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精霊使いの村  作者: 西玉
第五章精霊使い
37/38

37 光の術者

 シリウスが見た時、魔物の王は全身から血を流し、豪華な服を赤く染めていた。

 体がさらに膨れ上がり、血に染まった服が破れる。

 剛毛に覆われた皮膚は、黒く変色していた。牙が長く伸び、唇を破り、額から生えた角が、天に挑戦するかのように突き出した。


 ただ、少し興奮した。その結果の変化である。


「少々、失礼な言い方をしてしまったかもしれません」


 まるで王の変化がなかったかのように、アルバは言葉を紡いだ。

王の口角が上がる。まだ顔の表情があるのかと、シリウスはむしろ滑稽に思った。


「いや、こちらこそ、私としたことが、我を失った。アルバ王女、どうか許してもらいたい」


 声は、人間離れした低く掠れたものだったが、話し方は明瞭で、淀みなかった。

 服がやぶけた王は、血の汗を流し続けた。赤い血が絨毯を汚し、アルバの足元まで広がった。

 アルバは動かない。王の血を避けなかった。王族としての礼儀を優先したのだと思った。

少しだけ、振り向いた。背後を確認したようだ。精霊使いたちが恐れずに控えているのを確かめたのだろうか。


 事実、シリウスは背後のエリスとユーリーが震えているのを知っていた。

 ガリギュアとモーデルも部屋のすぐ外に待機している。中の様子はわかっているだろう。平常心ではいまい。

 金属の触れあう、微弱な音が時おり聞こえていた。身動きもせずにじっとしている、ということができないのだ。あるいは、部屋の中に踏み込むタイミングを計っているのかもしれない。


「さきほどのことは、お互い水に流しましょう」

「そうだな」


 王が笑う。アルバは、笑わない。


「では、これはお引き取り下さい。あまりにも、危険が大きすぎます。人民を犠牲にはできません」


 羊皮紙に書かれた契約書を、なおもアルバは押し返した。

 魔物の王の、血の流れが止まった。赤い血を流しきったのだろうか。

 剛毛に覆われた肌は、一層黒く見えた。王の体に流れている血は、もはや赤くはないのだろうか。


「どうしても……」

「はい。どうしても、です」

「いや。そうではない。どうしても、アルバ王女に署名してもらわなくてはならないのだ」


 契約書を押し返し、アルバの目の前に至ったところで、大きな手で羊皮紙を押さえた。もはや、動かせないように。


「王の言っている意味がわかりません」

「今さら撤回はできないという意味だ。力を得るために、わが国民は捧げつくした。もはや、人間の国ではない。アルバよ、さらなる力を得るために、そなたの国を、国民を、魔物にささげよ」


 声は徐々に大きく、最後には、地の底から湧きあがってくるようだった。

 空気が揺れる。そのように感じた。

 魔物が身を乗り出す。

 大きかった体がさらに膨張したように感じた。アルバの視界は、魔物の顔で埋め尽くされているのに違いない。


「交渉の余地は、ないということですか?」

「ない。魔物の力だけでは、ローマを退けることはできない。より大きな力がいるのだ。そのために、お前たちの力がいるのだ」


「それは、私の国のためにではなく、この国のために、ということですか?」

「同じことだ。ローマをしのぐだけの力を手に入れなければ、ノウリアもデンも、ただ滅びるのを待つだけだ。そのためには、魔物の力ではたりないのだ。お前たちの国の、精霊使いが必要だ」

