表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/16

外伝:伝説虚神シオン 幼年篇

『そういやさ、紫苑の子供の時ってどんなだったんだ?』


 今日も今日とてザ・ニート。

 湖に釣糸を垂らしてうとうとしていた紫苑の頭がまどろみの淵より回帰する。


「(このままうたた寝しようと思ってたのによぉ……お前ってホント空気読めないよな)」


 空気を読む読まないの問題ではない。

 そも、この男の場合は他人がこちらに合わせること以外は認めていないのだから。

 空気も糞もない、我が儘に合わせない人間を悪と断じているのだから糞ガキよりも性質が悪い。


『どうせ暇だったんだろ? 良いじゃんよー』

「(暇じゃねえよ。俺は今から寝るって決めてたんだから。つか、何だよ急に脈絡もねえ)」


 紫苑のテンションはかなり低い。

 まあ分かっていた、カス蛇も分かってはいた。此処から調子に乗らせなければいけないことを。


『いやさ、思えば断片的にしか紫苑の幼少期知らないじゃん?

十代後半で人類の救世主になるような男だから、子供の時も凄かったんじゃねえかなーって』


 分かり易いおべっかだが、


「(しゃあねえなぁ!!)」


 こんなおべっかで天上天下レベルまで調子に乗れるのが春風紫苑である。

 基本的に真の性格を知っているのならば紫苑ほど扱い易い男も居ない。


「(でも、俺の幼少期ねえ……)」


 これまでも折に触れて写真やら思い出話をメンヘラーズやらにしたことはある。

 それでも、それはあくまで一部分だけ。

 例えばそう、両親とどんな風に別離したのか、それからどんな生活をしていたのか。

 何気ない日常などについては紫苑本人しか知る者は居ない。

 かつては表層的な部分を知る同郷の人間も居たが、そんな人間はとうに死んでいる。

 そりゃそうだ、幾ら人間の寿命が延びたとは言え何千年何万年何億年と言う寿命を持っているのは紫苑と愉快な仲間達だけなのだから。


「(ハッキリと俺の記憶が始まっているのは一歳になるかならないかぐらいの時だったかな?)」

『ほう……早いな。いや、母親の胎内に居た時の記憶がある人間も居るらしいし不思議じゃねえか』

「(いや、それを言うなら俺にもあるよ)」


 妙なところで対抗意識を燃やす紫苑。

 いやまあ、嘘ではないのだが、それはあくまで朧げだ。


「(言っただろ? ハッキリとって。明確な、連続した記憶が始まったのがそこらなんだよ。

記憶言うなら胎内どころか受精卵の記憶すらあるからね俺、あんま調子に乗るなよカッス)」


 別にカッスは調子に乗ってない、直ぐに不機嫌になるのがこの男の七面倒臭いところだ。

 女心と秋の空などと言うレベルではない。

 こんなのが彼女だったら即刻別れるべきだ。付き合えるのは、


『悪い悪い。反省したよ俺様。続き話してくださいよ紫苑さん』


 受精卵時代の記憶があるとか言う戯言にも突っ込まずに折れてくれて、尚且つそのことに不満を持たないカッスぐらいだ。

 いやまあ、コイツはコイツで呆れ返るほどに駄目だろうとは思うが。


「(ケッ……カッスの癖に生意気だぜ。が、まあ良い。記憶が始まった瞬間に俺はこう思ったんだ)」

『ほうほう』

「(あ、俺今物心ついたって)」


 物心ついた、なんて認識する瞬間があってたまるか。

 後から振り返ってならばともかく現在進行形で物心ついたとか確信するガキは気持ち悪い。

 悪魔の子だ、ダミアンだ、今直ぐエクソシストを呼ぶべきである。

 まあ、悪魔も神も一緒くたに葬られる原因となった紫苑に対しては無駄だろうけど。


「(そっからは地獄だったね。何で高貴な俺がオムツなんぞ穿いて排泄の世話までしてもらわにゃならんのか。

それでもポジティブな俺はコイツらが親として世話したいと思っているから、させてやっていると思い直したがな)」


 自分の親をコイツ呼ばわりした挙句に、世話をさせてやっているなどと考える赤子。

 今直ぐ赤ちゃんポストに投函するか、何処ぞの火口に放り捨てるべきだ。


『……小さい時から紫苑さんは紫苑さんっすね』

「(当たり前だろ。ま、それでも知性はあったが赤子ゆえ知識が不十分で語彙なんかもなかったから当時の俺は的確な表現を見つけられなかったがな)」


 赤子が今の紫苑のような論理を振り回す世界――末法待ったなしだ。

 そんな世界は早晩に滅びなければいけない。


「(そんでまあ、寛大な心で現状を受け入れた俺は無為な生活を送っていた。やることもやれることもねえからなぁ)」

『赤ちゃんだもんなぁ……そらしゃあないわ』

「(寝る、食う、出す、リップサービスぐらいだよ)」


 赤子の仕事にリップサービスなんてものはありません。


『……リップサービス?』

「(いやな、俺基本的に泣かないんだよ。したら何を勘違いしたのか親父やお袋、遊びに来ていた和歌山の爺が親父そっくりだって言うの。

親父もあんま泣かん子だったらしくてな。俺の前でベラベラ中身のねえ昔話が始まるわけ。

で、俺はその昔話の中に出て来る親父のような行動を意識してやっていたのよ。親ってのはコイツは俺にそっくりだ!

