少女作家
暑い日が続く昼下がり。夏休みなどとうに過ぎた10月の中頃は、今月末に控えた文芸際に向けての準備で、教室内は女子たちが楽しくお喋りしながら試作として作ったお菓子類をパクパクと食べている。その隣では衣装案の最終決定で、女子と男子の二人が口論をしている。かたや教室の廊下では、男子たちが適当にさぼりながら女子が手がけたポスターに色を塗ったり看板を作ったりと、手を動かしながらその傍らを通る女子のスカートの中を覗こうと奮起している姿が見える。
清涼学園文芸際。ここら辺の高校の中では規模が大きく、中高一貫校なことや敷地面積もあり、1日2日では周りきれないため4日に渡り開催される。その間多種多様なイベントがグランドのライブステージや講堂、屋上なんかでおこなわれる。
他にも各学年5つもあるクラスが飲食店やらお化け屋敷、お手軽に休憩場なんかをやってたりし、さらに文化部も教室や部室棟、特別教室で、日ごろの成果をと言わんばかりに特色をいかした演目をやっている。
かくゆう俺もその一人で、今日もこれから自分の所属する部活に顔を出さなければいけないのだが、はっきり言って憂欝だ。だからこそこうして教室のベランダの柵に頬杖を突きながらグランドを眺め、呆けている。
外のグランドではライブステージに使う機材のチェックや屋台の建設なんかで、せかせかと人が行き来していて活気がある。ある生徒は頭にタオルを巻いて大工のように材木をのこぎりで切り、ある生徒はバインダーに挟んだ紙をチェックしながら周りに指示をだしている。
そんな光景を見ていると、後ろのガラス戸がカラカラと開き、閉まる音がする。
「なにしてんの? 時也」
「グランド見てる」
聞き慣れた声に俺は後ろも振り向かずに答える。声の主は俺の隣まで来ると柵に両腕を重ねて置き同様にグランドを見出した。
「皆忙しそうだね」
「結音はどうなんだよ? 吹奏楽の方は?」
「う~んまあまあかな。割りと余裕あるみたいだし、今も休憩」
「時間あるんだな」
「時也のとこは全くないの?」
「ない……訳じゃないんだけど」
歯切れ悪く言う言葉に唯音は眉をしかめるが、実際そうなのだからしかたなかろう。ぶっちゃけ年中活動停止みたいな部活だし、部員にいたっては俺と部長を含めて二人しか存在しないのだから。それなのにいまだに部活として活動していることに驚きを隠せない。まあ聞いたところによると、部費は9割もカットさせられているようだが。
「今のところ振り回されっぱなしで、振り回させてない時が休みかな」
きっと部長が聞いたら、「そんなことないぞ! 私は好きなようにしてるだけだ!」とか言いそう。
「なんだか楽しそうだね」
「どこをどう聞いたらそうゆうふうな感想が出でくるんだ」
「え~そうかな~。私は楽しそうだなって思うけど」
振り回させるのが好みとか、どMか?
