silly talk
私の街にも梅雨が訪れたらしく、土砂降りの窓の外を眺めてみるとまるで私自身がノアにでもなった気分だ。こうして考えてみるとエミネムがどれ程素晴らしいのか分かる。ドグラ・マグラの様な心酔の微笑みにカート・コバーン(或いはコベイン)の危うさを抱えた美しさ。私も彼もフレディには成れないと一概には言わないが其の可能性は極めて低いものであり、明日の朝日を拝む事が出来るのかも怪しいのである。嘗てワイルドが命を失った様に唯誰かを只管に愛すのは難しくゲイであれば尚更であった。今でこそカーラ・デルヴィーニュが明日の灯火を加護しているが間違いなくワイルドは無数に襲い掛かる槍の下に無力にも裸で、布切れ一つ持ち合わせてやいなかった。
「社会主義の死は人類の終わりを意味する」。彼はそう述べたがチェ・ゲバラの様にカリスマ性は無く、スターリンの様に計画性もなかった。ベルリンがひとつになった時、5人の天使が喇叭を吹き始め7つの海は総て血と化した。ヨハネはどうしたかって?サロメの前では唯の骸でしか無かった。タイタニック号も同じことだ。余りに自由を求める故にバベルの塔は崩壊してしまった。例えば、釈迦は蓮の池から蜘蛛の糸を地獄に垂らした事を悔いているだろうか?他人を信じるのはネロ帝の様に愚かではあるが、唯一縷の望みに賭けてみると言うのも其れ又趣きはある。つまりだ、人の愛などと云うものは、握れば確かに其処に在るが掌を開けば指の間から流れ落ちていく所謂「砂」である。幾ら泣き叫ぼうともそこにはもうレノンは居ないしガーディは腰を振ることも無い。その願いは私に別れを告げたあの男の子がゲイならなぁと願ってみるのと同等である。しかし其れは哀しい程即座に否定され、私は独りでシャンゼリゼの夜を歩く。雨が窓を叩く音を聞きながら、私は深い眠りに就きたがっていた。
世界は明後日を迎えていた。
ちなみにチェ・ゲバラのチェは彼の口癖(やぁという意味)から来ているみたい。