冬の空と文字と僕
<また悲惨な事件が発生しました。
今日午後五時頃、千葉県千葉市に住む佐藤咲さん(17)が高校から帰宅途中、前から歩いてきた男にいきなり包丁で首を切られました。咲さんはすぐ病院へ運ばれましたが、その後出血多量で死亡しました。駆け付けた警察によって取り押さえられた男は、「殺らなきゃ殺されると思った。神が命令した。」などとわけの分からない発言を繰り返しており、警察側はこの男の身元を確認するとともに、精神鑑定の必要があるかどうか今後取り調べを続けていく模様です。さて、次のニュー・・・>
テレビを消した。自然に溜め息が溢れた。最近同じような事件が続いている。誰でも良かったとか、会社をクビになってムカついていたとか、そんな理由で何よりも大切な命が簡単に失われていく。可愛かったからと誘拐された少女は、冷たい水に沈められ、歯を抜かれ、道具にされて、用が済んだら捨てられる。犯行動機が素晴らしければ殺人をしてもいいと言うわけではないが、ろくな理由もないのに自分の子供が殺されたとき、親はいったいどうすればいいのだろう。そんなことを布団の中で考えていた午後11時、気付いたら朝だった。
学校に行くための準備をする。服を着替えながらニュースを見た。昨日の事件はもうやっていなかった。
手袋をして、マフラーをして、かばんを持って、家を出る。最近やたら寒くなってきた。12月も半ば。もうすぐ今年も終わる。白い息とともに学校まで歩き出した。
近頃僕たちの住んでいる周辺はどうも工事が多い。家から駅までの間にいくつも建設途中の建物が並んでいた。
作りかけの灰色の建物を眺めながら歩いていると、前のほうに見知った制服が歩いていた。悠一だ。同じ高校なので朝はたまに会うのだ。
「ぉはよ」気づくか気づかないか微妙な声で言ってみた。返事はない。気づかなかったのか。もう一度挨拶してやろうかと口を開いて声を出そうとしたとき、
妙な物が目に入った。それは悠一の制服だった。僕たちの高校はブレザーなので僕も悠一も今、紺のブレザーを来ている。その悠一のブレザーの背中に皺がよっていて、それが僕には文字に見えたのだ。
『こいつを押せ』そう書いてあるように見える。悠一はまだ僕に気づいていないようで、前を向いて寒そうに肩を縮めながら早足で歩いていた。
近くまで行ってよく見てみる。やっぱり僕には『こいつを押せ』と書いてあるように見える。こいつとは、悠一のことだろうか。悠一を、押す?
いい挨拶代わりになるかもと思い、少し後ろに下がって助走をつけて思いっきり突き飛ばしてやる事にした。歩くスピードを遅らせ、悠一と距離をとる。息を整え、走り出す、勢いをつける、背中を押そうと手を伸ばす、足音に気づいたのか、悠一がこちらを振り向こうとした。そして―――
「うっ」鈍い音とともに悠一のうめき声がかすかに聞こえた。僕は、何が起こったのか分からなかった。悠一は倒れていた。頭からは・・・血?
