外伝:伝説虚神シオン 再誕篇
二千五百年十二月二十五日、その日、人智及ばぬ領域にまで極まっていた魂が散華した。
総ての世界の大恩人とも呼べるその男の魂はあまりにも大きくあまりにも美しい。
「綺麗……」
赤く染まったロシアの大地の上で、戦いを終えて空を見上げていた女が夢現に呟く。
二人の春風紫苑が魅せた光は何処までも彼女の心を掴んで離さなかった。
だから、だろうか。女は突拍子も無い行動に出る。
「――――」
吹雪を寄せ付けずに空から降り注ぐ魂の欠片を――食べたのだ。
喉を通り下へ下へと淡く、それでも力強い魂が体内を下降してゆく。
あらゆるものをすり抜けてその魂はある場所で停滞することになる。
生命が生まれる場所、誰もがそこで命となった部屋――――子宮だ。
「あ、あぁ……!」
感極まったような呻き声。下腹部から感じるこの上ない充足感。
女の中では既に春風紫苑は神格化していた、その彼の魂が自分の中にあるのだ。
何にも変えられない絶対の幸福。女はそっと慈しむように己が下腹部を撫ぜた。
もし、もしも誰か――否、紫苑の仲間達がこの女の存在を把握していれば未来は変わったのだろう。
が、未来は変わらず。世界は爆弾を抱えたまま時の流れに飲まれていった。
空から降りしきる魂が消えても尚、女の子宮ではシオンの魂、その一欠片が脈動していた。
最初はそれだけで良かった、それだけで良かったのだ。
もう一人彼女の心を掴んだ紫苑がこの世界に居たから。
しかし、戦いが終わって二百年後のある日、春風紫苑とその仲間達は現世から完全に消えてしまった。
優秀な冒険者であったためか、或いは胎に宿したシオンの魂の恩恵か。
女は未だ四十代ほどの若々しい姿を保ち続けていた。
彼女にとっての神が去った世界、そこで生きるにはあまりにも苦しい。
そのまま死んでしまえば良かったのだ。しかし、女は自殺を選ばず。
信仰こそしていたが、明確な形が無かった春風紫苑の心捧者を集めて秘密教団を結成したのだ。
集められたのは才に溢れた傍迷惑な狂人の素養を秘める者ばかり。
教団のトップに立った女は教団のイコンとして未だ子宮で鼓動を続けるシオンの魂を使った。そして、
「この胎で眠り続ける我らが神をもう一度この世に再誕させるのです」
そんな目標を掲げた。
まずはシオンの復活、その後、世界をとことんまで混沌に突き落とし既に去った紫苑を呼び戻す。
二人の神を呼び戻すことを至上命題と掲げて狂人達は動き出した。
クローニング技術は二十五世紀時点でも確立されていたので、器を創ること自体は容易い。
が、問題は魂だ。春風紫苑を春風紫苑たらしめるのはその魂である。
女の子宮にある魂は膨大なシオンの魂からすれば表皮についた垢のようなもの。
器が出来ても魂の総量が足りない。教団は前人未踏、魂のクローニングについて研究を始める。
正に神をも恐れぬ所業、人の業――人類ってやっぱ滅んだ方が良かったんじゃねえの?