「精霊使い?」


 突然の言葉だった。アルバの声が裏返る。この場にいるはずがない存在が、いままさアルバの護衛のすべてを占めている。


「知らないというつもりか?」


 アルバは背後を見た。シリウスと目があった。

 シリウスはさらに背後を見た。エリスとユーリーと目があった。

 王宮に出入りしたことが知られれば、精霊使いは死罪である。だが、隠す必要もない。

 エリスとユーリーがシリウスに対してうなずき、シリウスはアルバにうなずいた。アルバはうなずき返し、王に対して言った。


「精霊使いは確かに我が国にいます。その不思議な能力も知っています。ですが、それとローマと、どのようなつながりがあるのですか?」

「人間を魔物に変えれば、力は飛躍的に上がるのだ。精霊使いを魔物にすれば、自然を操る神のごとき力を手に入れることができよう」


 アルバは答えず、振り向いてシリウスを見た。シリウスはうなずいた。

 シリウスは立ち上がろうとした。シリウスの肩を、ユーリーがつかんだ。シリウスが振り返ると、まだ顔色の悪いエリスが、いっそう蒼白な顔をして立ち上がっていた。

 魔物そのものの姿の王を、恐れていないわけではない。それでも、エリスは立った。ただの立ち方ではない。決然とした意思を感じさせた。

 エリスは精霊使いの中ではもっとも高い地位にいる。発言する義務があるのだと感じたに違いない。


「アルバ! 魔物の正体がわかったわ! 死んだ人間の魂を無理やり呼び出して、生きている人間の体に住まわせるのよ。一つの体に二つの魂は入れない。だから、魂は苦しんだ挙句、一つに混ざりあう。魂が変化した人間は、体の制御ができずに死ぬことを理解できずに働くし、限界を超えて力を引き出せるから兵隊としても強力でしょうけど、体が壊れれば動かなくなる。顔が動物なのは、外見を変えて人間だった頃の家族にわからなくするためよ!」


「お前も精霊使いか?」


 王を名乗る魔物の視線がエリスに向けられる。アルバも背後を向いて尋ねた。


「どうしてそんなことを?」

「かつて精霊使いは、魔法使いという名で呼ばれていたわ。死んだ人間の魂を利用する心霊術と自然と心を通わせて操る精霊術は同じものとして扱われていた。でも、心霊術は権力者に取り入り、悪用をする者がいたため、精霊術を主に使用する術者は心霊術を捨てて独立した。心霊術の使い手たちは、精霊術の使い手を脅威と感じて、精霊術の使い手を弾圧し始めた。それが精霊使いの身分を奴隷以下としている最初の原因よ。心霊術の使い手は、いつの間にか世界から消えたわ。権力者にとりいって、もう心霊術を使う必要がなくなって忘れられたという人もいる。精霊術と心霊術の違いは、精霊術は使える人間が産れつきで決まっているけど、心霊術は決まった方法さえとれば、誰でも使えるのよ。文字や記号を使えれば、本として残すこともできる。アルバの国の書庫を探せば、こんな国に頼らなくても、魔物の使い方はわかるわ」


