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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

月があける扉

作者: 金糸雀

この世界に平行する世界があったら冒険してみたい、そんな思いで書いた小説です。

 その晩は凍るような満月だった。

 きっかけはささいな不注意(ミス)


 人気(ひとけ)の無い林の中を、道真(みちざね)は走っていた。小枝から顔を出す若芽が春の到来を告げていたが、夜の空気は肌を刺すように冷たい。

 滅多に人が立ち入らない林には道など無かった。渇いた落ち葉を踏まぬよう岩から岩へと跳躍し、倒れた木の幹を飛び越える。そんな状態がかれこれ2時間以上も続いていた。

 息を切らし時折振り返りつつも、彼は足を止めなかった。彼は追われていたのだ。

 危なく断崖から落ちそうになり、道真は足を止めた。遙か下に、丸い月がゆらゆら光って揺れている。池……いやちょっとした湖と形容するべきか。豊かな水を湛え、かなり深そうに見える。水は相当冷たいに違いない。

 追手の気配が近い。迷っている暇は無い。彼は前方に向かい、ヒラリと身を躍らせた。


 派手な水音がしたので三人は急ぎその方角へ向かった。三人とも背格好は普通の会社員だが、倒木の枝に足を取られることもなく、道のない藪を難なく移動するその動きは獲物を追うハンターのようだ。

 それぞれの手には一丁の拳銃が握られている。めいめい湖岸にたどり着き、遥か下の水面を覗きこむ。

 水面に広がる波紋が見え、その中心から泡が出て消えた。男の一人が波紋の中心に向かって三度引き金を引いた。射出された銃弾が水面を突き抜け獲物を追うが、失速し奥深くまで届かない。グレーのスーツの男が撃つのを止めるよう合図した。……しばらく待つが、少年が水面に顔を出す気配はない。

 「おい!」

 別の男が自らの足下を指さす。そこには大きな岩をどけた跡があった。

 「ちっ、石を投げ込んだのか……あのガキ、なめた真似しやがって」

 「探せ、まだ遠くに行っていない筈だ」


 道真は水面の下から男達が立ち去るのを見ていた。彼は水中に横から張り出している木の根につかまっていたのだ。

 湖は相当に深く、底は見えない。……後はどうやって水音を立てずに岸に上がるか……

 上に向かって泳ごうと蹴った右足が何かに取られた。足首に装備している銃のホルダーが複雑に絡まる根に引っかかったのだ。動かした程度では外れそうにない。

 ホルダーを外そうとしたが、あと少しというところで手が届かなかった。手元の根を切ろうとナイフで切りつけてみるが、全く刃が立たない。

 五分は潜っていられる彼だったが、そうこうしているうちに水を吸い込んだ。むせて意識が遠のく。

 目の前に黒い塊の様なものがいくつも浮かび、ゆらゆらと揺れた。幻覚が見えるようになったら終いだと彼は覚悟を決めた。そういえば……明日は生徒会の役員会だったっけ……

 彼はゆっくり眼を閉じ……


 次に目を開けたとき、彼は浅い池の水面に横たわっていた。

真っ黒な植物の葉が、何本も水面から突き出ている。ついさっきぼんやりと見えていた黒い塊が、はっきりと花の形を取っている。

 「(はす)……?」

 水面から突き出す葉に恐る恐る手を触れてみる。葉はしっとりとして厚ぼったい。表面に生えた細かい毛が、数珠の玉のごとく水を弾く。ごく普通の蓮の葉。だがその色だけは墨を浴びたように黒い。

 水底に手をついて身を起こした。

 池はさほど広くない。周囲を高い断崖が囲み、木らしきものからのびる枝が池に向かって垂れている。とにかくすべての植物が黒い。岸辺近くに生えている木の枝先にぶら下がる実も真っ黒だ。

