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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

人間という存在

作者: 木村刑事

私の人間という存在に対する考えをまとめたものです。

君は人間をどう思う?罪深い生き物?それとも最も偉大な生き物?

私は人間をこう思うよ。


「人間はこの世で最も罪深く、そして愚かな存在であり同時にイレギュラーな存在であると」


何故私が人間に対してこのような感情を抱いたのかを説明しよう。

ふと、ある日、私は思ったのだ。我々人間は他の生き物の生命をもらって生きている。それは、どの生物においても同じであり生き物のサガであると。しかし、人間は他の生物とは圧倒的に違う面がある。

それは、ほかの生物を家畜化しているという事だ。それは植物とて例外ではない。植物も動きこそしないが同じ生命であることには変わりはない。

今人間は自然保護だの動物愛護だの掲げてはいるがそれを作ったのが人間ならば、行わなければいけなくなった要因を作ったのも人間なのだ。人間は人間たちに従順な生物のみを生かし、反抗または従属しない生物に対して殺戮を行う。また、従属はしなくても利用価値があるというだけで一方的にその生命に対して命の冒涜を行う。

ペットなんかはいい例だ。人間に従属している。家畜も似たようなものだ。君の飼っている犬や猫を最終的に食べるか否か、最終的な死なせ方が違うだけである。人間が育て、従属した生物を人間が食らうのはまだいいだろう。さて、人間に従属しない生物に対して人間が捕獲し、食すのは自然界で言うところの狩りであるため何らおかしなことじゃない。しかし、人間による一方的な殺戮。かつての人類は生きるために狩りの道具を作った。しかし、現代の人間は殺すために道具を作る。それは、人間が武器と呼ぶものである。しかし、人間が武器とは思っていないものも実際には他の生物から見れば立派な武器である。

例えば殺虫剤。人間は便利道具のように考えているが虫から見ればそれは殺戮ガス以外の何物でもない。

人間は「命はすべての生物において一つしかなく、みな平等なものである」などと人間が生み出した「言葉」という概念を利用し人間たちの間に広めて命を軽んじてはいないと主張している人間であるが、先ほどの殺虫剤は他の生物の命を軽んじていることを具現化したものである。


例えばの話をしよう。

二匹の親子熊がいました。その二匹は森で静かに鹿を狩って暮らしていました。しかし、ある時その山に人間がやってきてその山の半分を住宅地にしました。山を追われた二匹は半分しかなくなった山で仕方なく暮らしていました。しかし、数年がたったころ鹿がどんどん減って思うようにエサが取れなくなってしまいました。そうです。人間が山を切り崩し、木々をなぎ倒したせいで鹿たちのエサが減り、鹿の数が減少し熊たちに獲物が発見しずらくなっていたのです。そしてある日、思うようにエサが取れなくなった熊は元々住んでいた場所に様子をうかがいに行きました。するとどうでしょう。人間たちの作った畑に山のように食べ物があるではないか。そこで二匹は早速畑に向かいその日はおなか一杯に食事をし、山に帰っていきました。そうして二匹は毎日人間の畑に食事に行くようになりました。しかしある時、食事をしていたら突然母熊の体に電流が走りました。それに驚いた熊は山に逃げてゆきました。母熊が感電した電気は人間の作った罠だったのです。二匹はおびえてしまい山の中でしばらくは鹿を狩って生活することにしました。しかし、二匹は鹿を探しても探しても見つけることができませんでした。

鹿は人間が皮を利用するために狩っておりさらに数を減らしつづけていたのです。そしてついに子熊が空腹を我慢できずに人里に降り人間を襲い、そして人間を食らいました。それに続くように母熊も人間を襲い人間を食らいました。その晩二匹は久しぶりにおなか一杯になりゆっくり眠りました。そして次の日昨晩と同様に人間を食らおうと思い二匹は人里に降りていきました。しかし、人間の姿どころか匂いもしません。二匹は人間を探すため人里の中心あたりまで来ました。その時です。数人の人間がに匂いを消すために泥だらけになった状態で飛び出してきて黒い筒を小熊に向けると何かが破裂するような音とともに子熊の頭がはじけ飛びました。それに驚いた母熊は必至になって森へと逃げました。母熊は子供を殺された悲しみと空腹と子供を失い、子のぬくもりを感じなくなったことによる孤独感で絶望しました。

そして、その絶望が朝になり、子を殺されたことに対する復讐心へと変化していました。

そして、母熊は復讐心とともに人里へと降りていきました。人里に降りるとふと懐かしい匂いがするのに気が付きました。そう。自分の昨晩殺された自分の子供の匂いがしたのです。母熊は子供が生きていると思いそちらの方向へと走ってゆきました。しかし、母熊が喜びを胸に子熊の匂いのする場所へたどり着いたその時、母熊は絶句しました。

