外伝:とんでも腐れビッチ紫苑ちゃん Ⅴ
「――――」
見守っていた生徒達、そして一部を除く教師達は言葉を失っていた。
月曜、Aクラス内におけるパーティ同士の戦闘が行われたのだがほんの一時間ほどで決着がついた。
栞、アイリーンの二人で総てを倒してのけたのだ。
いや、正確には交互に一パーティ、五人ずつを相手にして一人一つずつのパーティを潰して決着をつけた。
「うん」
グラウンドの真ん中で満足そうに頷くアイリーンはまだまだ余裕があると言った顔だ。
しかし、紫苑の隣で休憩していた栞は流石に消耗していてもう一戦一人でやらかすのは不可能だろう。
それでも驚異的と言えよう、特に生徒の実力を把握していた教師陣は栞の飛躍的なパワーアップに驚きを隠せない。
紫苑とのたった二日間の特訓、それでも地獄のような密度を誇る特訓。
アイリーンもステップアップしたが、伸び幅で言うのならば栞が一番だろう。
紫苑と言う強大な魂に引っ張られる形で、純化とまではいかずともかなりのレベルにまで達した。
さて、自分が面倒を見た者達が結果を残せば嬉しい、それが普通の感情だが……。
「(ケッ……面白くねえなぁオイ。何これ? 要らねえんだよお前らのTUEEEEなとことか。そう言うのは私だけで十分だ下賤の血め!!)」
表面上はにこやかに、栞達の成長を喜んでいるが内心では腸が煮えくり返っていた。
潰す勢いってか、完全に潰しにかかっていたのに心が折れず成長するとかこのビッチには耐えられない展開だ。
「どう?」
パタパタとグラウンドの隅で見守っていた紫苑に駆け寄り伺いを立てるアイリーン。
褒めて褒めてと言わんばかりの純真な瞳が紫苑の苛立ちを加速させる。
「あれだけ頑張ったんだもの。報われなきゃおかしいわ。凄かったわ、アイリーン(グギギギ……!)」
他人の努力が徒労に終わる瞬間にこそ幸福を感じるのがこの糞アマである。
腐った内心はさておき、満面の笑みでアイリーンを抱き締め頭を撫でる紫苑。
薄汚いキマシタワー! な展開が繰り広げられている現状に吐き気がしそうだ。
「あ、あの……紫苑さん……」
「勿論、栞もね?(あーあー、ホント私ってば世界一不幸な美少女だわ。完全に時間無駄にした。ぶっちゃけありえない)」
私も、と言いたげな顔の栞も(嫌々)一緒に抱き締める。
男子生徒と、一部の女子生徒が興奮しているが中身を知ればエレクチオン出来まい。
「むぅ……どうします、桃鞍先生」
さて、困ったのは教師陣だ。
元々この戦いは数日に分けて行うつもりだった。
しかし、栞とアイリーンが自分達が一人ずつ他パーティを相手にすると言うものだから生徒達のプライドが刺激されてしまった。
止めるのもどうかと思いやらせてみたのだがまさかどちらも躓くことなく勝負を消化してのけるとは予想の範疇外。
この戦いの真の意図と言う意味でなら、紫苑達のパーティが次に駒を進めるので決定で構わない。
だがこの空気で授業と言われても、敗れた者達が集中出来そうもない。
ならば解散? まだお昼前だと言うのにそれはないだろう。どうせならもう少しだけ有意義な時間を作るべきだ。
「ふむ、そうだな。折角だし、三年にやらせてみるか」
「……折れませんかね?」
モジョは三年のAクラス、その中でも一番強いパーティに紫苑達をぶつけてみようと考えた。
そのパーティも一応、紫苑が居ない他府県でならばそこの代表として選別のための戦いに選ばれる実力を持っている。
とは言え大阪ではもうコイツ以外に"特殊なダンジョン"に潜る資格あるの居ないだろと言うことで見送り。
数を増やすと言う意味でならば可能性を与えてやっても良いのかもしれないがそれでもまだまだ学生。
だからこそ、紫苑達とぶつけてみてその結果如何で推薦してみようかとモジョは考えていた。
「最高学年、その中でもトップに居る。その驕りを持ったまま卒業させるよりも先に折っておいた方が後々のためだろう」
学校を卒業すれば冒険者として糧を得ていく。
ならばその前に挫折を味合わせてみるのも良いかもしれない。そう言う意図も含んだ提案だった。
「それに、消耗した今の二人……とならば、まあまあやれると思うしな」
「そうですね……分かりました。では早速」
栞とアイリーンに伺いを立てて了承を得ると同時に指示を飛ばし三年生を呼び出すヤクザ。
