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魔法史に載らない偉人 ~無益な研究だと魔法省を解雇されたため、新魔法の権利は独占だった~

作者:

一話完結の新作短編です。

よろしくお願いします。


   ◇1.【無学位の天才魔導師】



 いいこにしてれば、ぱぱがむかえにきてくれる。

 ずっと、そうしんじてた――




   §    §    §


 王都アンデルデズン。


 鐘の音が鳴り響いている。警鐘だ。

 城壁に囲まれた大都市に、魔導流星が降り注いでいた。


『繰り返す。魔導流星群警報発令! 第四位階級魔導流星群が王都に落下中。速やかに防護エリアへ避難せよ!』


 王都にそびえる巨大な塔――聖軍都市防衛塔から砲門のような三つの立体魔法陣が形成されている。


 魔法陣の砲塔から巨大な炎弾《爆砕魔炎砲ボルクス》が発射され、落ちてくる魔導流星を撃ち抜いた。

 派手な爆発が巻き起こり、流星群が四方に砕け散る。その破片は王都に降り注いだ。


 魔法障壁が張られている防護エリアは無傷。

 魔法障壁のない避難指示エリアの家々が無残にも破壊されていく。


 その破片は街道を歩く一人の男めがけて突っ込んできた。だが、後頭部に当たる直前で、不自然にピタリと止まる。

 

 背後から迫った破片を一瞥することなく、彼は空を見上げた。


「でか。無理だろ」


 破片と反対側、落ちてくる巨大な魔導流星を眺めながら、魔導師は言った。


 長身で真っ白な法衣を纏い、古い木の杖を手にしている。銀の髪と金色の瞳。少年に見まがうほどに、その顔はあどけない。だが、歳は二〇をすぎている。


 男の名はアイン・シュベルト。


   §    §    §


 聖軍都市防衛塔。


 室内には、遠見の大鏡が円を描くように敷き詰められている。鏡には王都の各区域の様子や、今まさに迫り来る巨大な魔導流星が鮮明に映し出されていた。


「全砲撃着弾。魔導流星アンスズ健在。でかすぎます! 第七位階上位と推定!」


「落下地点予測。防護エリア、被害率12パーセントと推定。予測死傷者、十万人規模ですっ!」


 観測魔術士の報告に、都市防衛塔がざわつきを見せる。


 隊長は眉根を寄せ、強く奥歯を噛みしめた。

 苦渋の決断と言った風に、彼は命令を下した。


「避難指示エリアへ落とす」


「しかし、万が一逃げ遅れた住人がいれば……」


「市街地に直撃するよりマシだ! 迎撃術式用意!」


   §    §    §


 王立ハインズ孤児院。


 五、六歳ほどの女の子が、ぼんやりと床に座り込んでいる。

 混乱で大人の目が行き届かなかったか、彼女は事態を把握していないようだ。


 激しい落下音が鳴り響き、窓の外が光った。

 彼女は窓越しに空を見上げる。


 その瞳には、今まさに落ちてくる魔導流星が映っていた。

 直後、無慈悲にも魔導流星が孤児院に突っ込み、爆砕した建物の破片が四方へ吹っ飛んでいく。


 だが、寸前でピタリと止まった。


「《相対時間停止レズン・ネゼ》」


 そこに現れたのは、アイン・シュベルトである。彼は平然と歩き、空中に停止した破片の脇を通り過ぎていく。


 展開された立体魔法陣は、孤児院の敷地一帯を球形に包み込んでいた。


 爆砕した建物の破片はどれも不自然に宙に止まっており、揺らめく炎や噴煙もまるで固体のように停止していた。


 アインが歩を進ませていくと、手にした杖がみるみる朽ちていく。止めた時間を肩代わりしているのだ。


 時が止まった空間の中、爆砕した孤児院の中心へ彼は赴く。


 辿り着いたのは魔導流星が大穴を開けた部屋。その床にへたり込み、小さな女の子がいた。

 

「シャノンだな?」


 アインが名を呼ぶ。

 すると、静かに彼女は顔を上げ、まん丸の青い瞳を向けてきた。薄桃色の長い髪がふわりと揺れる。


「迎えに来た。今日からオレが父親だ」


 シャノンは目を丸くする。


 じわり、とその瞳に涙が滲み、ぽたぽたと床にこぼれ落ちた。


「なぜ泣く? もう心配がないことは自明だろう」


 解せないといった表情を浮かべ、アインはひとしきり考える。シャノンが泣き止む気配はない。彼はしゃがみ込んだ。


「花火は好きか?」


 すると、シャノンは涙を拭いながら、アインの顔を見返した。


「はなび……?」


 ニヤリと笑い、アインは彼女をひょいと持ち上げた。停止している魔導流星に彼は杖を向ける。


「《相対時間遡行レズン・エスク》」


 杖で時計型の魔法陣を二つ描けば、秒針が逆時計回りに進んでいく。すると、地面にめり込んでいた魔導流星が浮かび上がり、四散した孤児院の破片が戻ってくる。


 まるで孤児院と魔導流星の時間だけを逆再生するかのようにみるみる建物は修復され、魔導流星は遙か上空で停止した。


「そら。たーまーやー」


 魔導流星が光と貸して四散する。

 夜の空に、光の大瀑布のような鮮やかな花火が咲いた。


 アインに抱えられながら、それを窓越しに見上げているシャノンの青い瞳がキラキラと輝く。


「わあ……!」


 感嘆の声をこぼし、さっきまでの涙など吹き飛んでしまったかのように彼女は満面の笑みでそれを眺めていた。


   §    §    §


「もいっかいっ!」


 瞳を爛々とさせながら、アインの腕の中でその子はねだった。


「魔導流星を原料にした花火だ。もう一回と言われてもな」


 アインが冷静に説明する。


「げんりょーいる?」


「そうだ」


 すると、はっと閃いたように彼女は手を大きく広げた。


「シャノン、げんりょーになる!」


「死ぬぞ」


「だいじょうぶ。シャノン、がまんつおい」


「オマエが花火になったら、誰が見るんだ?」


 ようやく気がついたか、彼女はがっかりしたような表情を浮かべた。


「……はなび、できない?」


 気落ちするシャノンを見て、アインは僅かに怯んでいた。


「まあ……魔導流星はいくつか王都に落ちた。それを使えば――」


 そこで言葉を切り、アインは視線を鋭くする。


 足音が聞こえた。

 続いて、大きく声が響く。


「孤児院内の魔術士へ告ぐ。こちらは聖軍都市防衛隊。魔法禁止区域での魔法行使を確認した。ただちに退去し、魔法証書を開示せよ」


「待っていろ」


 そうシャノンに言うと、アインは孤児院の外へ出た。

 弧を描くように都市防衛隊の魔術士が並んでいる。魔法障壁を張り、アインを警戒していた。


「こちらは魔法省だ。逃げ遅れた子どもがいたため保護した」


 アインはそう口にすると、空中に指先で文字を描く。


 羊皮紙が具現化すると、歩み出た都市防衛隊の魔術士に手渡した。魔術士の魔眼が光り、その魔法証書を確認している。


「失礼しました。一級魔導師、アイン・シュベルト殿。ご協力、感謝します」


 警戒が解けたか、魔術士たちの魔法障壁が解除される。


 アインが孤児院の入り口を振り向くと、シャノンが覗き込んでいた。

 彼女は花火を見たとき以上に、目をキラキラと輝かせていた。


(いっきゅうまどうし、ちてき!)


