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精霊使いの村  作者: 西玉
第四章金と金
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29 一族の掟

 夜になり、シリウスとガリギュアは、火傷だらけの体を引きずるように宿屋に戻ってきた。

 店主の死体がない。魔物が食べたのかもしれない。シリウスは気分を悪くした。

 シリウスのほうが軽傷であり、ガリギュアを支えながら宿屋に戻った。


 魔物は、執拗には追ってこなかった。

 火ダルマになって逃げ伸び、火を消した後、魔物に見つかっても、魔物は攻撃してこようとはしなかった。魔物の攻撃姿勢はあくまで一時的なもので、その場さえ乗り切ってしまえば、追いかけてはこないのかもしれない。


 別の理由があるのかもしれないが、シリウスには判断できなかった。ガリギュアに相談するほど、打ち解けてもいなかった。

 襲われる心配はないかもしれないとは思っても、明るいうちに宿屋に戻る気にはなれず、辺りが暗くなるのを待った。

 闇にまぎれ、宿に戻ると、二階の窓が破壊されたからか、空気が冷たかった。


 店主一人で宿を切り盛りしていたとすると、精霊使いたちと王女以外は誰もいないことになる。

 二階に上がる。血の匂いが鼻を突いた。シリウスは破壊された窓の近くに、乾いた血だまりがあることを発見した。


「……誰か負傷したな……魔物が襲ったのか?」

「知らん」


 ガリギュアはそっけなく言った。

 シリウスは炎に巻かれる準備をしていたが、ガリギュアにとっては突然の惨事だ。

 兜をしていなかったので眉は燃え尽き、髪もほとんど失った。艶やかな黒髪が、焼け出されて坊主頭になり、顔も煤で真っ黒だ。


 ガリギュアは街中で顔を洗おうとしたが、顔がわからないほうが見つかりにくいと言って、シリウスがとめた。シリウスは面頬をつけていたため、兜を脱げば外見にはほぼ変化はない。


