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短編

笛吹男に仕事させない。

作者:

 笛の音が響く。ひゅるり、ひゅるりと、重なる空気を無視するような軽快な響きを持って。初めてこの笛を持ったのは齢一桁前半だから、人生の七割五分はこいつと一緒にいる。言わずもがな、こいつは大切な相棒だ。まぁまさかその大切な相棒に、こんな冒涜的なことの手助けをさせるとは思ってもみなかったけれど。

 指も脚も休むことないまま、街から見えていた少し小高い丘を越える。ほんの数刻前までは、長い後ろ後列を追うように、大人たちの泣き喚く声や怒号が溢れかえっていた。だけど今では歩く我が子に縋る親も少なくなったし、子供は皆魔法にかかってだんまりのまま。さっきまでの愛情を感じさせる嘆きの騒がしさは、無理やり形成されたこの奇妙な長蛇の列から逃げ去っていった。

 もう日が傾き始めていた。白い空の下側が橙に霞んで、今にも純白を飲み込んでしまいそうな、そんな汚らわしい夜が来る。

 そんな空に当てる視線もなく、どこか居心地が悪いような気がして――というか、今になって少しだけ良心が痛むのだが――使い古したサイケなつば広帽子を、足元しか見えないくらいに深く被り直した。もちろん指は音を生み出し続けているから、一瞬だけ離れた左手で勢いよくつばを引いただけなのだけれど。

 先の曲がった奇形の靴に重なって出来た影を、暗澹とした未来を思うようにぼんやりと眺めながら、どうしようかなと思考を巡らす。

 行き先なんて考えていない。ただ気の向くままに、思うままに歩を進めている。だけどそろそろ、寝泊りする場所を考えなければならない。

 幸い、世界を奏でながらだと疲労を感じなくて済む。何だかそれはある意味、この笛の持つ魔力と言っても良いかもしれない。けれど、今はこの相棒の力に頼ろう。適当に歩いていれば宿場替わりになる場所も見つかるかもしれないし。



**


 目星い場所を探し始めて数十分、辺りが本格的に暗くなり始めた。雑な憶測も外れた上に笛の魔力も切れ始めてきたし、子供たちの微かに親を呼ぶ幼い声がちらほらと聞こえる。

 冷たい風の走る高原に出た所で、岩肌に沿ってそこそこ大きい洞窟が見えた。取り敢えずは、の大人たちに対する見せしめも込めた人質だ。少々可哀想な気もするが、この後に及んで抱く罪悪感も徐々に薄れてきた。逃げ出さないように、そして朝日の出で起きるようにとしっかり催眠をかけて、奥へ誘導する。

 残りの人数も僅かになった頃、服の裾が引っ張られる感覚と

「笛吹さん」

 という女の子の声が聞こえた。

 振り向くと、齢十代前半くらいの少女がいた。

 少しだけ焼けた肌は子供ゆえの満ちた希望を思わせるが、細い輪郭は繊細な硝子細工のようにやわさを感じさせる。肩くらいまでの長さの深碧色の髪が夕映えしていて、鳶色の瞳に映る空の色も加わって、不思議な色のコントラストが生み出されている。美少女といっても良いかもしれない。それ程までの美しさを持っているように、この目には映って見えた。

 少し顎を持ち上げ、やや見上げるような姿勢になりながら、少女が髪を耳の後ろへ掻き上げる。すると、清潔感のある芳香かおりが、え乾いた秋風に乗ってふわりと漂ってきた。後頭部を啄く様な引かれる感覚がして、生唾を飲み込む。

「笛吹さん」

 黙っている所為で聞こえていないと思ったのか、確かめるような口調で再び声をかけてくる。

 勿論、聞こえていなかったわけじゃない。下心故に、黙っていたのだ。

「ねぇ、笛吹さん」

 訝しげな表情を浮かべながら、もう一度少女が声をかけてくる。

 その、氷を削ぐような冷たさと悪戯を企む無邪気さを混ぜた、不協和音のようにも聞こえる違和感のある声。なのにずっと聞いていたくなる、魅惑的な音。幼い頃から音の魔力にとり憑かれている身からすると、学者がこの世の全てを解明したい衝動に駆られるように、画家がこの世の全てを描きたい使命を想うように、この不確定曖昧な音色を追い求めたく思ってしまうのだ。

 だが流石にこのまま答えないでいるのは可哀想だ。空気を求めたがらない心臓へ息を送り込み、吐き出しす。

「なに?」

「ここ、どこ」

 何を尋ねるのかと少しはらはらしていたが、案外普通のことを聞いてきた。少しだけ拍子抜けしてしまい、息が詰まった。こんなにも惑わすような音の持ち主なのだから、さぞ変わった異色ななのだろうと思っていたのだ。

