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盾と矛

作者: 森 直人

1.

 重い空気が支配する闇夜の中。人気のない路地裏では争闘の火花が散っていた。

「突き当たりを左。前方約六十メートルです。」

逃げ惑う影を、高速で追尾するもう一つの影。その速度は人知をはるかに超えていた。

「N7地点にて目標を捕捉。付近にて静止している模様。こちらからは確認できません。」

上空には漆黒のなかで異彩の輝きを放つ、追跡用小型ドローンが飛んでいた。

「待ち伏せか。往生際が良くて助かる。」

「stalker1、間もなく北西より到着します。」

同じく高速で建造物の上を奔走する、人ならざる影。その姿は大きな蜘蛛を彷彿とさせる。

「到着まで待機。十秒後に突入を命じ――――――」

「一人で十分だ。」

「待ちなさいstalker2!」

その警告の甲斐もなく、彼は速度を上げた。細い路地裏ではあるが上には簡易的なアーケードがあり、上空から目視することは叶わない。彼が、角から路地裏を覗くと、居酒屋の看板や植木が散在しているなか、それらを踏み台に店の軒先に登っている目標が居た。おそらく上から返り討ちにする算段であったのだろう。目視は胸ポケットからナイフのようなものを取り出した。それに臆する様子もなく彼は目標に向かって、目にもとまらぬ速さで猛進する。

「はや」

早い。そう言いたかったのだろう。彼は二メートルはある軒先に軽く飛び乗ると、相手に凶器を振り回す暇も与えずに腹部に膝蹴りを入れた。彼の身に着けている漆黒の色をした防具が鈍い音を立てる。

「ぐぬぅっ。」

そんな目標の嗚咽を遮るように、すかさず手首を返し、凶器を取り上げる。バックステップで相手との距離を取り、そのまま脛を使った渾身のローキックを太腿に入れる。その流れるような一連の動作に目標は成す術もなく軒先から転げ落ちる。骨が折れたのか、逃げるどころか立つこともままならない目標をその後難なく拘束した。

「こちらstalker1、目標の拘束に成功しました。」

淡々と報告を済ます彼の傍で、目標は蹴られた箇所を押さえながら金切り声を挙げている。

「今回の命令違反はしっかり本部へ通達します。無論、鷹嶋さんにも。」

「結果オーライなんだからいいだろうが……。」

冷徹な返答に、彼は小さく舌打ちをする。

「やーい。怒られてやんの。」

蜘蛛のように壁に捕まり否、引っ付きながらと表現した方が正しい。アーケードの上からゆっくりと降りてくる人影。

「遅いぞータケ。」

「いやあ、一人で行っちゃったみたいだからいいかなあって。」

ヘルメットを取りながら向かってくる人影。暗闇の中でもニヒルな笑みを浮かべているのが判る。

「まあ、もし何かあっても命令違反した真飛(まっ)()君の自己責任だし。で、そいつは。」

「ロクな武装もさせてもらってない。お仲間は一目散に逃げていったようだしな。まあ、トカゲの尻尾だ、お前は。」

未だに痛みに悶絶している目標を見下ろして彼はそう吐き捨てた。彼もまたヘルメットを外す。まもなくして護送車と警察が到着した。路地裏が一気に明るくなる。パトカーの赤色灯に照らされた二人の素顔は、ともに少年のそれであった。


2.

 西暦2035年。九月も終わりに近付いた頃。木の葉が風に掃かれ、カラカラと音を立てている。東京都に位置する、この私立霞ヶ丘高校では編入手続きが行われていた。

「はあ、この時期に編入ですか。」

「まあ普通であれば認められないのですがね。今回は異例中の異例ですよ。」

校長室に三名。校長と、その生徒を受け持つであろう担任。そしてジャージを着た、いかにも部活動の監督と思しき人物が、長机を囲んで対談していた。

「出身は千葉。もともと母親を亡くしていて、父親も先月他界ですか……。」

自分の事のように悲痛な面持ちをする担任。一息ついて再び書類に目を向ける。

「そして大学生の姉が一人暮らしをしている東京にやむを得ず移住と。なるほど、高校生で急に一人暮らしというのは、時間的にも、精神的にもいささか厳しいでしょうからね。」