今までのやり取りからも分かるように教師陣はあくまで紫苑を参戦させるつもりはなかった。
しかし、ものの数分と経たずに集まったパーティのリーダーが余計なことをしてしまう。
「春風さん、だったよね?」
後ろで髪を結い上げた狐目の男子生徒が離れた場所で見守っていた紫苑に語り掛ける。
顔立ちは整っているが、プライドの高さが滲み出ておりとっつき難い印象を覚える。
それを証明するように言葉こそ丁寧だが響きと、そして瞳が挑むようなもので……。
「(お前如きが私に対抗心持つなんぞ宇宙開闢以前の問題なんだよ。捻り殺したろかこのボケ)ええそうですが……何か?」
案の定このビッチは不機嫌だった。
「僕の名前は玉章零次。僕も幻術を使うんだ。君ほどではないけど、ね」
一応、自分が劣っているとは分かっている。
しかし、戦う前から微塵も届かないと言っているような教師の特別扱いが気に入らない。
零次と言う男は自分が紫苑に劣れども、一矢報いる程度は出来るのだと思っているから。
「だからどうかな? 一つ、教示してはくれないかな。この僕に」
構えた杖に常識の範囲で言えば強大な魔力が集う。
零次は不敵な笑みを浮かべ、杖を横凪に振るう。グラウンドを一陣の風が吹きぬけ……。
「は、花畑だ……グラウンドに一面、青い花が……」
誰かが呆然と呟く。
そう、零次は呪文も何もなしに何百人と集まっているギャラリーに幻術を掛けたのだ。
逃れられたのは生徒と教師含めて十数人程度。
そして、幻術に掛かった生徒達が現実に復帰するまでに要した時間は二分。
通常、幻術と言うものは掛けられたと分からぬものを掛けるのが鉄則。
なるたけ現実と乖離しないものを相手に見せてそれが幻術と気付かせず隙を作らせる。
非現実的なもの、あり得ないと頭で分かるものほど簡単にレジスト出来るのだ。
しかし、零次はグラウンドが花で敷き詰められると言う非現実を見せて尚、数分もの間、現実へと戻らせなかった。
その事実が証明しているのは玉章零次が一流の幻術使いであると言うこと。
非現実的なものを、それも不特定多数に見せて数分もの間無防備にさせるなど並大抵の技量ではない。
グラウンドのあちこちから感嘆の声が巻き起こる。
その声を聞き自尊心を満たした零次が紫苑にどうだと言わんばかりのドヤ顔をかますが、
「(――――久しぶりにキレちまったぜ)」
常時キレてるじゃねえか。
「(私以外が目立つな、私以外が褒め称えられるなんておかしいだろ。こんな糞みたいな芸で! 褒めてる奴も下等下等!!)」
「どうだろうか? 僕も中々やるものだと自負しているんだが……」
その言葉には答えず紫苑は無言で指を鳴らす。
「――――」
瞬間、このやり取りを見ていた全員が幻術へと叩き落され言葉を失う。
校舎も何もない、街並みは何処へやら、見渡す限りの花畑。
咲き誇る白い花の香りが風になって鼻腔を擽り、空を見れば真っ暗で、まあるいお月様が浮かんでいる。
考えなくてもこれが幻術だと分かるのに誰一人として現実へ回帰出来ない。
それゆえ、誰もが言葉を失った。それはドヤ顔をかましていた零次もだ。
幻術使いゆえ、幻術を熟知しており、抜け出す方法も分かる。だと言うのにまったく抜け出せないのだ。
むしろ、先ほどまでグラウンドで対峙していた光景の方が幻ではないかと言う疑念が巻き起こるほど真に迫っていた。
「……嘘でしょ? だって、杖も何も使ってなかったのに……」
呆然と呟いたのは零次の仲間だった。
魔法を扱うための媒介さえ使用せず、それどころか目に見えるほどの魔力も使わず紫苑はこれほどの幻を創ってのけた。
これは幻、分かって居るのに抜け出せない絶対的拘束力。
痛みによる回帰を狙って手に持っていた刃で身体に傷をつけていても、痛みすら感じない。
いや待て、本当に自分は身体を傷付けたのか? それすらも幻では? 何もかもが分からなくなる。
「(ギャハハハハハハハwwwこんなもん屁ぇ扱くようなもんだっつの! お分かり? これがあてくしの力ですことよ!!)」
しかし紫苑はまだまだ終わらせるつもりはなかった。
零次のドヤ顔があまりにもムカついたから、自分に比べれば単細胞生物以下の存在のくせに対抗心を抱いたから。
醜悪な自尊心は僅かな寛容さすら見せることはない。
「そ、空が割れた!?」
紫苑が指を鳴らした途端、比喩でも何でもなく空が真っ二つに裂けた。
