルティエナは頭を抱えるのだった――






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