「来い。孤児院よりはまともな暮らしを保証する」


 アインがそう言うと、シャノンは慌てたように駆けてきて嬉しそうに彼の脚にくっついた。

 アインは怪訝そうな顔をしながらも、しかしおもむろに歩き出す。


「アイン殿、失礼ですが、その子をどちらへ?」


 都市防衛隊の魔術士が言う。


「今日付でオレが引き取った。許可は出ている」


 アインは再び空中に文字を書き、羊皮紙を具現化した。貴族院伯爵のサインがある。孤児院の子どもを無審査で養子にできる特別な許可証だ。


「確かに」


 アインは歩き出す。


「おい。自分で歩け」


「あーるーけーなーいー」


 そう言いながら、シャノンはアインの足にくっついている。

 

「あれ? これ変じゃないか?」


 魔術士の一人が、さきほど受け取ったアインの魔法証書と許可証を指さして言う。


「ほら、学位が空欄だ」


「取れなかったんだろう。その場合はそうなる」


「あの腕で? 魔導師だぞ」


 すると、もう一人の魔術士は俯き、思い出すように言った。


「……前にうちの隊長が言っていた。無学位の天才魔導師が魔法省にいると」


 去っていくアインに、二人は視線を向けたのだった。



   ◇2.【自律機構化魔法陣】


 王都アンデルデズン。湖の古城前。


「おおぉ……!」


 青い瞳を輝かせ、シャノンは感嘆の声を上げた。

 目の前には湖があり、中心の島に古城が建っていた。


「おしろのいえ……!」


「今日からオマエの家だ」


「シャノンの家。これ、ぜんぶっ?」


 大きく両手を広げて、シャノンは言った。


「そうだ」


「おうさま、なれる!」


 シャノンは古城へ向かって駆け出し、湖の畔でピタリと止まる。


 キョロキョロと不思議そうに辺りを見渡している。橋がないのだ。


 すると、その脇を通り過ぎ、アインが湖の上を歩いていく。足は沈むことなく、水面に浮遊していた。


「シャノン、うけない……!」


「心配するな。身内は浮く」


 アインがそう言うと、シャノンは湖の畔に上半身を残しながら、恐る恐るといった風に片足で水面をちょこんと突く。


 水の中に足が入ってしまうことなく、魔法の力でふわりと浮かぶ。


「シャノン、うく!」


 ぱっと表情を輝かせて、シャノンは水面にうつぶせになった。

 まるで空を飛んでいるように、両手をピンと前に伸ばしている。


「早く来い」


 城の扉を開きながら、アインが言った。


   §    §    §


 湖の古城。玉座の間。

 

「オレはアイン・シュベルト。オマエは今日からシャノン・シュベルトだ」


「シャノン……シャベル……?」


「忘れるなよ。迷子になったとき、見つけられなくなるからな」


「あい」


 シャノンが脳天気な笑顔で返事をした。


 疑うようにアインは彼女を見た。


「一応聞くが、オレの名前は?」


「ぱぱ!」


 ビシィッとシャノンは得意気にアインを指さす。


「パパはアイン・シュベルト。魔法省第一魔道工房の室長です。言ってみろ」


「ぱぱはシャベルですっ!」


 こいつはダメだ、といった表情でアインは引き取ったばかりの我が子を見た。


「最初に言っておくぞ。オマエを養子にしたのは研究のためだ」


「けんきゅう?」


「うちの所長はド変人の博愛主義でな。魔力持ちの孤児を引き取って魔導師に育てろとのお達しだ。そうすれば、オレの馬鹿な研究を続けてもいいってな」


「ぱぱのけんきゅうは、ばか?」


 禁句だったか、途端にアインはわなわなと肩を震わせ、鬼のような形相で言った。


「……あいつらが無能すぎて理解できねえんだよ……! 言っておくがオレは天才だぞ。いや天才なんて生ぬるいもんじゃねえ。魔法史に名前を残す偉人じゃねえのっ! それが成功するかわからない? はー! わからないから研究してるんだが!」


 ほえー、とシャノンは突如紛糾したアインを見上げている。


 気を取り直したように、彼はしゃがみ込んで娘と視線を合わせた。


「つまり、オマエには立派な魔導師になってもらうってことだ。わかるな?」


「まじゅつしなる」


「魔導師だ」


 シャノンは疑問を両目に貼り付け、ぱちぱちと瞬きをした。


「魔術士は魔法を使うだけだろ。魔導師は魔法の産みの親、つまり研究者だ。全然違う」


 閃いたといったようにシャノンは表情を明るくする。


「まどうしのが、えらい」


「その偉い魔導師に必要なものがなにかわかるか?」


「かしこい」


「そうだ。言われたことは一回で覚えろ。馬鹿な娘は不要だ」


 無表情でアインは冷酷に告げる。


「あい!」


「パパはアイン・シュベルト。魔法省第一魔導工房室の室長です。言ってみろ」


 天真爛漫な笑みでシャノンは言った。


「ぱぱは、すごいまどうし。おうとでいちばん」


 ギロリ、とアインは鋭い視線を飛ばす。


 すっと右手を前へ出し、そしてシャノンの頭を撫でた。


「よし。わかってるな。それが一番大事なことだ」


 えへへ、とシャノンは笑う。

 ぐう、と腹の虫が鳴った。


「おなかのとけいのおと」


 と、彼女は言った。


   §    §    §


 湖の古城。厨房。


「好きな物はなんだ?」 


「ほっとけーき!」


 シャノンの要求に従い、かまどの上でフライパンをふるい、アインは手早くホットケーキを焼いた。


「そら」


 三段重ねのホットケーキが大皿で出される。一番上には四角いバターが乗せられており、メープルシロップがたっぷりとかけられていた。


「すごいりょうり。すーぱーほっとけーき」


 シャノンはフォーク二本をぐっと握りしめている。


「食べたら、そっちのベッドで寝ろ。食器はそのままでいい」


 エプロンを外して、アインは椅子の背もたれにかける。


「ぱぱ、たべない?」


「オレは研究がある」


 そう口にして、アインは厨房を出る。


 魔導工房の前までやってきて、巨大なドアに触れる。

 魔力が送られ、ドアはゆっくりと開いていく。

 

「けんきゅうみる」


 ついてきたシャノンが、部屋の中に足を踏み入れる。

 

「入るなっ!」


 激怒され、シャノンはびくっと体を震わせる。

 涙目の彼女をアインは抱き抱えた。


「工房は魔導師以外に入る資格はない」


 厨房に戻り、シャノンを椅子に座らせた後、アインは言った。


「泣くな。温かい内に食べろ。世界で一番不味い料理、それが冷えたホットケーキだ」


   §    §    §


 湖の古城。魔導工房。


 広大な部屋の中心に、広い机が置いてあり、アインは立ちながら大きな羊皮紙に羽根ペンを走らせていた。

 羊皮紙には夥しいほどの魔法陣が書き込まれている。


 やがて、アインは羽根ペンを止め、机に置いた。


 彼は目を閉じ、両手を広げて魔力を発する。次々と部屋の中に魔法陣が現れた。不思議な形だ。それらはすべて歯車なのだ。

 

 魔法陣の歯車はそれぞれがそれぞれとかみ合い、次第に回転を始める。膨大な魔力が部屋中を満たし始めたかに思えたその瞬間、ガガ、ギ、と音を立て歯車が止まった。


 バギン、と魔法陣の歯車が音を立てて砕け落ちる。すると、連鎖するように魔法陣という魔法陣が砕け散り、魔力の粒子となって消えていった。


「……ち」


 アインは羊皮紙に大きく×印をつける。

 すると、そこに描いてあった魔法陣がすうっと消えていった。


 アインは羽根ペンを置き、肘をついて額に手をやった。


 脳裏をよぎるのは彼の研究を知った魔導師たちの心ない言葉だ。

 学位を持たず、後ろ盾のないアインを、嘲る者は少なくない。


 ――基幹魔法は一代でできる研究じゃない。親無しにゃ無理だよ。


 ――新魔法より前にさ、君はまず学位をとったら?


