アルラロード・フォー ~四国に生まれ育った君へ~
私の名前は愛香高徳。高知に生まれた私は小中を愛媛で過ごし、香川の高校に通い高知の大学を経て、徳島の会社に就職しました。
生まれの高知県は母方の祖父母が住む地であり、太平洋の水平線を見渡せる地に家があります。その眺望は大変美しい物でした。それに憧れ高知で仕事を探すも殆ど仕事がなく、残念ですが徳島の方で就職しました。なので今は徳島で一人暮らしをしています。どこかの都道府県魅力度調査に於いて、常に最下位である茨城にもこの分野で負けているのは正直納得出来ませんが、こればかりは仕方ないのでしょう。
高知と言えばカツオが有名でしょうか。確かに祖父母の家に行くと必ずカツオが出てきます。はりまや橋もありますね。いわゆる3大ガッカリ観光地として有名で、確かに観光地と分からない程にこじんまりとしています。それは私も同感です。あとは桂浜でしょうかね。とはいえ単なる砂浜。せめて真っ白い砂浜であれば良かったのですが、どちらかといえば黒っぽい砂浜です。残すは坂本竜馬ですが、高知で坂本竜馬と言えば高知を捨てた裏切り者扱いです。他の地では英雄的扱いをされている話を聞きますが、高知ではそんな扱いです。
他には何がありますかね……。カツオ、坂本竜馬、はりまや橋に桂浜。よさこい祭りに四万十川。あと高知城なんて物もありますが、知ってる人は少ないんでしょうねぇ。それらを目当てに高知に来る人は実際どれ位いるのでしょうかね。香川であれば東京から直通で来れる電車もありますが、高知へは乗り継ぎが必要です。線路は続いているけど直接高知に来る事は出来ず、まあ岡山で乗り換えが基本ですかね。
一応東京から高知駅までの高速バスもあったかな。陸路を通っての10時間コースという所ですかね。陸路で四国に来るには総称して本州四国連絡橋と呼ばれる橋を通る事になります。徳島県鳴門市に繋がる明石海峡大橋、香川県丸亀市付近に繋がる瀬戸大橋、愛媛県今治市に繋がる瀬戸内しまなみ海道。その3本のルートがありますが、四国4県で高知だけが直接繋がっていないのが悲しいです。まあ、地理的に繋げるのは難しいですけどね……。
直接空路で来る事も出来ます。空港名は高知龍馬空港です。外の人には分かりやすいかも知れませんが、高知県民からすれば「裏切り者の龍馬を関する名前ってどうなの?」という気持ちもあるようで、良いかどうかは微妙な所ですね。
高知以外では愛媛県。愛媛と言うとやはりミカンでしょう。それと道後温泉。市営の道後温泉本館の建物はとても良いのですが、やはり近代の街に囲まれたその建物は遠目で見ると違和感が拭えませんね。京都みたくビルに囲まれた寺の様に違和感があります。周りを山とは云わずとも緑に囲まれていれば、より風情を感じる事が出来るのだろうなと思うと少し残念です。とはいえ中に入れば気になりませんけどね。あとは今治タオルですかね。まあ、私は安物しか使わないので買った事はありませんが。
香川県だと、やはりうどんですかね。丸亀市はうどんのチェーン店の名前でも良く耳にしますね。後は小豆島ですかね。映画の舞台にもなりました。
徳島県と言えば阿波踊りですね。あとは鳴門海峡。それと「かずら橋」ですかね。植物のつるを編んで造られた吊り橋です。そんな所ですかねぇ。
私は殆どを四国で過ごしました。稀に対岸である兵庫や大阪へも行きます。大阪の様な都市に憧れはありますが、やはり四国がいいです。瀬戸内海は良いですねぇ。まあそれは本州側からも見えますけどね。何がある訳でも無い桂浜も良いですね。そこから見える水平線が恋しくなります。まあ、水平線が見える場所は沢山ありますけどね。とりあえず、みなさんも四国、特に高知へおいでください。
それは誰もが閲覧可能なネット掲示板に投稿されていた物。それを偶然目にした私には、いくつかの思いが巡っていた。
1つは四国の事を想ってくれていた者の存在を嬉しく思う気持ち。そしてもう1つは、私達のやってきた事が無駄では無いと、守るべき者達が存在するという事を再認識させてくれた事への感謝の気持ち。そして最後は、今後その四国を戦いの場へと導く事を赦して欲しいという申し訳ない気持ち。それらの気持ちが私の中を駆け巡っていた。
