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『マティアス・オーレン』の行方 〜ところで、兄はいつ戻ってくるのでしょう?〜  作者: 青葉 ユウ
-- Chapter 1 --

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11.いつだって崖の縁にいる



「おかえりなさいませ、ご主人様! ……どう、なさいましたか、ご主人様」


 今日は特段と帰りが遅いな、とマルティエナの戻りを待ち侘びていたカーチェは、ゆっくりと動いたドアノブに飛び跳ねるように反応した。

 扉が開ききる前に立ち位置を変えて、真っ先に主人を出迎える。そうして視界に収めたマルティエナは、明らかに憔悴して見えた。


「ただいま、カーチェ。少し疲れただけだよ」


 にこりと柔らかに微笑む姿は主人の日頃の姿だ。


 ――マティアス・オーレンとしての。

 そして、マルティエナ・オーレンとして培ってきた、人にどう見られるかを把握した笑み。幾度と目にしているが自分には久しく向けられていない、計算し尽くされた表情だった。


「お嬢様、私、本日は調理場をお借りしてケーキを焼いてきましたの。お食事前にお一ついかがですか?」


 扉が閉まり切ったことを確認したカーチェは、あえていつも通りに振る舞う。違うのは呼び名だけ。


 この場には秘密を共有する者しかいないから。背負った荷を下ろしていい唯一の場所だと分かってもらうために、敢えて「お嬢様」と呼ぶ。お嬢様と呼んではいけないよ、と苦笑いして叱ってくれるのなら本望だ。


「ありがとう、カーチェ。早速いただいてもいいかな?」

「はい!!」


 少しだけ、言葉にのる表情にマルティエナらしさが戻る。

 今はそれで十分。

 すぐさまケーキを切り分けて、紅茶を淹れる。自身が焼いたオレンジタルトを食べる時、彼女はミルクを必ず加える。その量も把握しているカーチェは、手慣れた手つきで動作を一つ付け足す。


 トレーにのせて運ぶのと、マルティエナが上着を脱いで椅子に腰かけるのは同時だった。

 マルティエナが戻ってきてから初めて、椅子の背を引いたエルジオとカーチェの視線がぶつかる。


「どうぞ、お嬢様。オーブンが使い慣れていなくて焼き具合が心許ないのですが、お口に合いますでしょうか?」


 そうは言いつつも、既に試食済みだ。

 焼き色は綺麗に統一されており、タルト生地は水分を吸ってへたることなく、しっとりとしつつも口の中でほろほろと崩れていく丁度良い出来になった。

 マルティエナが一人でホールケーキを食べきることはないので、試食して味を確かめた後の数切れは親しくなった使用人仲間へとお裾分けしている。


「うん、美味しい。私の好きな味だよ。ありがとうね」

「良かったです~! まだまだありますので、食後か明日に是非召し上がってください。それでは、私は食事のご用意をいたしますね。失礼いたします、お嬢様」


 弾む声とは真逆の、物静かで礼儀正しい礼をしたカーチェは、最後に再びエルジオに視線を投げてから退室する。


 カーチェの役割はマルティエナの心安らげる場で在り続けること。そして、マティアスとして過ごすうえで生じる不安を和らげるのはエルジオの役目だ。

 言葉を交えなくとも互いに悟っていた暗黙の了解に、エルジオもカーチェに視線で頷く。


 カーチェが呼び名を変えたのと同じように敢えて言葉を発さずに控えていたエルジオは、音なく閉められた扉を確認するとマルティエナの横で方膝をついた。


「お役に立てるかは分かりませんが、私にお聞かせくださいますか。マルティエナ様」


 長い睫毛で影が落ちるオリーブの瞳がエルジオに向けられる。

 口角は上がっていても弱弱しく眉が下がるマルティエナへと、エルジオはゆっくりと頷いた。



 ◇◇◇



「王太子殿下に接触しないよう忠告されたのですか」

「私の身を案じて、ってどういうことだと思う?」


 マルティエナの声掛けで向かい合う席に腰を下ろしていたエルジオは腕を組んで顎に指先を当てる。


 タイミングからして単なる偶然ではなく、第二王子は『マティアス・オーレン』に忠告をしに訪れたと考えてよいだろう。

 雑談から始まり、最後に言葉を送る。それは、マティアスの身を案じてのもの。

 マティアスが第一王子に接触すると、マティアスの身が危うくなる。それは一体どういう意味なのか。


 貴族同士のしがらみによるもの?