 ――ああ、無学位? どうりで無茶苦茶な論文を書くわけだ。


 ――学院も卒業できなかった君が魔導師に? 同僚はいい迷惑だね。


 彼は奥歯をぎりりと噛みしめ、再び羽根ペンを走らせた。


(関係ない)


 その胸中にはひたすらに熱い炎が燃えたぎっている。彼はその道をひたすらに突き進んできた。これまでも、そしてこれからも。


(魔法は常に公平だ)


 と、確かに信じて。


   §    §    §


 数時間後。


 研究を切り上げたアインが通路を歩いていると、厨房から明かりが漏れているのが見えた。


 ドアを開ければ、シャノンがテーブルに突っ伏して眠っていた。


「おい。起きろ。ベッドで寝ろと言っただろう」


 シャノンの肩を軽く揺さぶると、ぱち、と彼女は目を開いた。アインを見るなり、がばっと飛び起きた。


「けんきゅう、おわり?」


「今日はな」


「いっしょにたべよ! ぱぱのぶん、わけたげる!」


 青い瞳を爛々と輝かせて、シャノンは嬉しそうに言った。


 アインがテーブルに視線を向ける。

 そこには、まったく手のつけられていないホットケーキがあった。


「どうして食べなかったんだ?」


「けんきゅうがんばると、おなかがすくでしょ。でも、ひとりでたべるとおいしくないよ。だから、いっしょにたべたげる」


 にっこりとシャノンは笑う。


「一人で食べても味は同じだけどな」


 そう言いながら、アインは椅子を引いて座る。


「はい!」


 ホットケーキを突き刺したフォークが、アインの目の前に突きつけられる。


「腹へってるだろ。オマエがぜんぶ食べていいぞ」


「はいっ!」


 ホットケーキを突き刺したフォークが、更にアインの顔面スレスレまで突き出される。僅かに彼は冷や汗を流した。


「……おう」


 身の危険を感じたか、アインはフォークを受け取る。

 シャノンはもう一本のフォークでホットケーキを突き刺した。


 ぱくり、と彼女はホットケーキを食べる。


「うまうま」


 微妙な顔をしながら、アインもホットケーキを食べた。


「世界で一番クソ不味い」


 不思議そうな顔をしたシャノンは、ホットケーキをもう一口食べる。


「おいしな」


 白い目でアインは我が子を見た。


「いいか。これだけは教えておく。焼きたてのホットケーキは天上のスイーツだが、冷めれば地獄の残飯だ。わかるな?」


 いまいちよくわからないといった顔をしながら、シャノンは聞く。


「ざんぱん、いくない?」


「そうだ。残飯を食べるような子は、うちの子じゃない」


 こくこくとシャノンはうなずく。


「シャノン、ざんぱんやだ」


 彼女はホットケーキの皿を持ち上げて、ずいとアインに差し出す。


「まほうでやきたてにして」


「……それはな」


 なんと言うべきか考えた後、アインは諭すように話し始めた。


「いいか。魔法にはマナが必要で、人が生涯使えるマナの量は決まっている。ここでホットケーキを温め直すことで、将来魔法研究に必要なマナが足りなくなることもある」


「ぱぱは、すごいまどうし。わけない」


 アインは無言でシャノンを見返す。幼い瞳は彼を信じて疑わない。


「それもそうか」


 アインが立ち上がると、シャノンは期待の眼差しを向けた。


(まほうつかう。どきどき)


 魔法を使うのを今か今かとシャノンが見守る中、アインは一度厨房を出て行き、大量の魔石を持ってきた。


 更にまた厨房を出て行き、今度は大量の金属の塊を床に置く。


 更にまたまた厨房を出て行き、またしても山ほどの魔法具を積み重ねる。


「ぱぱは、なにしてるひと?」


 青い瞳を訝しげにして、シャノンが聞いてきた。


「自律機構化魔法陣でホットケーキを温める《温熱パウロ》の開発だ。4日ほど待て」


 シャノンはがびーんといった表情を浮かべる。


「はなび、すぐできたのに」


「あれは自律機構化魔法陣じゃない。普通に《温熱パウロ》の魔法を使うなら、一秒で温め直せる。魔石もミスリルもいらない」


 これでもかというぐらい疑問の目でシャノンはアインを見た。


「いちびょうでできる?」


「できるが、今回は四日の方だ」


「ぱぱは……ばか……?」


「馬鹿じゃない。面倒くさいんだ」


 ますます青い瞳を疑問に染めて、シャノンはアインをマジマジと見る。


「いちびょうだよ?」


「一秒だが、三六工程だ。《温熱パウロ》は、《熱源ロズ》と《蒸気エレア》の魔法陣を組み合わせて、《熱源ロズ》は《火炎ギーズ》と《不燃バル》の組み合わせ、《蒸気エレア》は《水源オウル》と《火炎ギーズ》の組み合わせだ」


 両手に魔石を握りしめながら、アインは力説する。


「実に面倒くさい。だから、自律化する。自律機構化魔法陣の素晴らしいところは一度組み上げてしまえば、魔力を送るだけ。僅か一工程で魔法が発動する。三六分の一だぞ、なんて楽なんだ。よく聞け、シャノン、オレはそこらの凡人とは発想が違う」


 魔法陣の中で魔石とミスリルを溶かして混ぜ合わせ、いくつもの歯車を作り上げながら、アインは言った。


「天才魔導師アイン・シュベルト。楽をするためならば、どんな苦労をも厭いはしない!」


「ほっとけーき……くさらないかな……?」


 ピタリ、とアインが動きを止めた。


 しまった、とでも言わんばかりの表情で彼はホットケーキを睨みつけていた。

 

「仕方がない。最後の手段だ」


 ふう、と彼は息をつく。

 そして、かまどに火をつけ、アインは新しくホットケーキを焼き上げたのだった。


 たっぷりのバターとメープルシロップをかけられたそれを、うまうま、とシャノンは頬張っていく。


「ぱぱは、てんさい」


 と、彼女は満足げな様子だった。



   ◇3.【新魔法】


 王都アンデルデズンの往来をアインとシャノンは歩いていた。


 歩幅が違うため、シャノンは一生懸命走っているが、アインはどんどん先へ行く。とうとうシャノンは立ち止まってしまった。


「どうした?」


 不思議そうにアインが振り向く。


「もうやだ」


「なにがだ? 具体的に言え」


「あるくの、めんどくさい」


「なんだと?」


 アインは眼光を鋭くし、ズカズカとシャノンのもとへ詰め寄った。

 

 彼女は怒られる恐怖に身を竦める。


「ごめんなさ……」


「馬鹿者。面倒くさいことをする奴があるか」


 ひょいとシャノンを腕に抱えて、アインは歩き出す。


「でも、がまんしないと、しょーらいが、たいへんなんだよ」


「は? 死ぬまで将来があるんだぞ。一生我慢するつもりか」


 わからないといった表情で、シャノンは小首をかしげている。


「オレの子なら、面倒くさいことを楽にする方法を考えろ」


「じりつかだ!」


「よく覚えてたな」


 えへへ、とシャノンはにかんだ。


「ぱぱのけんきゅーは、じりつか?」


 ふと気がついたように彼女は問う。


「研究塔でやってるのは、自律機構化魔法陣による自己進化型多目的魔法の開発だ。それ以外にも歯車体系の構築、要する基幹魔法の研究を進めている。こっちは今のところ、オレ一人だな」


「なぜにひとりかな?」


「基幹魔法っていうのは、魔法の大本となる設計図で十二大系しかない。つまり、この世のすべての魔法は、十二大系の基幹魔法を応用したものにすぎない。これを作ったのが、十二賢聖偉人じゅうにけんせいいじんだ」