 夜ではなかった。空はどんよりと曇っていたが薄明るく、地面の土はむしろ白っぽかった。

 彼は思う。これがあの世というものなのだろう。自分はさっき、溺れて死んだのだから。

 水音を立てぬよう岸に向かって歩いた。黒い水草の間を、メダカに似た銀色の小魚が泳いで逃げていく。池から上がろうとし……しかし彼はためらった。地面に生える細い糸のような草がザワリと動いたからだ。眼の前にぶら下がる黒い実までもが、意思を持つようにゆらゆら揺れた。好奇心に駆られ、その実に触ろうと手を伸ばした。


 「触るな」

 横あいから声をかけられた。

 見ると、岸辺に生えた木の根本に誰かが座っている。人間に見えるがそんな筈はない。きっと天使か悪魔だろう。

 ゆっくりと立ち上がった彼を見て、天使に違いないと彼は思った。見た目は自分と同じ十五、六の少年のようだったが、肩まで届かぬ短めの髪は緑がかった銀色をしていた。瞳の色も同じ銀。

 少女のような優しい顔立ちをしているが、その眼差しはすべてを見透したように鮮烈で冷ややかだ。

 額と首、腕には美しい銀の装飾の輪が嵌められ、両の手に白い手袋をつけている。袖のない白い上着は膝まで届き、胴まわりに頑丈そうな銀のベルトが巻かれている。

 茫然と自分を見つめている少年を見て、羽根のない白い天使はクスリと笑った。

 「その様子だと、ここに来るのは初めてのようだな」

 小川のせせらぎのような軽やかな声だが、話しぶりは尊大で馬鹿にしたような響きがあった。

 「当たり前です。ここは死後の世界なのでしょう?」

 少年は一瞬呆気に取られた顔をすると、さも可笑しげに笑った。恐ろしい銀の眼を向け、口を開く。

 「ここは妖界(ようかい)と呼ばれる歴とした三次元世界だ」

 「え?……じゃああなたは……?」

 「俺?……俺は……この『接点』を見張る番人。判定者といったところか」

 言いながら手袋をはめた手で、触手についている黒い実を指さす。

 「こいつはバルバーナと言って、素手で触ると……」

 彼は手袋の届いていない肘のあたりで軽く実に触れた。

 いきなり実が、ヒトの上半身程の大きさにふくれあがり、巨大な口を開けた。

 道真が驚く間もなく、口は少年の上腕部を食いちぎった。肘から先の部分がちぎれて飛び、近くの草むらにドサリと落ちる。

 「人食い花!!?」

 バルバーナが腕を咀嚼してる前で、少年は肩口を押さえている。押さえた手指の間から、自分と同じ赤い血が流れ出しているのが見えた。


 「裕佳(ゆうか)、何を遊んでいるんだ」

 声は別の方からした。黒い木の横に、まるで闇と同化したように佇む少年が一人。右手にちぎれた腕を持っている。似たような格好をしていたが、髪と服の色は対照的に黒かった。瞳の色も黒だったが、光の具合によっては緋色にも見える不思議な色合いをしていた。年齢に似合わない落ち着いた威厳。仲間が大変な目にあっているというのに動じた風もない。

 彼は肩から血を流す少年には目もくれず、道真の眼をまっすぐに見ている。その眼差しに吸い込まれそうな錯覚を覚え、思わず目をそらした。

 「裕行(ゆうき)……」

 裕佳と呼ばれた白い服の少年が、肩を押さえながらつぶやいた。その声は助けを求めるものでは決してなく、むしろ畏れているような響きがあった。傷口が痛むのか、それともこの少年の出現に対してなのか……額にはうっすらと汗が滲んでいる。血はまだ止まっていない。

