外伝:とんでも腐れビッチ紫苑ちゃん Ⅳ
「ッッ……当たらない……!」
それはアイリーンにとって初めての経験だった。
全身全霊、己の総てを使って戦っているのだ。
だと言うのに届かない。攻撃の悉くが皮一枚に触れられずに空を切ってゆく。
如何なフェイントを織り交ぜようとも意味を成さない。
見た目だけのフェイントから気配すらも偽装する高度なフェイントすら総てを読み切られてしまう。
しかも相手は目を瞑っているのだ。まだ目を開けていれば言い訳も出来た。
その頭抜けた身体能力で"見て"回避することも出来ると。
しかし、紫苑は目を瞑ったまま総ての攻撃を避けている。
攻撃の際に生じる空気のブレを感じ取っているのか? 筋肉の収縮を感じ取って動きを予想しているのか?
いや、耳を澄ませているようにも見えない。完全にリラックスしている。
つまるところ、戦いに身を置く者がある一定のレベルから備える"勘"がずば抜けているのだ。
その勘のレベルは戦う者としての格と同義。純然たるスペックのみならず、そんな面でも紫苑は遥か高みに居るのだ。
「ふふ、じゃあ諦めちゃうのかしら?(あったり前だコミュ障! このド高貴な私に触れられると思うなよ!? 頭が高いわ!!)」
さてこのビッチ、別にそんな勘を持っているわけではない。
三千世界ニーをやらかしたシオンならばそう言う面でもチートだがこのビッチの場合は違う。
世界を改変する方の幻術を使って自分の脳と直結した不可視の"目"をあちこちに配置しているだけ。
だからこそ、完全に回避出来るのだ。
「冗談!」
しかしアイリーンからすればそんなことは分からない。
戦士としてのセンスですら負けているとしか思えないのだ――――ビッチの狙い通りである。
この糞アマ、常に自分が上位でないと気が済まないのだ。ゆえに躊躇いもなく大人気ないことをやらかす。
メジャーリーガーがバットとボールを持って野球を始めようとする子供に全力投球、フルスイングしているようなものだ――子供泣くわ。
「栞、動きが雑になっているわよ」
同時に相手取っていた栞の動きが少々鈍り始めたことを目を瞑ったまま指摘するビッチ。
この女、うぜえ姑の如くに目端が利くのだ。ちょっとでも埃がついてれば「んまー! こんなとこに埃が! しっかり掃除するザマァス!」とか言っちゃう。心の中で。
「は、はい!!」
さて、何故このような実戦形式の訓練をやっているのか、その理由はパーティ結成後にまで時間は遡る。
パーティを組み終え、軽い打ち合わせも終わった後で解散となる前に担任のモジョはあることを告げた。
明々後日、月曜日から通常授業を行うのではなくパーティ同士による戦いを行う、と。
その際、紫苑はチートが過ぎると言うことで幾つか制限をかけられた。
だもんで、実質動けるのは栞とアイリーンのみ。
彼女ら二人で他パーティ五人と渡り合わねばならないのだ。
まあ、アイリーンならば一人でも並行世界の毒殺戦法なんかを使われない限りは完封出来るだろうが栞は違う。
彼女は自分が三人の中で一番劣っていると理解している。
ゆえにこの土日を使って少しでもステップアップしようと、紫苑に鍛錬を乞うた。
紫苑からすれば「はぁ!? 何であてくしの時間をテメェなんぞに使わなきゃいけないのよ死ねブス!」
ってなものだがキャラ的に否定するわけにもいかない、何時もの自業自得である。
アイリーンも紫苑との鍛錬と言うことで一緒にと願い出て三人は醍醐家が所有する山で鍛える運びとなったのだ。
「(はぁ……この糞くだらねえ時間の救いは、コイツらの雑魚さを見られることぐらいね)」
朝五時に山へとやって来て、今はもうお昼前。
七時間近く動き続けているのだが動きに精彩を欠いているのは栞とアイリーンだけ。
紫苑だけは平気の平左で回避し続けている。
最小限の、それでも美しさを追求した無駄に高度な回避を。
「(にしても雑魚いわねえ……はぁ、私って最強で最高とか無敵過ぎるわ)」
七時間近くこんなナルシーを続けているこのビッチは本当に気持ちが悪い。
それはさておき。紫苑はそろそろ一区切りをつけようと両手に水性マジックを握り締める。
これまではあくまで回避オンリーだったが此処で攻撃と言うわけだ。
「――――ッ!?」
動き自体は見えた、しかし回避出来ないように誘導されて受けるしかなかった。
栞とアイリーンの左胸部分には赤マジックの刻印が浮かんでいた。
「はい、これで戦闘不能ね。今の一撃も、回避出来ないものじゃなかったでしょ? ちゃんと自分の力を出せたのなら」
疲労困憊、その時にこそ丁寧さを忘れてはならない。集中を切らしてはならない。
頭で分かってはいても、実感が伴わねば意味が無い。
紫苑のやり方はそう言うものだった。
「一旦休憩にしましょうか。もう良い時間だもの」