こんな光景を見せられても尚、誰もが幻の泥より抜け出せず。
「きゃぁああああああああああああああああ!!」
裂けた空より出でるは大阪府を丸ごと飲み込んでしまえそうな巨体を誇る黄金の龍。
龍はその顎を大きく広げ、その大地に軽く、人間で言えばふとした瞬間に零れ出る小さな吐息を漏らす。
それだけで台風の只中に居るような暴風が巻き起こり幻術に囚われた者達は必死で大地に縋り付く。
吐息の暴風は十数秒で過ぎ去り、龍は空の裂け目に帰り、その巨体が孔の向こうに消えると同時に空もまた閉じてしまう。
しかし大地を埋め尽くしていた花は総て吹き飛び世界は果てない荒野へ姿を変えてしまった。
耳に痛いほどの静寂の中、再び指を鳴らす音が響き渡り……。
「あ、雪……」
夜空に咲く満開の雪の花。
今は昼前で、季節は春、場所は大阪の学校。
そこが在るべき現実で、この場所はわざわざ言葉にするまでもない幻の箱庭。
それでも、誰もがその美しさに見惚れてしまった。
「う、ぁ……」
前人未踏の十七階級制覇を果たしヘビー級で百回ぐらい防衛して今尚無敗のボクシング世界王者が居たとしよう。
今紫苑がやったことはそんなファンタジックな化け物が乳幼児に対してグローブ無しでマジパンチを連射するようなもの。
零次の心は完全に折れてしまった。
両手、両膝を突いて項垂れ涙を流すその姿は正に負け犬。
どう足掻いても埋められない、一矢報いると言う言葉すら厚顔無恥に思えるほどの実力差。
それを前にして立ち上がれるのは余程メンタルが強くなければ不可能だろう。
同じ分野で才がある、力があると思っていただけにそのショックは今日から引き篭もりレベルである。
「(だらしないザンスねえ。え? 私微塵も本気出してませんが何か?
嘘、君この程度も出来ないの? それでドヤ顔かましてたの? ふぁーwww
井の中のゲロゲーロwwwオタマジャクシから億回やり直したってこの私様には届かんわこの両生類が!!
つか、まだまだお前をイジメる仕掛けは残ってるんですが? 後百八通りくらい!!)」
その中の一つに、この幻術の中に意図的に作り出した現実への抜け道を探させると言うものがあった。
抜け出す方法は簡単。
紫苑が幻で作った、現実に居なかったはずの生徒を見つけるだけ。
見つけた場合はその時点で幻より排斥され他の者達の目には消えるように仕掛けられている。
何百人と居た中に紛れ込ませている架空の生徒を見つけることが現実への道。
だが、それをするには現実の段階で見物していた生徒達の顔を総て把握しておかねばならないと言うこと。
現実との大きな齟齬が多々存在する中で僅かなそれを見つけ出すのは至難の業だろう。
探し出せるのは精々モジョとアイリーンぐらいだと紫苑は睨んでいる。
だが、見つけられた以上は見つけられない零次が無能と言うことになる。
「え? あんだけドヤってたのに分からないの? 幻術使いなのに術を仕掛ける前に全員の顔見て記憶しとかないの? 嘘でしょ?」
とまあ気の毒なぐらいに精神をフルボッコに出来る算段を立てていた糞ビッチだが此処から更に叩けば自分の評判が悪くなる。
そう判断した紫苑は抜け道を消してフォローにかかるべく零次の下へ歩み寄った。
「自分の力を誇るのは良い、それを他者と競い比べることも」
「……」
のろのろと顔を上げる零次に紫苑はそっとある方向を指差す。
途端に世界は炎と瓦礫の街へと顔を変える。
紫苑が指差す方向には意識を失った両親らしき誰かに抱き締められて泣いている黒髪の少女が居た。
直ぐに気付く、その少女の顔立ちが紫苑のそれであると。
「だけど、それだけじゃ大切なことを忘れてしまう。あそこに居るのは何時かの私」
春風紫苑は有名人だ。
ゆえに、幼少期に某国であったテロに巻き込まれ両親を失っている個人情報も知れ渡っている。
だからこそ、誰もが気付く。これはその時の光景であると。
「父さんと母さんが死にそうで、怖くて、この理不尽が憎くて悲しくて。
自分の身体がもっと大きければ父さんと母さんを連れて逃げられるのにって悔しくて……泣いてることしか出来なかった。
この時の私に力は無くて、助かった後で別に誰も私を責めることはなかった。
だけど、私はあの日からずっと問い続けて来た。自分自身に、問い掛け続けて来た」
幼い紫苑の泣き声が響き渡る中、ビッチは淡々と語り続ける。