ってなツッコミも已む無しな研究は、当然真っ当なものではない。
最初は教団内で自ら志願した者の魂を使って研究していたのだがトップがそれに待ったをかけた。
「同志の命を無為に散らすのはあまりにも忍びない」
だから拉致って来た人間を使うお^^――二十一世紀に存在していたIなんちゃらよりも有害だ。
この教団の特筆すべき点はその隠密性である。
宗教なんてのは信者を増やしてなんぼ、つまるところ目立つのが当然なのだが彼らはそれをしない。
あくまで闇の中で深く静かに動いているし、結束が強過ぎるあまり微塵も情報が出て来ない。
世界各国の諜報機関でも教団の存在を掴めないどころか知ってすらいない。
とは言え、信者を増やしていないわけではない。時々目をつけた人間を勧誘に行って引き込んでいる。
が、別にそれにしたって特別能力が秀でていたり金銭的に豊かなものではない。
入団基準はあくまで信仰の強さ、春風紫苑に捧げる想いの強さで総てを決めていた。
ある意味では何処までも純粋な宗教と言えるかもしれない。
素晴らしさを分かれ! と押し付けるのではなく素晴らしさを分かる者だけが仲間に入れば良い。
閉鎖的で狂信的で表に出ないくせに行動力に溢れた超絶傍迷惑な存在である。
じわりじわりと世界を蝕む毒。未だ黄金時代を継続させている世界が生み出した影と言い換えても良いかもしれない。
「例え無明の道であろうとも歩き続けていれば必ず光はやって来る。我らが神の教えがある限り決して諦めない」
春風紫苑を信仰しているだけあってこの傍迷惑な不屈っぷりよ。
さて、ここで純化と言うものについて触れておこう。
純化に至れる魂と言うのは少数で、幻想回帰終結以降はその素養を秘めた者が生まれるは稀だ。
生まれ易い土壌があったのは幻想回帰までの百年ほどだろう。
現世と幻想が入り混じり、大きな流れが発生していたあの時代に生まれた人間はそれなりの数、純化に至る素養を持っていた。
その代表が春風紫苑とその仲間達だ。
まあ、彼らは特異で純化を果たしても戻って来れることが出来たのだが基本的には不可能。
素養を持つ人間は居ても実際に純化に至ったのは百人にも満たなかっただろう。
以後に生まれついた者もそう、その殆どが純化に至ることなくその生涯を終えている。
幻想回帰終結後に起きた純化を果たした者らが起こした事件もあったのでその影響もある。
春風紫苑とその仲間達が解決せねばどうなっていたか。
そんな考えがあるからこそ、無意識で人は心にブレーキを設けてしまった。
しかし、教団のメンバーは気付けば全員が純化に至ってしまった。
設立から五百年が経つ今でもトップと初期メンバーは健在。
「もう一度無謬の光をこの世界に」その想いのみを残して他一切を切り捨ててしまったから。
ゆえにほぼ完全な不老を体現することに成功している。
後から入った教団メンバーも同じだ。純化に至った面子が自ら勧誘した者達なのだから当然である。
全員が同じ想いの下に純化を果たしているからこそ彼らは決して揺るがない。
もしも、もしもの話だ。教団の存在が明るみに出て弾圧を始めたとしよう。
絶対に不可能だ、それこそ核ミサイルでも使わない限りは。
純化に至ったと言うだけで既存の冒険者達とは格が違う。
どれだけ束になってかかろうとも揺るがぬ結束と凶念を持つ彼らの前に敗れ去るのみだ。
仮にどうにかしようと思ったら現在進行形でエデンでニートやってる連中を使うしかない。
メンヘラーズ辺りは喜んで狂信者達を皆殺しにしてくれるだろう。
そして紫苑も信仰対象となったことに喜びつつ自分の名に泥を塗ったとブチキレて喜んで潰しにかかるはずだ。
しかし所詮は仮定の話。教団の存在は闇の中で、研究は継続中。
誰にも止められない何て迷惑な連中だ、まだゴキブリの方が可愛いだろうコレ。
だってコイツらスリッパでぶっ叩いても死なないし。
さて、そんなゴキブリ以下の汚物達だがその狂念を以って遂に研究は完成を迎える。
教団設立から五百年、幻想回帰が終結してから数えれば七百年経った今年、満願成就の日がやって来た。
器となるボディが入った培養槽が置かれた聖堂の中には信者達が全員集まって今か今かとその時を待っている。
培養液の中で眠る春風紫苑のクローンは未だ目を閉じたまま。まだ魂が入っていないからだ。
「遂に、遂にこの日がやって来ました」
初老の美しい老婆が培養槽の隣で静かに口を開く。
彼女こそが七百年前のクリスマスにシオンの魂を喰らった諸悪の根源。
コイツさえ居なければ研究のために多くの人間が犠牲になることもなかった。
エゴの塊、しかしそれは春風紫苑と似て非なるもの。
彼のエゴは結果として他者に幸福を齎すが狂信者達のエゴは他人を不幸にする。
オナニーをするにしても他人まで気持ち良くしてしまう春風紫苑の足許にも及ばない。
