呪痕慚愧(ジュコンザンキ
第14回 書き出し祭り 参加作品。
木擦れの音がする。
潜めたいと思えば思うほど、気になるのは自分の呼吸や靴音だけではなかった。誰かがさせたわけではないのに、誰だ、と確認してしまう。
――そんなものよりずっと大きな音がしているのに。
ズズ、と巨きなものを引き摺るような、地面が揺れるような音が響いている。
ような、じゃない。
実際に巨大なものが地面を揺らしながら動いているのだ。僕たちの村の方へ。
そこを這いずっているのは真っ黒な魔物だ。僕たちの村よりも巨大な体を、四つん這いになって進んでいる。腐ったような嫌な臭いの、ネバネバとした粘液をその通り道に残しながら、ゆっくりと移動している。
「無理だ。あんなの、ぼくらだけで」
ガクガクと、体が震える音を鳴らしそうなラフコが涙目をこちらに向けた。
「じゃあどうするのよ。逃げるの?」
「ムトペさんやケインさんに任せるんだよ! 当たり前だろ!」
リュシナもラフコもうるさい。アイツに聞こえるだろ?!
「静かに。アイツに見つかる」
弓を携えたロアが冷静に言うと、またアイツが体を引きずる音だけになった。その間もゼパプイドスはアイツから目を離さない。
ここにいるのは、僕たち5人だけだ。大人たちはみんな村にいる。村のおばばの結界の中に閉じこもって、いつものようにやり過ごすのだ。
だけど、僕らは知ってしまった。おばばはこの頃、調子が悪い。今までのように魔物をやり過ごすことができるかわからない。しかも、今来ているアイツは、今までのヤツよりもデカイし明らかに強そうだ。
だから僕らはここに来た。おばばの結界に当たる前に、ほんの少しでも弱らせるために。
剣に覚えがある僕とリュシナ。村の大人よりも剛力なゼパプイドス。弓の腕が村一番のロア。治癒魔法が使えるラフコ。
5人でチームを組むのは初めてだけど、それぞれの腕はよく知ってる。倒すのは無理かもしれない。でも、弱らせるのなら十分に……
「おい」
それまで黙っていたゼパプイドスが口を開いた。
「アイツ、すでに弱ってんじゃないか?」
ゼパプイドスの指す先、真っ黒なアイツの足は、トカゲのような這いずる動物とは違うように見えた。どちらかといえば猿や僕たちのような……。
「アイツ、あの形。本当は二足歩行なんじゃないか? なのに地べたを這いずってる。弱ってるからじゃないか?」
ゾッとした。アイツ、あの巨大なのが立つのか?
だがリュシナは暢気に言う。
「そっか。なら、あたしたちにだってなんとか倒せるかも」
「な……何言ってるんだよ! 倒すなんてそんな」
二人それぞれの言うことはわかる。
弱っているなら倒せるかもしれない。でも当初の予定通りに弱らせるだけでも……いや、もう弱っているならこのまま動きを観察して見送るだけでもいいんじゃないか。
その考えに、ロアのつぶやきが飛び込んできた。
「間だ」
「あいだ?」
僕はロアがうっすらと汗をかいているのに気がつきハッとする。
「倒すつもりで弱らせよう。とことんギリギリまで。結界に当たったら倒れる。それぐらいまで弱らせるんだ。アイツは……ヤバい」
ヤバい。
その言葉に急かされるように、僕らは戦闘の準備をした。
その後は正直良く覚えていない。
ドロドロの表面のアイツに、ダメージが通っているのか分からなくて、ひたすら剣を叩きつけた。アイツの目には矢がびっしりと刺さり、ゼパプイドスはいつの間にか、練習中だったという拳に炎をまとわせる技を使っていた。リュシナは突き技の剣を連発するけれど、なかなか刺さらず苦労していた。あたりにはずっとラフコの治癒魔法の光が散り続けていた。
そのへんは覚えているのだけれど、細かいことは分からなくて……気がついたら、僕がアイツの頭を割っていた。
ゼパプイドスの拳は真っ黒に変色していて、元の倍ほどに膨れているし、リュシナもロアもボロボロだ。二人ともエルフの血を引いてるからなぁ、村なんかには勿体ないほど美人なんだ。
ラフコは魔力を使いすぎて疲労困憊。僕だって泥だらけのボロボロだ。
だけど、倒した。
達成感に僕らは笑った。
その時。
唸るような不気味な声が響き渡った。
それが今倒したアイツからだとわかって、ものすごくビビる。
「頭、割れてるのにまだ生きてんのかよ」
そう、ゼパプイドスが青い顔でボヤいた瞬間だった。
バリッという音がして、4人の顔に縦傷が走った。
「は」
ゼパプイドスの精悍な顔面がえぐられるようになくなった。
キレイなリュシナの左目とふっくらした左頬が見えなくなった。ロアは右だ。あんなの……治っても跡が残るじゃないか。
ラフコは左頬を血塗れにしたまま泣き叫んだ。なけなしの治癒の光はゼパプイドスに向かう。びくびくと倒れたまま、もう憎まれ口も叩かないゼパプイドスに。
なんだ。どうして。
僕だけが何もなかった。アイツにとどめを刺して、一番アイツのそばにいた、僕だけに何もない。
振り返ったアイツの体は、ブクブクと崩れて真っ黒な地面になっていった。
◆◆◆
「呪痕だね」
おばばに4人の傷を見せるとそう断じられた。
ラフコが倒れるまで治癒魔法を注いだ傷は、ちっとも戻らなかった。ゼパプイドスはとっくに冷たくなっていた。