何かを堪えるように、自分自身に刻み付けるように。
「力の有無じゃない。もし、あそこで私が此処を離れて助けを呼びに行っていれば二人は助かったんじゃないかって。
可能性は低くても、動き出したのならば可能性は零ではなくなる。
だけど、私はそうせずにただただ泣き続けた。力の有無、年齢の大小、それはどれも言い訳に過ぎない。
大切な何かをこの手に掴んで居たいのならば微かな可能性に縋って私は走り出すべきだった。
辛くたって、苦しくたって、険しい現実が目の前にあったって、諦めて何もかもを投げ出す理由になんてならない」
そこから春風紫苑は学んだのだ。
「――――大事なのは諦めないこと」
ちなみに泣いている小ビッチだが、当然のことながら両親を想ってではない。
父さん、母さんと叫んでいるがアレが本当に嘆いているのは自分の不遇についてである。
どうして自分がこんな目に! 世界おかしい! 馬鹿親が外国になんて連れて来なければ――責任転換は紫苑の生理現象だ。
「力よりも何よりもそれが大事だって私はこの時、学んだ。力なんて二の次、三の次。
力の多寡じゃない、私は諦めずに歩き続ける誰かこそが貴いんだって思う。
強くたって直ぐ諦める人よりも、弱くたって粘り強く立ち上がり続ける人の方がずっとずっと素敵」
零次も、他の皆も聞き入っていた。
よく通る美しい声、声の抑揚による感情の表現、シチュエーション、あらゆる要素が衆愚の心を絡め取っている。
こう言う小賢しいことをやらせて紫苑の右に出る者は紫苑以外には居ないだろう。
こんなどうしようもないことにばかり長けているのだから救えない。
「玉章先輩は、沢山努力したんでしょう? 自分を誇りたくなるほど……でもそれは何のため?
努力をする理由、それは何? 強くなりたかった? 冒険者として大成するため?
何だって良い。想いに貴賎は無いから。でも、先輩はその想いに支えられて今まで努力して来たんでしょ?
大切で、捨てられないから努力し続けられたんでしょ?
裏切って良いの? 今までの自分を。諦めて良いの? これからの自分を」
そっと、零次の頬に両手を添えて真っ直ぐその瞳を射抜く。
自分を支えてくれた想い、今はそれを手離すかどうかの分水嶺。
諦めて何もかもを投げ出すのか、諦めずにまた立ち上がって歩き出すのか。
「――――しっかりしなさい」
折れた心に熱が帯びていく。
「僕は……僕は……僕が頑張り続けた理由は……」
よろよろと立ち上がり、頼りない足取りで歩き出す。
向かう先は泣いている小ビッチ。辿り着く頃にはその足取りは確かなものになっていた。
涙で赤くなった目がちょっとカッコ悪いけど、それでも――――
「――――もう大丈夫、お兄ちゃんが助けてあげる。だから、泣かないで?」
零次に抱き締められた一瞬キョトンとするも、涙交じりの笑顔を浮かべてその抱擁に身を委ねる。
その瞬間――世界が弾けた。炎と瓦礫の世界は先ほどの銀世界へと戻っていた。
「僕は……泣いている誰かの涙を拭ってあげられる、そんなヒーローになりたかったんだ……」
強くなるにつれ肥大化した自尊心はそんな大事な想いまで覆い隠してしまっていた。
力を誇り、誰かと競い比べることにばかり熱を入れ過ぎて失くしてはならない光を忘れていた。
しかしこの瞬間、玉章零次は己の光を取り戻したのだ。
顔にまで表れていたプライドの高さは消え、代わりに不屈の闘志が宿り始めていた。
「そっか。ありがとう、何時か何処かの私の涙を止めてくれて。
(クッサー! ヒーローって歳考えろよ。今日日保育園児でもヒーローとか言わねえよ、精々が公務員だよ)」
(自分の)フォローが成功したと悟った瞬間、悪態を吐き始めるビッチ。
心底軽蔑するが、これでこそとも思ってしまう。
「……いや、お礼を言うのは僕の方だ。ありがとう、大事なものを思い出させてくれて」
「いいえ、偉そうに説教したようで申し訳ないのに御礼まで言われてしまったら私も心苦しいですから。
(この私に身の程知らずの喧嘩売ったんだからどーげーざ、どーげーざ、さっさとどーげーざ、しばくど!!)」
このビッチをこそしばいてやりたいが、出来る可能性がある人間は一人しか居ないのが悔やまれる。
「(にしてもやっぱ悲しい過去を持ったあてくし作戦は効果覿面やな……サンキューマッマ、サンキューパッパ!)」
ふぁっきゅーびっち。