サラは××できないだけ(詠唱できませんっ(嘆)
サラ・ガーランドは、魔法学園切っての才女でありながら、同時に落ちこぼれである。
座学の成績は常にトップ。知にあふれ、その見解は教師から見ても舌を巻くほど。魔力の量も豊かで、完璧な魔力循環と操作ができる。その上努力家で向上心が高く、また驕ることもなかった。学園の教師たちは皆、彼女が入学した時、大いに期待したものである。
だが、彼女には決定的に欠けていることがあった。
初級魔法でさえ、発動できないのである。
教師たちはなんとか、この大魔道士にもなれる資質を持つ少女を助けようと、必死でサポートした。サラ自身も生真面目であったので、なんでも実践した。
結果は絶望的であった。
「『原始の水 腕に集え まりゅく』……あぅぅ、まただぁ……」
私は初級魔法『水球』の詠唱途中でまた噛んだ。
さっき間違えたのはもう少し前だから、少しは進歩しているものの……。いや、していると思いたい。
初級魔法の教科書を眺めながら、大きく息を吐き出した。
魔法学園、2−A教室に私以外の生徒はいない。みんな実技室で中級魔法の練習をしている。ここにはただ一人、初級魔法も発動させたことのない私だけがいる。
この魔法学園に入ったばかりの頃は良かった。
入試は首席。魔力量も、多いと前評判の高かった公爵家の子息に次ぐほどで、伯爵家の三女としてはかなりの快挙。貴族とは名ばかりの貧乏のため、奨学金が貰える特待生枠に大喜びしたものだ。
けれども、さっそく魔法を使うというところになって、問題が発生した。
詠唱で噛むのだ。
「『原始のみじゅ』……うわぁ~ん!」
初級魔法の詠唱は三小節。とても短い。一小節ずつなら発音できるそれを、続けて発音することができない。
魔法は発動に必要な魔力、魔力循環・魔力操作、魔法のイメージと発動するための詠唱が揃えば、発動できる。
私は他の条件はきちんとできているとお墨付き。詠唱だけがどうしてもできない。
「うう……ぐすん。このままじゃ、特待しぇ……」
ひとり言でも噛む私に絶望した。
座学では相変わらずトップの成績なのに、このままでは特待生枠から外されかねない。そもそも、初級魔法も発動できないのに特待生なのは座学の成績のためだ。だけど二位との点差も縮まっているし、座学だけじゃ……。
「ふぇ……やだよぉ……。魔法、もっと、勉強したい……」
私は昔から魔法が好きだった。いつからなんて覚えていない。ただ詠唱から紡がれる、あのキラキラとした魔力の輝き。そこから出現する様々な現象がきれいで、たまらなく惹かれて憧れた。
魔法を使いたくて猛勉強した。ずっと魔法学園に入ることを夢見ていた。
だから入学前から初級魔法五種、中級魔法八種を詠唱・現象ともに諳じることができた。紙と頭の中では。
「今なら特級さえ覚えてるのに。紙になら一ぎょ……んんッ。……一言、一句、間違えずに書けるのにぃ~」
この口が恨めしい。この口と舌さえ滑らかならば、私は今ごろ天才魔道士だっただろうに。
私は教科書を閉じると、そのまま突っ伏した。
「どうしてなの……魔法、魔法、つかってみ、たいよぅ……!」
大好きな魔法を発動させてみたい。それだけなのに。
魔法陣なら一小節唱えるだけでよいからと、課外の教室に押しかけたこともある。特別に教えてもらったものの、『現れ給え』が言えず、発動はできなかった。『顕現せよ』なんかもっと言えない。陣は売り物並に美しく書けるようになったのに、追い出されるように立ち去るしかなかった。
「どーせなら、魔力、少なかったら、諦め、も、ついたのに」
机に伏せたまま、顔を横向きにして目前の手のひらを握ったり開いたりした。
「つかい……たいなぁ……」
私はただただ魔法が好きで、あのキラキラした世界を体験したいだけなのに。
魔力がないなら、それでも良かった。
あるのに、自分の技能足らずで使えないのは悔しくてたまらない。
「仕方ない。今日も早くちゅ言葉……」
本当に挫けそうだ。
図書室で、おかしな棚を見つけたのは偶然だった。
無理やり入れたのだろう。棚と棚を直角に並べたことで、片側が片側の棚で塞がれてしまい、本を取り出せないスペースができている場所があったのだ。
試しに見えている一番端の本を取り出せば、その奥にも本が並んでいて、すわ、禁書か!? と司書に尋ねれば、分厚くて人気のない本を詰め物代わりにしているだけだった。
その本のラインナップにピンときて、借りていくことにした。が、重く難解で数冊にわたるので、結局部屋に持ち帰れず図書室に通うことになる。
時間のある限り図書室に通って数日。
「できるんじゃ、ない? 詠唱、しないで、魔法!」
そう、私の借りたのは、現在では眉唾と言われている『無詠唱』に関する本。古代語で書かれたそれを読み漁り、なんとかヒントを得ようとしたのだ。