「エリス! ユーリー!」

「モーデル!」


 シリウスとガリギュアの二人の声が重なるように響き、二階にある一番の奥の扉が開いた。灯火を持ったアルバ王女と、ユーリーが顔を出した。


「無事だったか。エリスはどうした? 誰か怪我をしたのか?」

「エリスが」


 呟きのようなユーリーの声に、シリウスはすぐに反応した。疲れており、痛むはずの体で、駆けるようにユーリーに向かう。


「どこだ?」

「こっちへ」


 アルバが手招く。


「モーデルは!」


 ガリギュアに対して、ユーリーが冷たい視線を投げかける。


「そこの部屋」


 アルバとユーリーがいた部屋より二つ手前の部屋を指差し、ユーリーはシリウスが部屋に入ることを見届け、扉を閉ざした。ガリギュアの動きにはまるで関心が無いようだった。






 枕元の小さな明かりを受け、ベッドの人影は蝋人形のように見えた。

 風色の髪は血で汚れ、一部は固まっていた。

 透き通るように白かった肌は、今は無機的に白い。美しかった。だが、シリウスには、違って見えた。


「エリス……」


 駆け寄るように近付きざま、エリスが横たわるベッドの横に膝をつき、シーツからこぼれた手を握った。

 手は冷たい。だが、体温はある。

 体温は低い。それでも、下がりきってはいない。


「ユーリー?」


 若き水の術者は、振り向いたシリウスにほほ笑んで見せた。


「生きているよ。大丈夫。きちんと術を施したもの。心配ないよ。安定している」

「ありがとう」


「シリウスにお礼を言われることじゃ……男が泣いたの、初めて見た」

「泣いてない」


 シリウスは、エリスの冷たい手に、自分の額を押し当てた。


「泣いているよ。ねぇ」


 ユーリーがアルバに同意を求めたようだが、アルバは言葉を発しなかった。

 シリウスはエリスの手を自分の頬に押し付けた。エリスの手が、シリウスの頬を撫でた。


「……エリス?」

「駄目だよ、シリウス。今は体力を回復させることが優先だよ。寝かせてあげなくちゃ」


 水の術者としてユーリーが止めようとしたが、風の術者は自ら頭を動かし、シリウスの姿を求めた。


「……シリウス……」


 弱弱しい。だが、しゃべった。

 もう眠りからは覚めていた。

 ユーリーの言う事が正しいとわかってはいた。

 シリウスは、エリスに眠るよう言わなければいけない。


 だが、そうはできなかった。もっと声を聞こうと顔を近付けた。

 エリスの顔色は悪い。それでも、ただ眠っている時よりはずっと綺麗だと思った。


「……シリウス。よかった、無事だったのね……」

「無事じゃないのはエリスのほうだろう。心配したんだぞ」

「……どうして泣いているの?」


 同じことをユーリーにも言われた。今度は、否定しなかった。


「それは……」

「私のため?」

「そうだ」


 エリスは笑った。手がシリウスの顔をもてあそぶように撫で、また、浅い眠りに落ちた。

静かに胸が上下する。

 シリウスは立ち上がった。


「ユーリー、すまない」

「んっ? どうしたの?」


「やっぱり、俺は泣いていたらしい。さっきは嘘をついた」

「わかっているよ」


 年上の男のあまりにも素朴な物言いに、ユーリーはあきれたように苦笑いを返した。






「魔物か?」

「ううん。違う」


 エリスの眠りを妨げないように壁際により、床に座ったシリウスは、椅子に腰かけるアルバとユーリーを見上げながら口を開いた。


「何があった? 誰がエリスを……」


 シリウスの手が、自然に腰の剣に伸びていた。金属がむき出しになった剣の柄を握る手に、血管が浮かび上がる。


「モーデルだよ。暗殺用の小刀で、エリスを刺した。私が近くにいなかったら、きっと、エリスは死んでいた」


 ユーリーの表情からして、冗談ではない。冗談でそんなことを言う娘ではない。

 シリウスは視線をアルバに転じた。アルバは、小さくうなずいた。


「モーデルか?」

「うん」

「他の術者の壁となるべき、金の術者か?」

「そうだよ」


 表情なく、シリウスが立ち上がった。


「さっきの部屋だな」

「うん」

「待ちなさい、シリウス。モーデルは、もう報いを受けました」


 アルバが止めた。シリウスが見たのは、ユーリーだった。


「死んだのか?」

「生きているよ。まだ」

「そうか」


 シリウスは剣を引き抜いた。


「待ちなさい!」


 追いかけてくる声に、肩越しに王女を見つめるも、シリウスは呟くように告げた。


「王女様は、早く王宮へ行くといい。自分の仕事をすることだ。これは、俺達精霊使いの問題だ。守るべき術者を傷つけた金の術者は死罪とする。しかも、エリスは『風の束ね』として、風の術者の長となるべき術者だ。許されることじゃない。ユーリー、お前もわかっているはずだ。どうして殺さない」


「エリスが止めたから……」

「エリスなら止めるだろう。そんなことはわかっている。だからといって、見過ごしていい問題じゃない」


 精霊使いの村で産まれ、育った者は、シリウスのような考え方を徹底的に叩きこまれる。金の術者は使い捨ての壁にすぎず、守るべき他の術者を傷つけることなど、あってはならないのだ。


「結局、シリウスは掟から逃れられないのですね」


 アルバ王女が落胆したように口を開いた。


「逃れる必要がどこにある?」


 シリウスは迷わず答えた。


「エリスが悲しむでしょうね、私もですが」


 茶色い髪を揺らし、アルバが背を向けた。シリウスは答えを見出せず、固まった。


 ――どういう意味だ?