今から数百万年前、地球では星間戦争と呼べる戦いが行なわれていた。とはいえその戦いは相手の星による地球侵略が目的では無く、ただただ破壊だけを目的とした戦いであり、現代で言う「ミサイル」と呼べる武器による超遠距離攻撃だけの破滅的な戦い。相手の見えない、敵その物が何なのかも分からない戦い。その戦いは決着が付かないまま、停戦交渉等の何らの話し合いも無く突然にして終わった。
当時地球には浮島とも呼べる移動可能な超巨大戦闘要塞が9つ存在した。アルラロードシリーズと呼ばれたそれは「アルラロード・ワン」から「アルラロード・ナイン」と呼称され、「アルラロード・フォー」と「アルラロード・ナイン」、それと「アルラロード・ワン・トリプルゼロ」の3つを残し、他のアルラロードは全て海の底へと沈んだ。その際は微細と言える程に破壊された事で海の藻屑と消え失せ、海底をくまなく探したとて、その痕跡は一切残っていない。
傷付きながらも残った3つのアルラロードは現代に於いて「日本」と呼ばれる陸地へと移動した。そして橋頭保を築くかのようにしてそこに留まり身を沈め、長い時をかけて半島や本州等と呼ばれる程に、その場に根を張り一体化した。
現代に於いて四国と呼ばれるそれは、かつて「アルラロード・フォー」と呼ばれた超巨大戦闘要塞であった。九州は「アルラロード・ナイン」と呼ばれ規模はアルラロードシリーズに於いても最大級を誇っていた。そして千葉県は房総半島と呼ばれるそれも、「アルラロード・ワン・トリプルゼロ」と呼ばれる戦闘要塞であった。
アルラロード・ナインは攻撃を受けた跡が今も見て取れる。長崎に小島が多く見られるのは攻撃を受けた跡である。そして有明海、島原湾、八代海、鹿児島湾に志布志湾、そして別府湾は大規模攻撃を受けた跡でありクレーターである。かつてそこは全て陸地であったが、攻撃を受けた為に辺り一面が消失し、アルラロード・ナインが今の地に橋頭保を築く際、数十メートル海底に沈んだが為に、今の様な地形となっている。
アルラロード・フォーこと四国も主に西側、愛媛と高知の西側に多大なる被害を被った。愛媛県の西に位置する佐田岬が、鋭利な程に細い地形になっているのは大規模攻撃を受けた跡でもあり、偶然残ったとも言える地である。そこから南も攻撃の跡が良く見てとれる。宇和海や内海、宿毛湾も大規模攻撃の跡であり、由良半島は佐田岬同様に偶然残った地である。そしてアルラロード・ナイン同様、そこに根付く際に数十メートル海底に沈んだが為に、今の様な地形となっている。
トリプルゼロこと千葉県に於いても同様であり、現在の館山湾はそこに大規模攻撃を受けた跡である。そのすぐ近くの富浦付近も攻撃を受け、大房岬は攻撃を受けた名残である。
他にも「ノルト・イスカール」という要塞が存在した。アルラロードシリーズの前身とも言えるそれは各種試験用に建造された要塞だった。現代で言う日本海に於いて、満身創痍になりながらも過酷な試験に最後まで臨み、アルラロードシリーズが就航した後に放棄された。そしてそれに乗艦していた全てのクルー達は皆、アルラロードシリーズへと移乗した。
戦闘には参加する事無く生涯を閉じたノルト・イスカールではあったが、過酷な試験へと臨んだ結果、アルラロードシリーズ同様に傷つき2度と動く事は無い。放棄されたような状況もあってか、ノルト・イスカールという存在そのものを知る者も少なく、現在の石川県は能登半島、それがノルト・イスカールという要塞であった事を知る者は殆どいない。
規模の大きさ故か、要塞毎に異なる言葉遣いが存在した。それは俗に方言と云われる物である。現代の高知弁に於ける「~ぜよ」「~ちゅう」「まっこと」というその方言は、厳密には高知弁ではなくアルラロード・フォー内の方言であり、その言葉を遣う物はアルラロード・フォーの末裔である事を意味する。同様に、「こがんと」「そがん」「どがん」といった長崎弁はアルラロード・ナインの末裔である事を意味し、それらの方言は九州全体に広がってもいる。
千葉県に於いては方言と云った物が無く、ほぼ標準語であるのには理由がある。現在の千葉県であるアルラロード・ワン・トリプルゼロは2代目の要塞であり、アルラロードシリーズに於ける最新鋭戦闘要塞であった。初代アルラロード・ワンは見る影もなく海の藻屑と消え去り、その後を継いで建造されたのがトリプルゼロである。ナインやフォーより大幅に小さいのは最新鋭という事もあり小型化されたという事もあったが、要塞人員の不足も理由の1つである。トリプルゼロが出来た際、要塞人員は他のアルラロードから集める事になった。だがそれによってそれぞれの方言が混じり合い、当初は混乱が生じた。それを解消する為、トリプルゼロ内での統一言語が定められた。要塞内において「標準語」と呼ばれたそれは、後に江戸と呼ばれる地へと伝わり、それが現代の標準語の基礎となった。故に千葉ではあまり方言という言葉は存在しないのである。