「すごくすごい?」


「偉業だよ。だってオマエ、この十二人の一人でもいなかったら、数百っていう魔法がこの世から消えるんだぜ」


「みずのうえあるけない!」


「そうだ。あんなに美しい術式を作り上げた十二人の偉人たちだ」


 まるで少年のような瞳で、偉大なる魔導師に憧れるように彼は言った。


「最後の基幹魔法が開発されてから七百年、新しい基幹魔法は開発されていない。そんな先の見えない研究をするより、もっと手堅く稼げる研究に人気があるってわけだ」


 アインは足を止める。


 目の前には漆黒の塔が立っていた。


   §    §    §


 魔法省アンデルデズン研究塔。第一魔導工房室。


 中央には大樹が生えている。幹の中心には巨大な光の球があり、枝には魔法陣がまるで実のようにいくつもついていた。


 床は一面に水が張ってあるが、湖の古城と同じく足は水面に浮遊する。


 シャノンがほえーと、その不思議な大樹を見上げていた。


「自己進化型多目的魔法《永遠世界樹レイジア》の自律機構化魔法陣だ」


「可愛いお客さんですね、室長。誘拐したんですか?」


 後ろから声をかけてきたのは、法衣を纏った優男だ。名はルーク。一級魔導師であり、アインの部下としてこの魔導工房室で働いている。


「シャノンは、ぱぱのこです」


「パパ?」


 驚いたようにルークはアインを見た。


「昨日、孤児院でもらってきた」


「はい?」


 ふとアインは机で気怠そうに魔法陣を描いている魔導師に視線を向ける。

 目つきの悪い男だ。


「デイヴィット。外部魔導具との魔法線は使い終わったらすぐに切れ。逆探知されれば、悪用される」


 デイヴィットは無言でアインを見返す。そして、ぼそっと言った。


「理論上の話でしょう? そんな魔導師はいませんよ」


「いい。ルークに任せる」


「わかりましたよ。大人げないんだから」


 デイヴィットは舌打ちし、「無学位のくせに」と呟くと去っていった。


「あいつ、記憶力大丈夫か? 何度言えば覚えるんだ?」


「あー……それにしても、よく独身で養子申請通りましたね……」


 気を取り直すようにルークが言う。


「伝手があってな。これであの馬鹿所長の条件通りだ。《永遠世界樹レイジア》の研究期間を一年は延ばせる」


 すると、ルークは浮かない顔になった。


「それなんですけど、ジェラール所長は異動になってしまいました」


「なに? 一週間前はなにも言ってなかったぞ」


「たぶん、隠していたんじゃないかと。先程、新任の所長がお見えになって、アイン室長が出勤したら、所長室に来るようにと言伝を頼まれました」


 アインは舌打ちをした。


「ジェラールめ。逃げたな」


「かなりまずいですよ。とにかくうちは成果が上がってませんし、ジェラール所長じゃなかったら、とっくに研究は打ち切りでした。新所長は主流の研究に切り替える方針なんじゃ……」


 ルークの説明の途中でアインは早足で歩き出した。


「どうするんですか?」


「新所長に説明する。シャノンを任せたぞ」


   §    §    §


 アンデルデズン研究塔。所長室。


 豪奢な机の前に、中年の男が腰掛けている。頭髪は薄く、ヒゲを生やしており、いかにも出世競争を勝ち抜いてきたというような精力的な顔つきをしている。


「新所長のジョージ・バロムだ」


 ジョージはそう言って、ダンッと書類の束を威圧的に机に置いた。


「成果報告書には目を通させてもらった。第一魔導工房室は、なんの結果も出していないようだね、アイン室長」


 机の向こうに立つアインを、彼はじとっと睨みつける。


「魔法研究には短期的に小さく成果を上げるものと、長期的に大きく成果を上げるものの二種類があります。《永遠世界樹レイジア》は後者。目下、研究は順調で、提示された開発期限も残り一年あり――」


「私はジェラール前所長とは違う」


 説明を遮り、ジョージは高圧的に言った。


「これ以上、成果の上がらない研究にマナと資金は出せないと言っているのだよ」


 両腕を組んだまま、低い声でジョージは続ける。


「膨大なマナと資金を費やした《永遠世界樹レイジア》の開発失敗の責任は、室長である君にある」


 ピッと指を弾き、ジョージは一枚の羊皮紙を飛ばした。

 それは、解雇通知書である。


「魔法省は君を解雇する」


「ずいぶんと無能じゃねえの」


 アインの挑発に、ジョージはムッとする。


「なんだと?」


「ここで《永遠世界樹レイジア》の開発を打ち切っておけば、自分の責任にはならないって考えだろ。そんなやり方じゃ、魔法省で出世できないぜ」


 アインは魔法陣を描く。そこに現れたのは、羊皮紙の束だ。


「……なんのつもりだ?」


「別口で研究している基幹魔法の論文だ」


 それを聞き、ジョージは訝しげな表情を浮かべる。


「開発後は、魔法省に権利を譲渡してもいい。ただし、それと《永遠世界樹レイジア》の研究はオレにやらせろ」


 羊皮紙の束がジョージのもとまで浮遊していく。


「基幹魔法の権利を得たなら出世コースをまっしぐら、とでも言いたいのかね?」


「悪い話じゃないだろ。研究は順調、残るは最後のピースだけだ。嘘だと思うなら、読んでから決めればいい」


「なるほど」


 ジョージは羊皮紙の束を手にする。


 そして、ビリビリに破り捨てた。アインは視線を険しくする。


「学位の一つもとれない魔導師が基幹魔法の論文だと? こんなものは、賢者の学位がなければ相手にもされんよ」


 魔法が発動し、羊皮紙が一気に炎上する。


「アイン君。最初で最後の親心として、一つ無学の君に大事なことを教えてあげよう」


 ジョージが指で空を切れば、炎が消えて灰が舞う。


「君の研究は無益だ。君の人生と同じようにね」

 

 アインは無言でジョージを見返す。


「荷物をまとめたまえ」


「あとでお偉いさんに無能を曝す羽目になっても知らないぜ」


 ふん、とジョージは鼻を鳴らす。


「君は今後の身の振り方でも心配したまえよ。無駄だろうがね。口の利き方も知らん無学位の魔導師など、誰も雇わん」


 アインは無言で見返した後、踵を返す。


 溜飲を下げたようにジョージはニヤリと笑みを覗かせた。


「ああ。そういえば」


 思い出したような素振りでアインは言う。


「《永遠世界樹レイジア》は早急に処分した方がいい。アンタの手には負えないだろうからな」


 アインは所長室を後にし、バタンとドアを閉めた。

 不快そうな表情で、ジョージは視線を険しくしていた。


   §    §    §


 湖の城。厨房。


「――というわけで、解雇されたから明日オマエを孤児院に戻す」


 ホットケーキを食べる手を止めて、不思議そうにシャノンは首をかしげる。


「ぱぱもいっしょ?」


「オレは研究がある」


「シャノン、けんきゅうてつだう」


「できるか。邪魔だ」


 そう言って、アインは厨房を出て行こうとする。その足にシャノンはがしっとしがみついた。

 

「離れろ」


「やだ」


 アインが足を振っても、シャノンは離れる気配がない。


「わがままを言うな。無職で子供一人養えると思ってんのか?」


「ぱぱは、すごいまどうし。わけない」


 すると、アインは静かに足をおろし、黙り込んだ。


「魔法研究を続けるのに一番大事なものはなにかわかるか?」


「かしこい!」


「マナだ。どんなにすごい魔導師でも、マナの量はせいぜい常人の数十倍しかない。魔法研究にはそれよりもずっと多くのマナがいる」


「ぱぱは、いえでもけんきゅうしてる」


「基幹魔法のな。《永遠世界樹レイジア》クラスだとマナが足りない。だから、普通は魔法の権利を持っている組織に入る」


「じゃ、シャノンのまりょく、ぜんぶあげる」


 真剣な顔で彼女は言う。


 すると、アインは羽根ペンと羊皮紙を持ってくる。


「いいか。魔法を使用するとき、術者はマナ消費量の何割かをロイヤリティとして支払っている。たとえば《温熱パウロ》のマナ消費量は四〇。そのうちの一〇がロイヤリティマナだ。三〇マナで魔法は発動し、残り一〇マナは《温熱パウロ》の権利を持っている魔法省にいく」


 アインは絵に描いて説明していく。


「つまり、世界中でホットケーキが温められるだけ、魔法省ではマナが溜まる。それを使って、魔法省の魔導師たちは魔法研究を行う。新魔法が開発されれば、権利は魔法省のものになる。新魔法がホットケーキを美味しくするなら、これも世界中で使われる。そうすると」