 言葉にできなかったのは、アルバの反応が怖かったからだった。

 掟から抜け出したいという自分の気持ちを、素直に認めるのが怖かったのだ。

 この任務が終わったら。そう思っていた。

 今はまだ、その時ではない。


「ユーリー、俺はどうしたらいい……」


 聞くべきではない。ユーリーは一族全体を率いることになるかもしれない身だ。

 それでも、聞かずにはいられなかった。

 水の術者は明快に答えた。


「シリウスが正しいに決まっているじゃない。だから、私も殺そうとした。とどめを刺そうとして……エリスの治療に力を向けることを優先したんだ。仕方ないじゃない」

「そうだな。悪かった」


 シリウスは大人に成りきれない少女に、深々と頭を下げた。

 ユーリーを責めたことだけではない。自らの立場に迷いを生じたことに、謝罪した。

 エリスへの思いは別にしても、果たすべき義務は貫かなければならない。


「では、エリスを頼む」

「うん」


 もはやアルバ王女の存在も気にならなかった。シリウスは扉を開けた。

 そこに、毛髪を火で焼かれ、禿げあがった頭に火ぶくれをつくったガリギュアが立っていた。


「モーデルが死にそうなんだ」


 ガリギュアの言葉は、部屋にうつろに響いた。


「死んでいないのか?」

「当たり前だ!」


 シリウスに怒鳴りつけ、ガリギュアは室内に視線を向ける。ベッドの隣に立つ、ユーリーに目を止めた。


「ユーリー、モーデルが死にそうだ。助けてくれ」


 駆け寄ろうとしたガリギュアの肩を、シリウスが掴む。

 凄まじい形相で振り返ったガリギュアを、シリウスはさらに険しい目つきで睨み返し、壁に叩きつけた。


「何の用だ! 邪魔をするな!」


 わめきたてるガリギュアを、シリウスは壁に押し付ける。


「モーデルはエリスを傷つけた。死んで当然だ。ガリギュアはモーデルと仲がよかったな。信用できない。エリスにもユーリーにも、近付けさせるわけにはいかない」


「モーデルが、エリスを?」

「ユーリーがいなければ、死んでいた!」


 ガリギュアの視線が泳ぐ。金の術者はみな、徹底的に叩きこまれている。他の術者を傷つけることが、どれほどの罪か。


「待て。モーデルは……アルバ王女を殺そうとしたんだ。エリスを傷つけようとしたわけじゃないはずだ。そうだろ? ユーリー?」


 喉元を押さえつけられ、苦しそうに喘ぎながら、ガリギュアはシリウスの背後の少女に語りかけた。


「うん……たぶん……」

「そんなことは関係ない」


 風の術者を傷つけた事実は揺るがない。


「わかっている……だが……モーデルは精霊使いの掟を裏切ろうとしたわけじゃない。むしろ精霊使いを守ろうとしてやったことだ。いや……俺達の国、全部を守るためにやったことだ」