わけが分からなかった。僕は悠一を押していない。背中を押そうとして、そしたら鈍い音がして、悠一が倒れて、そばに落ちているのは、これは、コンクリートの塊か?サッカーボールほどの大きさのコンクリートの塊が、悠一の横に転がっていた。血がべっとりとついていた。
悠一を抱き起こす。死んじゃったのか?目を閉じて、呼んでも返事がない。このコンクリートの塊は、上から落ちてきたのか、と悠一を抱えながら首だけ空を見上げた。作りかけのビルがそばに建っていた、けど壁からはがれて落ちたのか、屋上から転がってきたのかは分からなかった。どうしよう。見上げた視線を、悠一に戻そうとした、そのとき、僕はまた、見つけてしまったのだ。文字を。
今度は空に書かれていた。澄んだ青空に、白い雲。その白い雲は、今、こう言っていた。『救急車を、すぐ』と。
しばらく呆然としてしまった。空に文字が書いてある。ありえない。救急車を、すぐ?救急車、救急車、すぐ。あ、。
そのあとの事はよく覚えていない。僕はポケットからケータイを取り出して、急いで110に電話した。そこで友達が怪我をした。頭から血がーとか叫んだんだ。そしたら少しすると救急車が来た。たぶん警察の方で病院に連絡してくれたのだろう。パニックになると救急車もまともに呼べなくなるなんて、なんて情けないんだ僕は。
奇跡的に、という言葉を医者は使った。奇跡的に助かった、と。あと1センチでも当たる場所がずれていれば即死だったろう、と。
あと一センチ、あのときもし、悠一が振り向かなかったら、僕の足音が聞こえなかったら、僕が悠一を押そうと思わなかったら、悠一の制服の背中に『こいつを押せ』と書いてなかったら・・・
僕は考えた。あのときもし、文字を読んだあとにすぐ悠一の背中を押していたら、落ちてくるコンクリートの塊から逃れて、悠一は助かっていたかもしれない。あの文字の通りにしていれば。そしてそのあと、空に書かれた『救急車を、すぐ』もそうだ、あれがなかったら、僕はいつまでもどうする事もできなくて、ただおろおろするばかりだったろう。あの文字の通りにしたおかげで今、悠一は奇跡的に命を救った。あれらの文字は、いったい・・・
悠一は当分の間入院する事になった。病院からの帰り道、僕は文字の事ばかり考えていた。考えながら、周りを見回すことも忘れなかった。またどこかに文字が書かれているかもしれないと思ったから。
結局落ちてきたコンクリートは作りかけのビルの壁から剥がれ落ちたもので、建設会社側も過失を認めているという。その日の夜、ニュースでそう報じられた。でも、事故の目撃者の証言に、そのときに空に文字が書かれていたという発言は出てこなかった。遅刻して学校へ行ったとき、クラスの人に聞いても、誰も見ていないといっていた、というか全然本気にしていなかった。まぁ、当たり前か。空に文字なんて、なぁ。ほんとになんなんだろう。
しかし、予想は的中した。その日から僕は何度もそれらの文字を見かける事になった。そして、それらから二つの法則があることに気づいた。
一つは、書かれた文字は僕意外には見えないということだ。あるとき、授業の終わりのチャイムが鳴り、みんな一斉に帰りの準備を始めた。僕は何気なく教室を見回していたら、いつのまにか黒板にでかでかと書いてあったのだ、文字が。『窓から離れろ』僕の席は窓際の後ろから二番目だった。
僕はすぐさま席から飛び出し、廊下側へ急いで逃げた。何が起こるのかは分からないが、悠一のことがあったので、すぐに行動ができた。そしてその途端、がっしゃーんという音が響いた。そして、悲鳴。
廊下側を向いていた僕は、ゆっくりと振り返った。すると、僕のいた席のすぐ横にあった窓のガラスが粉々に床に散らばっていた。ついでに野球ボールも。
驚いて教室中がシーンとなった。走る足音が遠くから聞こえてきて、次第に近づいて、教室のドアがあいて、野球部の生徒が丸坊主の頭を下げた。「すいませんでしたー。」
ふざけて教室の下で遊んでいたらしい。そしたらガラスを割ってしまった、らしい。僕があの席に残っていたら、今頃どうなっていただろう。考えたくもない。 寒気がして、もう帰ろうとしら、隣の席のやつが話かけてきた。
「大丈夫か?ガラスが割れる前に逃げてたけど、よくわかったなぁ」
「黒板に文字が書いてあっただろ。見えなかったのか。」言いながら、黒板を見た。
もう何も書いてなかった。