「なに?」

 また黙ってしまったのを疑問に思ったのか、少女が不思議そうに顔を覗き込んできた。何故か心のどこかで焦りながら、

「なんでもない」

 と答える。あまりうまく隠せた気はしないが、何もしないで狼狽の色を露呈させるよりかははるかにマシだろう。

「ねぇ、ここどこなの?」

 色褪せた服の裾を引かれ、布のかさつく音がする。

「おうちは?」

 眠たそうな声で、少女がもう一度尋ねてくる。催眠がじわじわと効いているのか、足元がふらついている。次々に子供たちが洞窟の中へ入っていく奇妙な光景を気にすることもせず、

「――だよ」

 と答えると、少女は睨みつけるように目つきを悪くし、眉間に深く皺を寄せた。



**


 いよいよ最後の一人になり、背中を軽く押す。半ばうつろな目つきで、魔声の少女は洞窟の奥へ消えていった。よろよろと闇に融ける小さな背丈を眺め、洞窟の入口に座り込む。流石に疲れたのか、どっと肩が重くなった。笛を持つ右腕もだらんと下がり、立ち上がることも考えたくなくなるくらいだから、想像以上に精神を蝕まれていたらしい。

 溜息を吐き、草の上に置かれた鈍色の笛に触れる。遠くから見れば真新しくも見えそうだが、こうして近くでまじまじと見ると、使い古されて年期が入っているのがわかる。この笛こそ木製だが、漆やら様々な染料で染められている所為で、見た目は奇抜……もとい、カラフルだ。生まれた時から音に囲まれ、音と共に育ってきたが、興味というものは底なしのようで、今でも理想を追い求めている。

 最近になって行き着いた一つのヒントは、「子供が生み出す音」だということだ。大人はどこか疲れていて、寂びた風情を匂わせる。油をさないと枯れてしまいそうな、高貴だけど汚れきってしまった花なのだ。その反面子供は、世間の煩わしさを知らないのか、純粋な楽しさと嬉しさで、空気を振動させてくれる。そうして耳に届く幸せを求めて旅をしてきたが、まさかここで新たな興味を抱かせられるとは思ってなかった。


 笛を再び手に取り、そっと唇を付ける。ひゅるり、と秘愛じみた音が出た。全てを其の音に委ねたくてそっと目を閉じると、瞼の奥に眩しい星のひかりが見えた。手を伸ばしても届かない位置にある、桃源郷の姿をした堕落の世界を求めるように、細い綱のような木の筒に息を吹き込める。

 からだ周辺を取り巻く全ての空気がまって、眼球の奥に鈍い痛みが走る。耳と指先のザラついた感だけに全神経を集中させていると、ひたひたと後ろからいわを優しく踏む音がした。

 唇を離し、おそろしげに振り向く。そこには、あの魔声の少女が居た。 

「どうしたの、眠れないの?」

「……呼ばれた気がしたの」

 少女が意味有り気な微笑を浮かべる。茶色い長袖のボレロと、その下に着た橙のワンピースがいたずらに揺れている。

「座ってもいい?」

 吸い込まれそうなくらいに腹黒い夜空を見上げながら、少女がそう尋ねた。

「いいよ」

 そう答え、腰を少し浮かせて横にずれる。すぐ隣で岩壁に寄りかかる彼女からは、やはり良い薫りがした。

 少しだけ脈が早いのを感じながら、気を逸らすように目を強く瞑り、笛に口を付ける。最初だけ息が強くて音が外れたが、それからはいつも通りを装って吹くことができた。

 途中で薄目を開けて少女の横顔を見たが、視線は秋空に向けられたままで、たなびく紫の雲とその隙間から存在を誇張する星たちを眺めていた。二度目に彼女を見たときは視線がばっちり合ってしまい、顔が熱くなるのを感じた。口元に力を入れてしまいまた音が外れたが、何事もなかったかのように吹き続けようとする。だが、彼女の笑いを堪えた上品な息遣いと妖しげな微笑みが頭から離れなくて、彼女と逆方向に顔を向けたが、火照りは一向に冷めなかった。


「素敵な音」

 何かを願うような旋律を浮かべた後、少女は小さく手を叩きながら笑った。

 名前は、と尋ねると、少女は髪を指先で弄りながら、

「わたし、死ぬんでしょ? そんなこと聞いたって意味ない」

 草に乗った頭の影を見て、そう言った。

 それもそうかもしれないが、どうしてもこの疑惑を生み出す魔女の構成するものに触れたかった。真核とまでは言わない。呪いの込められた指先だけでもいい。そう願ってしまうほど、彼女の魔力は漠然としていて、強烈な存在感を誇張していた。

