トラブルと夫婦
アレの機嫌が直ってしばらく。
何があったかは知らんがジジイはどうやら上手くやったようで、アレは以前より若干溌剌と働くようになった。
旦那様しかいない…
時折あの日の言葉がふとした何でもない瞬間によぎる。
不思議と不快に思わなかった。
不快に思わなかった理由なら理解している。下心がないためだろうとは思うのに何度も何度も蘇る。
相変わらず徹夜続きで仕事をし、知らぬうちに眠れば毛布がかけられ、アレが来るまでそんなこと一度もなかったのに一月に一度は俺の好物が夕食後に出される。
指示もなく出された資料は的確で、俺がどこに出掛けようと仕事に関係なければ見送りにすら来ない。
それでいて、アレは「旦那様様しかいないようです」などと言う。
だからどうした。
そう、だからどうしたというのだ。
何が言いたい。
自問しても求める答えのヒントすら見当たらない。胸がつっかえるのに苛つくこともない違和感。これが仕事ならばこのつっかえているものの原因追求に寝る間も惜しむ所だというのに。
心は酷く穏やかだ。
「なんて顔してんのさ」
いつの間に入って来たのか、恐らくノックもせずに入ってきたスターリンに俺は眉根を寄せる。
「勝手に入るなと言っているだろう。」
一気に不快感をあらわにするも肩をすくめて気にするでもない自称友人。
「奥さん、かわいいね。」
聞きなれない響きにピクリと反応してしまった。
何故、と聞かずとも予想はできる。恐らく部屋まで案内したのがアレだったのだろう。
「お前には関係ない。」
無視を決め込もうと書類に目を落とす。
目に入ってくるのは見慣れた文字クセのない手本のような文字。要点のまとまった内容とサインするべき場所に引かれた下線。
「有能らしいじゃん。君のとこの助手がえらく自慢してくるよ。話が本当ならうちにもたまには来てほしいぐらいだ。」
「アレはやらん。」
勝手な物言いにくい気味に返答するが、奴からの反応がないことに違和感を覚えて顔をあげる。そこにいたのは、
「お前こそなんて顔してんだ。」
驚いたように目を丸めてこちらを凝視する男の姿だった。
「見つけたんだね…」
「あ…?」
「…君からそんな言葉が出るなんて、これは本物のようだね…」
「だから何がだ。」
「あの契約書は私も見たけど実に酷いものだった。でも君は本物のパートナーを見つけたってことだろ?」
「わけのわからないことを言うな。」
そこから鬱陶しいことにアイツのテンションはずっと高かった。
鬱陶しい。本当に鬱陶しい。
キャーキャー女みたいに騒ぎやがって…それでも男かと思うほどだ。
「君が特定の女性を手放したくないだなんて快挙以外のなんだと言うんだ!」
失礼な話である。
そもそも女とのつながりなんて”発散”する時ぐらいのものでそれも同じ女とどうこうなどということもなかった。真面目な付き合いなどは皆無で、そう迫ってくる女は多々いたが相手にしたことなどない。
しかし、今回は話が違う。
元々が”結婚”というものなのだから特定じゃないわけがないのだ。
なのにこの男はどういう思考なのか酷く喜んでいる。
わけがわからん。
「お前は馬鹿なのか、結婚なのだから特定云々は当たり前だろう。」
「ふーん。へー、そう。じゃあさ、今からでもいいから結婚相手交換してよ。僕はまだ未婚だけど国一番の美女を探して君にあてがう自身はあるよ?」
(また訳の分らんことを)
無視を決め込もうか悩んでやめた。
「何度も言わせるな、アレはやらん」
そう言い返せば「ほらー!!」と叫ばれた。
本当にうるさい。