外伝:大人になれない屑
外伝についてメッセージやら感想を頂く事もあったのでクリスマスプレゼントがてら一部復活+新規追加って事にしました。
他の外伝投稿するかは気分次第です。
真白い病室の中では延命用の機器に繋がれた老人が眠っていた。
ベッドの周りでは子供達や孫が瞳を潤ませながら敬愛する老人を見つめている。
今日を超えられはしない、医者の見立てを聞かされた親族は一時も老人から離れまいとしているのだが……。
「! 父さん!?」
昏睡状態のまま目は覚めずそのままと聞かされていただけに老人が目を覚ましたことに誰もが驚きを露にする。
老人は無言でチューブを引き抜き呼吸器を外す。
「な、何やってるのよお祖父ちゃん!?」
「すまんな……お前らに看取ってもらうのは嬉しいんだが、多分、ダチが待ってるんだわ」
老人は苦笑しながら大きくなった孫娘の頭を撫でてベッドから立ち上がる。
若い頃は凄腕の冒険者として名を馳せていた老人は寿命が近い今でも老人とは思えぬ肉体を誇っていた。
「よう、悪いが金貸してくれねえか? 流石に徒歩で行くのもしんどいんでな。タクシー代が欲しいのよ」
からからと笑いながら息子に金をねだる老人。
一体どんな奇跡が起こったと言うのか、病室内の誰もが驚きを隠せない。
「何言ってるんだよ!? そ、そんな身体で……」
「バッカ。寿命はもうちぃとばかし残ってんだ。女房のとこ行く前に行かなきゃならねえんだよ。お前は親父を不義理な人間にするつもりか?」
示し合わせていたわけではない。
最後に友と顔を合わせたのだって孫が生まれた時だから二百年以上前。
友は一体何処に居るのかも定かではないので連絡だって取れない。
それでも、何となくではあるが分かるのだ。きっとアイツは待っていると。
「……分かった。それなら僕が送って行くよ」
「そうかい。だがな、途中までで良いぜ。俺はダチとサシで会いたいからな」
そう言いながら老人は入院する時に持ち込んでいたバッグの中から古ぼけた制服を取り出しそれに着替え始める。
死に装束と言うのならばこれ以上に相応しいものは無いと決めていたから。
二百九十年の長い人生の中でもっとも熱かった青春時代を思い出したながら逝きたいのだ。
「おうおう、ぶっかぶかだわ。爺になっても鍛えてたつもりなんだがな」
「父さん……」
息子は知っていた、幼い頃から何度も何度も思い出話として聞いていたから。
「父さんの母校に行けば良いんだね?」
父親が会いに行く相手についても何となくではあるが分かった。
確かに彼ならば下手に姿は現せない、今老人が入院している病院は大き過ぎるので人目につきやすい。
「おう。つっても校門までで良いぜ」
「分かった。でも、その前に皆に何か無いのかい?」
「一生懸命生きろ、昔から口を酸っぱくして言ってるんだ。今更言うこっちゃねえ。お前らもその通りに生きてるだろうしな」
沢山の孫や曾孫、夜叉孫らの頭を一撫でして老人は病院を出る。
医者に止められはしたが無理矢理押し通した。
それだけのことが出来る程度には老人の社会的地位は高いのだ。
「……」
無言の車内。
息子は敬愛する父との最後の時間を少しでも長く過ごしくて何度かスピードを緩めそうになったが結局はしなかった。
もう十分過ぎるほどの愛情を貰ったのだから、最後の最後は自分の時間を使って欲しいと。
「……大阪も随分と変わったよな。俺が若い時とはえらい違いだ」
昔日を懐かしむ老人の目は潤んでいた。
リアルタイムで幻想との戦争を経験した世代は随分と少なくなったが彼はまだ生きている。
生きて勝ち取った未来を精一杯生きて来た。
「畜生、下の方は緩んでねえってのに上の方はもう随分と……」
目頭を押さえて苦笑する父に息子は何も言えなかった。
どんな言葉をかければ良いと言うのだ。同じ時代を共有しても居ない自分に。
息子は黙々と運転を続け、遂には永遠の別離がやって来る。
「ありがとよ」
短いが、それでも万感の想いを込めたありがとうを伝えて老人は敷地内に踏み入った。