昔から工藤唯音は人とどこかずれた感覚を持っていた。小学校の時も秒針と短針の簡単な算数の問題が出た時に、2つの針が重なる時間を求める簡単な算数の問題で「二人が一緒に抱きあってれば離れずに済んだのに、なんで離しちゃったんだろう?」と問題そっちのけで考えていたことがある。他にも、国語で自分がクライマックスの泣けるシーンを先生に読まされ、感極まって涙を零しながら最後まで読み切ったり。家庭科では指示された調味料ガン無視で別の調味料使ったり(これがかなり美味かった)。中学でも「ⅹを外に追い出すなんて酷い!」と数学の授業中に叫んだこともあった。
唯音はふんわりとした短めの髪の横を耳にかけ、吹き抜く風を感じているようだった。可愛らしい容姿ではあるが、その変な性格のせいで取り入る男子はおらず、今でもこんな冴えない幼馴染の相手をしてくれている。
「時也は楽しくないの?」
「俺は……」
今まさに言葉を発しようとしたその時、ガラス戸が勢いよく開かれ、ガラガラガラ! と音を立てて誰かが入ってきた。
「和重時也!」
幼さの残る声に俺はげんなりと顔を歪める。もう幾度となくその声の怒声を浴びたことか。驚いた唯音は、声の主を見るやクスリと笑って俺を見る。目線で「お迎えだよ」と言われたような気がして更に溜め息を吐く。
「いったいいつになったら部室に来るんだ! 私の寛大な心でもこれ以上は待てんぞ!」
「なら諦めて家にでも帰ってふて寝でもしてください」
振り返るとそこに立っていたのは発展途上の幼児体型に長くストレートの栗色の髪。朱と黒を基調とした制服を、着るとゆうよりは着られているだぼっとした服装。そしてもっとも特徴的な紅いリボンカチューシャ。本当は小学生だと言われても違和感など微塵もないだろう。むしろこれで年上だと言われても冗談にしか聞こえない。けれど事実この人、速水凛歌は一つ上、3年の年上なのだ。
俺と彼女が出会ったのは去年の夏ごろだ。俺が唯音と一緒に夏休みの宿題を片付けようと学校の図書室に来ていたが、唯音はその日吹奏楽の練習で遅くなっており予定していた時間に間に合わないと連絡が入ってきた。とりあえず一人でできるだけ進めてしまおうと教材を取り出し、いざ宿題に立ち向かおうとしたその時だった。
「君。今暇か?」
真横のしかも耳元で話しかけられ、俺は飛び跳ね仰け反った。そこにいたのは小学生と見間違うくらいの身長の少女が仁王立ちで立っていて、腕を組んで凛としているその姿は小さいながらに大人の雰囲気を醸し出していた。
「……誰?」
「速水凛歌。清涼学園高等学校2年4組出席番号22番血液型はA型の獅子座」
捲し立てるように言われた自己紹介の数々に、俺は口を開けてポカンとしてしまった。彼女は訝しげにジッと見つめると、また口を開いた。
「速水凛歌。清涼」
「いや、それはもう大丈夫」
丁寧にもう一度繰り返そうしたので、俺は手で制して言葉を切る。彼女は「それならいいの」と言って俺の隣にある空き椅子に腰を掛けて、またジッと見つめてきた。
「……何か?」
「最初の質問。君、今暇か?」
「……今なら暇ですけど」
「そうか!」
嫌そうに返事をした俺に対して、前のめりに目を輝かせて乗り出してきた。
「いやーよかったよかった! もし暇じゃなっからどうしようかと考えていたんだよ。まあでも私の魅力にかかれば男の一人や二人落とせないわけないもんな、うんうん。あ、そういえばまだ君の名前を聞いていなかったな。さあ教えてくれ」
どうやらこの捲し立てて喋るのは一種の癖のようなものなのかもしれない。まるでマシガントークだ。圧倒された俺は少したじろぐように彼女から離れる。
「和重時也。1年2組です」
「和重君か。実は君に折り入って頼みがあるんだ。いや別に君じゃなくても勿論よかったのだが一目見た時にこう頭にピピピッ! て来るものがあってね、頼みにきたのさ。ちょっと待っていてくれ。すぐに戻るから」
彼女はそう言うと席を立ち、とてとてと小走りである机の前に行くと何かを掴んで、またとてとてと戻ってきた。その手にはよく作文とかで使われる原稿用紙の束があり、彼女は恥ずかしそうに頬を赤らめると無言でそれを渡してきた。相手が先輩だと言うこともあり無下にはできず、渋々それを受けとる。
見るとそこには大量の文字がびっしりと埋まっており、何だこれは? と目で訴えると。彼女はそっぽを向きながら答える。
