口説…かれてない
アレの様子が以前の仕事熱心なものに戻ったと思ったのも束の間。
ふいにアレは口を開いた。
いつものように俺の書斎に書類を届けにきた時のこと。
長めの溜息を吐き出したアレの表情は暗く、絶望したような目、それでいて自嘲するかのように口元は笑っていた。
「私には旦那様だけのようです…」
なんだそれは。
数多の女から言われ続けたのと似たセリフだというのにそのニュアンスは180度違う。
思わず「俺では不満か」と数多の女が泣いて喜んでいたであろう返事をしかけたほど俺にとっては突拍子も無いセリフだった。
(なんと言えばいいんだ…)
しかし俺の反応など別にいらないのか、アレは力なく俯いたかと思えばふっと顔を上げ諦めたような顔で去って行った。
その間俺はぴくりとも動いていない。
(病んで、いるのか…?)
思い返せばこちらに嫁いで以来一度も休暇という休暇がなかった。
なんやかんやと屋敷で働き回っているばかりで実家に帰してやることもしていなかった。
なるほど、これは俺のマネジメントが悪かった。
俺は特に休暇が欲しいとも思わないがアレは知らずに疲労が溜まっていたに違いない。
(ただ…それだけというわけでもなさそうだったな)
何かとてつもなく思い悩んだ様子だった。
まずい、正直に言えば今更アレなしに業務は進まない。
何より以前の休暇らしい休暇と言えば書類のミスで仕事がストップしていただけというようなものばかりだった。
ここ半年近くがスムーズ過ぎて気がつかなかったようだ。あの頃はアレがそこまで仕事漬けに耐性があるとは思っていなかったが今思えば驚きである。
(少しばかり手助けしてやるか)
リン、とベルを鳴らせばしばらくしてジジイが現れた。
手助けと言っても俺が何かなどする義理はない。ジジイならおおよそどうにかするだろう。
「旦那様、どうされました?」
「アレの悩みを聞いてやれ、何かは知らん。」
「アレ、とは…ああ、奥様のことですかな。承知いたしました。悩み、悩みがおありだったとは…いや、はい。聞いて参ります。ご報告のほどは…?」
「いい。プライベートは不介入だ。」
「そうでしたな、かしこまりました。」
ささっと下がって行くジジイはおそらくそのままアレの部屋に行くだろう。
素直に話すか否かは知らないがそこまでは俺の知ったことではない。