アルラロードシリーズは戦闘要塞であったが、他にも後方支援要塞が2つあった。主艦「キール・ワークリヤー」と助艦「シズール・ハルコネイズ」という2つの要塞。それら2つも現在の日本へと向かって移動し、そこに根を張りそのまま大地と化し、本州と呼ばれる大地の一部となっている。
シズール・ハルコネイズは静岡県の伊豆半島と呼ばれている。そこに根を下ろした直後から要塞機能を喪失し始め、現代に於いては全く機能していない。
和歌山県は紀伊半島。現代に於けるそれがキール・ワークリヤーである。数百年前までは機能していたが、以降は完全に要塞としての機能を喪失している。機能していた間は人を寄せ付けないようにする必要があった為、熊野三山や高野山等、寺社仏閣や宗教を以って聖地化し、キール・ワークリヤーへ訪れる道を制限する為に海岸線か熊野古道と呼ばれる道以外、人を通らせないようにもしていた。とはいえそれも昔の話。今では要塞機能を消失しているが為に、そういった措置は特に取られていない。だが長きに渡って聖地化してしまっていたという事もあり、現代に於いてもその聖地化は解かれる事無く続いている。それが現代にもに影響し、和歌山県の交通インフラ等が他県と比べて貧弱なのはその名残りとも言え、海岸線を中心に発達しているのはその所為でもある。
四国に流れる四万十川等の河川、その水はアルラロード・フォーに於ける生活用水でもある。以前、四万十川にダムを造る計画が持ち上がったが、自然保護の観点から反対運動が起き頓挫した。だがそれはアルラロード・フォーの末裔による要塞保守といった側面もあった運動でもあり、アルラロード・フォーの生活用水を守る目的でもあった。丁度ダム予定地がアルラロード・フォーの取水場所より上流であったが為に、要塞への影響を懸念しての運動でもあった。そして今も四国の各河川の水は常にアルラロード・フォー要塞内へと流れている。現代の高知県で水不足が多発するのは、アルラロード・フォー要塞内で水を大量に使用しているからである。
そう、アルラロード・フォーは現代でも機能している。そして四国に永続的に住む者の殆どがアルラロード・フォー要塞の乗組員である。そのアルラロード・フォーへの入口は元々108ヵ所存在したが戦闘により20か所ほどが喪失し、現在残っている入口は88か所である。これは俗に言う「四国88箇所巡り」と同じであり、その寺の実体はアルラロード・フォー要塞への入り口である。そして常に有事に備えてアルラロード・フォーを今でも維持し続けている。それが数百万年続いている。皆それが動かない事を祈りながら……。
だが平和は突然にして破られる。いよいよ要塞を動かす時が来た。数百万年前に対峙した姿も分からぬ見知らぬ敵が動きだした。既にアルラロード・ナイン、アルラロード・ワン・トリプルゼロは機能を喪失し動かす事は出来ない。そこへの入口も完全に閉じられ埋もれている。後方支援要塞であるキール・ワークリヤー、シズール・ハルコネイズも完全に機能を喪失し2度と動く事は無い。
この地球で動ける要塞はアルラロード・フォーのみ。だが秘密裏に設備の維持管理はしていたものの、数百年万年という長い間動いていないその要塞が戦闘に耐えうるのは恐らく1度きり。たった1基の要塞で対峙しなければならないのは心許ないが、だとしても是非も無し。
私の家は代々アルラロード・フォー要塞指揮官を務める役回りを持っている。通常は四国霊場第31番札所である竹林寺の住職として過ごしている。前住職であった父も要塞指揮官であり、私が住職と共に指揮官を継いだ。そして今、私は竹林寺地下150メートルにある中央管制室のモニター越しに、アルラロード・フォー全体、四国全体、そして本州や九州といった周囲を見ていた。結局私は四国を出る事無く今までを過ごしてきた。指揮官となる為、外へと出る時間も無かった。だがそれが私に課せられた使命。そして今、それを果たす時がきた。
「アルラロード・フォー、総員戦闘態勢発令」