 裕行がちぎれた腕の傷口に右手の平を押し当て、上に向かって撫でるような動作をした。

 道真が目を丸くした。なんと上腕部が再生したのだ。

 放り投げられた腕を右手で受け止め、肩口に宛がう裕佳。見る間に血は止まり、少年はつけたばかりの左腕を左右に動かしている。

『ウソだろ……?この世界じゃ当たり前の事なのか……!?』

 その様子に気を取られていた道真は、黒い少年がすぐ目の前に立っているのに気づかなかった。

 「先に我々の質問に答えてもらおう」

 ギョッとして身がまえる道真。

 「満月の夜の侵入者よ。君は何者だ」

 感情を殺した厳かな声。その年齢にしてすでに重い責を負っている……そんな思いさえ感じさせる声。身体から陽炎のような空気の渦がゆっくりと立ちのぼる。

 「無知を装って潜入してくる侵入者は多い。刺客ならなおさらの事……」

 裕行の足下の水面から黒い蔓のような植物が顔を出し、触手を彼の手に伸ばした。先端に掴んでいた何かを手渡す。

 「腕にこんなものを隠している。否とは言わせん」

 彼が手にしているのは道真が腕に装備していたはずのナイフだった。まさかと思い右腕の袖をめくり上げると、案の定、皮のベルトに装着していた筈のナイフが無い。

 「異界人は即刻処刑する『掟』だ。普通なら楽に死なせてやる所だが……」

 ナイフを握りしめながら、裕行は憎しみの籠った眼で道真を睨みつけた。

 「君が我らの王を葬らんとする輩の使者なら……手足を引きちぎり奴らへの見せしめにしてやる」

 少年の身体にまといつく空気の渦が、突然うなりを上げてはじけた。同時に手にしたナイフが鈍い音を立てて砕けた。

 ――――――――――――殺される……!!

 そう思った瞬間、道真は大きく後ろに跳躍し、池を囲む断崖の上に着地していた。

 黒い少年はただじっと彼の方を見上げている。

 道真は身をひるがえし、黒い植物の群生する森の奥へ向かって走った。逃げても無駄な気はしたが、納得のいかぬ内に殺されたくなかった。ここがどんな所なのか見てみたくもあった。

 走りながら思う。うまくいけば帰る方法が見つかるかもしれないと。


 「いいのか?」

 裕佳が咎めるような素振りで口を開いた。

 「構わんさ。あの方向は王城とは逆だ」

 素手で触れないはずのバルバーナの実が、裕行の頬に身体をすりつけゴロゴロとのどを鳴らした。

 「それに、街には利休(りきゅう)がいる。心配はない」

 その時彼は、裕佳が自分の顔をじっと見ているのに気づいた。

 「何だよ」

 「いや……な。その悪人面じゃあ逃げられるのも無理ないなーとか思って」

 言い終わるやいなやポンと裕行の肩に手を置く。二人きりの時だけに許された気安さである。

 「顔だけ天使の奴に言われたくないな」

 裕佳がムっとした顔で置いた手を離す。本当に怒らせたら恐いのはこいつの方だと彼は本気で思っていた。


 三十分ほど走っただろうか、道真は目の前に広がる光景に目を奪われ足を止めた。

 街が広がっていた。窓と扉のついた丸い()の様なものが地面から無数に生えて(・・・)いるのだ。

 家は地上五メートルから百メートルの高さに達するものまで様々だったが、すべて網の目のように張り巡らされた道によって通じている。

 その道をヒトが歩いているのが見える。馬に似た生き物に跨る者もいる。〈家)は遥か地平線の向こうまで続いている。都市と言ってもいい数だ。

 人界の都市とはあまりに違う街。森からその街へ向かい、一筋の道が伸びている。

 「空中都市……さっきの植物からの防御だろうか」

 彼は少年の腕を食いちぎった植物の事を思い独りごちた。地面には人を襲う植物が群生しているのだ。空中ならばその心配はないだろう。

 ふと目をやると、家と家との間に据えられた台座の上に、人がいる。眼をこらすと……長い衣を身に付けた神官風のような男、そばには箱をもった少年が座っているのが見える。一人の青年が両脇を二人の人間に支えられている。神官は青年の顔に手を伸ばすと、木の芽でも摘み取るように彼の眼をつかみ取った。

 「う……!?」

 軽くショックを受け、道真は思わず呻いた。

 神官は血のしたたる眼球を、土のようなものが敷かれた箱の上に置いた。対面の黒髪の青年がそれの上に両手をかざす。

 ユラリと陽炎のようなものが立ち上り……水菓子を射るような音と共に、眼球が土から持ちあがった。トクン……と脈打ち始める生命の鼓動。眼球は見る間に分裂をはじめ、何かの形へと育っていく。 