笑顔でそう告げた途端、二人はへたり込んだ。
「は、はい……ありがとう……ございました……」
「……勉強になった」
「どういたしまして。私は指導なんて分からないからこうして相手をするぐらいしか出来ないのだけど役に立ったのなら幸いよ」
クーラーボックスから取り出したスポーツドリンクを二人に手渡す紫苑。
今日も今日とて外面を取り繕うことに手抜きが無いようで何よりだ――反吐が出るほどに。
「んぐ……いえ、十分です。見えて来るものもありますし、向上心だって擽られますから」
動き易いように髪を結い上げた栞、白い肌は上気して、浮かび上がる珠の汗がやけに色っぽい。
それはアイリーンも同じで、健康的な、それでも男ならばクラクラするような色気を放っている。
まあこの場に居るのは女オンリーでそのうち一人はとんでもビッチだから意味は無いのだが。
「すごい」
小学生並の感想でしか感情を表現出来ないアイリーンだが、これでも精一杯なのだ。
「(足りんわ! もっと褒めろ、もっと私を褒めろォ!!)そう? それなら良かったわ」
汗一つかいてない、涼しげな顔の紫苑だが栞達の目には微塵も嫌味さを感じさせない。
微かに浮かんだ笑顔から感じる包容力。
嫉妬とかそう言うものよりも先に、こんな人に安らぎを覚えてしまう。
「さ、私は御飯の準備してるから二人は沢で汗を流して来なさいな」
春で、まだ水遊びには早い季節だが火照った身体には丁度良いだろう。
栞とアイリーンは少しばかり覚束ない足取りで沢へと向かう。
「……気持ち良い」
「え? あ、ああ……確かに風が気持ち良いですね」
尊敬する彼女の苗字とも同じ"春風"が山林を吹き抜けてゆく。
花の香りを乗せた甘い風は涼やかで、全身に絡み付く鉛のような疲労さえも拭い去ってくれるよう。
「それにしても、手も足も出ませんでしたね。一体どれほど高みに居るのやら」
見えているのはほんの一部。それは全体からすれば極僅かなものだろう。
それほどまでに隔絶した実力差。
此処で腐ってしまえば紫苑は大そう栞のことを好きになれるのだろうがそうはならない。
頂が見えずとも、至れずとも、目指すことに意義も意味もあるのだと思える人間。それが栞だから。
メンヘラ覚醒さえ入らなければ割と真っ当な優等生なのである。
まあその覚醒も約束されているのだが、それにしたって被害を被るのは紫苑なので何の問題もない。
「面白い」
アイリーンも似たようなものだが、此方の場合はバトルジャンキーのケもあるので少々違う。
彼女は必ず並び立つ、出来るかどうかはともかくとしてその気持ちが強いのだ。
例え何度打ちのめされようとも不屈の闘志で立ち上がるだろう――紫苑の嫌いなタイプである。
そしてアイリーンもメンヘラ覚醒が約束された女である。
彼女は異なる可能性においては普通に男とくっついていたが、価値観が少々異なるのだ。
尊敬すべき相手であるのならば性別関係なく入れ込んでしまう。そして紫苑は尊敬に値する人物だった。
「たった一日で、並んだ」
「(どうしましょう、一体何を言っているのか分かりません……)」
おろおろと困惑する栞。
アイリーンの並んだ、と言うのは紫苑が自分の憧れに並んだと言うことだ。
困ったことに春風紫苑、春風紫苑(雑魚)と違って規格外の熱量を誇る魂を剥き出しにして生きている。
カリスマのようなものが常時垂れ流されているのだ。
紫苑(雑魚)の場合は、場を演出し、虚像を大きく映し出し輝ける舞台でカリスマをフルバーストする。
しかし紫苑の場合はそう言う場面にならずとも、ただそこに居るだけで人を惹き付けるのだ。
もっとも、表面に現れている性格が荒々しかったり万人受けするようなものでなければそれは恐怖と言う形になるが。
が、紫苑の場合は人から好かれるような振る舞いしかしないのでカリスマ(糞)となっている。
「あ、着きましたね」
「うん」
淀みなく流れている川を見ているだけで涼感を与えてくれるが、此処に来たのは汗を流すため。
私有地であり人が来ることもないので二人は躊躇うことなくスポーツウェアと下着を脱ぎ捨て全裸に。
「……! 良い」
「そうですね、これは……本当に気持ちが良い」
足を踏み入れた時、その冷たさに身体がビクつくがそれは直ぐに快感に変わる。
火照った身体、纏わりつく汗、それら総てが押し流されていく。
全身を浸せばその気持ち良さで眠ってしまいそう。
「ふぅ……あ、疲れが一気に……何か御喋りでもしませんか? でないと、寝てしまいそうで……」
プカプカと浮かぶ豊満な乳。
かと言って他の部分が弛んでいるわけでもなく女として肉をつけておくべき場所にはしっかりついていて、引き締める場所はしっかり引き締めている。