今は夜だと言うのに戸締りも何一つされていない。
それは、
「……アイツも俺が来るかもって手配しててくれたのかね」
きっとそう言うことだろう。
権力で言うのならばそれこそいきなり学校を貸し切りにしても赦される男だ。
あまりそう言うことをするようなタイプではなかったが、それでも今日ぐらいは……。
「気ぃ遣ってくれたのかね。来るかどうかも分からない俺だってのによ」
総てが始まった一年Aクラスの教室の中を覗いて笑みを一つ。
そして名残惜しさを感じながらも老人は軋む身体で一歩一歩階段を上り屋上へ。
扉を開けると、
「! 花形、お前……昏睡状態だって……」
昔日と変わらぬ友の姿がそこにあった。
老人――花形元はそのことに申し訳なさを感じながらも若い時分を思い出し笑みを浮かべる。
「お前を待たせてるからな。寝てられねえよ。久しぶりだな、紫苑」
「……いや、そうでもないさ。時間だけは腐るほどあるからな。何ならもう百年ぐらい待っても良いんだが?」
ハゲはゆっくりと紫苑の隣に腰を下ろしバッグから杯を二つと、とっておきの酒を取り出す。
「ハハハ、そりゃ無理だ。しかし、醍醐に聞いたのか?」
紫苑の杯に酒を注ぐ。
「ああ。新聞でお前が入院したのは知ってたが……今日が峠だってのは二人に聞いた」
紫苑はもう殆どエデンに移住したようなものだが、醍醐姉妹は未だに家を仕切っていた。
次期当主に指名した少女が二十歳になるまではと引き止められたのだ。
周りの助けもあったとは言え栞は十歳の頃には当主としてバリバリやっていたので今の子は随分ゆとりである。
「あー……そういや、醍醐系列の病院だったか?」
ハゲの杯に酒を注ぐ。
「どうだったかな? 俺もよくは知らん」
二人は軽く杯をぶつけて酒を呷った。
「カーッ! 久しぶりだから効くわぁ……」
「おっさん臭いな」
「バーロー。オッサンどころか爺なんだよ俺ぁ」
「爺なら歳相応の格好をしろよ」
「そう言うお前も合わせてるじゃねえか。見た目はあれだがお前もタメだろうに」
紫苑もハゲと同じく冒険者学校の制服を身に纏っている。
もっとも、こちらはハゲと違ってピッタリフィットしているがそれは不老不死の恩恵だ。
「気持ちは何時でも十代のままさ」
「それを言うなら俺だってそうだよ」
顔を見合わせて大笑いする。まるで少年時代に戻ったかのようだ。
二人を照らす月光は何処までも優しく、それでも別れが避けられないものであるかのように悲しい。
「今、何処に居るんだお前」
「エデンだ。今は俺の領域になった……他の皆が譲り受けた領域と比べても一番過ごしやすくてな」
「終の棲家にしたか」
「ああ。アリスが屋敷を作って、中身も前からちょくちょく現世から運び入れ今はすっかりマイホームだ」
「電気とか通ってるのか?」
「発電機があるからな。魔術と併用すればどうとでもなる」
「そりゃ便利だな」
一杯目を飲み干し、再びそれぞれの杯に酒を満たす。
酒瓶の中身は半分ほどに減ってしまって、これが無くなる頃に自分は死ぬのだろう。
ハゲはそう思ったがそれでも名残を惜しむようにちょびちょび飲むことはなかった。
二百九十年、十分過ぎるほど長く生きられた。妻と結ばれ子を成し孫や曾孫も沢山――最高の人生じゃないか。
友から何時か聞いたように笑って逝くべきだろう。
「そっちはどうなんだ? 最後に会ったのは随分前だが……詳しく聞かせてくれよ」
「どうって言われてもな。普通だよ普通」
アダムとイブの頃から変わらぬ愛の形を紡いで今に至った。
簡潔に言ってしまえばそれだけで済む。出会い、別れ、沢山あったが思い出せばどれも皆、愛おしい。
「それじゃ盛り上がらないだろ。最後に俺と会った時から今までのことを教えてくれ」
「最後にお前と、か。確か孫が生まれた時だったな?」
さて何があったものかと顎を撫ぜて過去に思いを馳せる。
「孫が生まれたのを機に冒険者辞めて、そっからしばらく……二十年ぐらい前まで日本支部の顧問やってたよ」