 「これは……まさか」

 「子供を作るところを見るのは初めてかい?」

 突然後ろから声を掛けられ、道真はあわてて振り返った。

 「あっ……と、スマん。脅かすつもりは無かったんだが」

 過剰な反応に驚きながら、その男はすまなそうに謝った。年の頃は四十代半ばくらいか。上背のあるがっしりとした体躯に純白の軍服を身につけている。腰まで届く豊かな空色の髪。背には優美に湾曲した長い剣。

 軍人のようだが、誠実で温厚な人柄を感じさせる男だった。

 「おや、君は今日土から離れたのだな。その髪の長さで解る」

 「え?」

 意外な一言に、思わず後ろ髪に手をやる。

 「王族ならともかく。その長さじゃ光合成量が足りないからね」

 言って彼は自分の長い髪を手に取った。髪がまるで意思を持っているかのようにスルスルと下に流れた。

 「まあ、体内の卵黄が切れるまでにはこのくらいに……」

 道真がポカンとして彼の言うことを聞いているのに気がついて、急に男は言葉を切り笑い出した。

 「このくらいのこと、土から学習しているんだったな、失敬失敬」

 どうやら男は道真が異界人だとは思っていないようである。

 ふと……道真は池の畔にいた少年も髪が短かった事を思い出した。彼等は……王族だとでも……?

「私は王宮勤めをしている利休という者だ。今日は暇をもらって息子に会いに来たのだが、街まで一緒に来るといい。ここは危険だ」

 男が手を差し出したので、道真は慌てた。冗談ではない。正体がばれるまえに一刻も早くこの場を立ち去りたかった。

 助けを呼ぶ声は、さっきの台座の方角からした。


 「誰か……!誰か(かおる)を助けてくれ!!」

 声を限りに叫んでいるのは、先ほど眼球に手をかざしていた黒髪の青年だ。

 「甲斐(かい)、落ちつけ!!」

 神官見習の一人が青年の肩を掴み、宥めている。

 「お前はさっきの『発生』で生命エネルギーをほとんど使ってしまったんだぞ!?興奮すればお前まで死ぬ!!!」

 「でもこのままでは……!」

 「とにかく家の中に薫を運ぼう。できる限りの手当てをするしかあるまい」

 神官の指示と共に台座に居た面々はすぐ横の大きめの家の中へと入って行ってしまった。

 利休が飛ぶようにその家へと走っていく。逃げるなら今だとは思いつつ……道真も後に続いた。助けを呼ぶ〈患者〉がいるのだ。


 「どうした!何があった!!」

 利休が扉の外から問いかける。

 「利休殿!?」

 「おお!!利休殿!!」

 口ぐちに喜びの声を上げる神官たち。よほ利休を普段から頼りにしているのか、慕っているのか、そんな素振りである。

 道真もそっとその家の中に入った。

 丸い外見とは裏腹に、床は平らだった。畳よりややクッションの効いた床材は、歩くたびに柔らかい葉擦れにも似た音を立てた。板を削って造られたようなドーム状の壁と天井には、ガラスを嵌め込んだ四角い窓が数か所あり、部屋の仕切りは一切無い。普通ならあるであろう、食べ物を調理する台所や食糧の類は見当たらない。調度品らしきものと言えば、部屋の隅に置かれた本棚と薬品棚くらいだろうか。

