【オオカミと羊飼い】羊たちは魔獣に襲われている
「煉獄の独房を破った魔獣が来たぞー!」
町中に響き渡るのは、少し離れた丘に住んでいる羊飼いの少年の声でした。
「今日もやっているのか」
「毎日毎日、よく飽きないな」
町の人たちは少年の『遊び』に、顔を見合わせて笑っていました。
「それにしても、『煉獄の独房を破った魔獣』というのは何だ?」
「さあな。あの子のところへ行ったら、喜んで教えてくれるだろうよ」
「そうそう。オオカミでも来ない限り、俺たちに出番はないからな」
毎度のことなので、町人たちはもうすっかり慣れっこです。その内に、少年の声も聞こえなくなりました。
「さてと……明日はどんな化け物が出てきたことにしようかな」
家に帰った少年は、椅子にゆったりと腰をかけると、机の上に置きっぱなしになっていた『設定ノート』をパラパラとめくりました。
「うーん……。蒼穹の使者はこの間来たばかりだし、たまには変わり種で、海とか川にしてみるかな……」
少年はノートの端にメモをします。
「魚……は格好悪いか。サメ? クラーケン? うーん……」
こうして設定を考える時間は、彼にとって至福の一時でした。
けれど、それを邪魔するような音が外から聞こえてきます。飼っている羊たちが、何やら騒いでいるようでした。
怪訝に思った少年は外に視線をやります。その手から『設定ノート』が滑り落ちました。
なんと、少年が飼っている羊たちを、オオカミが追い回していたのです。羊たちはメエメエと哀れな声を上げながら逃げ惑っていました。
その内に、群れの中の一匹が捕まってしまいます。
振り下ろされる鋭い爪と飛び散る血しぶき。少年は大慌てで外に出て叫びました。
「オ、オオカミが来たぞー!」
常日頃から本当にオオカミが出たらどんな格好いいセリフを吐いてやろうかと考えていた少年でしたが、いざその時が来てみると、何も飾ったところのない言葉しか出てきませんでした。
しかし、そんなことを気にする余裕もなく、ただ喉の奥から、声の限りに叫びます。
「オオカミが来たぞー!」
それを聞いた町の人たちは、おや、と思いました。いつもは、天より降り注ぎし竜がどうとか、地の底から這い出てきたヘビが何やらとか言っているのに、今回は随分毛色の違うセリフを吐いているなと感じたのです。
皆は顔を見合わせます。
「おい、まさか本当にオオカミか……?」
「よし、様子を見てこよう」
町人たちは念のためにクワや棒きれを持って丘に向かいました。
それに驚いたのはオオカミです。いきなり武器を持った人間がたくさんやって来たことに、肝を潰してしました。
怪我をしてはたまらないと、オオカミは羊を襲うのをやめて、そのまま這々の体で帰っていきます。
かくして、少年の羊は守られることとなりました。
少年はそれからも変なことを口走って遊んでいましたが、本物のオオカミが出た時だけは素直になるので、その後も彼の羊が襲われることはなかったといいます。
一方のオオカミはと言うと……。
「だから! 本当だってば!」
森の中の巣に戻ったオオカミは、仲間たちに熱弁を振るっていました。
「二つ足の少年魔道士! 奴が詠唱を終えるなり、たちどころに何人もの人間が召喚されてきたんだよ!」
「はいはい、お前はいつもオーバーね」
「そんなこと、あるはずないだろ?」
「狩りに失敗したからって、言い訳なんて見苦しいぞ」
仲間たちは半笑いです。どうやら誰も信じてくれていないようでした。オオカミは皆に分かってもらおうと躍起になります。
しかし、説明を繰り返せば繰り返すほど話は大げさになっていき、最終的には「人間たちはあらゆるものを瞬く間に塵にしてしまう武器を手にしていた」とか、「羊たちが合体し、凶暴な魔物に変身した」とか、ありもしない出来事を語るようになってしまいました。
そのせいで、ますます仲間たちからは白い目で見られてしまいます。
いつからか皆に嘘つき呼ばわりされるようになったこのオオカミは、「人間が来たぞー!」と仲間たちに救いを求めても助けてもらえず、ついには町人たちの手で退治されてしまったそうです。