「ギルドのか?」
「ああ。柄じゃねえのは分かってるがどうしてもって頼まれてな」
かつてヤクザやモジョが予見したように、ハゲはひとかどの男となった。
冒険者としての実力、人格、多くのものを得た彼がギルドの要職となったのは当然のことだ。
「それで思い出したんだが……結構せっつかれたんだぜ? どうにかお前をトップに戻せねえかって」
ハゲが顧問になる頃には各国の支部長も現役を退いて後任に託していた。
新世代の長となった者達は戦争当時まだ子供だった者が多く、だからこそ紫苑への憧れも強い。
だからこそ自分達を束ねる存在に是非とも春風紫苑を今一度! と再三紫苑の友人であるハゲに乞うていた。
各国の支部長だけではなく一般職員や、果ては一般人や冒険者からもだ。
「ま、何処に居るかも分からないってんで全部スルーしたがな。つーか俺に言うよりも前に醍醐姉妹に頼めよって話だわ」
そりゃ無理だ、だって怖いから。
何時だったか紫苑の仲間である姉妹に紫苑復帰の要望を通しに行った者が居る。
丁寧な言葉と冷たい視線で何時までも紫苑を頼る今を生きる人間の不甲斐なさを痛罵されてしまった。
そのエピソードが広く知られているので以降は誰も頼めなかったのだ。
「まあ、俺もあの話は知ってるから気持ちも分かるっちゃ分かるが……なあ?」
「何と言うか、迷惑をかけてすまない。連絡先を教えなかったのも……」
「分かってるよ。少しでも自分の影響力を減らしておきたかったんだろ? 完全に現世を離れる前に」
「ああ……人の枠から外れちまった奴が何時までも影響力を残してちゃマズイからな」
「つっても、お前の影響力が完全に消えるなんてこたぁ無いだろうぜ」
そっと胸に手を当てれば今でも魂の奥にそれを感じることが出来る。
生命の実を喰らった紫苑が齎した恩恵を。
これは原罪と同じように人類と言う種が存続する限りに続いていくものだ。
春風紫苑が成した功績と魂の奥に感じる熱がある限り人々は紫苑を忘れることが出来ない。
まあ、紫苑からすれば万々歳なのだが。
「あの日見せた輝きは無謬で、永久不変……俺だってついさっきのことのように思い出せるからな」
「持ち上げるな。恥ずかしくなる」
「何時まで経っても変わらねえな、紫苑はよ」
少し、身体が重くなり眠気がやって来た。
ああ、これが死ぬってことか……とハゲは小さく笑う。死神の足音と言うのは存外に温かいものなのだなと。
そして、ならば伝えるべきことを伝えておかねばならない。
「紫苑、ありがとうな」
「何だよ急に?」
「ずっとずっと伝えたかったんだ。親になって、爺になって、そしてだからこそ改めて思うんだ」
掴み取った未来の尊さを。
「お前が、お前が一番前に立って俺らにその背中を見せたから着いて行くことが出来た。
明日を、未来を掴もうって心の底から想うことが出来た。そうして繋がった今日だ……ありがてえ、ほんとにありがてえよ」
幻想回帰から終結までの時間はそう長くはない。
それでもあの時代を知っている者ならば誰もが幾度となく未来を見失ったことを覚えている。
人類の歴史はもう直に終わってしまう、自分達に未来なんて無いのだと。
「俺のガキや孫、孫の子、みんなみんな……平和な時代を生きている。
幸せそうでよ、アイツらが幸せそうに笑ってるのを見る度に俺ぁ頑張って良かったって思えるんだ。
そんで、頑張れたのはお前のお陰だ。お前が俺達を信じてくれたから」
だから、ありがとう。それしか言えない。
息子に告げた時よりも多くの想いが込められた"ありがとう"を紫苑は微笑みと共に受け取った。
「どういたしまして……って言うのもおかしな話だが、そのありがとうは受け取るよ」
「おう、返品されても困るからな」
「ックク……にしても花形よ、随分恥ずかしいことを言うようになったな」
「バーカ。お前にゃ負けるよ。その天然で全人類を誑しこんでおいてよう言うわ」
しばし、無言の時間が流れる。
永遠を生きる友、限りある命を生きる自分。きっと紫苑は沢山見送って来たのだろう。