とか意味の分からんことで大喜び出来る頭がおめでたい人種だからな。

ああでも、親父ばっかに寄り過ぎてもアレだからお袋にも適度に甘えてやって、上手いことバランスは取ってたがな)」


 両親からすれば理想とも言える可愛い子供だったのだろう。

 だがしかし、それが総て計算づく――知ってたら心が圧し折れること間違いなしでっせ。

 赤子の時から――否、生まれた時から薄汚い紫苑を漂白することは一生出来ないのだろう。

 その背後に伸びる永遠の過去、前方に続く永遠の未来の中でさえ。


『親御さんは幸せだったんだろうなぁ……』


 思うところは勿論ある。

 それでも紫苑の嘘は誰にもバレない類のものだ。

 であれば彼の両親は幸せだったのかもしれない、若くして死んでしまったとしても幸せである時間は確かにあったのだから。

 伝え聞く、読み取れる人物像だけでも紫苑の父母は彼を心から愛していた。

 親となってからは紫苑こそが彼らの生き甲斐だったのだろう。

 だからこそ、偽りであるとは言え紫苑が与えた醜悪を孕んだ幸福は彼らの心を満たしたはずだ。


「(人類救済の光となった俺様の親になれたんだぜ? 光栄過ぎて五体投地レベルですわ)」

『ううむ、その表現の意味は分からんけど……親御さんもビックリなのは確かだろう』


 もしも、もしも父母の霊魂が今も残っていたら。

 残れるだけの強き魂であったのならば、紫苑の道行きを見守れていたのなら。

 さぞや驚いたことだろう。我が子が人間の希望を一身に背負い、暗夜に光を灯し未来を示すなど驚きなんて言葉では表現出来なかったはずだ。

 そして、中身がコレだと知れば中国の歴史に刻まれる偉い人バリに憤死してくれること間違いなしだ。


「(ま、それはさておき。動くこともロクにままならん赤子時代はそんな感じだったな。

動けるようになってからは、簡単な言葉を話せるようになってからは日がな一日本を読んでたよ)」

『本って、絵本とか?』

「(ああ。絵本の読み聞かせをさせて中に書かれている字を勉強して、先ずはひらがなを習得した)」


 この下衆野郎は、確かに下衆極まりないが勤勉なところがある。

 その勤勉さが正の方向に向いていれば……惜しいと言わざるを得ない。

 紫苑が紫苑だからこそ世界は救えたのだが、あっちを取ればこっちが立たず。

 人間も世界も実にままならないものだ。


「(そこからはテレビで教育放送なんかを見て更に知識を蓄えながら日々を過ごしてた。

勿論、親父やお袋へのリップサービスも忘れずにな。いやはや、子供ってのも大変だぜ)」


 言いながらも、今とは違ってしがらみ(主にメンヘラーズ)が無かった当時を懐かしみ頬を綻ばせる紫苑。

 永久の記憶に埋没していた幼き日の記憶が次々と蘇って来る――別名現実逃避である。


『お疲れさんです』


 などと表面上は合わせつつもカス蛇の注意は別のものに向けられていた。

 紫苑が自主的に、思い出したいと願い思い出し始めたことで魂の奥底に埋没していた記憶が映像のように流れ始めたのだ。

 紫苑から直接話を聞くよりも視覚的に分かり易い此方の方がありがたい。

 今、投影されている場面では二、三歳の紫苑がふて腐れていた。

 誰が見てもそうとしか思えないが、カス蛇だけはそれが演技であると看破している。


『(親の手間になることが、親を喜ばせる……この歳でそれを知ってるガキってのもまあ……)』


 感心と呆れを滲ませつつ、そっと彼らの会話に耳を傾ける。

 ショタ紫苑は部屋の隅で両親から顔を逸らしてブスっとした顔で黙りこくっていて、そんな彼を両親は困った顔で見つめていた。


「雨龍さん、日曜日はお休みだって言ってたじゃないですか。前々から約束していたのに……」


 腰まで伸びた艶やかな黒髪とへーゼルの瞳が紫苑を思わせる女――春風眠夢が夫を咎める。

 大和撫子然としたビジュアルは栞や紗織を想起させるが、二人よりも何処かフワフワとしていて愛らしい。

 醍醐姉妹と雲母辺りを悪魔合体してみれば、容姿だけは近付くかもしれない――代わりに中身は地獄の宴だが。


「むぅ……すまないと思っている」


 冷たい刃を思わせる目鼻口など全体的な顔の造形は紫苑そのものの男――春風雨龍が項垂れる。

 髪や目を除けば大人になった紫苑そのものだ。

 どうやら前々から何処かに出かけると約束していたが、雨龍の仕事の都合でキャンセルになったらしい。

 それで紫苑は子供"らしく"振舞う意味で機嫌を悪くしているのだろう。