「まながたくさん!」


「オマエの魔力だけじゃ足りない」


 シャノンが気落ちしたように、がっくりと肩を落とす。


「……ぱぱは、シャノンがいらない……?」


 泣き出しそうなその子を、アインは唇を引き結び、じっと見つめた。


「これだけは忘れるな。オマエは悪くない。オレはろくでなしで、魔法研究しかできないんだ」


 そう寂しそうに、彼は言った。


   §    §    §


 翌日。魔導工房。


 机に突っ伏すような形でアインが眠っている。


 突如、ダガガガガガガッとけたたましい音が鳴り響き、彼は目を覚ました。


(魔力反応? 厨房からか)


   §    §    §


 厨房。


 部屋はめちゃくちゃだった。

 椅子とテーブルはひっくり返り、食器が散乱している。


 ぐす、と泣いているシャノンがいた。

 手から赤い血が滴っていた。


 その足下には歯車がある。

 アインははっとしたように、そこに視線を注いだ。


 回転したときにシャノンを傷つけたのか、血で染まっていた。


(作成中の自律機構化魔法陣、ホットケーキを温めるやつか……)


「……なにをした?」


 びくっとしてシャノンはますます涙をこぼす。


「ご、ごめんなさい……」


「なにをしたと聞いているんだ」


「……シャノン、いらないこはやだ……」


 シャノンの両手から輝く粒子がこぼれ落ちている。


(魔力? 訓練もなしに放出したのか。それでこれが――)


「けんきゅう。やくにたちたかった」


 ぽたぽたと涙がこぼれる。


「ごめんなさい。ごめんなさ――」


「馬鹿者」


 シャノンは目を丸くする。

 アインが彼女を片手で抱え、厨房の外へ歩き出したのだ。


 シャノンの手に描かれた魔法陣が、彼女の傷を癒やしていく。


「失敗したぐらいで謝るな。できないと言われ、やらない無能に成功はない。失敗を犯した者だけが、辿り着ける領域がある」


 研究室の扉を開け放ち、アインは中へ入った。


「オマエは間違っていない。ここに入る資格がある」


 シャノンはあっと口を開く。


 彼女の脳裏によぎったのは、「魔導師以外に入る資格はない」と言われたときのことだ。


「シャノン。お手柄だ。よく見とけよ」


 シャノンを片手に抱えたまま、アインは部屋の中心に立った。


 彼が全身から魔力を発すれば、次々と部屋中に歯車の魔法陣が現れる。それぞれがそれぞれとかみ合い、勢いよく回転を始めた。


 シャノンが好奇心をあらわにするように目を見開いた。


「これが史上十三番目の基幹魔法」


 アインの目の前に、歯車の魔法陣が出現する。


 彼は親指を噛み、血で魔法陣を描くようにして、歯車を赤く染め上げる。


「歯車大系、誕生の瞬間だ」


 血塗られた歯車が回転すると、それに連動するように他の歯車から光の粒子がこぼれ落ちる。

 それは魔力の線となり、それぞれの歯車をつなげる立体魔法陣と化していた。



    ◇4.【魔法史】


 王都アンデルデズン。魔導商店街。


『号外、号外』


 大空を飛ぶ何十匹ものイヌワシが声を発し、足に下げた鞄から次々と新聞の号外をバラ巻いていく。

 それは魔導商店街を行き交う人々の頭上に降り注いだ。


「……!? 本当かこれ?」


「魔法省の号外ですから、信憑性は十分のはずですが……」


 魔導師たちは号外を手にし、口々に語り合う。


「十三番目の基幹魔法とはのう。長生きはするものじゃて」


「自律機構化魔法陣の研究が進みそうじゃのう」


「しかし、これはどういうことか……?」


 老魔導士は言う。


「一番肝心な、開発者の名前がないというのは」


   §    §    §


 湖の古城。リビング。


「ごうがいっ、ごうがいっ」


 新基幹魔法の号外を両手でかかげながら、シャノンはとてとてと駆け回ってる。


「オマエ、文字読めるのか?」


 椅子に腰掛けながら、アインは目の前の水差しに魔法陣を描いている。水差しには、魔法の文字や数字が浮かび上がっていた。


 そこへシャノンがやってきて、強引にアインの膝の上に座った。


「おい。なにしてる?」


「よんで」


 シャノンは号外をテーブルの上に置き、見出しの一番大きな文字を指さす。


 仕方がないといった風に、アインは読んだ。


「七〇〇年ぶりの偉業。十三番目の基幹魔法、歯車大系開発」


「ぱぱ、いぎょう!」


 嬉しそうにシャノンが両手を頭上に伸ばす。


 アインは僅かに表情を柔らかくした。


「シャノン、おてつだいした」


「そうだな。歯車に血を通わせる術式はオマエのおかげだ」


 シャノンはにんまりと笑う。


「……孤児院の話だが」


 すると、シャノンは震え上がって、アインの膝から飛び降りる。とてとてと走っていき、壺の後ろで実を小さくした。


「話を最後まで聞け。孤児院が嫌なら、戻らないようにしてやる」


「……うそつきしない?」


 警戒するように頭だけを僅かに出し、シャノンが覗いてくる。


「しない。他に欲しい物はあるか? お手伝いのご褒美だ。なんでもやる」


 シャノンは頭を悩ませ、そして聞いた。


「……いっこ?」


「好きなだけ言え」


 シャノンはぱっと顔を輝かせて、壺から姿を現した。


「すーぱーほっとけーき! ごだんのやつ!」


「わかった。他には?」


「まみーがほしい!」


「……ままか」


「ままはだめなの。まみーだよ」


 シャノンが咎めるように言う。

 アインは解せないといった表情になった。


「同じだろう?」


「まじゅつしとまどうしぐらいちがうよ」


「……ままが実の母親で、まみーは新しい母親か?」


「いえす!」


「……なるほど」


 アインは思考する。


(それもそうか。研究にしか興味のない男よりは母親がいいだろう)