 部屋の中央に一人の青年が横になっていた。眼には包帯が巻かれている。枕元にいる一番年上の神官が、巻いた包帯を手で押さえている。

 利休は肩に掛けた長剣を右手に持ち替え、神官の右隣に膝をついて座った。

 「茘枝(れいし)、一体?」

 茘枝と呼ばれた神官は、薫の目を抑えたまま口を開いた。

 「臍動脈からの出血が止まらんのだ。血が止まりにくい体質のようでな」

 抑えているにもかかわらず、あふれるように流れ落ちる血が、薫の半身を染めていた。

 「どうしてです茘枝殿!?手も足も、血なんてすぐに止まるし、すぐに生えてくるのが普通だ!眼は……違うのですか!?」

 甲斐が悲痛な声を出す。

 「おそらく月齢が影響している。満月はあらゆる分子を不安定にする」

 答えたのは茘枝ではなく利休だった。薫の身を案じてか、こめかみに玉の汗を浮かべている。

 「医者は来ないのか?」

 「それが、みな出払っていて……おろらく他にも同じような人が……」

 利休の問いに若い神官がうろたえ気味に答えた。一同は水を打ったように静まりかえった。

 眼を伏せていた甲斐が、意を決したように顔をあげた。

「師団長、裕行様にお願いすることは出来ないでしょうか」

「甲斐……?」

「あの御方はあらゆる物を治す能力(ちから)を持っていると聞いています」

「確かに……満月期の裕行様なら一瞬で薫の眼を治す力をお持ちだ。だが私は勧めん」

「何故です?」

「裕行様の力は正確には‘治癒’ではない。『復元』なのだ。薫の眼も治るが、先程生まれ出た新しい命も、薫の眼に戻ってしまう。それでもいいのか?」

 甲斐の口が何か言いたげに動いたが、言葉にはならなかった。

「どの道裕行様は今日、異界との接点を見張られている。ここに来る余裕はなかろう」

 戸口でずっと様子を覗っていた道真は、横になっている青年を見た。彼はその職業柄、青年がどんな状態なのか一目で分かった。放っておけば確実に死ぬ。

 道真は右上腕部に鉗子、メスなどの外科手術器具を常備している。自分ならこの青年を助けることが出来るのだ。


 「医者ならここにいる。私が診ましょう」

 戸口に立っていた道真がいきなり声を上げたので、神官達は驚いて彼を見た。

 「君!?」

 名乗り出たのがまだ十五くらいの少年であることに神官達は動揺した。が、利休と連れだって来たのだと思いなおし、表情を緩めた。

 (馬鹿な……!離土(リリース)したばかりで医者だと……?)

 利休は利休で驚きの色を隠せないでいた。神官達からは道真の後ろ側は見えないため、彼の髪が短い事に気がついていない。

「利休殿、医師をお連れだったのか、それなら早く薫を」

 手を伸ばしかける神官を、彼は制した。医師になる為には、ある程度修行を積む必要がある。生まれたばかりで医師など、絶対にありえないのだ。

 そういえば、今日は満月。異界との接点が開かれる時。

 彼が異界人だとすれがつじつまが合うのだ。

 接点を見張っている裕行達が見逃したとは思えないが、何か理由(ワケ)があるのかもしれない。

 異界人は見つけ次第抹殺すると言うのが掟である。たとえそれが薫を助けてくれる者であっても例外ではない。

 利休は腰につけた短剣に手を伸ばしたが、そこでふと躊躇った。彼がもし他国の王族ならばと思ったのである。それなら髪が短くてもおかしくはない。

 しかしそれならそれで、力を制御するための銀の(リング)を額や手首につけているはずだった。また、王子であれば手袋を外すことは絶対の禁忌だった。

 「利休殿!!薫の容態が!!」

 その声に利休は我に返った。

 薫の息づかいが荒い。

 「薫!!」

 道真はすばやく薫のそばに駆け寄ると、彼の手を取った。反射的に利休が腰の短剣に手を伸ばす。

 「利休殿、私はこの人を助けたいだけだ。その剣を使うのはそれからでも遅くはない」

 利休にしか聞こえない声で、少年が囁いた。

 「……?」

 利休は驚いて少年を見た。この年若い少年はどうやら自分の意図を察知していて、なおかつ死をも覚悟しているようだ。何者なのかは解らないが、果たしてこの場で彼を殺すことが義に叶う事だろうか……?

 「あなたの名は」

 「道真」

 名乗りつつ、道真が薫の手首に指を当てる。

 (呼吸促迫、心拍数120、血圧低下、体温約20度、かなり危険な……ん?体温20度!!?)