栞も、アイリーンも、同性でさえ思わずハっとしてしまう色香を滲ませていた。
まあ紫苑が居れば私のがすげえから! とジェラっていただろうが。
「うん――栞、レズ?」
「ぶっ……!!」
コミュ障、会話の切り出し方からして一味違う。
上品な御嬢様らしからぬ吹き出し方をしてしまうのもしょうがないと言わざるを得ない。
「な、なななな何ですか急に!?」
「? 紫苑見る目、熱っぽい」
アイリーンも自分が紫苑を尊敬の目で見ていることは自覚しているが、栞のそれは違う。
尊敬もあるが、それ以外の熱情も入り混じっているように見えるのだ。
それゆえあなたは同性愛者ですか? などと言う質問を投げた。
とりあえず会話のキャッチボールの仕方を学ぶべきである。
先ずは軽く投げるのがマナーだろうに、何故いきなり剛速球を放るのか。
「……」
レズ云々はともかく、アイリーンの質問は栞の内面に深く切り込む問題だった。
仲間なのだし隠しごとはなるべくしたくはない。
だけどこれは一生胸に秘めて墓まで持って行くべきだとも思う。
迷いに迷った末に栞は、
「……もう随分と前に亡くなりましたが私には姉が居ました」
ほんの少しだけ自分を開示することに決めた。
心の奥の奥、そこまで辿り着けるとしたらそれは紫苑だけだろう。
まあその場合、辿り着いた時点でメンヘラ覚醒間違いなしなわけだが。
「その今は亡き姉を重ねているんだと思います。
元々私は自分で何かをするタイプではなく、誰かの背中に甘えるような性質でしたから」
双子で歳も変わらないのだが、それでも醍醐紗織は姉で、醍醐栞は妹だった。
散歩に行く時、姉が手を引いてくれた。
歩き疲れたら負ぶってくれた。
今でこそ当主として自らが陣頭に立っては居るが本質的に栞は寄り掛かる側なのだ。
だからこそ深く根を張る大樹のような安定感がある紫苑に甘えてしまいたくなる。
「そして、それとは別に……私の個人的な憧れそのものって感じなんですよ、紫苑さんは」
まだ付き合って日は浅い。
だが言動の節々に滲む善性、ふとした瞬間見せる総てを包み込んでくれるような優しい眼差し。
誰かが命の危機にあるのならば躊躇わずに飛び出して行ける決断力。
「正しいことを、正しく行える――紫苑さんは多分そう言う人で、私はそんな人間になりたかったんです」
動機は正しくても、やり方を間違えてしまった栞にとって紫苑は正に光だった。
まだ数日の付き合いで過剰な期待をかけられている現状。
ぶっちゃけると栞は本人は気付いていないが、そう在って欲しいと言う願望ありきで紫苑を語っている。
とは言えダイヤモンド――じゃなくて外面は砕けないを地で行く紫苑だ。
栞の願望が裏切られることは決して無いだろう。
「だから、御役に立ちたいとか、傍に居たいとか……まあ、色々と想うところがあるわけです」
「……そう」
そこからしばし無言の時間が流れる。
アイリーンとて空気が読めないわけではないのだ。
これ以上踏み込んでしまえば、栞を傷つけてしまうかもしれない。そしてそれはアイリーンが望むことではなかった。
何処ぞの並行世界で殺意交じりの関係構築してるメンヘラーズが見習うべき優しさだ。
それはさておき。
栞の憧れであるキングオブビッチ春風紫苑が今何をしているかと言うと、
「(この私を炊事係にするとかマジ万死。流星降らせたろか)」
凄まじい勢いで大量のインスタント食品を作っていた。
と言うか炊事係つってもインスタントだし、何より自分が言い出したことじゃねえか。
だと言うのに流星降らせたろかとは何ごとだ。マジで出来るから全然笑えない。
「(クッ……まあ良い。今日と明日で散々苛めまくって心を圧し折ってあげるわ。
ド高貴で、ド天才たるこの私とは細胞レベルで違うのだと言うことを教えてやるザマァス!
精々心圧し折られて田舎に帰って親から勧められた見合いでもしてパッとしねえ男とくっついて専業主婦にでもなってろバーカ!!)」
よく分からない悪口だが、紫苑の性格の悪さだけはよく分かる悪口だ。
「(ゲヘヘヘヘ……今から楽しみだ。私様は優しいから手加減してやるけど、それでもアイツらにゃ一生届かないレベルだからなぁ)」
ゲヘヘって――品性の無さが滲み出ているとしか思えない。
「(おっと、想像しただけで濡れて来た……下着換えなきゃ)」
世界改変の方の幻術で紫苑汁ぶしゃぁああああ! な下着を取り換える紫苑。
傍目には下着が換わったことすら分からないだろう――――チートのひでえ無駄遣いである。
ちなみに雑魚と変態チートの方もナルシー極まって勃起とかするタイプだけど
あっちは勃起と言う性質上見た目に表れやすいので
チートは血流操作を心得ていて、勃ちそうになったら血を逃がして抑制してます。
雑魚の方はあ、やばいと思ったらメンヘラの顔を見たりして萎えさせてます。