「まみーはだめ?」


 不安そうにシャノンが聞く。


「わかった。どうにかしよう」


 すると、嬉しそうにシャノンは駆け寄ってくる。


「きれいなまみーがいいっ。やさしくて、おこらなくて、りょうりじょうず!」


「……なんとかしよう」


「えほんよんで、どれすつくって、いっしょにおどって、まいにちぱーてぃ、そらとぶばしゃでまほうのにじつくる! あとつおい!」


「わがままを言うな。そんなご令嬢がどこにいるんだ?」


 シャノンは得意気に言った。


「ぱぱ、そこらへんでひっかけてくるかな?」


「ひっかかるか」


 シャノンはしゅんとする。

 なだめるようにアインはひょいと彼女を持ち上げた。


「とにかく、母親のことはなんとかしてやる。できるだけ希望通りにするが、あんまり期待するなよ」


   §    §    §


 一週間後――


 リーン、と湖の古城に呼び鈴が鳴った。


 シャノンが走っていき、内鍵を外そうと背伸びをするが届かない。アインが両手で彼女を持ち上げると、シャノンは嬉しそうに鍵を外した。


 扉の向こう側にいたのは、漆黒の軍服を纏った青年だ。


 長い黒髪を後ろで縛った美丈夫で、深紅の瞳は切れそうなほどに鋭い。

 腰には刀を下げていた。


「いっしゃいますです!」


 元気よくシャノンが挨拶する。


「ここは、ぱぱのいえです。シャノンはぱぱのこです」


「聖軍総督直属、実験部隊黒竜隊長ギーチェ・バルモンドだ。逆賊アイン・シュベルトを逮捕する」


 目が飛び出そうなほどシャノンは驚きをあらわにした。


「ぱぱ、たいほ……!?」


 シャノンの脳裏には(たいほ、ろうごく、いぎょうなし)といった映像が浮かぶ。


「シャノンが、やりました」


 両手を揃え、シャノンは手錠をかけられるときの仕草をする。


「民間人の逮捕は、管轄じゃないだろ」


 アインがそう言うと、ギーチェは僅かに目元を緩めた。


「久しぶりだな、アイン。相変わらず生意気な面だ」


「オマエこそ、つまらん冗談に拍車がかかったな、ギーチェ」


 言い合う二人を、シャノンは首を振って交互に見た。


「ぱぱは、たいほされない?」


「こいつは魔導学院時代の悪友だ。用があって呼び出した」


 アインが言う。


「むざい」


 と、シャノンは勝利を勝ち取ったかのように拳を突き上げている。


「貴様が開発した歯車体系で学界は大わらわだ。貴族院も相当慌ただしい。こっちに厄介事が回ってきそうな勢いだ」


「相変わらず、素直に褒められないのかよ」


「厄介事を厄介事だと言っている」


 頑なにそう言い張るギーチェを睨み返しながらも、しかしアインはどこか楽しげだった。


「ぱぱは、すごいまどうしっ?」


 嬉しそうにシャノンが言うと、ギーチェは僅かに視線を下ろす。


「そうだな」


「いじんなるっ?」


「それは無理だがな」


 ギーチェはアインを指さして言う。


「なにせ、こいつは性格が悪い」


「別になりたかねえよ。さっさと用件を済ませろ」


 ギーチェは懐に手を入れて、丸めた羊皮紙をアインに手渡した。


 彼は踵を返し、なにかを放り投げる。ギーチェがそれを受け取った。城の鍵だ。


「出かけてくる。ついでにシャノンに飯を作っていってくれ」


「……は?」


「シャノンもいくっ」


 駆け寄るシャノンの頭をアインがつかむと、彼女は腕をジタバタと回しながら、「いーくー」と駄々をこねている。


「留守番してたら、ギーチェが二〇段ホットケーキを作ってくれるぞ」


 現金にもシャノンがばっと振り向き、期待を込めた目を向ける。


「……一〇段が限界だ」


 と、ギーチェは言った。


   §    §    §


 厨房。


 エプロンをしたギーチェはフライパンを振るい、ホットケーキをひっくり返す。シャノンはテーブルに座り、フォーク二本を手にしながら、わくわくと待っていた。


 目の前の皿に、ギーチェがポン、ポポンとホットケーキを三枚重ねる。シャノンはキラキラと青い瞳を輝かせた。


「おぉー……!」


「残り七枚だ」

 

 再びかまどに向かい、ギーチェはフライパンにホットケーキの種を流し込む。


「ギーチェ、いいことおしえたげる!」


「ん? なんだ?」


「ぱぱは、えらい。シャノンに、まみーくれる」


 フライパンを振るい、ギーチェはホットケーキを三つ同時にひっくり返す。


「そうか。えらいな」


「いじんなれるかな?」


 期待するようにシャノンが問う。

 すぐには答えず、ギーチェはフライパンを見つめている。


「……ゴウズ病というのを知っているか?」


「ごびょうき?」


「不治の病だ。アンデルデズン魔導学院で、ある学生がそれを研究していた。父親がゴウズ病だったからだ。だが、学生に治療法を見つけられるはずもなく、やがて父親は亡くなった」


 淡々とギーチェは語る。


「亡くなる前に、父親は息子に言った。『いつか、お前の研究が実を結び、多くの人々を救う。俺の人生は無駄じゃなかった』」


 シャノンの頭には、ベッドで息子に話しかける父親の姿が浮かび上がった。


「だが、葬式に訪れた父親の上役は、彼をなんの研究成果も残さず、無駄死にした馬鹿だと言い捨てた」


「わるいやつっ。シャノン、きらい」


 シャノンは嫌そうな顔をして言う。


「息子はなにも言えなかった」


「ぶっとばしたから?」


「上役は魔法省のトップ、総魔大臣そうまだいじんゴルベルド・アデム。一介の学生に、たてつくことができる相手ではない」


 むー、とシャノンはご立腹の様子だ。


「だが、怖じ気づいた息子をよそに、アインはゴルベルドに堂々と『間違っている』と言い放った」


「ぶっとばした!」


 嬉しそうにシャノンがパンチを繰り出している。


「それで魔導学院を除籍された。あいつは二度と学位をとれない。学位のない魔導師の名は、学界に出せないのが古くからのしきたりだ。魔法史に載ることもない」


「まほうし、のらないとだめか?」


「権利はある。だが、名声は別だ」


 焼き上がった三枚のホットケーキを、ギーチェは皿に重ねた。


「頭を下げて、自分が間違っていたと言えば、除籍まではいかなかっただろう。そうすれば、今頃あいつは、生きながらに魔法史に名を残す偉人だった」


 残りのホットケーキを焼きながら、ギーチェはどこか遠い目をしていた。


「ぱぱは、いじんなりたいひと」


 ふっとギーチェは笑う。


「傲慢で、偏屈で、社会性がないが、魔法にだけは誠実だ。あれだけ十二賢聖偉人に敬意を払う奴が、それを望まんわけがない」


 だが……とギーチェは昔を振り返る。


 若き日のアインは彼に言ったのだ。『総魔大臣だろうとなんだろうと、魔法は忖度しないぜ、ギーチェ』と。


「馬鹿な野郎だ。昔っからな」


 振り向いたギーチェは寂しそうに言った。



    ◇5.【暗躍】


 魔法省アンデルデズン研究塔。所長室。


 基幹魔法開発と書かれた号外が勢いよく破り捨てられる。新所長ジョージは目を剥き、顔を真っ赤にして、わなわなと体を怒りに震わせていた。


「諸君」


 部下二人を、ジョージはギロリと睨む。


「成果はまだかね? まさか魔法省の精鋭が、無学位に負けるような恥は曝さんだろうな」


 部下はなんとも返答に困った表情を浮かべた。

 基幹魔法を超えるような研究成果など、出せるわけがない。


「……し、しかし、基幹魔法は元々研究対象ではありませんし、所長の計画は完璧です。気にされるほどのことではないかと」


 とりなすように部下の一人が言う。


「なんだと?」


 それがかんに障ったとでもいうように、ジョージはピクリとこめかみを震わせた。


「私が路傍の石を気にしていると君は言うのか?」


「も、もちろん、所長は気にもとめないでしょう! その度量がおありだからこそ、アインをもう一度魔法省に雇い入れる手もあるという意味で……」


「ほう。私がアインを解雇したのは間違いだったとそう言いたいのかね?」


 威圧的な言葉に、部下は二の句が継げない。


 ジョージはすっと部下の前まで行き、杖で頬を殴り飛ばした。


「口を慎みたまえ」


「…………申し訳ございません……」


「早急に成果を上げるのだな。貴様の代わりなどいくらでもいる」


 続けて、ジョージはもう一人の部下に視線を向けた。


「君の意見はなにかあるかね、デイヴィット」


「は。無学位が基幹魔法を開発するなど、ありえないことではないかと思います」


 ハキハキとデイヴィットは言った。


「ふむ。それは当然の考えだ。それで?」


「歯車体系の基幹魔法について、異議申し立てをしてみるのはいかがでございましょうか? ジョージ・バロムが開発していた新魔法が盗まれたのだと」


 その言葉に、ジョージは下卑た笑みを見せた。


「続けたまえ」


「無学位の魔導師は学界での発言権もなく、名前も残りません。一方で魔導博士まどうはかせの学位を持つ所長は学界での信頼も厚いお立場。異議申し立てをすれば、世論がどちらに味方するか、火を見るより明らかでございましょう」


「確かに、話を学界にまで持っていけば私が勝つだろうな」


「歯車体系の認定日まで数日の猶予がございます。それまでに設計魔法陣を知るものは新魔法の開発者のみ。つまり、異議申し立てが受諾されます」


「どうやって手に入れる? 権利申請塔には、貴族院と聖騎士団の監視がある。この期間はアインも魔法陣を形として残さんだろう」


「ご安心を」


 デイヴィットは懐から、一枚の写真を取り出す。

 それには、シャノンの姿が映っていた。


「アイン・シュベルトには、小さな娘がいるようでございます」


   §    §    §


 湖の古城前。


 日が暮れた後、アインは帰ってきた。扉の鍵穴に鍵を入れると、彼は僅かに視線を鋭くした。


(鍵がかかっていない?)


 扉を開き、中へ入る。


 エントランスはなぜか明かりが消えており、薄暗かった。


「ギーチェ、帰らなかったのか? なぜ明かりを消している?」


 声をかけるが、返事はない。


 暗闇が微かに光り、アインめがけてなにかが射出された。

 彼は杖を前方へ向ける。


「《相対時間停止レズン・ネゼ》」


 ピタリと対象の時間が停止する。射出されたのは丸めた羊皮紙だった。


(羊皮紙……?)