「まあ、それだけならばわざわざ我が校に編入する理由にはならないのですがね。」

校長が、ジャージ姿の男性に、藤岡先生と、続ける。校長を除く二人はまだ若く、両者とも三十代前半といったところだろうか。

「ああ、この子はですね。高校一年生にしてバレーボールの全日本ユースなんですよ。確か彼が、バレーをはじめたのは中学二年生頃からでしたが、中学三年生の頃にはオリンピック有望選手にも選ばれています。」

スポーツの名門校でもある私立霞ヶ丘高校。バレー部の監督である藤岡は玩具を買い与えれた幼稚園児のような、嬉々とした表情を浮かべていた。

「ああ失敬。不謹慎でしたね。」

自身の頬に拳を当てながら、藤岡は上がった口角を元に戻した。

「全日本にオリンピック……ですか。」

担任は再び書類に目を通す。そこには身長186センチと記載されていた。確かに高校一年生にしては破格のサイズである。しかし、スポーツの名門校である我が校には190センチを超える生徒も数人在籍しているため、さして驚くほどではなかった。藤岡はその思考を悟ったのか、口癖の『ああ』とともに続けた。

「ああ、身長はね、彼のミドルブロッカーというポジションからしてはあまり高い方とは言えないですよ。でもね、彼には相手のプレーが予測できる直感が優れているというかなんというか。スパイクはもちろんブロックが特に冴えていまして、去年の春高でのブロック本数は驚異の――――――。」

「藤岡先生。」

話が脱線しかけていたのを校長が制止する。藤岡はああすみませんと、再び自身の拳を口元に押し当てた。

「まあ何が言いたいかというとね。こんな悲劇の主人公のような彼を、我が校が優遇してあげればイメージアップに繋がるだろうということだよ。藤岡君がいうほどの実力なら、何もしなくとも彼は目立ってくれるだろう。マスコミはドラマチックな演出が大好物だからね。」

絵にかいたような悪質な経営者の隣で、藤岡は苦虫をかみつぶしたような顔をしていた。選手を売り物にするような言い方が気に食わないようだ。

「彼は我が校の特待生として授業料は免除します。自宅から少し距離がありますから交通費も工面するつもりです。」

「編入性をここまで、まさに異例ですね。」

呆然と書類を見つめる担任は彼の顔写真をじっと見つめる。そして備考の欄に、左目の視力が著しく低いと記載されていることに気づく。続けて日常生活に支障は無いとも書かれていた。第一線を走るスポーツ選手が、目に疾患をもっている話などあまり聞いたことがない。

(……羽牟沢(はむざわ) 直人(なおと)か。一体どんな人物なんだ。)


3.

 朝の満員電車に揉まれ学校に向かう。文字通り人より頭一つ抜けて背が高い俺は、他人の頭皮の香りを直に受け付けないよう、常に上を向いていた。親父が死んでからもう一か月が経った。直後は飼いたてのハムスターのように大きな図体で部屋に籠り切っていたが、友人や姉の理不尽な暴力によりこれまで通りの自分を取り戻すことが出来た。とはいえ新天地に初の転校、初の顔合わせ。やや陰鬱な心持で登校する。駅から学校に向かうまで、あんな人いたっけ、と似たような旨の言葉がこだまする。左目の眼帯を隠しながら、競歩選手並みの早歩きで、俺は私立霞ヶ丘高校に向かった。


 やはり有名私立高校は設備が充実している。この迷宮の地図を頭に叩き込むだけで残りの二年間を費やしてしまいそうな、そんな予感さえする。とにかく部屋が多い、フルーツバスケットをするためだけにあるような不思議な教室も見かけた。一体何に使うというのだ。かろうじて職員室までの道のりは覚えていたが、その道すがら、多くの教員から激励を受けた。それと同じくらい眼帯について触れられた。いっそ外してしまうかと思うが、また以前のように脳がパンクして倒れ、文字通り、痛い目を見るよりは寸分ましである。今日は調子が良い。

「ああ直人君!」

彼は俺がこれから所属するバレーボール部の藤岡監督だ。手続きの際、何度か顔合わせしたことがあったが、心技ともに理想の監督である。開口一番「ああ」というのが特徴だ。彼はわざわざ朝練を放棄して俺に会いに来たようである。