要塞指揮官である私の号令により、アルラロード・フォーの乗組員である四国4県の県民へと一斉にそれが伝えられる。以前であれば、そういった伝令は乗組員全てが常時携帯している無線通信機で以って行われていたが、現代では携帯電話が普及している事からもそれで以って伝えられている。そして四国の各県民こと要塞乗組員は、その伝令を受けると直ちに平時に於ける仕事を投げ出し、続々と四国に88か所あるアルラロード・フォー要塞への入口へと向かった。そしてそのまま要塞内へと入ると、各々が整然と配置に就いた。アルラロード・フォーは四国居住者のみで構成されているが、常に拘束されている訳では無く、伝令を受けたその時に四国にいない者もいる。だがそれらの者を待つ事をせず、アルラロード・フォーは粛々と起動準備を進める。
「アルラロード・フォー、発進シーケンス、スタート!」
その号令により、本州四国連絡橋と呼ばれる3本のルートは即時通行止めの措置がなされた。そして橋が完全に封鎖された事を確認出来た所で、アルラロード・フォー側の橋の袂では吊り橋のワイヤーがパージされた。それと共に、橋の根元で小規模の爆発が起きた。するとそれらの橋はスローモーションのように海へと落ちていく。電気や通信ケーブルといった本州や瀬戸内海の島々と繋がっていた有線もパージされた。それらが終わるとアルラロード・フォーの全周囲の沿岸で小規模爆発が次々と起きた。その爆発はアルラロード・フォー本体と海底の固着を剥がす為に行われた物であった。それらは幻想的とも言える水しぶきを上げ、地震とも言える重低音を響かせながら四国全体を揺らし、山々で羽を休めていた鳥たちはそれに驚き一斉に舞った。その揺れは因島等の瀬戸内海の小島や淡路島へも伝播し、それらの島々に住む人々は何事が起きたのかと家から飛び出した。その目に映るはアルラロード・フォーこと、四国全体が徐々に浮き上がり始める様子であり、20メートル程浮き上がった四国の姿は、日常的に見ていたそれとは全く別の姿であり、本当の姿。
「発進シーケンス完了!」
「アルラロード・フォー、発進!」
ズズズと重々しくアルラロード・フォーが動き出す。それは大地を揺るがし空気を震わせた。豊後水道に瀬戸内海、鳴門海峡には波が立ち、操業中だった漁船は突然のその波に揉まれ、飲み込まれないよう必死の操船を強いられた。それらの様子を目にした人々は唖然と見ていた。そこにあるのが当たり前だった四国が動いているのを呆然と見ていた。本州や九州側の人々もその異変に気が付いただろう。とはいえ、四国を囲む九州や本州の山陽、そして和歌山といった近隣自治体からはハッキリと四国の姿は見えず、天気が良く空気が澄んでいれば、場所によっては薄らと見えるかもしれないといった程度であり、その異変が何なのか分からず右往左往するのみである事は容易に想像が付く。それも至極当然であり、まさか四国が動いているとは夢にも思わぬ事であろう。
動きだした四国を直接目にしていた誰もが、その四国が地球の運命を握っているとは想像すら出来ないだろう。私達が戦いに臨もうとしているとは誰も気づきはしないだろう。それは四国というアルラロード・フォーの人間しか知りえない事だ。多くの人はそれをただただ珍しそうに動画に取りながらはしゃぐか、若しくは呆然と見つめるだけであろう。それで良い。これは私達に課せられた使命なのだ。
諸事情によりアルラロード・フォーを去った者もいる。アルラロード・ナインやトリプルゼロ、キール・ワークリヤーにシズール・ハルコネイズの末裔とも言える者達も存在する。九州や本州で異変に気付いた者達の中には、それが何なのかを察知する者もいるだろう。きっとそれらの者達はそこからでは見えないアルラロード・フォーを、祈る様にして見つめている事だろう。
そういった全ての想いを背中に感じつつ、アルラロード・フォーは大海原を東へと向かって進んで行く。最期の闘いの地へと向かって行く。私は司令室のモニター越しに薄らと見える本州、九州と呼ばれる地を見ていた。そして2度と見れないかもしれないその地に対して、もう2度と会えないそれらの者達に対して、1人敬礼で以って別れを告げた。
2020年08月19日 3版 誤字訂正他
2020年03月09日 2版 誤字訂正
2020年03月08日 初版
ちなみに私は四国の人間ではありません。