絶望、そして始まる孤独
「はあ......」
教会から家への帰り道、俺は陰鬱な気持ちでとぼとぼと歩く。
一歩踏み出すごとに幸福が逃げていくような感覚に襲われて、一歩一歩がとても重い。
何もおかしなことをしていないのに、目線がうるさい。
ひそひそと、囁くような声が耳障りだ。
この世の全てが、灰色に変わってしまった。
俺はチラッと左の手の甲を見る。
そこにあるのは、薄汚れた金貨の模様。
貧困を司る神、ペニア様の【神託】の象徴だ。
そしてこいつが、俺の今後の人生を最悪なものへと変えた。
貧困の神、ペニア。この神の【神託】を授かると、これからの将来では貧困に喘ぐことが確定されているのだ。
店を開けば潰れる、職に就けばクビにされる、裕福な家庭に嫁いだとしてもその家が潰れる。
そんな未来が確定されている【神託】それがペニア様の【神託】だ。
人々からは疫病神と呼ばれ嫌われ、そしてその【神託】を持つペニア様の眷属もまた同様に、忌み嫌われる。
人生の終焉。それをこの歳で味わうとは思ってもみなかったな。
不意にそんなことを思ってしまい、目が熱くなり、涙が溢れそうになる。
「おい、泣くんじゃねえよ」
隣を歩く父さんは俺の方など見ずにそう冷酷に言い放つが、慰めるように頭をわしゃわしゃしてくる。
「......泣いてねえよ!別に、泣いてなんかっ......!」
「はいはい強がんな強がんな。愚痴とか将来のこととかは家でゆっくり話そうぜ。だからほら、泣くんじゃねえよ。男だろ?」
父さんがポンポンと頭を叩き、強めにわしゃわしゃしてくる。
それのおかげか、少しだけ前が明るくなったような気がした。
「......わーったよ」
「ったく、いつもの跳ねっ返りは何処へ行ったんだか......」
「っせーよ......それどころじゃないんだ」
「......はいよ。今日の夜飯はお前の好きなシチューだ。それ食って元気出せよ」
「......おう」
父さんに励まされながら歩いていると、いつのまにか家の目の前についていた。
そして、ドアの前には母さんが出迎えていた。
「おかえりなさい、デニス。その様子だと良い【神託】は授かれなかったみたいね」
「......うん」
「それは仕方ないことよ。神様は私達以上に気まぐれなのだから、私達が望んでいることをしてくれないことだって多いもの。それに当たっただけよ」
「......うん」
母さんの優しい言葉に、最悪の【神託】を得て凍りついた心が溶かされるような感じがした。
心が、暖かい。
思わず涙が溢れそうになる。
「日が落ちかけてるとはいえまだ外は暑いわ。ほら入って。今日はデニスの大好きなシチューよ」
「分かった。ありがとう、母さん」
俺は母さんに迎え入れられ、家へと入った。
「それで、デニス。これからのことを話そうじゃねえか」
夜ご飯も終わり、母さんが食器の片付けをし始めた時、父さんにそう話しかけられて、自室に戻ろうとしていた俺はその場に縫い止められた。
「今日はもう疲れてるんだ。明日じゃダメか?」
「ダメだ。今日話すことに意味がある。ほらそこに座れ」
「......わかった」
俺の懇願はばっさり切り捨てられ、そして放たれる圧から逃れることが出来ず、俺は父さんに促されるままに席に着いた。
「よし、それじゃあデニス。話して行こうじゃないか。お前のことと、今後のことだ」
「......おう」
「まずはお前のことだ。ペニア様の【神託】はお前も知っているように、その者に貧困を齎すというものだ。これはどれだけ努力しても覆すことが出来ない。それは分かっておけ」
「......ああ」
それは知っている。
避けなければならない【神託】として昔から教え込まれていたから。
「そしてそれは周りにまで影響を及ぼす。友人を持てば友人に、家族を持ったら家族に。お前と共に生活すれば、その者達にも貧困を撒き散らすのだ。もちろん、俺らも例外なく巻き込まれている」
「......」
それも分かっていたが、内容が重すぎて俺は頷くことが出来ない。
「そんな末路を抱えたやつを、誰も支えてはくれない。誰も助けてはくれない。孤独が待っている。それが、今のお前だ。把握しておけよ」
「......」
これはもうすでに覚悟している。
覚悟している、というよりもこれのせいで先が暗くなっているのだ。心が軋む。
「これは非常に心苦しいが、俺たちもお前を支えてやれない」
「......なっ」
俺はその言葉に、衝撃を隠せなかった。
荒々しくも慰めてくれた父さん、優しく迎え入れてくれた母さん。
この2人だけは、絶対助けてくれる。
そんな、そんな幻想を抱いていた。