「黒板に?何も書いてないじゃないか。きっと普段の行いが良かったんだな。」そう言ってそいつはそそくさと帰ってしまった。
そのあと、教室にいた人の何人かに同じ事を聞いたが、誰も黒板に文字が書いてあるのを見た人はいなかった。
見えていなかったのだ。僕意外には、あの文字は、見えない。そういうことだ。
書かれている文字を見逃さないように、過ごしながら、一ヶ月が過ぎた。
布団の中で目が冷めた。午前6時30分。部屋の中でも息が白いのが分かった。もっと眠りたい、そう思いながらも、がんばって起きた。今日だけは学校に行きたいと思った。なぜなら、退院した悠一が今日から学校にくるから。久しぶりに話ができる。楽しみだった。
制服に着替えながらいつものニュース番組を見ていた。またどこかで殺人事件が起きたようだった。楽しかった気分も少し沈んでしまった。買い物帰りの主婦が、痩せた女に金槌で後ろから殴られたそうだ。通りかかったサラリーマンがすぐに警察を呼んで女は逮捕された。そのときすでに主婦は息をしていなかったらしい。女は、「ずっと見られている気がした。怖かった。金槌は護身用に持っていた。視線を感じて、周りを見たらビニール袋を下げた女がいたので殴った。怖かった。」と言っていて、被害者とは面識がなかったらしい。
こういう悲惨な事件が起きたとき、僕はいつも被害者の家族や恋人の事を考える。こちらには非がないのに、意味の分からない理由で、赤の他人に突然殺される。被害者の家族や恋人は、どんな気持ちなんだろう。まったく、やりきれない。
手袋をして、かばんを持って、外へ出た。今日もまた一段と寒く、吐く息は白さを増していたような気がした。僕は早足で、歩き出した、そのとき、マフラーを忘れている事に気づいた。これじゃぁ学校につくまでに首が凍っちゃうじゃないか。それだけはどうしても避けたかったので、部屋にマフラーを取りに戻ることにした。 部屋のドアを開けて、布団の横に置いてあるマフラーを手にとって首に巻きつけた。よしこれでもう首が凍ることはない。そう思いながら部屋を出ようと振り返ると、開けっ放しにして置いたはずのドアがいつの間にか閉まっていて、ドアの真ん中に真っ白の紙が貼ってあった。そして、そこには小さい文字が書かれていた。今度は何が書いてあるんだ?僕をしっかり助けてくれよぉなどと思いながら近づいて、文字を読んだ。その一瞬、思考が停止した。
『包丁を持っていけ』
これはどういう意味だ?包丁なんか持っていっていったい何になるというのだろう。あぁでも、今までこの文字に従って、何か悪い思いをしたことがあるだろうか。どうすればいい。ここはやはり、文字に従うべきだろうか。でも・・・
五分ほどして、玄関を出た。僕は早足で学校へ向かった。かばんがやけに膨らんでいた。
いつもよりだいぶ遅れてしまった。校門が見えて、時計を確認した。そのとき、チャイムが鳴った。遅刻だ、急がなくちゃ。駆け足になって、校門まで向かった。そして、なんとかチャイムが鳴り終わる直前に着くことができた。息が切れてわき腹を押さえながら、校門を通ろうとした。もしこのとき、周りに目もくれず校門を抜けて教室まで走っていったとしたら、僕の人生は大きく変わっただろう。あ、いや、意外と変わらなかったかもしれないな。まぁとにかく、僕は校門の横に取り付けてある学校名の書かれているプレートを見てしまった。目を疑ったが、やはりプレートに「~学校」とは書かれていなかった。ただ、ひとこと、冷たいプレートは僕にだけ言った。
『悠一を殺せ』
僕は膨らんでいるかばんをしっかり抱きしめた。
教室に入ると、もう先生が来ていて、結局僕は遅刻してしまった。教室を見回すと、廊下側の一番後ろに、悠一はいた。うつむいてじっと目を閉じていた。
そのまま一時間目の授業が始まった。僕はちらちらと悠一を見ていたが、どうも様子がおかしい。いつも明るくて授業中もずっと誰かと話をしていたりするのに、今日は朝からずっとうつむいたままだ。そして目を閉じている。眠っているのだろうか。休み時間になったら、話かけてみよう、話かけて、話かけて・・・そして・・・
一時間目終了のチャイムが鳴った。僕はゆっくりと立ち上がり、悠一の方へと向かった。すると、悠一も立ち上がった。そしてこっちに歩いてきた。途中でお互い、目があった。にらみ合った、と言うほうが近いかもしれない。そのまま悠一は、静かに言った。
「こっちだ」
そのまま、後ろを向くとドアを開けて歩いていってしまった。僕は何がなんだか分からなかったが、悠一のあとをついていった。かばんを抱えて。
