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精霊使いの村  作者: 西玉
第五章精霊使い
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32 王の住処

 光の術者ティエラは、王宮に魔物の曳く馬車が入るのを見ていた。


 王宮の最上階から信号を送り続けて、半日が経過していた。


 日が昇ってからは、光による連絡はあまり目立たなくなる。よほど注意しているのでなければ見落としてしまうだろう。

 夜になってから、街のどこかにいるはずの精霊使い達に向けて、救援を求めていた。

 受け取ってくれる自信はなかったが、どうやら無事に反応したようだ。


 ティエラは、危機に陥っていたわけではなかった。捕まってもいない。

 姿を消したまま、王の居室がある最上階を見張り続けていたのだ。

 窓の隙間から覗き見る限り、王は人の姿をしていなかった。

 王が姿を変えたのか、初めから魔物が王だったのかは解らなかったが、人ではないということは、視力に頼る存在だとは限らないことを意味する。


 王の専制を敷いているこの国で、王と魔物の繋がりを知るには、王の居室を探るしかないとないと判断したティエラは、王が外出する機会を待っていた。

 夜まで待っても王は部屋から動かなかった。結果的に、王が出て行くべき機会を作るしかないと判断し、街に居るだろう精霊使い達に合図を送ったのである。


 ――あの大型の馬車で来たっていうことは、アルバはまだ生きているようだね。仕方ないだろう。魔物を操ることができなくなれば、同じことだ。


 ティエラは精霊使いであると同時に、盗賊でもある。

 危険な場面では特攻より退却を選び、隙がなければできるまで我慢する。

 姿を消したまま、王の居室の入り口である豪華な扉が見られる位置に陣取り、時を待った。

 時間にして一時間後、王の部屋の前に魔物が現れた。文官のような、動きにくそうな服を着ている。畏まった姿が滑稽に見えた。


 部屋に入っていく。しばらくして、魔物と、その背後から、巨大な影が扉を潜った。

 頭部にはねじ曲がった三本の角を持ち、皮膚の多くを剛毛で覆われ、巨大な顔面の肌は燃え上がるかのように赤い。

 瞳は大きく、黄色く濁り、鉤鼻が険しく唇の前までせり出している。

 口元は耳まで裂け、上顎から不自然に長い牙が顔をのぞかせ、耳は頭頂近くまで張り出すように延び、巨大な体は人間の骨格から乖離している。

 それでもティエラが王であると断定したのは、きらびやかな衣装によってだった。


 巨体にあわせた寸法で、最高の職人が仕立てた革と絹の衣に、贅沢な蒔絵を施した逸品である。

 何度も様々な王宮に足を運び、高級品の品定めをしてきたティエラには、かつて見たことが無いほどの意匠であることが、はっきりとわかった。

 王が部屋から出た瞬間を狙い、姿を消したティエラが扉の隙間に滑り込んだ。


 扉を閉める瞬間、王が巨大な鼻をひくつかせ、怪訝な顔をしたような気がしたが、扉は閉められた。

 厳重に、鍵がかけられる。逆に見ると、ティエラが閉じ込められたことになる。

 王の居室には、誰もいなかった。

 半日以上、一睡もせずに見張り続けていたティエラにとっては、むしろ当然のことだった。






 豪華な家具、精巧な意匠、大胆にあしらわれた宝石、金銀の細工、そういった、専制君主である王の居室を彩る宝物が、非常に残念な状態になっていた。

 赤い部屋だ。入った瞬間、ティエラはそう思った。赤い沁みが、部屋の至るところに広がっている。空気そのものが、赤く染まっているかのような錯覚をおぼえた。


 ティエラの肩に、一滴の液体のが落ちた。

 手で触れながら、首を上に向ける。

 天井から滴り落ちていた。

 天井は、長方形の大理石で埋められていた。


 石一つの大きさは、子供の身長ぐらいだ。石は白い。だが、石と石の隙間が、赤く染まっていた。赤い液体が、今でもにじみ出している。にじみ出した液体が、ところどころ溜まり、下に落ちる。部屋全体が赤く見えたのは、天井からにじみ出す赤い液体が原因だ。


 部屋の中央に足を踏み出し、深い絨毯に足が沈んだ。ティエラの靴が、赤く染まる。

 絨毯は血を含み、元の色を失っていた。踏み出せば足痕が残り、靴が赤く染まる。

 ティエラは肩に落ちた一滴を指先で掬いとり、鼻に近付けた。


 血だ。


 いかに王が巨体でも、一人で暮らすには十分な広さをもった部屋だった。だが、最上階だ。天井の上には、屋根裏か空があるはずだ。

 大きな家具に囲まれ、自分が縮んだような錯覚を抱きながら、ティエラは部屋を横切った。

 本棚がある。

 本棚だけ、赤く染まっていない。


 天井から滴る血が落ちないように、傘が被せられていた。

 液体に浸せば、本が台無しになる。その意味では、本を守ろうとするのは当然だ。

 ティエラは別の意味を見つけていた。

 本業が盗賊である金髪の美女は、数冊の本の奥に、取っ手を発見した。

 曳く。


 本棚が横にずれ、上に登る階段が現れた。

 石畳で造られた狭い階段は、上段から血が流れ落ち、ティエラの足元に至るまで、血に染まっていた。

 溢れるほどではない。だが、乾いてはいない。

 王しか使用しないはずの部屋で、あえて隠し階段にする理由があるだろうか。

 あの巨体の王では、この階段は狭すぎる。では、上に続く目の前の階段は、王が利用するためのものではない。


 ティエラは耳を澄ませた。外を伺うが、王が戻ってくる様子はない。

 かすかに、音が聞こえる。階段が続く、上からだった。

 何かがいる。この階段を普段使用し、高い気密性を誇る大理石の天井でも防ぎきれないほど、大量の血を溢れさせる要因を作っている何かが。

 踏み出すことの危険性を感じ、ティエラは光の屈折を利用して階段の上を覗き見た。暗い分は光を足した。

 階段の上に、簡易な扉がある。腐りかけていた。


 手入れなどしていないのだろう。王が誰も上にあげなかったのに違いない。

 王の室内に比して、扉はあまりにも痛んでいた。大量の血に浸され、腐食していた。

 誰も訪れたことがない部屋があるのだ。

 扉の向こう側にいる何か以外、何者も訪れたことのない部屋だ。


 本棚をよく確認した。本棚の仕掛けは、室内からでしか行えない。つまり、王が呼ばなければ、上に居る何かは降りてくることができない。

 階段は王が登るには狭すぎる。

 結論は単純だ。王が上に居るものを呼ぶための、何らかの仕掛けがあるはずだ。

 ティエラはベッドの枕もとに、呼び鈴と思われる物があることに気付いていた。

 音を立てるのは、危険なように思われた。


 だが、このまま階段を上るよりはましだろう。

 本当に、階段の上にティエラの求める答えがあるのだろうか。

 腕を組み、改めてティエラは室内を見渡した。

 答えは上にある。盗賊としての勘が、そう告げた。

 呼び鈴を鳴らした。

 姿は消したままだ。

 頭上から、扉の軋む音が聞こえた。



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