だが、
「支えようとして俺たちが徐々に貧しくなって醜い争いを起こして最終的に潰れるのを、お前は罪悪感なしで耐えれるか?」
「っ!」
父さんのこの一言で、我に返った。
「俺たちは別に構わないさ。職を失おうが金を失おうが家を失おうが、構わない。お前のためになるならいくらでも投げ出そう。だが、自分のせいで俺たちがボロボロになる姿を見て、お前は耐えられるか?」
「.......それは」
「少なくとも俺は耐えられねえ。心に闇を抱えて、最悪首をくくる。自分がいなけりゃこんなことにならなかった、ってな。そんなの、親の俺たちが許すと思うか?」
親しい人、それも家族が自分のせいでボロボロになっていく。
そんなの、俺は耐えられない。
それこそ、父さんが言ったように、俺がいなくなれば、と考え首をくくっていたかもしれない。
確かにそれは、許されない。
だけどそれは、これから訪れる苦痛の数々を一人で受け止め続けないといけないということ。しかも今までに感じたことのないような苦痛を、だ。
誰にも助けてもらえない、誰も支えてくれない、誰も手を差し伸べてはくれない。
文字通り、独り。
それに気がつき、目の前すら見えない真っ暗闇に囚われてしまっていた。
少しだけ先が見えたはずなのに、急に閉ざされてしまった。
誰もいない、何もない、何もできない。
全部俺自身の力でなんとかしないといけない。
そんな未来を想像して、俺は茫然自失となってしまう。
「生きてくれりゃ、その内なんとかなる。だけど死んじまったら、おしまいなんだよ。そんなの、親として許せるわけがねえ。仕送りとか必要なものはある程度揃えてやる。だから、デニス。お前を、追い出させてくれ」
父さんは俺に頭を下げて謝る。
だけど、心には何も響かない。
「挨拶回りとか終わったら、お前はここから出て行ってもらう。それで、次の話に繋がる訳だ」
父さんの声が聞こえる。
だけど、何を言っているか分からない。
音が頭の中をぐわんぐわん反響する。
「お前には2つ道が......」
もう、音すらも聞こえなくなった。
前も見えない、後ろも定かではない。
何も聞こえない、何も感じない。
時間の感覚すら、もう消え去った。
そして気がついた時には、俺はベッドの上で次の日の朝を迎えていた。
•••
「それじゃあデニス。気をつけて行くんだよ」
「分かってる」
【神託】を授かってから数日後。俺は予定通り家を出ることになった。
知り合いへの挨拶回りはその数日間で済ませた。だが、ペニア様の眷属として既に知れ渡っているため、誰もマトモに口を聞こうとしなかった。
仲良い人がほとんど居なかったため特に悔しくはなかったが、アリィの両親が、アリィと俺とが話すことを拒み、別れの挨拶を言えなかったことが唯一の心残りだ。
「ラキドの街に着いたら、もう宿は借りてあるからそこに向かいなさい。そこから先は、お前が決めなさい。冒険者になるのも良し、傭兵になるのも良し。こんなことしかできない親で申し訳ないけど、元気でいるんだよ」
「母さんは気にしないで。ちゃんと生きるから」
母さんは泣きそうな顔で俺を見る。
そこには確かに、深い愛情があった。
とは言っても、俺は少しも心が動かなかった。
何もかも、灰色に見える。
灰色に感じる。
口から出る言葉は空っぽ。
これからどう生きていけばいいのか、まるで分からない。
「それじゃあ、行ってくる」
当てもなく、彷徨いに。
「行ってらっしゃい」
母さんは手を振って、俺をみおくる。
それを尻目に、俺は愛していた我が家に背を向け、歩き出した。
しばらくもしないうちに、後ろでドアが閉まる音が聞こえた。
「おい、あれって......」
「ええそうよ、あと疫病神の......」
「うへえ、亡霊みたいな顔しやがって。こっちまで呪われそうだよ」
道を歩けば、そんな陰口が聞こえてくる。
この街全体に、俺がペニア様の眷属であるということは広まっているのだろう。
皆が皆肩を寄せ合って、ちらちらひそひそと俺を煙たがる。
それすらも、どうでもいい。
煙たがろうが嫌がろうが、俺はすぐにこの街を出て行く。
勝手に騒いでいればいい。
「おい疫病神!早く出てけ!」
「そうだそうだ!お前がいるとみーんな貧乏になっちまう!」
「これでも喰らえ!」
俺のことが子供たちにまで広まっているのか、わらわらと俺の前に立つと、石を投げてくる。
子どもが投げたものなので、ほとんど当たらないが、当たれば痛い。
「......ぐっ」
「やーいやーい!疫病神が苦しんでるぞ!」
「ほらもっとやれー!」
額に投げた石が当たり、思わず苦悶の声が漏れると、子供達は面白がってさらに投げてつけてくる。