悠一は二つ隣の教室に入った。そこは今は使われていない部屋で、いらない机や椅子などが置かれていた。悠一は窓の外を見ていた。数秒の沈黙。
「怪我はもうよくなったのか?」とりあえず話かけてみた。
「・・・」何も答えない。
「おいどうしたんだ。なんか元気ないみたいだけど。」
「・・・なあ」やっと返ってきた声は驚くほど真剣だった。ゆっくりと悠一はこっちを向いた。
「なんだよ、なんかあったのか?」
「おまえ、そのかばんの中、何は言ってんだ?」一歩、距離を縮めてきた。
「かばん?なんでもねぇよ。それより・・・」なにかあったのか?と続けようとしたが、無理だった。悠一の後ろ、広がる窓の端のほうから、文字が浮かび上がっていった。『今だ。殺すんだ。じゃないと・・・』じゃないと、なんなんだ?殺さないとどうなるんだよ。僕はかばんのファスナーをゆっくり動かした。
「それより、なんだ?なぁ、そんなかに何入ってんだよ。教えろよ。」悠一が向かってきた。もう完全にいつもの悠一ではなかった。僕のすぐ近くまでくると、いきなりかばんを掴んで奪おうとした。僕は必死で抵抗する。ファスナーはもう半分近く開いていた。
「離せ!中のもん見せてみろ」かばんを揺すられる。
「やめろ、手を離せ」茶色い木でできたあれの柄が、見えた。やばい、落ちる。
ゴトッ。刃を新聞紙で包んだ包丁が床に落ちた。かばんが二人の手から離れた。僕は呆然と立ちすくむ。悠一はすぐさま包丁を拾い上げた。
「ほらみろ、やっぱりこれで俺を殺すつもりだったんだろ。畜生。」包んでいた新聞紙を取りながら悠一は呟いた。やっぱり?どういうことだ。なぜ分かったんだ。
「違う。頼むから話を聞いてくれ。」取り返しのつかないことになりそうな予感がした。悠一は包丁の刃を見て、笑っていた。
「どこが違うって言うんだ。俺は全部分かっているんだ。お前は俺を殺すつもりなんだ!」そう言いながら、包丁を僕に突き出してきた、刃をこちらに向けて。
「うっ」不意打ちだった。お腹が温かくなるのを感じた。見ると、そんなに深くはないが、刃の先がお腹に刺さっているのが分かった。悠一が包丁を抜く気配はない。僕は刺さってない残りの刃の部分を両手で持って、力ずくでお腹から抜いた。両手が深く切れるのが分かったが、そんな事、かまってられない。すぐに悠一を突き飛ばした。包丁が床に転がった。僕は必死にそれを拾い、尻をついている悠一の腹の上のほうに突き刺した。僕は文字を信じた。血があふれ出た。
「僕は悠一を殺したくなんかないんだ。でも・・・」でも、悠一の腹に突き刺さった包丁は絶対に引き抜かない。悠一との思い出が一瞬にして頭を駆け抜けた。涙が出てきた。それでも、必死で包丁を押さえつけた。
「・・・わかって・・・る。」悠一は息と声が混ざったようなかすれた声で苦しそうに言った。わかってる。?
「・・・もじ・・・・が・・・・いった・・・んだ・・・ろ?」悠一は、今、苦しそうに確かにそう言った。僕は確かに聞いた。文字が。
「悠一?文字のこと知ってるのか?おい、おい」急いで包丁を引き抜いたが、もう、悠一は目を閉じていた。
悠一は文字のことを知っていた。だから、僕のかばんに包丁が入っている事を知っていて、だから僕が悠一を殺そうとしている事を知っていて、だから・・・
「どうしたんだ!?」声がして、振り向くと何人かの生徒と、先生が立っていた。窓の外からはいつのまにかパトカーと救急車のサイレンが重なって聞こえていた。
<次のニュースです。朝の学校で、包丁を持った生徒がもうひとりの生徒を刺し殺すという悲惨な事件が発生しました。
事件が起きたのは、千葉県××市の××高等学校の校舎内で、一時間目の授業が終わった休み時間に、二人の生徒が、空き教室で口論となり、ひとりが持っていた刃渡り15センチの包丁で相手の少年を刺しました。警察と救急隊が駆けつけましたが刺された少年の意識はなく、病院に運ばれましたが、まもなく死亡しました。一緒にいた少年は犯行を認め、警察に動機を聞かれたところ、「文字に殺せと言われた。包丁も、文字が持っていけと言ったから今日だけかばんの中に入れて学校へ持っていった。殺さなきゃ殺されると思った。」と意味不明なことを話しており、話に多々不明瞭な点があることから、警察はこの少年に精神鑑定を行う方針であるとしています。
さて、次のニュー・・・>
テレビを消した。自然に溜め息が溢れた。
終わり。