 日頃から手のかからない子供だが、かからな過ぎてもいけない――と。

 そしていずれはこの出来事も両親にとっては良い思い出となる、そう理解しているがゆえの不機嫌ムーブ。

 それを理解しているカス蛇は幼少期でも安定感を失わない紫苑に拍手を送っていた。


「紫苑ちゃんもこんなに楽しみにしてたのに……」


 常日頃から手のかからない子だと思っていた。

 そのことに寂しさを覚えていた眠夢だが、今こうして機嫌を悪くしている紫苑を見てそれは違うのだと理解する。

 夫と同じで表情に出難いだけ。今回のお出かけも内心ではとても楽しみにしていたのだ。

 そう思うと、眠夢としては夫の事情が分からなくもないが子供の味方をしてあげたくなる。


「……」


 眉をハの字にして申し訳なさそうな顔をしている雨龍。

 当然のことながら、彼にも言い分はある。

 部下の子供が命に関わる手術を行うことになったのだ。

 これまではドナーが居なくて生存すら危ぶまれていて、それがようやく見つかり日曜日に手術が決まった。


 親ならば子供の傍に居たいはずだと自主的に部下の代わりを担うことにしたのだ。

 そんな雨龍の気持ちも酌んであげるべきだが、彼は理由を妻子には告げていない。

 この男、紫苑とは違って言い訳をするのが嫌いなのだ。

 苦手と言うのもあるが、それ以上に男ならば言い訳をするべきではないと言う古臭い考えを持っている。


 なので妻にも子供にもただ休みが取れなくなったとしか言っていない。

 責めは自分が負うべきで、逃げるべきではないと――紫苑の父とは思えないほどの潔さだ。

 これが紫苑ならば自分の事情を直接口に出さず、偶然妻子が知るように仕向けていただろう。

 そして、敢えて黙っていた自分の株を上げる――何たる小賢しさか。


「はぁ」


 夫の沈黙で、また何か事情を秘めているのだと察した眠夢は小さく溜息を吐く。

 そして笑顔を作りしゃがみ込んでショタ紫苑を後ろから抱き締める。


「ねえ紫苑ちゃん。それなら、日曜日はお母さんと二人だけでお出かけしましょ?」

「(ふぅ……不機嫌な振る舞いも中々しんどいもんだ)」


 などと内心で嘆息するショタ紫苑だが、未来ではまったく逆になることを彼は未だ知らない。

 未来における紫苑は表面上は機嫌良さげに振る舞いつつ内心で腸をコトコト煮えさせているのだから今の方がマシである。


「(さて、此処から良い具合に台詞を選ぶなら――――)」


 何て可愛くない幼児なのか。

 子供は天使と言うが、紫苑の場合は生まれた時から産業廃棄物だ。


「……父さん居ないもん」


 何処に行くのかが重要なのではない、誰と行くのかが重要なのだ。

 父と母と自分の三人で出掛けたいのよー、とあざといにもほどがあるアピールをするショタ紫苑。

 そのあざといアピールは父母の心に直撃し、雨龍と眠夢は思わず顔を見合わせて考え込んでしまう。

 普段大人しい我が子の滅多に無いワガママで、それも親としては嬉しい限りのもの。

 それでも事情が……頭を捻る眠夢を他所に雨龍は静かにショタ紫苑へ歩み寄った。


「ん」


 無言で手を差し伸べる雨龍。

 不器用極まりない、紫苑ほどとは言わずともある程度は言葉を用いるべきだ。

 ひょっとしたら紫苑のコミュ障――と言うかアイリーンへの対応は父親で培われたものなのかもしれない。


「(埋め合わせに今からどっかに出かけようってか? それぐらい口にしろや面倒くせえ!!)」


 今は未だ未熟なれど、意思を読み取り心を暴く片鱗はこの時からのようだ。

 これが長ずれば最終的には個人どころか世界、人間どころか神魔まで踊らせてしまうのだから恐ろしい。

 世界がこれからも変わらず続いて行くと仮定するなら、将来の禍根を絶つと言う意味で此処で殺しておくべきだ。


「……うん」


 涙声で頷き、小さな手を父の手に重ねるショタ紫苑。

 それを見て雨龍は微かに微笑み、少しだけ力を入れて息子を立たせた。

 そしてもう片方の手を妻へと差し出し、


「ふふ……もう、紫苑ちゃんも雨龍さんも……しょうがないですねえ」


 近所の公園にでも行って三人で遊ぼう、ああ、途中でお菓子を買ってあげようか。

 和やかな家族の肖像が描かれて行く中、


「(カーッ! 子供ってのも楽じゃないぜホント!! 俺にこれだけ気を遣わせるとかコイツら何様だよ!?)」


 ショタとは言え紫苑はやっぱり紫苑だった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