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精霊使いの村  作者: 西玉
第五章精霊使い
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35 交渉決裂

 アルバ王女の背後に立ち、シリウスは細い背中を見つめていた。押せば折れそうな細い背中の先には、壁一面を埋め尽くすかのような巨大な魔物が座っていた。

 巨大な魔物にしか見えないが、国王として目の前にいる。


 椅子に腰かけている姿は異様だった。

 爪の先で摘まむように、丸まった羊皮紙を摘まみだした。大きな手の割には器用だと思って見ていると、丸まった羊皮紙をさらに広げ、テーブルに置いた。


 精霊使いの村に文字はない。外部との交渉を行う金の術者の中には、あえて覚える者もいるが、シリウスは一切の文字が読めなかった。

 シリウスはアルバの背後から羊皮紙を盗み見て、描かれているものが文字であることさえ疑った。

 アルバに尋ねたかったが、国王との交渉中である。黙って控えていた。

 羊皮紙の下部に、署名をする欄があった。


 王の巨大な指が、署名を促した。テーブルにあった羽ペンとインクが押し出される。

 羽ペンを取らず、アルバは羊皮紙を見つめていた。

 互いに言葉は無い。

 しばらくして、アルバが喋った。


「残念ですが、今回の件、お断りさせていただきます」


 巨大な魔物にしか見えない王を前に、アルバ王女ははっきりと言った。なるほど、王女としての責任と気の強さは本物だと、シリウスは感心した。

 魔物と化した王が喉から奇妙な音を出した。笑っているのだとも、恫喝しているのだともとれる、人の言葉だとかろうじて解る程度の、聞き取りにくい声を発した。


「『民を幸せにし、国を守りたい』そう言ったのだろう?」

「はい。そちらの使者にはそう伝えました。私の本心です」


「ならば、その通りにすることだ。今のままでは民を幸せにすることも、国を守ることもできない。そう思ったのだろう?」


 魔物の姿になっても、王の言う事はしっかりしていた。

 しっかりしているように見せかけて、ただ魔物の王として、アルバを陥れようとしているのかもしれない。

 アルバは羊皮紙を押し返した。


「わたしには、この文字は読めません。内容の解らないものに、署名はできません」

「魔物の扱う文字だ。読めなくて当然だが、私を信じてもらうしかないな」


 王は押し返した。テーブルの上を、羊皮紙で出来た契約書が行き来する。


「わたしの国を、この国のようにはできません」

「どういう意味だ? 王女よ」


 シリウスは息を飲んだ。

 アルバは決然と言い放ち、魔物の王は体を震わせた。

 シリウスは、腰に下げた剣の鞘に触れ、感触を確認した。金属に触れているとで落ち着く。金の術者でも、この感触を持つ者は多くない。


「魔界から呼び出す魔物に実体はないのでしょう? この城にいる魔物も、町に溢れている魔物も、元は全て人間だったはずです。この街の魔物は、人間に魔物を憑依させた結果です。王よ、そうですね」

「誰から聞いた? 王女、いつからそう思っていた?」


「言う必要はありません。民を守るために、民を犠牲にするつもりはありません」

「それは、ただの噂だ」

「本当に?」


 アルバ王女が契約をしようとしているのではないかと疑い、シリウスの手が柄を握った。その手に触れる柔らかい、手があった。背後からのものだった。

 王の注意を引きたくなかったので慎重に振り返ると、風の術者エリスと目があった。小さく、横に首をふっていた。


 我慢して。

 そう言われた気がした。

 解っている。

 その思いを伝えるために、首を縦に動かした。エリスの手がシリウスの拳から離れる。代わりに、エリスがシリウスの背に体を寄せた。


 金属の鎧を通して、エリスの体温が伝わってくるような錯覚を覚えた。

 金属を嫌う風の術者が、あえてシリウスに体を寄せている。軽率な行動をさせないために。

 シリウスは、アルバの背を穴が空くほど凝視した。他には、何もできなかった。


「もちろんだ。王のわたしが、他国の王女に嘘を着くはずがない。しかも、正式に使者として招いているというのに。王の誇りにかけて、それは誓う」

「では、城の中に魔物しかいないのはなぜですか?」

「魔物にしかアルバ王女が会っていないから、そう思うだけだ」


「では、人間とあわせてください」

「私の言う事が、信用できないと? 王の誇りにかけた誓いを、疑うと言うのか?」

「はい。信用できません」


 王が動いた。テーブルの上に身を乗り出し、王族の血を引いた無礼な小娘に、菓子盆を投げつけた。

人間の力ではない。直撃すれば、アルバの細い首を折るような勢いだった。

 シリウスが跳び出す。背後でエリスの叫びを聞いた。

 剣を抜くわけにはいかない。

 右手を前に出した。飛来する菓子盆とアルバの間に手を入れる。


 菓子盆の縁は金が使われていた。シリウスは、手甲の金属の声を聞いた。飛来する、菓子盆の声も。

 差し出した手をねじり、菓子盆を、空中に跳ねあげた。アルバの体を左腕で抱き、床に伏せる。

 静かだった。王はそれ以上動かず、シリウスは仲間達を見上げた。誰も動いていない。ただ、テーブルに向こう側の、魔物の王を見つめていた。


「シリウス」


 床に組み伏せた腕の中のアルバが、耳元に囁いた。


「どうした?」

「もう大丈夫。王が錯乱したのです。ありがとう」


 腕の中の王女は、あまりにも華奢だった。浅黒い顔は、血の気がなく青ざめ、唇は紫色に近い。

 どれほど、緊張して交渉しているのかが知れた。それでも、諦めようとはしていない。


「しかし、俺がこうしなければ、あんたは死んでいたんだぞ」

「解っています。でも、生きています。わたしは、勤めを果たさなければなりません」


 アルバは立ちあがろうとした。


「もう、限界じゃないのか?」

「たとえ限界でも、わたしの引き起こした問題ですから」


 シリウスがアルバを抱いたまま立ちあがらせようとしたとき、アルバの唇がシリウスの面頬に触れた。

たまたまではない。

 しばらく、離れなかった。かつて街道で交わした口づけとは違う。

 今は何の必要も無い。

 シリウスは無言のまま、アルバを椅子に座らせた。体を放すとき、アルバの手がシリウスの面頬を撫で、首筋に触れた。


 まるで、シリウスという存在を確認するかのようだった。

 面頬をつけていなくとも、アルバは同じことをしただろうか。シリウスは想像に体が熱くなるのを感じながら、一歩下がった。

 王は、変化していた。


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