 アルバは、王を名乗る魔物から目を放さずに尋ねた。


「エリス、その話、嘘ではありませんね」

「はい」


 風の術者は力強く頷いた。だが、シリウスは小声で尋ねた。


「この国を見て、まだ魔物の力を借りるつもりなのか?」


 シリウスの声が聞こえたのだろう。アルバは振り向いた。魔物の王は、ただ嬉しそうに笑っていた。


「見損なわないで。私の国には、精霊使いがいる。それだけで十分です」

「話はそれだけか?」


 魔物の王が動いた。立ち上がり、発言したエリスに手を伸ばした。


「アルバ!」


 シリウスが叫んだのは、アルバ自身が狙われていたからではない。ここは王城だ。指示なくしては、シリウスは動けない。


「交渉は決裂です! シリウス、魔物を殺して!」

「承知した!」


 エリスに向かって伸ばされた、もとは人間だったとは思えない大きな腕は、手首から先が消えた。シリウスが一刀のものに切り落とした。

 魔物が怒りの咆哮をあげる。もはや言葉でもなかった。


「ガイウス、モーデル! 入って来い! やるぞ!」

『無理を言うな!』

『こっちだって、囲まれているんだ!』


 部屋の扉をユーリーが開けた。金の術者二人の背中越しに、押し寄せた魔物の群れが見える。


「シリウス、大丈夫?」


 風のエリスがシリウスの背に張り付いた。鎧を着ていなければ、エリスの胸が当たっていたはずだ。シリウスは金属を愛し、金属の鎧を愛していたが、この時だけは恨んだ。


「何か心配か?」

「相手は大きいよ。手伝おうか?」


 ユーリーが尋ねた。シリウスは魔王を見上げながら言った。


「エリスとユーリーに、俺が指示を出せると思うか? 何をするのかは、任せる。どちらかというと、あっちの方が大変そうだけどな」


 シリウスは扉の向こうを示した。すでに戦いが始まっている。


「あっちは私がやる。ユーリーは、シリウスを助けてあげて」


 エリスが離れた。術には向き不向きがある。触れた生物の水分を操れるユーリーは強力だが、大勢を相手にするのはエリスの方が適している。

 シリウスは魔物に向きあった。

 魔物の腕が、視界の外から飛来した。シリウスは一歩前に踏み出し、魔物の腕を受けた。

 肩あてで魔物の爪をはじく。シリウスが踏み込まなければ、アルバは死んでいた。


「下がっていろ!」


 シリウスはアルバを背後に飛ばした。気丈にふるまい、青ざめた顔をした褐色の少女は、よろめいて尻餅をついた。


「シリウス! 私は王女ですよ!」

「駄目だよ。ああなったら、何も見えていないから」


 ユーリーの声が聞こえた。悪口に違いない。

 シリウスはさらに前に踏み込んだ。

 魔物の王は自らの力を示すためか、ただの趣味か、全身を貴金属で装飾していた。シリウスにとっては、行動する前に予告を受けているようなものだった。


 シリウスは魔物の行動をことごとく察知し、動かない部位はおろそかになっているものとして剣を叩きつけ、魔物の王を弱らせていった。

 ユーリーが床を這って移動していることを知り、シリウスは強く踏み込まず、致命傷を与えなかった。

魔物の王が大きく腕を上げ、シリウスが盾で防いだとき、魔物の背後にユーリーが立った。腕を伸ばし、シリウスに責められて肉を露出させた魔物の体に触れた。


 魔物の動きが止まり、体にできたすべての傷から、大量の体液を噴出させた。

 崩れ落ちる魔物の王をシリウスが見降ろした。


「これまでだな。エリス、そっちは?」


 シリウスは油断なく魔物を見つめ、背を向けたまま風の術者に尋ねた。

 魔物の王は体液を失い、ただ痙攣していた。

 死ぬのは時間の問題だろう。


「もう終わるわ。ガイウス、モーデル、部屋に」


 二人の金の術者が、転がりながら応接の間に入ってきた。

 シリウスのように金属の声を聴くことはできないが、息があった戦い方をする。深い傷はなかったようで、シリウスは残念に感じた。


 直後に、扉の向こう、通路にいた魔物が次々と倒れていくのがわかった。

 エリスの術は、生物にとって必要な空気の密度を変えることもできる。多数を相手にしたとき、エリスが術を使えるかどうかで勝敗が決まる。


「王女様、終わりました。ご命令を」


 扉を後ろ手に閉め、風のエリスが尻餅をついたままのアルバにひざまずいた。


「命令? なんの?」


 アルバは咄嗟に口にしたことを飲み込んだ。あわてて手で口を覆っていた。

 目の前で魔物との戦闘を繰り広げられ、自分の立場を忘れていたのだ。


「敵は倒しました」


 あえてエリスは言った。アルバの混乱を見越してのことだろう。

 敵を倒してからどうするか。王城を出ることもできるし、占領することも、あらたに自分の城とすることも、不可能ではない。

 すべてはアルバの胸の中なのだ。


「……そうね……帰りましょうか」


 為政者として欲がない。

 だが、アルバの素直な気持ちなのだろう。巨大な敵を倒したばかりのシリウスとしては物足りなかったが、逆らうつもりなかった。

 ユーリーは安堵した顔をしていた。たとえ魔物でも、自分の力で殺すことにためらいがあったのだろう。もとが人間であればなおさらだ。

 精霊使いの誰もが、アルバを支持した。


 もとより精霊使いはただ使われる側であって、どれだけ活躍しても一定の報酬以外を受け取れない立場である。

 仕事が終わり、帰ることに異論があるはずがない。だが、精霊使い全員の願いを、否定する声が、魔物の王が現れた扉から木霊した。


「もっとゆっくりしていきなよ」


 聞き知った声だった。扉が乱暴に開けられた。扉を開けた姿勢だとは思えない、まっすぐに立った、美しい女性がいた。造形は美しく、表情は醜悪だった。険しく目を寄せ、苦しげに顔を歪めていた。


「ティエラ、どうしたの?」

「まってユーリー、違うわ」


 水と風の術者の意見が割れる。扉の奥にいたのは、シリウスが知っている限り光の術者ティエラだった。


「さすがエリス。鋭いね」


 ティエラと思われる者が手をかざした。

 手の中で、光が爆発した。そのように見えた。突然部屋の中に光があふれ、何も見えなくなった。

 見えている必要がない人間がいる。それが、シリウスだった。


 鋭い金属が、アルバ向けられて動いていることを感じ取ったシリウスは、剣を走らせた。

 高い音とともに、金属の動きが止まる。視力が戻った。

 舌打ちしたのは、ティエラだった。アルバに向かって突きだしたナイフを、シリウスが止めていた。


「ティエラ、どうしたの?」


 ユーリーが尋ねる。ガイウスが進み出た。


「条約は破棄した。ティエラ、もうアルバを殺さなくてもいいんだ。エベリン卿との契約も、これで遂行できたんだからな」

「ユーリー、ガイウス、あれはティエラじゃないわ。中にいるのは、誰?」


「私は、ティエラだよ。呼び出された魂と同居している。この世界の穢れに、呼び出された魂は汚染され、苦しんでいるところさ。この世界は壊すべきだ。汚された魂が、そう言って叫んでいるのさ」