「これより、我らが神を今一度この世界に!」
女が子宮に手を当てるとバレーボール大の真白い光の珠が浮かび上がる。
それこそが、培養に成功した魂。
核となるオリジナルの魂をクローニングした魂で補強し人一人分の魂にまで嵩増しを成功。
女はその魂を抱き上げそっと培養槽へ。
「おお!」
歓声が上がる。培養槽の中で眠るクローンボディの中に魂が吸い込まれ、遂に……。
「――――」
万雷が鳴り響いたような歓声に包まれクローンは目を覚ます。
紫苑やシオンよりも若い、十四歳ほどの肉体だが顔立ちや眼差しは間違いなく春風紫苑のそれ。
培養液が排出され培養槽が展開され裸体の少年が静かに外界へと降り立つ。
「(――――やっぱこう言う輩が出て来たか)」
少年――否、シオンは意識がハッキリした途端、すぐに状況を把握する。
億年の時間、幾度も幾度も自分の死後までシミュレートしていたこの男はこう言う事態も当然予測していた。
気持ち良く散ったので別に復活する気は無かったのだが、復活した場合、不安の種が残ってしまう。
記憶がないままに自分の名を貶めるような使い方をされては困るとその記憶と魂の欠片を聖槍ロンギヌスに仕込んでいた。
そして紫苑ではない自分の魂が確認された途端、その存在を上書きするように。
「お会いしとうございました。あの日より、ずっとずっと……」
記憶まで再現出来ているとは思っていない女だが魂が同じならば本人だと認識し涙ながらに想いを伝えている。
シオンはそれに目を向けることもなく指を鳴らして服をでっち上げる。
「(俺のサービスシーンとかタダで魅せられるわけねえだろ。一分一億じゃボケ)」
どんなボッタクリだ。一円でも高いくらいだろう常識的に考えて。
「この世界は、あなたなくして――――」
べらべらと喋り続けているババアに視線を向け溜息を一つ。
「はぁ……何なんだろうな」
南極に飾られていた自身の聖槍を召喚し黄金の光を灯す。
それを見て信者達が沸き立つものの、彼らは気付いていない――死はすぐそこにあるのだと。
「成功だ! 聖槍ロンギヌスを召喚をするなんて、正しくあの御方は!!」
崇められるのは良い気分だが、厄ネタに容赦をする気は無い。
「――――俺を造るために何人犠牲にした?」
瞬間、信者達は一ミリたりとも動けなくなった。
シオンから発せられる殺気もあるが、それ以上に何かがおかしいのだこの空間。
「し、紫苑様……な、何を……」
教団内で一番強い女だけは唯一、口を開くことが出来た。
「しおん……シオン、紫苑……そうか、俺は紫苑と言う名前なのか」
あくまで記憶が無い体を装いつつ、怒気を込めた視線を向ける。
「俺は俺が分からないがお前達が俺を造るためだけに多くの人を犠牲にしたことは分かる」
教団内に存在する資料をチート幻術で作り出した分身達に回収させつつ聖槍に力を込め続ける。
「赦されざることだ、お前達を放置していたらきっと世に禍を成す。
だからここで殺させてもらう、何も感じぬ内にとも思ったが……それでは犠牲者が報われない」
何かを言いかけた女の口を物理的に塞ぐ。
初めから口などなかったかのように接着されたその様はひたすらに気持ち悪い。
「今、お前達一人一人の時間を止めた。世界から切り離したと言っても良い。
本当はここら一帯の時間を止めてやろうと思ったが、それだと揺り戻しによる破壊の規模が大きくなるんでな」
人は時間の流れから決して逸脱することが出来ない。
もしも逸脱すればどうなるか、当然修正される、それが道理だ。
僅かであろうとも時間の流れから離れてしまったものは時の揺り戻しによって世界から排斥されてしまう。
シオンは揺り戻しの際に生じるエネルギーを破壊力に転化する術を収めている。
小さな田舎町一つでも、人と言う点ではなく面で時間を止めてしまえばそれだけで日本列島は吹き飛ぶだろう。
今だって人と言う点の時間を止めてはいるが、それでもその破壊力は甚大だ。
揺り戻しが起きれば都市一つは優に吹き飛ばせる。
時止めから回避不可の超常攻撃――起きたばかりでもチートが極まっていた。
これはエデンで使ったものと同様に、本来は規模を地球全土にまで広げて発動する道連れ奥義である。
発動してしまえば終わり、何もかもを巻き込んで終局へと追いやってしまう。
億年の時間の中で失敗した時は何もかも道連れにしてやろうと必死で考えていたのだ。
この男以上に時間の無駄遣いをしている者、そうそう居ないだろう。
「(結界も張り終わったし、破壊はこの拠点だけに留まりそうだな……)」
パチン、と指を鳴らした瞬間に何もかもが爆ぜた。
シオンが張った結界のおかげで横にはある一定の規模以上には広がらなかったが変わりに上へと熱量が逃れてしまう。