『動くな。アイン・シュベルト。こっちを見ろ』


 光が放たれた方に、アインは視線をやる。


 そこには、人の三倍ほどもある厳つい石人形がいた。


 アインの魔眼には、石人形の頭に魔力の輝きが見える。


(内部に魔力源。自律機構化魔法兵器《殺戮石人形ゲズワーズ》か。所持は違法のはずだが……)


 石人形の胸元が扉のように開いていく。


 その中に、猿ぐつわをした女の子が拘束されていた。

 彼女は目に涙を溜めている。


(シャノン……)


『その羊皮紙に歯車体系の設計魔法陣を描き、こちらへ寄越せ。そうすれば、娘を解放しよう』


(目的は新魔法の権利か)


 アノンはそう思考する。


『貴様がほんの少しでも魔力を使えば、その瞬間、《殺戮石人形ゲズワーズ》は爆発する。娘が木っ端微塵になるところを見たくはあるまい?』


「なるほど。魔力放出を検知次第、《爆砕魔炎砲ボルクス》で自爆する命令を出したわけだ」


『貴様がこの城から出ても自爆は実行される。一時間以内に設計魔法陣を渡さなくても同様だ。下手に動くな。自律機構化魔法兵器は融通が利かない』


 静かにアインは《殺戮石人形ゲズワーズ》を睨む。


 そして、言った。


「オマエは無能だな」


 アインは杖を《殺戮石人形ゲズワーズ》に向けた。


『なんの真似だ?』


「自律機構化魔法陣は便利だが、術者が魔力を放出しなければ起動しないという欠陥がある」


 アインが杖の魔石に触れる。

 

「オレが開発した歯車体系以外にはな」


 立体魔法陣がアインの前方に描かれ、《殺戮石人形ゲズワーズ》は停止した。

相対時間停止レズン・ネゼ》だ。


『なにっ……!?』


「自律機構化魔法兵器は融通が利かない。だから術者の魔力放出なしに起動する歯車体系の自律機構化魔法陣を、検知することはできない」


 アインは杖から手を放す。すぐさま、突進してくる左右の《殺戮石人形ゲズワーズ》二体に、小さな歯車を投擲した。


殺戮石人形ゲズワーズ》はそれを避けず、頭部に直撃を許した。その瞬間、歯車が爆発し、石の頭部を木っ端微塵にした。


 ガラガラと《殺戮石人形ゲズワーズ》が崩れ落ちる。


「つまり、避ける必要がないと判断する」


 宙に浮いた杖をつかみ、アインは魔法を使う。


「《相対時間遡行レズン・エスク》」


 ダガン、とシャノンを拘束していた《殺戮石人形ゲズワーズ》の両腕が落ち、続いて頭部が床に落下した。時間が戻り、分解されているのだ。


 石人形の胸板が外れ、中にいるシャノンがあらわになった。

 気を失っている。その瞳からは、涙が滲んでいた。


 それを見て、アインは眉をひそめた。


   §    §    §


 魔法省アンデルデズン研究塔。所長室。


「馬鹿な……」


 大鏡に映ったアインを見ながら、デイヴィットは青ざめた。


「失敗したようだね」


 ビクッとディヴィットは体を震わせる。


「どう責任をとる気かね?」


 ジョージ所長が、殺気だった目で彼を睨めつける。


「い、いえ。まだ時間は。証拠はなにも残していませんし、勘づかれるような――」


『《逆転移ロエス》」


「――こと、は……!?」

  

 ジョージが表情を険しくする。

 視界がぐにゃりと歪んだのだ。


「オマエか」


 瞬間、目の前にアインの顔が映った。


「なっ……!?」


 デイヴィットは尻餅をつく。

 

 さっきまで研究塔にいたはずが、彼は湖の古城に転移していた。


「使い終わった魔導具との魔法線は切れと言っただろ、デイヴィット」


 すべてを見透かしたようなアインの視線が突き刺さる。

 まるで蛇に睨まれたカエルだった。


「く、くそっ」


 デイヴィットが起き上がろうとするが、アインは魔法陣を描く。「ぐ、ぎゃああぁ」と声が響いた。

 黒い鎖が現れ、彼をきつく縛りつけたのだ。



    ◇6.【魔法史に載らない偉人】


 アンデルデズン刑務所。

 

 背中を突き飛ばされ、デイヴィットは牢屋の中に倒れた。


「大人しくしていろ」


 牢屋の鍵が閉められる。


「ま、待てっ! 主犯は、研究塔のバロム所長だ! 調べればわかる! おい、聞いているのかっ!?」


 鉄格子にしがみつき、去っていく看守にデイヴィットは叫んだ。


   §    §    §


 アンデルデズン研究塔。所長室。


「――はい。今回の件は、デイヴィットの単独犯のようで。魔法省に嫌疑がかかることはないかと……」


 水晶玉に手を当てながら、ジョージは遠隔地と魔法通信を行っている。

 口振りからして、相手は彼よりも上役だろう。


『《殺戮石人形ゲズワーズ》があった保管庫の鍵は、君の管理だったはずだ』


 鋭い指摘に、ジョージは狼狽した表情を浮かべる。


「そ、それは……」


『事件当日に紛失した。そうだね?』


 脂汗を垂らしながらも、唯々諾々とジョージは従うしかなかった。


「……はい」


『これからは身の振り方に十分注意しなさい。紛失したはずの鍵が思わぬところから出てくるかもしれないからね』


 青ざめた表情で、ごくりとジョージは唾を飲み込む。


『アイン・シュベルトを解雇した君の責任は重い。基幹魔法とそれを開発するほどの人材を失った。途方もない損失だよ』


 反論できず、ジョージは苦渋の表情を浮かべる。


『だが、チャンスをあげよう。彼を再雇用し、歯車体系の権利を譲渡させなさい』


「それはしかし、今更奴にはなんのメリットも……どのようにすれば……?」


『それを考えるのが君の仕事だ』


 あまりに無茶な要求に、ジョージは言葉を返すことができなかった。


『朗報を期待しているよ』


 一方的に魔法通信が切断される。


 進退窮まった顔で、ジョージは苛立ちをぶつけるように机に拳を叩きつけた。


   §    §    §


 湖の古城。エントランス。


 玄関の扉を開けたところで、アインとギーチェが向かい合っていた。


「準備はできたか?」


「少し待て」


 アインは踵を返し、奥へ呼びかける。


「シャノン。ちょっと来い」


 すると、エントランスの奥からシャノンが走ってきた。


「でばんかな?」


「なんのだ? 約束のマミーを見つけてきた」


 シャノンは青い瞳を輝かせる。


「まみー、つおいっ?」


「オマエよりはな。これから、マミーの家に連れていく。そこで暮らせ」


「ぱぱもくらす?」


「新しいパパがいる。オレと違って立派なパパだ」


 僅かに唇を噛み、シャノンは口を開く。


「……たまにあそぶかな……?」


 アインはしゃがみ込み、彼女に言い聞かせた。


「次の研究は何百年かかるかわからない。オマエは馬鹿じゃない。理解できるな?」


「シャノンかしこい。できる」


「マミーはギーチェの親戚だ。オマエの条件とは少し違うが、立派な人だ。いいか、挨拶はしっかりしろ。それから、いい子にするんだ。約束できるな?」


「あい!」


 元気よくシャノンは返事をした。


「よし」


 今日は聞きわけがいいな、とアインは思った。


   §    §    §


「ばしゃーっ」


 往来を走る馬車の中、シャノンは窓から顔を出し、大声を上げている。


「基幹魔法の権利があれば、子ども一人養うのはわけもないだろう」


 何気なくといった素振りで、ギーチェが切り出す。


 シャノンが聞いていないのを横目で見た後、アインは興味なさげに答えた。


「研究がある」


「懐いてるだろうに」


「シャノンは魔力持ちだ。無学位の親じゃ、才能があっても悲惨なもんだぜ」


「貴様のようにか?」


 答えず、アインはただ無言で見返した。


「誰だって、立派な親がいい。そうすりゃ、昨日のような目にあうこともない」


   §    §    §


 庭園のある邸宅。


 三人を出迎えたのは品の良い老婦人だった。


「いらっしゃい。あなたがシャノンちゃんね。可愛いわね。おいくつなのかしら?」


 シャノンは指折り数えている。


「いつつっ」


「そう、いつつなの」


「きょうからおせわします。よろしくですっ」

 