そこには大きなクレーンに血を流しながら吊り上げられている自分の子供の姿がありました。

そしてさらに、そこには沢山の人間が昨晩、自分の子を殺した道具をこちらへ向けているではないか。

そうです。人間は母熊をおびき寄せるためにわざと子熊の匂いに母熊が気が付きやすいようにクレーンで子熊の亡骸を持ち上げていたのです。

そこで母熊人間に恐怖と絶望と憤怒をいっぺんに感じました。しかし、母熊の生物としての生存本能が逃走を選び、山へ戻ろうとしたその時です。

人間は逃げようとする母熊に一斉に発砲したのです。母熊はたくさんの人間に一気に撃ち抜かれたことにより一瞬で動けなくなり、意識がどんどん朦朧としていきました。


薄れゆく意識の中、母熊は思いました。「あぁ、なんて人間は非常なのだろう」と。

「人間はいきなりやってきて、我々の家も食べ物もみんな奪っていきやっと見つけた畑の食べ物も食すことができないようにし、食べるものがないから人間を食べるようにしたら人間に一方的に子供の命を奪われ私の息子の死体を弄び、さらに逃げようとした私を殺してこんなに喜んでいる。あぁ、何でこんなことになってしまったのだろう。なんで全てを奪われた我々が死を迎えねばならないのだろう。人間が来なければ鹿が減ることも私たち親子がこんな風に死ぬこともなかったのに…」と。


このように人間が生まれなければ存在した命は山のように存在する。近頃では山の食べ物が豊富だから獣が増えて人里に降りてくるなどと主張している人間もいますが、そもそも人間が山を切り崩さなければ獣たちの生息域がもっと増えて人里には降りてこなかった。

私には熊の気持ちも、鹿の気持ちも人間以外のすべての生き物の考えていることなんてわかりません。

しかし、人間が生まれなければ存在していた命があったことは事実である。

人間は地球温暖化対策や、絶滅危惧種対策、自然を守る活動。様々なことをしている。森を守るために木の根を食らう鹿を駆除する。地球温暖化を止めるために二酸化炭素排気量を減らす。絶滅危惧種を守るために外来種を駆除する。ほかにも様々なことを人間はやってきた。そう、今更になって。


よく考えてほしい。人間がいなければ車や工場が生まれることもなく地球のオゾン層が破壊されることもなかった。人間が全く違う土地の生物をほかの土地に移動させなければ絶滅危惧種なんてものは存在しなかった。人間が生まれなかったらこの世界はコンクリートなんてものに侵食されることなんてなくどこまでも自然の広がる大地があったはずだ。そしたら、鹿が1本や2本の木の根を食べたところで自然がなくなるなんてことはあり得ない。


そう。すべての元凶は人間であるのだ。人間が人間のしりぬぐいをしている。ただそれだけである。

ただ、それにより他の生物の命が奪われるというのはどういうことなのか。人間が勝手に連れてきたのに害があるとみなすと殺される。そこには何千何万何億という命が愚弄されてきたことか。人間は50万年以上という長い時を生きてきた。その間に数々の生物が絶滅した。その大半が気候の変化によるものである。しかし、この長い地球の歴史の中で唯一、数々の生物を絶滅させてきた存在。


それが人間である。

この世界で唯一、生物を絶滅させたことのある存在であり今現在地球を支配しているといっても過言ではない存在であるのが人間。このような存在がイレギュラーでなかったらほかの生物はすべて異常になってしまう。


たった一つのものをひたすら人間の手を一切加えずに作りつづける機械があるとしよう。

しかし、ある時突然本来ならばあり得ない不良品がたった一つだけ出来上がってしまった。ほかのものを調べても他はすべて同じものだった。

今現在の人間という存在は今話した不良品と全く同じである。機械が地球だとしたらば人間以外の生命は機械によって作られた正規品である。

人間は本来地球に生まれる存在ではなかったのではないかと私は考えている。

でなければ、人間だけが言葉を持ち、ここまで大きく進化し栄えることなどありえないと私は考えている。他の生物は言葉を持たず生物の本来あるべき姿を保っている。


これだけ他の生物と人間が違っているのに、これをイレギュラーといわずなんというのか。

これらのことから私は人間は本来、地球に生まれる存在ではなかったのだと考える。


おそらく、人間の中には人間は元からいたのではなく、猿から進化したから人間はイレギュラーでも愚かな存在でも無いという方がいるでしょう。しかし、今現在も猿は存在している。この事実は変わらない。

我々人間の本来の進化先は今を生きている猿だったのではないだろうか?進化の過程で突然変異したものこそが人間なのではなかろうか?そのように考えれば人間がイレギュラーな存在であることが理解してもらえるだろう。

何故、人間だけが言葉を持ちこれだけの発展を遂げ繁栄してきたのか。なぜ人間というイレギュラーが生まれてしまったのか。それは誰にも今後人間が生きている限り解き明かすことはできないだろう。

人間が絶滅した後の他の生き物の進化の過程で人間に代わる第2の存在がイレギュラーとして生まれる可能性もある。そのようなものが生まれたとき、この地球上に生きとし生きる全ての生き物はすべての生物には観測することのできない言うなれば「神」のような存在がいることが証明される。しかし、それは人間として生まれた我々には絶対に証明及び観測は不可能だろう。今現在の人間には。

最後まで読んでいただき誠にありがとうございました。このエッセイを読んで考えさせられたことなどがありましたら感想などをいただけると幸いです。

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