リュシナの傷もキレイにならない。跡が残るどころじゃない。つけられた傷がそのまま表面で固められたように、えぐられた形で醜い皮になった。他の二人も。
アイツが死に際に呪いを込めてつけた傷らしい。
「なんて性の悪いやつなんだろうね。ザン、お前を恨ませるための呪いだよ」
「恨ま……せる?」
おばばの言葉がわからない。
恨ませる? 恨ませる、ってどういうことだ。
「とどめを刺した、お前だけが無事。そうすることで、本来讃えられるはずのお前を羨む心が歪められる。他の誰かがとどめを刺していたらと、そう思うやつだっているだろうね」
僕は絶句した。
そんな、僕は。
「お前と一緒に行ったあの子達だけじゃないよ。その家族もだ。無事なお前を批難するだろう。何も悪くないお前をね」
「……」
リュシナと、その家族の顔が浮かんだ。アイツを倒しに行く前の、キラキラした4人の笑顔も。
……正直、恨まれても仕方ない、と思った。
「あの黒い魔物は、邪神の欠片だろう」
おばばの唐突な告示に息を飲む。
「じゃしん……?」
「この森の深くに邪神を封じた祠があると伝えられている。それが不完全に解かれたのがアレだろうさ」
そんなのが……そんなのがこの森にいたのか。
「不完全で良かった。でなきゃ、お前たちも村の人間も、一人も助からなかったろう」
あたしもね、と言ったおばばは、僕の肩に手を置いた。
「そしてお前たちが外に出て戦っていなかったら、結界は破られていたかもしれない。封印から解かれた直後で弱っていたとしても、ここに来るまでにある程度力を取り戻していた可能性が高いからね」
「戦ったのはロアの判断です。僕じゃない」
そうかロアが。おばばはそう言って、少し広角を上げたけれど、目は悲しそうだった。
「ザン。村を出なさい。出ていく理由はそうだね、治療する方法を探す、とか。このまま狭い村にいると、良くないことになる」
良くないこと……。
そう言われて、思ったのは家族の姿。両親と妹。彼らはひどくつらそうな顔をしていた。僕が無事なのにほっとして、だけど周りの様子に喜びを引っ込めた、そんな顔を。
なんとなく、僕がこのままここにいたら、家族まで責められるんじゃないかという気がした。
拳を、強く、握る。
「おばば、本当に治す方法はないだろうか。邪神を倒すとかすればいいのか?」
僕は無理やり作った理由ではなく、本当にみんなの顔を治したいと思った。ゼパプイドスはもう戻らない。けれど他の3人は、治せるかもしれない。
「邪神を倒しても意味はないさ。あの傷は、あの倒されたアイツから受けたもので、もし他に邪神の欠片がいたとしても全く別のものなのさ。そうだねぇ……」
おばばは考え込み、ふと顔を上げた。
「解呪の方法を探せばいいだろう。あれだけの呪痕だ。解呪師なら、相当な使い手、アイテムでも国宝級の秘宝じゃないと無理だね。だけど、呪いさえ解ければ、アタシにもラフコにも治せるようになるはずさ」
解呪の方法。それさえあれば、この罪悪感が消えるかもしれない。
「おばば。僕は解呪の方法を探しに行くよ」
◆◆◆
旅立ちは、村人総出で僕を送り出してくれた。
早めに「解呪の方法を探す」と言ってよかった。リュシナとラフコの親にはどうかどうかと頭を下げられた。2人とも、本人は来ていない。ロアもだ。
家族と抱き合い、けれどモヤモヤしたまま村を出て、しばらく歩いて分岐路に来た所で声をかけられた。
「ロア……?」
右の額から目を通って頬の中ほどまで、ひどい傷になったままのロアが旅装をしてそこに立っている。
「どうしたんだ、その格好」
「俺も一緒に行く」
僕は固まった。
「一緒に、って」
「リュシナとラフコの呪痕、治すんだろ?」
正直嫌だと思った。だって……あの傷跡を見ると、ものすごく悪いことをした気持ちになるんだ。
「ザン。お前なんて顔をしてるんだ。お前はあの化け物を倒して村を救ったし、これから村のために呪痕を治す方法を探しに行くんだろ? お前は英雄だよ、ザン」
「僕は英雄なんかじゃない」
僕はロアの言葉が信じられなかった。一番勇敢に戦ったのはゼパプイドスだし、戦いを指揮したのはロアだ。
なのになんで、お前がそんなこと言うんだよ。
ロアが僕の手を取る。……温かい。
「なぁ、ザン。俺と旅をしよう。いや、一緒に旅をしてくれ」
僕の目から、ポロポロと涙が落ちた。
僕は後悔していた。そうだ。アイツを倒しに行こうと言ったのは僕だった。村を出て、アイツを倒してしまえばいいと言ったのは僕だった。
4人にひどい傷を負わせることになったのは僕のせいだ。
僕は、僕は。
「僕は英雄なんかじゃないよ、ロア。僕は後悔しているんだ。僕は僕の罪悪感を減らしたくて、それで治す方法を探しに行くんだよ」
ポロポロと涙が落ちる。
「なら、やっぱり俺を連れて行ってくれ、ザン。俺が賛成しなければ、きっと村を出て戦いになんて行けなかっただろう? 俺のせいなんだ、ザン」
ロアも左だけになった目で泣いた。
僕とロアは、二人で呪痕を治すための旅に出ることにした。
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この後書き部分は、書き出し祭りでの「あらすじ」として提出した部分。
あらすじとして機能しつつ、本文の続きにもなるという仕掛けをしてみたもの。
本当、いつか続き書きたい。