 闇属性を有していることが関係しているのだろうか。それとも――――



「マルティエナ様の魔法に気づかれている、という可能性はございますか」



 考え得る最悪の事態を真っ先に口にする。

 少しの間瞠目したマルティエナは、首を左右に振ることで否定した。


「私も可能性の一つとして考えたけれど、違うと思うよ」

「理由をお伺いしても?」

「以前話したネヴィル・クラタナスを覚えている? 彼、かなりの実力者だし魔力の波長が分かるんだって。そんなこと魔法士団でも極一部しか感知できないってお父様から返事が来たの。そんな人にも見下されてるってことは、私の魔法は違和感すら与えてないと思わない?」

「そうでしたか……」


 ふむ、と唸ったエルジオは再び思考を巡らせる。

 エルジオは使用人間の日陰のことを、マルティエナはマティアスとして学生間の日向のことをそれぞれ見聞きしているが、その全てを共有している訳ではない。要所要所でかいつまんで、伝達しているだけだ。

 それもマルティナが他者の意見を聞きたい時や報告すべきと判断した時に限られる。エルジオにおいては、マルティエナが知っておくべきものは進んで伝え、他は必要に応じて口添えするようにしていた。


 クラタナス様に仕える使用人か、と振り返ったエルジオは心の中だけで嘆く。明らかに異国から来た、浅黒い肌で体格の良い男。話す言語は同じなので会話は問題なく出来るのだが、それをしない男だ。エルジオも声をかけたことは何度かあるが、その全てに目線で礼をされるだけに終わっている。


 今マルティエナに伝えられることは何もないと結論付けると、次の疑問を口にする。



「では、魔法を無効化された可能性は?」



 今度も、マルティエナは被りを振った。


「それもないと思う。その魔道具って古代魔法を用いてるから数少なくて、大掛かりな装置だってお父様が話していたじゃない? お父様が魔法士団に探りを入れてくれたみたいなんだけど、やっぱり小型化には失敗してるんだって。それに、殿下にお会いした際に魔法が解かれた感覚はなかったよ」


 王立魔法学院に在学していたオーレン伯爵には様々な情報網がある。魔法士団の要職についている者とも旧知の仲なので、得た情報に間違いはないとみて良さそうだ。


「闇属性に起因しているとも、貴族の立場上と考えても判然としませんね」


 オーレン伯爵家は地方の田舎貴族。歴史があり、王家に忠誠を誓う姿勢も崩れたことはない。かといって王家から絶大な信頼を受けているわけでもなく、特筆して秀でた地域性もないので、貴族内の序列が高めのわりには良くも悪くも目立たない。

 王族にとっては、気にかけてもかけなくても良い、その他大勢程度ではないだろうか。

 そんな伯爵家の後継者は闇属性を有しているという懸念事項を除けば品行方正で勤勉。

 次期国王に近づいてはならないと釘を刺されるほどの問題があるとは言えない。


 仮に、第一王子に近づいたマティアスを他の誰かが罠に嵌めようとしているとして。

 第二王子が知っている理由も、第一王子に限定した理由も、標的にされた理由も疑問ばかりが残る。


「でしょう? 私は殿下にすら進んで接点を持とうとしなかったのに、それが王太子殿下にだなんて……態々言う必要ある?」


 憔悴していたはずのマルティエナは声に出して話すうちに整理がついたのか、理不尽だと怒りを覚えたらしい。少しばかり荒くなる語尾にエルジオは片眉を上げる。

 年齢の割に大人びているマルティエナだが、こうして不貞腐れる姿を垣間見ると年相応の子どもだと微笑ましくなる。


「マルティエナ様は第二王子殿下をどう思われました?」

「……やっぱり、今回も殿下は本心から仰っていると思った、かな? 忠告だけではなくて『私の身を案じて』って言葉も」

「でしたら王太子殿下とは距離を置きつつ、これまで通りにマルティエナ様が理想とするマティアス様らしく過ごされるのが良いかと」


 彼女自身も同じ結論に至っているだろうことを明確に述べる。それでも悩ましげな眼差しが消えないのは、これまで通りで問題ない、と自信を持つための一言が足りないのだろう。


「私が思うに、第二王子殿下は様子見の段階と思われます。気にかかる部分があるのかもしれませんが、貴女様のお人柄が分かれば自ずと払拭されるでしょう」

「……エルジオ、ありがとう。お兄様の素晴らしい人柄が殿下に伝わるよう、私も頑張るよ」

「有益な情報を掴めるよう、私も手を広げてみます」


 マティアス本人であったとしてもエルジオは同じ言葉を選んだだろうが、マルティエナが演じるマティアスは当本人を上回る。


 やり過ぎではないかと思えるほどに。


 マルティエナの過剰とも言える尊敬が招いた『マティアス・オーレン』の人物像は、必ずオーレン伯爵にとって喜ばしい結果になる。

 けれど、マティアスが戻ってきた時には自分を演じることになりそうだ。


(マルティエナ様が苦労された分、マティアス様にも同様に苦労していただこう)


 自分のペースを取り戻して前向きになったマルティエナを前に、そんな日が一日でも早く訪れることを願うのだった。





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