 あまりの体温の低さに彼は一瞬焦ったが、人界人とは違うのだと思い直した。

 (光合成するって言うからきっと内臓もないぞー)

 などと心の中で呟きながら、道真は出血している眼を診はじめた。

 (大丈夫かな、この医者)

 利休はその様子を心配そうに眺めていた。


 手当てが終わった。

 「道真殿、薫は……?」

 馴れた手つきで包帯を巻く道真に、利休がおそるおそる訪ねる。

 「切れた血管を物理的に結紮(けっさつ)したので、もう大丈夫です」

 神官達が、口々に感嘆の声を上げる。

 「ありがとうございます!」

 甲斐が薫の手を握りしめながら礼を言った。


 水を張った(たらい)で軽く器具を洗いながら、道真はさりげなく利休に目をやった。彼だけは、助かった青年を見ていなかった。剣を手に取り、無言で道真を促す。道真も黙ってうなずくと、器具を懐にしまった。

 「……利休殿?」

 二人が戸口に向かって歩き出したので、不審に思った茘枝が声をかけた。が、答える声はなかった。他の神官達も困惑した面持ちで、出ていく二人を見つめていた。


 いくつもの階段を上り、街を出る。乾いた土を踏みしめる二人分の足音。振り返りもせず、ただ黙って歩く男の後を、道真はついていく。

 長いこと、二人は口を聞かなかった。いったい何処まで行くのだろうという道真の疑問は、ほどなくして消えた。森へ入る少し手前。丈の短い草が生える開けた場で、利休が足を止めたからだ。

 「礼を言っておく。あなたがいなかったら薫は死んでいた」

 背を向けたままで男が言う。

 「あの技術、素人目にもあなたが熟練した外科医だと判る。新生児には決してできぬ芸当だ」

 「つまり私はこの世界の人間ではない……と?」

 利休がゆっくりと振り向いた。眼には苦悩の色が、ありありと浮かんでいた。

 「私は王家を守護する近衛として、あなたを斬らねばならない」

 道真は答える代わりに、まっすぐ利休の眼を見返した。覚悟は出来ていた。ここに来なければ溺れて死んでいたのだ。死ぬ前にいいものが見れた、とも思う。

 一方利休は利休で少年の意図を量りかねていた。何故この少年は命乞いをしないのか。先ほどの行為をして恩を着せることも出来るというのに。掟通り、殺すのは簡単だ。見たところ人界の人間。首を落とせばいい。しかし……

 利休はグッと眼を閉じ、見開いた。そして鞘を抜かぬままの剣を少年に向かって放った。

 いきなり放たれた剣を道真は左手で受け止めた。

 「利休殿!?」

 動揺の色を隠せぬ道真に構わず、利休が腰の短剣を抜いた。胸前に縦に構え、叫ぶ。

 「改めて名乗る! 私は筆頭国王補佐官にして、近衛師団長、利休!」

 言ってニヤリと笑った。

 「公平でない事は性に合わんのでな」

 彼は道真と決闘しようと言うのだ。それもおそらく愛用しているであろう長剣を道真に渡し、自分は短剣で。

 道真は長剣の柄に手をかけ、静かに引き抜いた。剣は優美に湾曲していて、ずっしりと重かった。切っ先と繊細な研ぎ方は日本刀に似るが、諸刃だ。両手で持ち、スッと前方に構える。

 「私は須河原道真(すがわらみちざね)。医者と暗殺請負を生業としています」

 誰にも打ち明けたことなどない、自分の素性。ここで隠す必要など無かった。

 暗殺請負という言葉に、利休はわずかに眉を動かした。

 「ほう……?……ならば、遠慮はいらんな」

 すんでの所で、彼は利休の剣を跳ね返した。その体格からは想像出来ない、素早い動き。

 音もなく着地した利休は、再び少年に向かい、地を蹴った。

 まともに剣を受け、道真はやや後方に下がった。ギリッと刃と刃の(せめ)ぐ音。しばらくそのまま睨みあい、二人同時に離れる。

 今度は道真が着地した反動を利用して切りつけた。体重を乗せた、斜め上段からの一閃。普通なら剣に振り回されるところである。

 しかし、少年は常に剣を中心に軸を置いている。剣の特性を最大限に生かし、決してバランスを崩さない。かわされた後の動きまで、すべて頭に入っているようだ。

 (見事!!私の月刀(げっとう)をそこまで使えるとは!!)

