36 改造
ティエラは、どす黒い部屋にいた。
寝台に縛られ、手足を動かせなくなっていた。
磔刑にされた囚人のように手足が拘束され、違うのは寝台で横になっているということだけだった。
黒い部屋は、石で覆われていた。黒く塗りつぶしているのではなかった。黒ずんでいるのだ。あまりにも大量の血が流れ、石にこびりつき、石にしみ込み、もはや落ちることもないだろう。
ティエラが王を名乗る男に招かれ、後頭部を強打された部屋だとわかった。
最初に見た印象が、さらに酷くなった。しかし、ティエラは動けない。
扉が開く音がした。首は拘束されていなかった。拘束することもできたはずだ。動かせるままなのは、縛り付けた相手が苦しむのを楽しむためだろうか。
部屋が明るくなった。扉を開けた者が、灯火を持っていた。
「精霊使い、お前たちを待っていた」
「……どういうことだい? あんたが本当に王様なら、呼べばいいじゃないか。村に連絡がくれば、誰でも喜んで差し出すだろうよ。あたしだったら、断るけれどね」
「わたしが王だったのは、ずいぶん前のことだ。王宮の書庫に、一冊の古い本があった。多くは意味をなさなかったが、一枚だけ、理解できたものがある。地面に描くべき明確な図形と、その効果が絵で表されていた。私の国は、滅びようとしていた。滅ぼされようとしていたのだ。隣国デンの王は共闘を求めたが、その後に吸収合併を狙っているのは解っていた。本当に、解決策だと思って手を出したわけではない。だが、藁にもすがる思いで、私はその図形をこの部屋に描いた」
「どんな図形だい?」
「お前が寝ているベッドの下に、ずっと描かれたままだ。わたしはまず、召使いで試した。この不思議な図形は、正確に描かなくてはなんの意味もない。だが、正確に描いたとたんに、不思議な現象が起きた。目には見えない何かが、図形の中から出てくるのを感じるのだ。出てきた何かが、苦しんでいるのを感じるのだ。苦しみ、のたうち、逃げるように召使いの体に入った。その後、召使いの体が変化した。筋肉が痙攣し、痙攣するほどに強く大きくなり、『出てきた何か』の苦しみを受け継いだようにベッドの上で暴れ、そのうちに、大人しくなる。あまりの苦しみに、頭はやられてしまうようだ。記憶もなくし、ただ暴れるか従うしか能のない者に変わる。だが、顔は以前のままだ。体つきも中身も変わっても、顔が変わっていなくては身内の者が悲しむだろう。私は、顔の革を剥がすことにした。代わりに、動物の皮をかぶせた。これで、従順な魔物の出来上がりというわけだ。この部屋の道具はすべて、顔の皮を乗せ換えるためのものだ。この部屋にあふれる血は、顔の皮を剥がした時のものだ」
ティエラは聞いたことがない現象だった。そもそも、精霊使いとは関係ないことだ。
「私たちを待っていたって、どういうこと?」
「わたしは考えたのだ。どうして人間が変質し、図形から何が出てきたのか、ずっと考えたのだ。一つの結論にたどり着いた。図形から出てきたのは、地獄に落とされて苦しんでいる罪人たちに違いない。人間が変質するのは、持って産れた本来の能力を解き放ったからなのだ。だが、人間の体では、解き放ったとしてもしれている。ただ体が強く大きくなっても、熟練の兵士一人で殺されてしまう。だが、産れつき特殊な能力を持った人間ならどうだ? 私は、試したかったのだ。精霊使いに『何か』をとりつかせ、どれほどの力が得られるか、試したかったのだ。だが、そう思った時には遅かった。私の周りには、単純な命令には従っても、複雑な任務を与えられるような人間は、残っていなかった。すべて、魔物に変えてしまった後だったのだ。だから、デン王国を利用することにした。アルバが返事をよこした。もうすぐここに来る。アルバに、『普通の魔物ではローマの軍隊には敵わない。しかし、精霊使いなら、状況を簡単に覆することができる』そう言ってやればいいのだ」
途中から、男はただ取りつかれたように話しをしていた。何を聞かれたのか、聞かれたことすら、忘れてしまっていたのかもしれなかった。
だが、関係なかったのだろう。実際にティエラは身動きすらできず、男の話に口を挟む気にもなれなかったのだ。
「では、そろそろ念願を果たすとしよう。なぁに、心配はいらない。精霊使いは奴隷よりも身分が低い。わざわざ、顔を変える必要もない。ただ、苦しいかもしれないが、わたしもそこは想像するしかないのだ」
ティエラにも、何が起ころうとしているのかはわからなかった。だが、無意味な儀式ではないはずだ。実際に、王宮の全員、街の人々の多くが魔物に変えられている。この部屋で、男はどれだけの顔を剥いできたのだろう。想像すらしたくはなかったが、ティエラは無抵抗が尊いとは考えなかった。
「アルバはどうなるの?」
「言ったはずだ。精霊使いを探すために呼んだだけだ。もう見つかった。勝手にすればいい」
「下に居るわよ。魔物たちから、報告がされていないみたいね。あなた、本当に王様? 魔物たちの王は、体の大きいあれに、すり替わっているみたいね」
ティエラの舌は、王を名乗る男に戸惑い与えるのに成功した。しかし、長いことではなかった。
「……そうか……近衛隊長の奴、わたしの命令を無視していたのか。おかしいとは思った。最近はろくな食べ物もない。新しい人間が送られて来ないのは、もう国内の人間をすべて魔物に変えてしまったのだと思っていた。あついは信用してはいけなかったのだ。魔物を操るための餌でも、あのでかい体には通用しなかったということか。では、魔物になる苦しみも……克服していたか。まあどうでもいい……精霊使いが手に入ったのだ。世界のすべてを、ひれ伏せさせてやろう」
すべては一人語りである。ティエラは試みを成功させつつも、目的が果たされなかったことを知った。ひとしきり話し終わると、男は床に屈んだ。
「何をするの?」
「この図形は複雑だ。少しでも位置がずれれば、まったく作用しない。だから、止める時は少しずらすだけでいい。再開するときも、少し戻すだけだ」
もはや手遅れだ。この男は、数万回にわたり同じ作業を繰り返してきたに違いない。誤ることは考えられない。
床に描かれた魔法陣が完成し、ティエラの中に何かが入ってきた。