そして、一つの仮説にたどり着いた。
早速、実技室……は借りられないだろうから、魔法の実験をしても大丈夫そうな、人通りの少ない庭の端に向かった。
古代語の魔力コントロールの本には、『魔法はイメージだ』というようなニュアンスのことが書かれている。実際現在でもそれは言われていた。明確に発動する魔法を頭に思い浮かべなければならないと。
しかし古代には、より強く鮮明にイメージすれば、詠唱がなくても発動するという考え方があったようで、現在、これは詠唱破棄の技術に引き継がれているとされていた。
だが私の解釈では、これはまさに無詠唱の技術だったのではないか、と考えた。なぜなら古代語の『詠唱がなくても』は『無詠唱』と同じ単語だからだ。
現在、無詠唱は失われた技術だと言われているのは、古代の記述を再現しても、誰も発動できなかったかららしい。
だけど、私は思いついてしまった。
それはもしかして、今現在使われている詠唱を使ったからではないか、と。
古代の詠唱を使えば、発動できるのではないか、と。
「……そう、うまくは、行かないかぁ」
古代語の詠唱を掘り出して『水球』を試してみたが、発動しなかった。古代語では発動するはずの魔法のイメージと言葉が、母国語ほどうまくつながらない感じがする。慣れとは逆の意味でも恐ろしい。
「んー、でもたぶん、考え方は、あってりゅのよねぇ……」
手を顎に当てて考えてみる。
たぶん、古代語の言葉と魔法発動のイメージがきちんと合致すれば、無詠唱は成されるはずだ。
問題は、私が古代語を母国語並には扱えないことである。
「さすがに、古代語の研究者、に、なるわけにも行かないき」
変な噛み方をしたが、天啓が降りてきた。
ある。古代語で、だけど魔法発動のイメージがバッチリと伴うもの。
「魔法陣を、明確にイメージ、するのは、どうだろ?」
魔法陣は古代語を使って書かれている。
その魔法陣を、心の中で思い浮かべ、心の中で発動のための詠唱を唱えるのである。
古代語で言う『現れ給え』の詠唱にあたるのは、『実行』。一単語の詠唱なら、イメージの差異は簡単に修正できる。
私は頭の中に、丁寧に魔法陣を描いた。ぼやけたところの一切ない、精緻な魔法陣。
そして心の中で唱える。『実行』と。
私は、目の前に浮かんだ水の玉を見て、感動のため息をついた。
「で……きた」
初級魔法『水球』である。
水の玉は一定時間浮かんだあと、その場に落ちて地面を濡らした。
「できた……」
私は、『水球』よりずっと小さな水滴を頬から落としながら、ずっとその跡を見ていた。
そして、
「あは、あはははははは!!」
私は笑いながら特級魔法『寒気凜冽氷冠瀑布』を発動させていた。顔を青ざめさせながら見ている人たちがいる事に、全く気が付かないままで。
『魔女』
そう言われた私は、拘束され、家族に会うこともできないまま、まともな裁判もされず、罪人として森に捨てられた。
魔獣の徘徊する恐ろしい森に、手足を拘束され、猿ぐつわをされたままで。
ウソでしょう……?!
馬車から捨てるように放り投げられたショックもあるが、こんな短期間で命の危機に陥るのもショックだった。
命乞いも弁明の機会も無い。
呆然と逃げ去る馬車を見送るしかなかった。
ウソでしょう……。
流れる涙を放置したままで、辺りをゆっくり見回した。
さすが、人の住めない暗黒の場所と言われるだけあって、おかしな魔力の動きだらけで体が震える。
強い魔力はもしかして、魔獣、なんだろう、か……?
ガサガサッ! という大きな音に飛び跳ねる。
振り向くが……何もいない。
ホッと、元々向いていた方に顔を向ける。
そこにあったのは、巨大な影。
「っひ……!」
塞がれた口ではまともな悲鳴もあげられず、青褪めるしかない。
影はのっそりと近寄ると、私の顔に逆三角の鼻を近づけ、クンクンと動かした。
血の気の引いていた顔面から、さらに血液がなくなっていく。青褪めたと自覚していた顔色はきっと、今は白い。
けれど血の気のなくなった頭は逆に澄み渡り、その魔獣らしき巨体を、冷静に観察する。
長い耳、ふわふわの触り心地の良さそうな丸い体。色はバターを溶かしたような金色。薄ピンク色の鼻がヒクヒクと動き、すぐ下の肉厚な上唇がつられるようにぷにぷにと揺れる。
そうそれは、巨大なウサギの姿をしていた。
覗き込んだその目の色は、右がピンクで左がアイスブルー。
宝玉のようなキラキとした輝きは、おそらく魔力。油断なく観察されていると感じて……。
次の瞬間、私の頭はパクリと咥え込まれていた。
呆気にとられる暇はない。
気を遠くに押しやられながら、私は意外と臭気はないな、などとのんきに考えた。
第13回 書き出し祭り 参加作品