「ティエラ、呼び出された魂と同化したのね。魔物にされた人間と一緒よ。でも、精霊使いは人間とは魂の質が違う。村に伝わるおとぎ話だと思っていたけど、本当みたいね。魂の質が違うから、人間とは交われない。人間と交わっても、中途半端な子供が産れて、不幸になると言われている。魔物の王が、私たち精霊使いを探していたのは、このためね」

「ああ。エリスも試したらどうだ? いくらでも力が使えそうだ。光だけじゃない。目くらましだけの力なんて、私がどれだけみじめに思っていたか、あんたやユーリーには解らないだろうね」


 ティエラの周りの物が、何もない空中に浮いた。精霊使いの村では、全く知られていない力だった。


「やめてティエラ! 戻れなくなるわ!」

「戻る? とっくに無理だね。エリスなら、知っているだろう? あんたは、精霊使いの中でも、もっとも古くからある系統の『束ね』になろうというのだから。それに、戻りたいとも思わない。この世界は、壊さなければいけない。世界を汚したのが人間なら、人間は、滅ぼさなくてはいけない」


 ティエラが再び力を放った。全身が輝く。

 同時に、別の力も行使していた。ティエラの周囲で浮いていた物体が、全員を襲う。

 風が巻き、炎が踊る。すべて、ティエラの力だった。精霊使いの村でも、複数の力を使う者はいない。

 効率が悪く、結局一つの力に絞るほうが村の役に立つことがわかっているのだ。だが、いまのティエラは、あらゆる系統の力を、最高位の術者を上回る威力で使いこなしている。


 全員が伏せた。ただ、シリウスを除いて。

 金属を含む物質は、シリウスは感知できる。剣を振り、飛来する物体の約八割を叩き落とす。残りの二割は金属を一切含まないか、剣の範囲に届かないものだ。


「シリウス! 金の術者風情が、邪魔をするな!」

「いいえ!」


 エリスがシリウスの背後に立つ。エリスも目が見えていない。

 シリウスの背後に立ち、シリウスの鎧に触れていた。

 その場所がもっとも安全であることは間違いない。もっとも、エリスはシリウスのそばに居たいだけで、盾にしたかったわけではないと、シリウスは信じた。


「シリウスはただの壁替わりではないわ! 本物の術者よ! だから、目が見えなくても戦える。そんなことも忘れてしまったの!」

「うるさい! うるさい! うるさい! うるさい!」


 ティエラの声が響くが、何をしているのかは見えなかった。ティエラは一切の金属を身に着けていない。シリウスを警戒して破棄していたのだ。


「シリウス、ティエラを止めて」


 エリスが耳元で囁いた。ティエラを止める方法は、一つしかない。


「いいのか? 殺すことになるぞ」

「許可します」


「待って! エリス! 本当にいいの? エリスはまだ風の『束ね』じゃないんだよ。エリスが引き受けないから、風の『束ね』は誰も引き継がないでいる。他の術者を殺す命令は、『束ね』にしか許されていないんだよ! ティエラを殺していいって命令を下したら、エリスが『束ね』になることを宣言することになっちゃうんだよ!」


 床の上で伏せながら、ユーリーが叫んだ。ユーリーだけ、ティエラの背後にいることになったため、怪我をせずに済んでいるようだ。目が見えていないのは同じのようだ。


「仕方ないのよ! シリウスはこういう人で、こういう人だから、私は好きになったのだから」


 ティエラは苦しそうにもがいたまま、何もしてこなかった。いまなら、隙だらけだ。


「……エリス」


 シリウスは背後を向いた。エリスは、顔が見えていないはずなのに、唇を重ねた。シリウスには見えていなかった。避けることはできなかったし、避けようとも思わなかった。


「シリウス、さよなら。いい人を見つけてね。私も、頑張るから」

「……ああ」


 唇が離れた瞬間、シリウスは床を蹴った。ティエラが反応する。だが、遅い。

 シリウスの集中力は極限まで高まっていた。ティエラは金属を身に着けていなかった。だが、人間の体は鉄分を含む。体内の筋肉は、電気の信号で動く。

 極限まで集中したシリウスに、見えていないことは何の関係もなかった。


 シリウスの剣が貫いた。

 ティエラの体を、筋肉を、心臓を貫いた。


 絶叫とともにティエラは絶命した。

 すべてが収まった後、ティエラが変異した原因を突き止めるため王宮を捜索し、精霊使いを狙った本来の王を発見した。


 王は取引を申し出たが、大事な仲間を自らの手で死なせ、愛する人を永遠に手の届かない高みへと失ったシリウスは、あらゆる命令違反を覚悟で、誰にも命じられることなく王を殺した。


 シリウスは裁かれることを望んだが、アルバは不問に付した。


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