その結果、空を貫く光の柱が立ち上り世界各国に要らぬ警戒を与えてしまうが勿論シオンは気にしていない。
総てが消滅したのを確認したシオンは南極へと転移し、ギルド本部へ侵入。
ステルス結界を張りつつ槍の記憶を辿り当代のトップが居る部屋へ入り結界を解除。
「な……!?」
緊迫した顔で電話をしていた美しい初老の女性が驚きを露にする。
しかしそれも当然だ。写真や映像でしか見たことのない英雄瓜二つの存在が目の前に居るのだから。
「あ、あなたは……何者です?」
そっと受話器を下ろし、両手から糸を発生させる女。
彼女の名前は醍醐香織――ギルドにおいて当代の長を務める日本人だ。
醍醐と言う苗字から分かるように栞と紗織の血縁である。
姉妹が現世を離れる際に、親戚の中から党首に選んだ少女の末裔だ。ゆえに直系と言うわけではない。
しかし若い頃は姉妹にそっくりで、糸まで使うものだから醍醐姉妹の再来かと持て囃されていた。
「春風紫苑、と言う男のクローン……らしい(まあ本人だけどな)」
肉体と魂の大部分は造られたものだ。
が、聖槍のバックアップと核となったオリジナルの魂で総て染め上げたので紛れも無い本人である。
どうしてこんな屑を復活させてしまったのか、教団マジでロクなことしてねえ。
「クローン……? そんな馬鹿な、感じる力はどう考えても……」
今の世には決して生まれ得ない尋常ならざる魂の持ち主だ。
それに何よりも、聖槍を所持している。あの主以外が触れれば禍を齎す聖槍をだ。
「詳しいことは分からない。だから、これを読んでくれ」
そう言って押収した書類を手渡すシオン。
香織は警戒しつつもそれを受け取り、内容に目を通して絶句する。
「ば、馬鹿な……こ、このようなことが……」
非人道的な実験や活動の数々が記された教団の内部資料。
醍醐の血筋であり、世のために尽力して来た香織にとっては衝撃的だった。
このような災禍の種に気付かないままのうのうと生きていたなどと。
「一応、本部と主要な連中は俺が処断した。だが、世界各地に散らばっている可能性も高い」
「狂信者達を殺したのですね? しかし何故? 生まれたばかりのあなたが……」
「分からない。ただ、赦されないと思った。あんな風に人の命を軽んじる奴らが」
そして、放置しておけば必ず禍を成す。だからこそ処断した。
そう口にするシオンの顔は曇っていて、どんな外道であれ命を奪ったことを良く思っていないことが窺える。
が、
「(……生まれたばかりの赤子ゆえ、今感じているものも分かっていないのでしょうね)」
魂レベルでの善人、春風紫苑の魂を使ったからだろうと香織は納得しているが気のせいだ。
あくまで右も左も分からないが、それでも正しさを体現している子供と言う体を装っているだけである。
「そう思ったら、槍が飛んで来て……それであんたのことも教えてくれた。あいつらの仲間をどうにかするなら、あんたに頼むのが良いって」
香織はギルドの長で、各国にも強い影響を持っている。
協力を仰ぐのは間違いではない。
しかし聖槍が語り掛けた、やはり彼はクローンであろうとも……香織は身体が硬くなるのを感じていた。
伝説の体現が目の前に居る、醍醐の血族である自分にも関わりが深い伝説が。
「あなたは、これからどうするのです?」
「……呪われた命だ、生きていても仕方が無いと思う。
だけど、死ぬのは逃げで、それじゃ俺が生まれるために犠牲になった人があまりにも不憫だ」
だから、
「奪った命よりも多くの命の助けになれればと思う。でも、やり方が分からないから旅に出る。
世界を回って、色んなものを見て色んなものを知り色んなことを感じて多くを学びたい。
そしてこの命を正しく使えるようになりたいと思っている。でも、教団の残党狩りをやると言うならまずはそっちだ」
香織達に協力しようと申し出るシオン。
「……そうですか(彼は春風紫苑ではない、ですがその想いは受け継がれているのですね)」
「ああ」
「分かりました。ならば協力を、そしてあなたが多くを学べるように支援致しましょう」
しばらくは此処に滞在してくれと言って部屋を出て行く香織。
あの春風紫苑のクローンが存在していると言うだけで影響は計り知れない。
まずは本部の人間に、次いで世界各国のお偉方への説明とやることは幾らでもあるのだ。
「(ククク……二度目の生か。ま、精々謳歌させてもらおうかなぁ♪
春風紫苑の名を持ち上げつつも、クローンと言う設定の俺も持ち上げる。一挙両得やでえ!!
ファーwww明るい未来に就職しちまったなぁオイ! あ、俺にも会いに行かないとな!!)」
後々、やっぱ復活するんじゃなかったと思うようなメンヘラった女とフラグを建てるのだがそれは別のお話。
最後の最後で上手くいかないことに定評がある男、それが春風紫苑だ。