 彼女の挨拶に、老婦人はにっこりと笑った。


「まあ、ちゃんとご挨拶できるのね」


「れんしゅした! えらい?」


「とてもえらいわ。わたしはメリルよ。よろしくね」


「めりる」


「そう。中に入ってちょうだい。おいしいお菓子があるの。いろいろお話ししましょう」


「あい」


 メリルはシャノンを邸宅へ招き入れる。


 アインがほっと胸を撫で下ろしていると、メリルが振り向く。品良く笑い、彼女は会釈をした。


   §    §    §


 メリルの邸宅。リビング。


「一応規則では、一週間の仮同居の後に、里親側に問題がなければ養子縁組が成立する。いいんだな?」


 ギーチェが含みを持たせて言う。


「問題ない。あー……と、メリルさん」


 アインが老婦人に話しかける。


「はい」


「シャノンは感情的で、理路整然としていない部分が多々ありますが、嘘はつきません。やるなと言ったことをやりますが、挑戦する気概がある。すぐ疲れて歩かなくなるんですが、体重は軽いのでどうにか。泣き虫ですが、しばらく立てばケロッとしてます。それから……」


「それぐらいにしておけ。きりがない」


 ギーチェが呆れたように言う。


「大丈夫よ。それから?」


 アインはこれだけは言わなければといった風に切り出した。


「訓練なしに、魔導具を起動しました。魔法が好きで、魔導師にも憧れている。才能がある。できれば、幼等部から魔導学院を視野に」


「約束するわ」


「あと、ホットケーキが好きです。たまに焼いてあげてください。できれば、三段」


「三段ね、わかったわ。他には?」


 アインは僅かに考え、そして言った。


「以上で、問題ありません。面倒をかける奴ですが、よろしくお願いします」


 室内を物珍しそうに見物しているシャノンに、アインは視線を向ける。


「シャノン」


 彼女は振り向く。


「じゃあな。いい魔導師になれよ」


「あい!」


 手を上げて、元気よくシャノンは返事をした。


   §    §    §

  

 メリルの邸宅。廊下。


 閉めたドアに背を向け、アインは考える。


(一週間の仮同居はあるが、うちにいたときより素直だ。念願の母親だからな。メリルさんの感触もよさそうだ。他を探す必要はないだろう)


 もう役目は済んだ。帰るだけだ。だが、胸のつかえがとれない気がした。


(……なんだ? いや、別になにもない)


 アインがそのまま帰ろうとすると、ドアの向こうから声が聞こえた。


「――どうしたの、シャノンちゃん?」


(……?)


 アインはドアの隙間から中を覗く。


 シャノンは食卓についている。出された皿には、美味しそうなマフィンが並んでいた。

 

 彼女は唇を引き結び、それをじっと睨んでいる。


「食べていいのよ? 今朝ね、シャノンちゃんが来るから、はりきって焼いておいたの」


「シャノン、たべないっ!」


 これまで大人しくしていたシャノンがそう声を荒らげた。


(馬鹿者、オレの苦労を台無しに……)


「ひえたほっとけーきはきらいっ。ざんぱんだよっ」


 その言葉に、アインは僅かに目を見開く。


「そうなのね。でも、これはホットケーキじゃなくて……」


「やだっ」


 メリルが差し出したマフィンをシャノンは手ではたく。マフィンは真っ逆さまに床に落ち、コロコロと転がった。


 メリルはそっと床にしゃがみ込む。

 気を取り直すように彼女は言った。


「あらあら、落ちちゃった。ねえ、シャノンちゃん、一緒にお片付け手伝ってくれるかしら?」


「めんどくさいからだめっ」


 シャノンがそう言い放つと、メリルは驚いたような表情になった。


「でも、シャノンちゃんが手伝ってくれるとすごく助かるのよ。わたしも嬉しくなっちゃうわ」


 すると、シャノンはうつむく。

 見れば、泣き出しそうな顔だった。


 それにはっと気がつき、メリルは彼女のそばへ行く。


「ごめんね。怒ってるわけじゃないのよ。どうしてだめなのか、わたしに教えてくれる?」


「……だって……」


 ぐす、とシャノンはべそをかく。


「……ままは、とおくにいっちゃった。シャノンはいらないこなの。いつもじゃまだっていってた……」


 実の母親のことを言っているのだろう。

 悲しそうに彼女は訴える。


「でもね、いいこにしてたら、ぱぱがむかえにくるって、こじいんのせんせがいったよ。ほんとにきたよ! はなびをみせてくれたの!」


 シャノンは、アインが迎えに来てくれたことを思い出しながら言った。


「けんきゅうおわったら、ぱぱむかえにくる。だって、ぱぱね、おてがらだっていったよ。いらないこじゃなくなったの」


 なにも知らない無垢な笑みを見せながら、彼女は父親を信じ切って言うのだ。


「シャノン、いいこでまってる。ぱぱとやくそくした」


 アインははっとして、過去を振り返る。


 ――残飯を食べるような子は、うちの子じゃない。


 ――オレの子なら、面倒くさいことを楽にする方法を考えろ。


 ――いいか、挨拶はしっかりしろ。それから、いい子にするんだ。約束できるな?


(オレの言いつけを守ってたのか。オレが迎えに来ると思って)


「パパの研究はいつ終わるの?」


 メリルが優しく聞く。


「えっとね、なんびゃくねんかかるかわからないぐらいっていってた」


「……それ、意味は知ってるの?」


 メリルが不思議そうに聞く。


 すると、シャノンは満面の笑みを浮かべた。

 その言葉にアインは、息を呑む。


「ぱぱは、まほうしにのらないいじん! すぐおわる!」


 バタン、とドアが開く。


 二人が振り向けば、アインがそこにいた。


「ぱぱだ! もうおわった!」


 嬉しそうにシャノンが駆け寄っていき、アインの足にしがみついた。彼は娘の頭をそっと撫でると、メリルの前に出て、深く頭を下げた。


「今更ですが……オレの魔法の権利を譲るので……」


「いいのよ」


 アインが頭を上げると、優しくメリルは微笑んだ。


「なんだかね、最初にお話しした日から、こうなるんじゃないかなって思ってたわ」


 驚いたようにアインが目を丸くする。


「なぜ……?」


「だって、あなた、ずっとあの子の心配ばかりしていたんだもの」


 申し訳なさそうな顔で、再び深くアインは頭を下げたのだった。


   §    §    §


 メリルの邸宅前。


「また遊びに来てね」


 手を振るメリルとギーチェ。アインに抱きかかえられたシャノンは大きく手を振り返し、「いーくー」と声を上げている。


 庭園を歩きながら、ふとアインは言った。


「なあ。オマエ、石人形に閉じ込められたとき、怖くなかったか?」


 うーん、とシャノンは考え、はっと思い出したように言った。


「かっこいいまほうだから、なみだでたよ!」


 それを聞き、アインは娘の頭をポンと撫でる。

 晴れやかな顔で彼は言った。


「さすがオレの子だ」


 魔導師の親子は笑顔を浮かべながら、長い帰路についたのだった。


最後までお読みいただき、ありがとうございます。



「面白い」「シャノン可愛い」「二人の今後が気になる」

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[一言] 続編きたー!!
[良い点] 面白かった [一言] 続けてほしい
[良い点] 魔法の消費魔力に使用料が上乗せされ、それを元手に魔法の著作権者が開発を行うというシステムが斬新です。 金銭であれば当たり前の仕組みですが、アプリ…Pay-par-Viewの衛星放送番組みた…
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