9.世の教えと魔法学
風の季節に生命の種を飛ばし、
水の季節に養分を蓄え芽を伸ばし、
土の季節に豊かに実り、
火の季節に種を残して散る。
光射す白昼に全ての生命は活動し、
全てを覆い隠す闇夜に歩みを止める。
全ては精霊とともにあり、
全ては光の神ラスヴィータの名のもとに時を歩み、
全ては闇の神オスクリートの名のもとに永遠の眠りにつく。
この世の全ては四つの元素と光と闇の二属性で成り立ち、精霊しかり皆同じ。
文字を通して精霊との意思疎通を図り、身の内に宿る魔力を共鳴させることで魔法を生みだす。
魔法とは、姿を現さずとも存在している精霊との交流による一種の恩恵である。
◇◇◇
大陸全土で語り継がれているその教えは、生まれ落ちた瞬間から寝物語として唱えられていて、学院に在籍する者であれば一言一句違わず暗唱できるだろう。
学院で学ばずとも誰もが知っている教えから始まった魔法学は、待ちに待った講義に興奮と熱気立っていた学生の心を鎮火させた。
マルティエナもそこから始まるのかと少しだけ残念に思ったが、そんな気持ちは数秒も経たずに消え去った。
魔法学の教師は、クレメン教会からきているノルト・サンクベンテ・セルベスタ枢機卿。
枢機卿という地位の高い聖職者が一年生の講義に来るとは思わなかったし、粛々と信仰の教えを語る姿は威光に満ちていた。
淡々と世の教えを唱える声には色がなくて、物静かな波紋のように空気を伝って心に刻まれていく。
これまで学院生活の大半を過ごして見慣れた講堂が、今だけは聖堂の中で光と闇の神に祈りを捧げているような感覚になる。
全てを語り終えたセルベスタによってもららされた静寂。体感としては数十秒だったが、誰一人として声を上げる者はいなかった。呼吸音すらも惜しいと思う、そんな空白の時間。
それをガラリと変えたのは、やはりセルベスタの一言だ。
「さて、皆さん。本日から魔法学が始まります。魔法学は基礎科目の一つであり、選択科目でもありますね。皆さんの魔力適正から1年次の講義は既にカリキュラムを決めていますが、皆さんの努力次第で次年度に学べる魔法学の幅が広がります」
おっとりとしているが所々で弾んだ口調の話し方は彼本来の話し方なのだろう。
「選択科目の枠で受けれなかった講義内容を学ぶ方法は人それぞれです。魔法学では、私の他にも数名の博識な司教が教師として滞在しています。我々教師に尋ねるも良し、学友から習うも良し。そして、師に教えを乞うも良し。皆さんの自主性にお任せします」
ヴァルトセレーノ王立魔法学院が大陸一と云われる所以はそこにある。
大陸全土で統一された教えが語り継がれているということは、宗教もまた一つ。
大陸の中央に座す、天へと高く突き抜ける山の頂に拠点を有するクレメン教会が各国と協定を結び、各地に聖堂を設けて司教を滞在させる。
神の代弁者として精霊と世の平和を保つことを主とするクレメン教会は、何処の国にも属さずに存在し、唯一の教権を有していた。
そんな教会が古来から関係を築いてきたのがヴァルトセレーノ王国で、魔法学の教師が全て教会の上層部で活躍する聖職者という絶大な支援を得ているのだ。
「一部の方々は既にご存じと思いますが、ヴァルトセレーノ王立魔法学院の魔法学では、師弟制度を設けています。1年生を弟子、3年生を師としてパートナーを定め、2年間互いを高め合うことを目的とした制度です」
ごくり、と誰かが息を呑む音がした。
この場にいるほぼ全ての者が緊張していた。
3年生にはいずれ国王の座につく第一王子が在籍している。その右腕になると言われている侯爵家の子息もいる。ネヴィルやカストのように、際立った才能を有する者だって多くいるのだろう。噂によると、異国の王族も在籍しているらしい。
「皆さんのこれまでの評価を元に師弟パートナーを決めましたので、成績順位を貼りだしていた廊下で各々確認してください」
真剣に前を向いていると隣に座るクレイグに腕を小突かれて、気づかれない程度に体を傾けた。
「もしかすると、王太子殿下の弟子になれるんじゃね?」
「まさか。それはあり得ないよ」
そんな事を言うために講義中に話しかけたのかと呆れたマルティエナは、小声で言葉を落として体勢を正す。
振り分けは入学審査で行った魔力適正が大元にある。
そして、第一王子が光属性を有する、ともすれば稀代の魔法士にもなれる人材であることは有名なのだ。
闇属性を有する兄、そしてマルティエナ自身であっても、師弟関係になれるだなんて夢にも思っていない。
可能性があるとすれば――――
「もちろん互いの相性もありますので、不満がありましたら相応の理由とともに申出書を提出してください。師弟解消の検討をいたします」
制度自体は父の在籍時から大きな変化はないらしい。
万が一にも予期していた人物が師になった場合は、様子を見つつも早々と申出書を提出するべきだと父は主張していたが、どうなるだろうか。
「師弟制度を上手く利用するかは皆さん次第です。週に一度、合同の魔法学講義を設けますが、他でも交流を持つか否かは関知しません。とはいえ、互いに実りある制度であると私は思っていますので、皆さんの更なる成長を願っていますよ」
なんとなくだ。
視線が合わさって微笑まれた気がした。
セルベスタは一人一人を把握するように講堂内を見渡している。自分だけに特別そうなのではなく、全員に向けてしているのかもしれない。きっと、そうなのだろう。
これまで目にしたことのある司教は皆、そんな印象がある。
闇属性を有しているだけで既に危険視されている可能性も父から注意されてたが、今のところそんな感覚はない。
エルジオにも助言された通り直感を大事に気長に過ごそうと、張っていた背筋の力を少し緩めた。
◇◇◇
陽がほとんど沈んだ薄明るい夕暮れ時。
マルティエナは冴え渡る冷気で成り立つ風が木々の合間から吹き抜ける庭園へと足を運んでいた。
気分転換に温度が下がりだした空気を取り込んで、緑豊かな園路を歩く。
花が咲き誇るでもなく、水路が入り組んだわけでもなく、異国情緒溢れる要素もない。丁寧に手入れのされた緑豊かな木々が並ぶここは、学生間ではあまり人気がないようだ。
マルティエナにとってもこの庭園は愉しむではなくて、時と場所を忘れて只管に無心になれる場所、という意味で気に入っていた。
ぽつらぽつらと点灯し始めた街灯が、閑散とした路を青々と染める。夜の時間帯に灯る、静けさを増す色合いもお気に入りの理由の一つだ。
クレイグは兄にべったりなようで単独で放浪するのを好む性格らしい。
全ての講義が終わるとふらふらと何処かへ行っては、聞き知った様々な話を翌日に教えてくれる。それが本当にくだらない話だったり、口外するのも憚られる貴重な話だったりとバラエティに富んでいるので、聞いていて中々に面白い。
おかげでマルティエナも単独行動がしやすくて、気分に応じたお気に入りの場所が増えつつあった。
学院が定めたマルティエナの師は、コルスタン・カムデン。
カムデン侯爵家の現当主で、父が最悪の場合として予期していた人物である。
極力関わらずに師弟関係を解消に持ち込む。それがマティアス・オーレンの名を将来に渡って守り抜く最善の策だとも。
けれど、それはあくまでも父の見解だ。
「私は……どうかな……」
生まれて間もない新緑の葉が風に揺れる。しっとりと風に馴染んだ葉音は、そんなマルティエナの呟きを掻き消した。