「そう、かもだけど」

 圧倒的ななにかに襲われ、そう搾り出すのが精一杯だった。

 少しだけ身じろぎすると、少女は軽くため息をついて口を開いた。

「……ユリア」

「へっ?」

「ユリア」

 いきなり出された固有名詞に、声が出なくなった。

 説明など要らなかった。ただ、その三文字の威力が絶大で、この身の運命だった音を奪ったのだ。


「どうしたの」

 草を掴み、身を乗り出すようにユリアが近づいてきた。大きく心臓が動いたのがわかったが、悟られまいと彼女から視線を逸らす。

 相手はまだ年端もいかない子供だ。この状況でそんな女の子に手を出すなど、道理的に如何なものであろうか。ストックホルム症候群か、そうなのか。いや冷静に考えても見れば逆だろ、普通に。というか、立場的に。

 笛を草の上に投げ、頭をがしがしと?く。あぁぁと呻いていると、手首を掴まれた。

 半分恥ずかしさと嬉しさ、残り半分は驚きながら、彼女を見やる。ユリアは視線を合わせないまま、少し骨ばった大きな手を、自分のそれと重ね合わせた。

「あったかい」

 そう言って掌を離し、もう一つの空いていた手でこの手を包み込んだ。

「どうしたの?」

 不自然な感じに、声が上ずる。

「お母さんのあったかさに似てる」

「お母さん?」

「もういないけどね」

 祈るように目を瞑るユリア。禍々しくも神々しくも見えるその姿が眩しい気がして、少し長く瞬きをする。

「……ごめん」

「おうちにね、いるんだ。弟がね。まだ赤ちゃんなんだけど」

 何でも無いように苦笑が浮かべられる。

「もう、会えないけど」

 すっとユリアが手を離し、行き場がないように彷徨わせる。熱の引いた平を見つめてから顔を上げると、彼女が夜空に手を浸しているのが見えた。

「笛吹さん」

 ユリアが振り向く。透き通った鳶色の中に、濁ったカラフルな光が見えた。

 引き寄せられるように、自然とおでこをくっつけると、じわっと温い、だけど心地良いような人肌の感覚がした。少しだけ上目で彼女を見ると、長いまつげ少しだけ濡れていた。悪魔みたいな優しさを秘めた艶やかさが、脳裏を刺激する。

 それからじっと目を凝らして彼女を見ると、ぶつぶつした若い子特有の赤い面皰にきびが見えた。よく見ると唇もかさかさだし、確かに可愛いけど、美少女ってカテゴリに押し込んでしまうには何かが違った。


 ゆっくりと身を離すと、衝動的に乱暴な手つきで、でも自然と笛を掴んだ。それから草を散らし立ち上がると、いきなりの行動に驚いたのか、はらはらと舞う小さな緑の奥に、ユリアの怯えた顔つきが見えた。

 心臓で第六感を感じながら、心の奥深くを抉る感情に身を任せる。目を瞑ってしまう前に、彼女の顔を見る。

 ……見ていて。

 そう音もなく呟いた。


 堕ちるって、こういうことなのだろう。そんなことを考えながら、小さな未来を奪ううたを紡ぎ始めた。



**


 嘆くような朝が来た。

 不自然に大岩で塞がれた洞窟から、鼻をつく鋭い鉄の薫りが匂う。そんな血を吐くような悲鳴合唱と、塞き止められないほど溢れる涙の洪水に塗れて、音が薄汚く濡れていた。


 ユリアが口元を手で覆い、息を呑む音が聞こえた。深碧色の艶が白を反射して、小刻みに震えている。彼女の髪を指の隙間で感じながら、壊さないように、後ろから小さな背中を抱きしめた。彼女はしゃっくりをあげながら、でも戸惑ったように強ばりながら、小さな手でサイケな服の袖を掴んだ。そしてそのまま埋もれるように、腕の中に顔をうずめた。


 しばらくそのまま動けなかったが、小さな肩を持ち、身をゆっくり離す。ユリアが、どうしたの、と言いたげな表情で――頬や目元は涙で濡れ、顔はぐしょぐしょだったが――見上げてきた。


「おうちに、帰りな」


 溺れるほどに溜めた想いを抑えるように、れた茶の混じった草原をきつく見つめる。

 揺らぐ視界の隅で、ユリアがこくんと、小さく頷いたのが見えた。




***




 ――13世紀、ドイツの街・ハーメルン。

 古びた家の立ち並ぶ閑静な住宅街に響く、朝の石畳を叩く足音。ぎぃ、と響くさびた音と共に、元気な少女の声が冴え渡った。

「ただいまぁー!」

「ユ、ユリア!?」

「お母さんっ、ただいま!!」

 少女は玄関先に出てきた婦人に向って飛ぶと、ぎゅっと強く抱きついた。


「でも、どうして……あんた、あの鼠捕りに連れてかれたのに」

 婦人が涙ぐみながら、少女の頬を引っ張る。現実か夢か、未だに信じられないようだ。

「ふふふ、それはね」

 少女はにへらと笑いながら、意地の悪い笑みを浮かべた。



まほうをかけたんだよ」



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