「おはようございます監督。」

何かと肩書の渋滞している私に監督と呼ばれたのが嬉しいのだろうか、彼は屈託のない笑顔を浮かべていた。非常に素直な性格をしている。

「ああ彼が担任の岡木先生だよ。」

「おはよう。」

岡木のイントネーションは岡木だが、藤岡監督のいう岡木はどう聞いてもおつまみのオカキを指している。肝心の岡木先生だが、生真面目で肝が据わっており、良い教師特有のオーラというものがひしひしと伝わってくる。前の学校での恩師よろしく、何か通ずる部分がある。

「おはようございます。」

「とりあえず同じ学級の生徒を簡単に説明するから入りなよ。その方がスムーズに溶け込めるでしょ。」

俺は岡木先生に続いて職員室へ入った。初めての転校であるために、他の教員がどのような対応をするのか想像がつかないが、少なくとも生徒の簡易的な情報を共有してくれるこの岡木という担任は信用に値する。情報とは家族と金に続いて大切なものなのだ。


「じゃあ編入生を紹介するぞー。」

岡木先生の滝のようにあふれ出る情報地獄に目を回していた俺は、気づけば廊下に立っていた。このサプライズのような演出は一体何なのだろうか。教室の中の面々は十中八九、それぞれの好みの人物を想像していることだろう。俺は美男子とは言えないが、美男子でないとも言えない。低俗な言葉を用いるのであれば、中の上といったところだろう。しかし俺は妄想の世界を土足で踏みにじることになる。まさか眼帯をつけた男性が好みという変わった人間も中には居るのであろうか。いや、居ないだろう。居たとしても全く嬉しくない。今気づいた事だが、教室のドアまでもが自動ドアである。これでは黒板消しを好きな子の頭に落とすことが出来ないではないか。ドアが透明ゆえに先ほどから手前の男子生徒と目が合うのが何とも決まずい。とりあえず眼帯ははずして入ることにした。

「どうもー」

老後の趣味で漫才をやっているおしどり夫婦のような弱弱しい挨拶で、俺の新たなスクールライフは幕を開けるのであった。


「うおおっ背高っ!」

「絶対バスケ部じゃん!」

第一印象は悪くないようである。「ちょっと格好いいかも」という小声が耳に入り、すかさず俺は渾身のガッツポーズを心の中でする。この学校は部活動が非常に盛んなスポーツ校であるのだが、文武両道をモットーに、それなりの偏差値を要する進学クラスが存在する。

「では自己紹介をどうぞ。」

ポンと岡木先生が俺の背中を叩く。

「羽牟沢 直人で――――――。」

「ハムざわ!?」

「ハムってよ!ハム!」

「バレーボール部に入部するつもりです。」

「ぜったい前世ハム屋さんじゃん!」

「よろしくお願いします……。」

「お前らうるさいぞ。いい加減にしろ!」

俺の荒れ狂った自己紹介は、岡木先生の怒号で幕を閉じた。このハムいじりは毎度の事だが、多量の精神的カロリーを消費する。進学クラスではない、この猿のような猿たち率いる一般クラスは部活動で結果さえ出せればそれでいいのだ。と、岡木先生が申していた。

「じゃあ眼帯付けますね。」

教室が一気に閑散とした。左目から入る情報量が多く、頭痛がしたというわけではない。烏滸がましいことに、もう一段上からウケを狙おうとしたのである。

「……あの本当に目が悪くて。」

「直人は生まれつき左目の視力が弱いんだ。長時間にわたって左目を酷使すると最悪倒れたりするらしいから。みんなも理解をもって接してやってくれ。」

この気まずい空気を察したのか、すかさず岡木先生がフオローを入れる。「そうなんだ」と生徒たちは誰一人として笑っていない。穴があったら入りたい。この時ばかりは眼帯にすべてを包んでほしい。そう思った。その後、俺は黙って席に着いた。


4.