「……どういうことだ?」


 突然話が大きくなったため、シリウスは眉を寄せた。ガリギュアを壁際から離すが、代わりに床に転がした。

 剣を引き抜く。切っ先をガリギュアに向け、先を促した。


「その女は、国を魔物に売ろうとしているんだ」


 アルバ王女を指差し、ガリギュアが叫ぶ。

 シリウスはアルバを見た。ガリギュアから視線を離しても、剣を抜いたシリウスに死角はない。


「エベリン卿がそう言ったのですね」

「ああ……アルバ王女は条約で魔物に国を渡そうとしている。条約を結ぶ前に殺さなければ、国は魔物に乗っ取られる」


「なぜ、そんなことを私がしなくてはならないのですか?」

「もし、そうならなくても、王女の国は戦争に巻き込まれて、解体される。そのためには、王女が条約を結ぶ前に殺さなくてはならない」

「世迷言です。シリウス、信じてはいけません」


 アルバが踏み出した。

 シリウスに近付いてくる。

 シリウスは混乱した。政治のことなど考えたこともなかった。護衛している人間が何を考えているか、どうでもよかった。


「そんなこと、関係ない」


 シリウスの結論だった。剣をガリギュアに向ける。

 シリウスの背に、アルバが手を触れた。体を寄せるのを、背中で感じた。

 まるで、シリウスの体温を感じ取ろうとするかのようだ。鎧を着たままなので、それは叶わないはずだが。


「シリウス、その女に惑わされるな」

「『女に惑わされる』? 俺がそんな……」


 振り向こうとしたシリウスは、まじかにアルバの顔があるのに気付いた。

 とても、近かった。

 輝くような澄んだ瞳で、シリウスの顔を見つめていた。


「どうした?」


 シリウスが、アルバに尋ねた。アルバは、囁いた。


「私を信じて。私は、あなたを信じています。思い出して。平原でのこと」


 アルバは、自分の唇を指で撫でた。シリウスは唇の柔らかい感触を思い出した。


「シリウス!」


 水の術者、ユーリーの激しい声が聞こえた。シリウスが振り向くと、ユーリーが湯気を立ち昇らせて睨んでいた。


「な……なんだ?」

「エリスに言うよ」

「え……ちょっと待て……俺は何も……」


 シリウスは慌てた。混乱し、意識が逸れた。

 ガリギュアが立ち上がるのを許し、アルバを背に貼り付けたまま、シリウスは戸惑った。


「シリウス」


 ガリギュアの声は、むしろ落ち着いていた。剣を引き抜く所作にも、迷いはなかった。

 シリウスはアルバを丁寧にどかせ、対峙した。


「俺はモーデルを助ける。お前が邪魔をするというのなら、殺す」

「では、やむを得ないな」

「言っておくが、シリウス、俺とモーデルは、ティエラの指示で動いている。この意味、お前もわかるな?」


 光の術者ティエラも、一族で最も強い力を持つ術者だ。俗世間に積極的に関わろうとする悪癖さえなければ、いつ光の術者を束ねる地位についてもおかしくはない。


「なるほど……だが、ティエラはどこにいる? 何をしている?」

「アルバ王女を殺すことが、まず第一の目標だ。だが、王都は広い。発見できるかどうかわからなかった。ティエラは今、一人で王宮に侵入している。王女の殺害に失敗した場合、この国と魔物の繋がりを突き止め、この国ごと魔物に飲み込ませるためだ」


「……私は魔物に国を売るなんて考えていません。魔物は労働力として手頃だから、魔物を使役する国に国力では敵わないから、国の繁栄のために……」

「あんたは! この国で何を見た!」


 ガリギュアが剣を構え、構えたまま、叫んだ。シリウスは動かなかった。動けなかったのだ。

 シリウスがするべきことに変わりはない。だが、ガリギュアの言い分を聞いてみたくなった。ガリギュアは続けた。


「魔物がどれだけ凶暴で救いのない連中か、俺とシリウスは知っている。俺とモーデルは、魔物が……元々人間だったものを、無理やり変えられたことを……知っている」

「嘘です! 魔物と人間は違います。魔物は凶暴ですが、人間が上手く操れば、これほど便利な道具はありません!」


「本気でそう言っているのか? 俺とモーデルは、この宿にいた魔物を殺した。宿の主人が、変わり果てた妻だと言って、俺達を魔物に殺させようとした。嘘じゃない。もし、俺が嘘をついていると言うなら、この町の状況をどう説明する? 確かに建物の中に人間はいるだろう。だが、出てくることもできない。魔物がうろついて、恐ろしくて窓もあけられない。あんた、自分の国をこんなふうにしたいのか!」

「……そんなこと……」


 健康的な茶色い肌を蒼白にした王女に肩を貸し、シリウスが支える。ガリギュアが吐き捨てた


「もういい。モーデルには時間がない。シリウス、ユーリーを貸してくれ。ユーリーを傷つけても意味がない。絶対に、そんなことはしない」

「それとこれとは、話が別だ」

「……単細胞め……」


 二人の金の術者は同時に床を蹴り、剣と剣が高い音を立てた。


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