置いて行くことに対する罪悪感、不老不死なんて業を人類のために背負わせてしまった罪悪感。
それらに押し潰されそうになるハゲだったが総てを酒と一緒に飲み干す。
同情や罪悪感なんてものは勇気ある決断を下した紫苑への侮辱となるから。
「なあ紫苑」
思い出話に花を咲かせたいがもう時間もあまり残っていない。
最後の最後に、恥ずかしいけれど聞いておかねばならないことがある。
「ん?」
「個人的に会ったり連絡したりとかはあったけどさ、同窓会っていっぺんも無かったじゃん? 何でか知ってるか?」
「いや……気になってはいたが理由までは……」
ぶっちゃけ興味が無かったと言っても良い。
大学を卒業し、ギルドの長としての仕事を退いてから紫苑は無駄な足掻きで忙しかったから。
「皆、腰が引けてたのさ。大人になった自分がお前に恥じぬ人間になっているかってよ」
僅か十六年、長い人生の中から見ればほんの少しの時間。
しかしその中で春風紫苑は誰よりも一生懸命に生きていたと言える。
だからこそ、引け目を覚えてしまう。自分の数十年はどうだったのだろうか――と。
「実は俺も似たような口でな。会うたんびに聞こうか聞くまいかって実は悩んでた」
でもこれが最後だ、もう聞く機会は無い。だからこそ聞いておかねばならない。
「俺は……俺は、一生懸命生きられたかな?」
紫苑はほんの少し羨ましそうな、寂しそうな、それでも誇らしく笑って口を開いた。
返って来た答えはこの上なくハゲの心を満たすもので……。
「――――」
思わず涙が零れてしまう。
それでもハゲはその涙を拭ってもう残り僅かとなった酒瓶を手にする。
「コイツが最後だ。名残惜しくはあるが、嫁さんを待たせてるんでな」
「ああ」
互いが互いの杯に酒を注ぎ、静かに空を見上げる。
冬空に輝く満天の星々とまんまるお月様。最後に見る風景としては上出来だ。
「この盃を受けてくれ」
ふと、何かを思い出したように紫苑がとある詩を口ずさむ。
「どうぞなみなみと注がせておくれ」
ハゲはそれを聞きながら永遠の悲哀を感じ取っていた。
「花に嵐のたとへもあるぞ」
不老不死と言う永遠を手にしたものにとって、
「――――さよならだけが人生だ」
ハゲは何も言えずに黙り込んでしまう。
「何時だったか聖書の蛇が勧酒を話題に上げてな。正にその通りだと最近になって思うようになった」
「……」
「そんな顔をするな花形。それでも俺はお前に出会えて良かったと心の底から思っている。
最後に待っているのがさよならだとしても、出会って共に笑い合った思い出が消えることはない。お前はどうだ?」
「……俺も、俺も同じだよ。お前のダチであることが心底から誇らしい」
そうして二人は最後の杯を飲み干した。
ハゲは満ち足りた顔で杯を置き静かに目を閉じる。冷たい夜風が吹き抜けて……。
「……ありがとうな花形」
隣で旅を終えた友に語り掛け、しばしの間月を見つめる紫苑。
その瞳にから何処までも透き通った一筋の涙が零れ落ちる。
「何時までもお前を独り占めしてるわけにもいかないからな」
醍醐姉妹に連絡を取り、ハゲの死去を伝えると二人が近隣に呼び寄せていたハゲの遺族がやって来る。
笑顔のまま逝ったハゲを見て涙を流しながらも良かったねと笑顔を浮かべる遺族達。
彼らは紫苑に一礼して、遺体と共に去って行った。
「最後の同窓生が逝きましたね」
遺族が去った後に姿を見せたのは醍醐姉妹だった。
「ああ……俺達もそろそろ潮時ってことだな」
「そうですね。私も栞も、後一月ほどで御役御免ですから……参りましょうか、共に」
姉妹はそっと紫苑の傍らに寄り添い、同じように月を眺める。
何だかしんみりとした空気だが……。
「(あー……気持ち良かったぁ。老いさらばえて死ぬ連中を見る度に優越感パネェわ。
ごめんね? 永遠に若いままで! 永遠に死ななくて! ふへへ……これが凡俗との格の違いよ!!)」
ハゲは立派な大人になったと言うのに何時まで経っても救えぬ糞ガキである。