 午前中の授業を終え、昼休みに入った。転校してから初日の昼休みとはここまでアウェイなものなのか。廊下から「中二病」やら「痛い」やら心無い言葉がたびたび聞こえてくるが、俺に向けられたものであるはずがないと何度も自分に言い聞かせ、黙々とカレーパンを貪り食っていた。いっそ体育館でボールとじゃれ合っている方が楽なのではないか。そう思い席を立とうとした直後。

「ハム太郎、絶賛ぼっちじゃん!」

「失礼しまーす。」

男女二人組が教室に入ってきた。彼らが入ってきた途端に教室がしんと静まり返った。例の自己紹介のほどではないが。少なくとも二人はこのクラスの者ではない。

「ええと、誰。」

聞いたというよりは、予め知っていたというような態度だ。俺はそんな素朴な疑問をぶつけた。

「私は芙喜子(ふきこ)だよ。こっち真飛(まっ)()。私もハム太郎って呼んでいいかな。」

「ハム太郎はダメだろう……。」

一見、落ち着いた様子で韻を踏んで見せた俺の心臓は、激しく脈を打っていた。彼女は透き通るような白色の肌をしていて、目鼻立ちに至るまで甲乙つけようがない。この世のものとは思えない、まさに絶世の美女である。しかし教室が静まり返ったのは、彼女が入ってきたからではない。

「羽牟沢。ヴェルデさんがお前を呼んでる。放課後また来るから教室で待ってろ。」

真飛覇という少年の身長はおそらく175センチに満たない。顔はなかなかの二枚目であり、恰幅が良いためか実数値よりも大きく見える。体重は案外、俺と大差無いのかもしれない。そして気づけば彼の周りからは段々と人が遠ざかっていた。彼はいったい何者なのか。

「フーちゃんと下校するというのは吝かじゃないが……ヴェルデ?誰だそれは。」

「フーちゃんって。」

クスクスと笑う芙喜子さんを横目に、真飛覇の機嫌はいっそう悪化した。

「てめえ、しらばっくれんな。サキさんから話聞いてねえのかよ!」

俺の机にドンと足を乗せる。()()とは姉の名前だが、一向に話が見えてこない。それどころか、話を進めれば進めるほど謎が深まるばかりである。しかし姉の名前を出されたからには無視することはできない。

「分かった。俺は部活があるから、それ以降でいいならついていってやる。あと足をおろせ。」

「そうだよ。みっともないからやめなー。」

ポケットに手を入れながら、頬を軽く膨らます芙喜子さん。

「じゃあ私たち自習室で待ってるね。部活が終わったら連絡して。これ私の連絡先だから。」

といって携帯を差し出した。我が校では、授業時間以外の携帯電話の使用は容認されている。まてよ、部活動に所属していないということは彼らは進学クラスだということになる。俺は真飛覇に訝しげな眼差しを送る。まさか。

「待て。芙喜子の連絡先じゃなくて俺のを使え。」

「お前のはいらん。」

そして無事に芙喜子さんとの連絡先交換を終えた俺は、嬉々として二人を見送った。別れ際、冷静になったのか真飛覇は表情を整え、俺の眼帯を指差しながらこう続けた。

「お前、未来が見えるんだってな。」


5.

一日目の授業を終え。藤岡監督の指導の下、バレー部の練習に勤しんでいた。無論、眼帯は外してある。強豪というだけあって、紅白戦のレベルから段違いであった。俺の左目は、未来が見えるなんて大そうな代物ではない。相手の動きがコンマ数秒先に見える。それだけのことである。センターからの速攻。スパイカーの動きを先読みし、インナースパイクを真下に叩き落す。

「まじかよ……。」

周囲から感嘆の声がする。しかし、この目について話をしたのは親父と姉くらいのものだ。そのとき親父は何か事情を知っていそうな素振りを見せたが、それ以降この件について話をすることはなかった。何故、真飛覇がこの目について知っているのだろうか。この日の部活動を難なく終え、芙喜子さんに連絡した。二人はまだ自習室で勉学に励んでいるとのことであった。


例の迷宮を抜け、何とか自習室にたどり着いた。そこには真飛覇が、あの芙喜子さんに勉強を教えている姿があった。

「お前やっぱり、勉強できるんだな……。」

「何言ってんだ。ほら帰るぞ。」

敗北感に苛まれながらも、俺は彼らの後に続いた。


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