38 王女の騎士
アルバが王女を努めるデン王国の、王族直下の城下町に戻っても、アルバは王宮に出向かず、顔を隠して宿を求めた。
身の安全を確信して、初めてアルバは酒宴を開いた。さすがに金はすべてアルバが出した。
宿で供される食事も酒も上等とは言えなかったが、精霊使いたちにとっては村では考えられないごちそうである。体力が続く限り酒宴を続け、ついには宿屋の主人から打ち切りを宣告された。
酒宴が明けた翌日、シリウスはアルバ王女を王宮に送り届けた。
王宮の奥まで付き添いを命じられ、戸惑った。王都に入ることも、本来禁止されているのだ。王宮を見ることになるとも思っていなかった。
結局断れず、シリウスはアルバに命じられるまま付き従い、王宮の一番奥にいたった。
緊張しながら、立派な部屋の前で待たされた。
警備の兵が、戸口の両脇に立っていた。厳めしい体つきに、シリウスは剣を交えた場合のことを想像して、冷や汗をかいた。
アルバが出てきた。警備兵が素早く敬礼した。
「シリウス、行きましょう」
「俺も? どこに行くんだ? もうお役御免だろ?」
「王の許しを得ました。儀式につき合いなさい」
「なんの儀式だ? できれば遠慮したいんだが。エリスを待たせてある」
「エリスはもう風の術者を束ねる立場だから、シリウスの手が届かない存在になったのでしょう。いつまで、未練を引きずるつもりなの?」
表情は変わらないものの、アルバは笑っているようだった。シリウスは小さく首を振った。
「エリスのことはあきらめたさ。それでも、一緒にいちゃいけないってことはない。俺は護衛だ。いままでだって、ずっとあきらめようと思っていたんだ。何も変わらない。手も握れなくてもいい。一緒にいたいんだ」
アルバは不服そうに唇を突きだすと、シリウスの口をふさぐように指をあてた。
「風のエリスは精霊使いの束ねの一人ですから、正式な法を曲げるわけにはいきません。ですが、シリウス一人であれば、誤魔化しようはあります。エリスも承知していることですよ」
「……わかったよ。どうせ、エリスの命令にも王族の命令にも逆らえないんだ。言うとおりにする」
「ようやく素直になりましたね」
アルバは口元を拳で隠しながら笑った。シリウスは素直に可愛いと思ったが、一切感情は排した。
背中を向け、アルバが歩きだす。シリウスの手を摘まむように持っていた。
ちょっとした汚物のように扱われることに慣れているシリウスは、気分を害することなく従った。
アルバは前を向いたまま語った。
「隣国ノウリアの王は、私の叔父にあたります。叔父の残した日記に、全て書かれていました。叔父が人間を魔物にしたのは、全て、私にとって父であり、叔父には兄にあたる、我が国の王がそそのかしたからなのです。そのことを突きつけると、王は認めました。魔物に昔から興味があり、政治に利用することを初めに考えたのは私の父であるこの国の王でしたが、結果を恐れて隣国の弟に試験させたのです。魔物が想像以上に扱いにくく、犠牲が多いことを知り、国交を断絶しようとしましたが……私は反対しました。小さい頃、叔父にはよくしてもらったのです。叔父が選んだ道なら、間違うはずがないと思っていました。でも……あんなことになっていたとは思いませんでした。精霊使いのみなさん、特にシリウスには、感謝しています」
「俺一人では、何もできなかったさ」
「そうかもしれません。でもシリウスがいなければ、私は死んでいたのです」
アルバは王宮の中庭にある、小さな神殿に入って行った。シリウスも付いていく。アルバは話し続けた。
「ですから、今後は精霊使いを王家の直接の保護下に置きます。そのための許しをもらってきたのです」
「つまり……どういうことだ?」
後半の言葉はつぶやきに近い。シリウスは、神殿の中に金属の気配を感じ取っていたのだ。
神官が鎧を着ているとは考えにくい。気づかずに進もうとしたアルバの、細い胴体を抱いた。
アルバは楽しそうに小さく笑っただけで、話し続けた。
「今後も、私には敵が多いでしょう。勝手に隣国との条約を破棄しました。魔物を使役することに、賛成していた執政官も多かったのです。私を殺してでも、魔物を利用しようとする者がいてもおかしくはありません。魔物の正体を知れば、そんな声は消えるのでしょうが、同盟国ノウリアの恥を公にするわけにも行きません。しばらく、あの国は王族も仕える者たちもだれもいません。デンから派遣して、生き延びた人たちで国を再建するか、もしくはデンと合併することになるでしょう」
アルバを背後に隠し、シリウスは怒声を上げる。
武装した一団が顔を出す。正規軍の鎧を着ていた。鎧を着ている人間の動きは、シリウスには手に取るように解る。
「シリウス」
背後のアルバは、しっとりとまとわりつくような声を出した。
「なんだ?」
「あなた一人であれば、正式に騎士の位に上げる許可を得ました。精霊使いの村は、今後は私が守ります。その代わり、精霊使いを代表して私を守りなさい」
「……どれだけの期間だ?」
「もちろん、私の命を狙う者がいなくなるまでです。ひょっとしたら、長くなるかもしれません。まさか……嫌なのですか?」
断られるとは思っていない口調だった。
エリスに告白する決心をしたのは、アルバのおかげでもある。その意味で、感謝はしている。だが、エリスと結ばれることは永久に諦めなければならなくなった。
村を守るというなら、断ることもできない。立派な任務なのだ。しかし……。
「村に帰る時間はあるのか?」
「私の命を狙う者がいなくなってからでしょうね。それまでは、ずっと一緒にいるべきでしょう。私の死体を前に、後悔をしたくは無いでしょう?」
「……たまには、エリスやユーリーに会いに戻ってもいいか?」
「……私のことが心配ではないのですか?」
迫る剣をなぎ払いながらである。アルバの顔は見えなかった。声だけではあるが、泣きそうなのだろうと想像した。
「わかった。守ってやる」
「ずっと?」
「……ああ」
シリウスの前に、武装した正規軍の山ができた。さらに足音が聞こえる。シリウスはアルバの手をとって走り出した。
「王女様が神殿に来ること、誰が知っている?」
「父である国王です。一緒に、同席した執政官もいます。それより、私のことはアルバと呼んでください」
「『ずっと』と言ったな……まさか、一生か?」
「喜んでくれるものと思っていましたが」
追手をまき、柱の影に隠れ、シリウスは嘆息した。様子を見ようと柱から顔を出したところに、ガリギュアがいた。剣をシリウスに振り下ろす。
シリウスは手甲で捌き、ガリギュアの影から跳びだそうとしたモーデルを蹴倒した。
「ティエラは死んだぞ。誰の差し金だ?」
「エベリン卿だ。直接雇われた」
「ねっ? シリウスがいないと、大変なことになるでしょう?」
アルバの声が、むしろ楽しそうだった。昨晩まで供に酒を酌み交わしていた仲間に向かい、シリウスは王女を守るため、剣を振り上げた。