 思いがけず善戦する少年に、利休は内心舌を巻いていた。

 惜しい、と彼は思う。この少年、異界のものでなければ、迷わず近衛に抜擢していたものを……!

 しかし掟は掟。恩があろうが無かろうが、掟破りは死罪。おそらく、たった一人の息子の命もない。

 「これまで!!」

 一声高く叫び、利休は道真の剣を短剣の鍔で受け止めた。そのまま少年の懐に入りこみ、身体を反転させる。

 道真はたまらず剣を手から離した。もし剣を掴んだままだったら、手首が折れていたかも知れない。

 横へと跳んだ少年の右手、長剣が円を描きつつ地に突き刺さった。


 勝負はついた。道真は膝をつくと、むしろ晴れ晴れとした顔で利休を見上げた。

 「あなたの勝ちです。とどめを」

 感情を込めぬ眼を少年に向け、利休は剣を引きぬいた。両の手に持ちなおし、ひざまづく少年の背後に回る。

 「許せ」

 しかし――――

 刃が空を裂く音が、首の後ろでピタリと止まった。

 頸筋に冷たい刃の感触。何事かと、道真は眼を開いた。ギリッと歯噛みする音が、彼の耳にも届いた。

 「利休殿?」

 剣を降ろすでもなく、そのままの姿勢で利休は立ち尽くしていた。

 「もういい利休」

 横から利休の腕を押さえる者があった。蓮の池の畔にいたはずの黒い少年、裕行である。

 一体いつから彼らの様子を見ていたのか。近衛師団長である利休を呼び捨てにしている事から察するに、彼は利休より身分の高い、おそらく王族なのだろう。

 「この役目はお前には重荷だな」

 「裕行様……」

 利休は目を伏せた。

 裕行が利休の手から剣を取る。

 「義理堅いお前のことだ。息子の恩人は切れまい」

 「息子?」

 そう言えばさっき利休は言っていた。息子に会いに来た、と。近衛の師団長ともあろう者が、何をそう躊躇するのかと内心(いぶか)っていた道真だったが、そうかそれでと合点がいく。

 裕行はくるりと道真の方に向き直った。

 「道真、と言ったな。」

 言って長剣を再び地に突き刺す。

 「この『妖界(ようかい)では、異界人は殺す掟だ」

 言うや否や、羽虫の鳴る音を立てて彼の身につけていた銀の輪が砕け散った。

 「裕行様……!」

 焦りの色をにじませて利休が叫ぶ。

 裕行はうすく微笑んだ。

 「掟は掟だが……ひとつの『命』を助けた者に『命』をひとつ返すのも道理」

 彼は左手にはめていた手袋を外した。手の甲には紋章のようなものが刻まれている。眉間にも同じ形の紋章が浮かび上がっている。

 彼が左手をかざすと、道真の目の前に眩しく輝く壁のようなものが出現した。

 「『扉』を開いてやる。行くがいい。『月』が欠けぬうちに」

 道真がその『扉』の前に踏み出すと、全身を空気の渦が取り巻いた。

 「君が念じればもとの場所に戻れる」

 フワリと身体が浮く感覚。振り向くと、利休の後ろにさっき助けた青年や神官達が立っていた。

 利休がさっき決闘の前にそうしたように、鞘に納めた短剣をまっすぐに胸の前にかざすのが見えた。

 フッと目の前が暗くなり、彼はいくつもの木が生えている岩場に立っていた。

 見上げると木々の枝葉の隙間、新円の月が青白い光を放っていた。

 「月があけた扉……か」


 夢でも見ていたのだろうか?

 ……いや……

 彼は首の後ろを撫でた。そこには月刀を宛がわれた痕が、傷となってうっすらと残っていた。



 月があける扉  完





人界のパラレルワールド「妖界」は植物と動物の性質が逆転した世界です。そんな世界では戦争は起こるのか、食糧危機問題は? 登場人物を動かすうちにその疑問が解ければと思いシリーズとして書いていますが、まだまだ前途多難です。

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