石の数も増え、当たる数もどんどん増えていった。
それでも、俺は歩みを止めずに、前へ進んでいく。
「な、なんだよこいつ」
「止まらねえぞ」
「き、気持ち悪い」
そんな俺を見て、子供達は不気味そうな声を上げるが、それを上書きするようにさらに石を投げつけてきた。
だが、それは誤った判断だ。
「おい」
「な、なんだよ疫病神!」
最初はそれなりの距離があったはずなのに、下がらずに石を投げてきていた結果、俺は一番先頭のリーダーっぽ男の子にすぐ手が届く距離まで近づいていた。
「相手を痛めつけるってことは、相手から痛めつけられる覚悟があるってことだろ?」
「し、知らねえよそんなもん!やれるもんならやってみろよ!」
「......そうか」
男の子は生意気な感じで、俺の前にずいっと出てくる。
多分、俺が石を投げつけられても何もしなかったから調子に乗っているのだろう。
だから俺は、男の子の顔面を蹴り飛ばした。
「ガハッ」
男の子は2メートルくらい吹っ飛んで、民家の壁にぶち当たった。
男の子の呻きを境に、静寂が広がった。
『うわああああああ!!!』
ようやく理解が追いついた子ども達は、蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
「お、おい......置いて行くなあ......」
俺が蹴り飛ばした男の子は無様にもそんな泣き言を零して、仲間に見捨てられたことで涙を流した。
そして、俺は何事もなかったかのように歩き出した。
ヒソヒソ声がまた一段と聞こえるようになったが、誰もが俺に話しかけてこないので無視する。
若干視線に殺気が混じるようになったが、誰も行動を起こさない。
きっとそれは、さっきの暴行もあったけどそれ以上に、貧困の【神託】の眷属に関わりたくない、というつもりだろう。
こういう時だけ、役に立つな、と思い自嘲気味に笑った。
そして街から出る門に着くと、後ろから足音が聞こえてきた。
そして、聞き覚えのある声も。
「デニス〜〜!!」
アリィの声だ。
アリィが、後ろから走ってきているのだ。
後ろを振り返ると、パタパタと走り慣れてない感じでアリィが走ってきていた。
そして俺の元に来ると、突然ぎゅっと俺を抱きしめた。
「デニスッ!行かないで!」
俺の胸板に顔を押し付けるアリィは、涙声でそんなことを言う。
「行っちゃダメ!どこにも行かないで!」
今まで聞いたことのない、アリィのわがまま。薄手の俺の服が、涙で濡れる。
「行かなきゃいけないんだよ。皆に、何よりもアリィに迷惑をかけないために」
「デニスがそんなこと考える必要ないよ!こう言うのは、もっと大人が考えるべきなんだよ!それに、ほら見て!」
アリィは自分の左の甲を見せつけてくる。
そこに描かれていたのは、二条の雷光。
最強の神の一角、全能神ゼウスの象徴だ。
「私、ゼウス様の【神託】を授かったのよ!過去に邪神の化身、魔王を倒した勇者と同じ!だから、デニスの呪いだって!」
冷たく、そして奪われるような何かが、俺の中に入ってきた。
「アリィ。気持ちは嬉しいが、それは無理な話だよ」
気がつけば、縋るアリィの言葉を、俺は切り捨てていた。
「全能神、確かにそれは万能の力を持つ。だけどそれは1つに突き詰めたものより劣る。『私』の権能を打ち破れるものではないよ」
「......えっ?」
「それじゃあ、行くよ。元気でな」
「ま、まっ......」
俺はくるりと回りアリィに背を向け、門をくぐった。
ドサッ、と、恐らくアリィが膝から崩れ落ちた音が聞こえてきた。
それを俺は振り返ることなく、鬱蒼と茂る森が遠くに見える道を歩いた。
あの時、俺の口を借りて喋ったのは、誰だったのだろうか。
その疑問は、ふと浮かんで、すっと消えた。
•••
「けけけっ、ようやく来ましたぜ、親分」
「おおやっとか。家を出たって聞いてから思ったよりも時間が経ったなあ」
「きひひっ、どうせ思い残した人と一悶着あったんでしょう?まあどう転がったかは知らんけど、こうしてここまで来ちまってよお〜きひひっ」
デニスの住んでいた街の近く、門から続く道の先の森の中。
怪しげな3人の男が、木の上で卑しい笑みを浮かべていた。
「しかし可哀想なもんだなあ。愛されている両親に、まさか捨てられるとは思ってもいないだろうな、あのボウズは。
「間違いねえですよ、親分。15のガキが親を疑うなんてできないですよ」
「結局は優しい親も、人の子って訳だ」
「そして、その恩恵をたんまりと受けるのが、俺たちみたいな裏方さ」
ギャハハハハッ!と下卑た笑いが、夕暮れ時の森に響いた。