「私の書いた、小説」
「小説?」
再度原稿用紙に視線を移し目を走らせる。そこに書かれていたのは異世界物の話しで、分類的にはライトノベルスに分類するものだとわかった。ざっくりと流し読みして思ったのは、ありきたりなストーリーにぱっとしない主人公。書き分けのできていないキャラクターと散々なものだった。だがその中でも一際目立つものがあり、情景描写と心理描写の緻密さ、語意の豊富さは目を見張るものがあった。だからこそ、その他のあらが目立つ。
半分くらいまで読み終えて俺は原稿用紙から顔を上げる。すると横で不安ながらも興味のある顔をして、俺の言葉を待っている彼女がいた。その時、なんで俺にこれを見せに来たのかがわかった。きっと彼女は読者の意見、感想が聞きたかったのだ。
「え~と」
俺は一瞬本当のことを言いそうになったが咄嗟に考え直した。あって5~6分の人間に心を開いて本当のことを言う可笑しさと、もしものときに自分が悪く思われないようにと予防線を張る意味で、曖昧な褒め言葉を口にしようとした。
「いいんじゃ」
「気を遣った曖昧な返事はやめてくれ。私は率直な意見が欲しいんだ」
言葉を遮られて狐に摘ままれたような気持になる。それと同時に思い知らされた。この人は真剣なんだと。真剣にこの小説と向き合っているんだと。それがわかり俺は言葉を詰まらせ、もう一度原稿用紙に視線を移すと、一つ大きく呼吸をする。
真剣に向き合っている人に応えてあげるためにも、こちらも真剣に、思ったことは隠さずに言おう。そう心の中で呟いて彼女に向き直る。
「率直に言います。はっきり言って面白くないです」
それを聞いた彼女は明らかに悲しそうな顔をするが、それでも逃げずに俺の話しを聞こうとしている。
「面白くないとは言いましたが、けして全部が全部面白くないわけではないですよ?
とくに情景描写と心理描写の緻密さは凄いと思います。中でも凄いと思ったのは言葉の種類です。同じような表現がほとんどないってゆうのは凄いですよ。文章表現だけだったらもうプロのレベルです。だからこそこのありきたりな王道ストーリーが邪魔をしています。先輩の持ち味は、人と人との駆け引きや騙し合いなんかじゃないかと思いました。
あとはキャラクターが全員一本調子で同じ人が喋ってるみたいでした。これじゃあ読者がキャラクターを把握するのが難しいし、いろんな人を出す意味がなくなります。頭がいいやつがいて悪いやつがいて、軽いやつがいて根暗なやつがいてって、その人その人に合わせた喋り方や考え方をすれば、よくなるんじゃないでしょうか?」
とりあえず言いたいことは筒に隠さず全部言った、そして言って不安になった。相手は2年生、こんななりをしているが俺より年上なのだ。年下がこんなわかってるみたいにベラベラ喋ってしまってよかったのだろうか。もし俺が相手の立場なら、自分でまいた種だとはいえあまりいい気はしない。
恐る恐る彼女の顔を見ると、彼女は最初に乗り出した時みたいに目をキラキラ輝かせて俺を見ていた。まるで羨望の眼差しのように。
「凄い」
「へ?」
「凄いよ君! なんでそんなに的確にアドバイスができるんだ! それでも年下か!?」
「これでも年下です」
彼女は一しきり俺を褒めちぎると、原稿用紙の裏にさっき俺が言ったことをメモし始めた。その姿と反応に、安堵の溜め息と顔がほころぶ。少し緊張が解けたのか肩周りが楽になったような気がした。
携帯を確認して見るとまだ連絡は入っておらず、結音の部活がかなり遅れているのがわかる。気を取り直して宿題を片付けるべく、再度机に向かった。
3分くらいが過ぎただろうか。用も済んだだろうに、しかし彼女は一向に帰る気配がなかった。俺の隣で腕を組んで何かを考えている。別に話しをする訳でもないのに隣にいられると気まずい。宿題にも集中できずに、俺は何か話すべきなのか? いやでも考えているし迷惑なのでは? と葛藤していた。意を決して話しかけようと横を見ると、彼女もこちらを見ていたようでばっちりと目が合う。咄嗟に俺は目線を外し宿題のプリントを見下ろす。だがいまだに見ているのだろう。横からの視線になんだか嫌な汗をかき始め、耐えかねた俺はついに話しかけた。
「あの、なんでしょうか?」
「君、本には詳しい方?」
「……ええ、まあ」
彼女の質問にたいして少し濁した言い方をした。別段詳しい訳ではないが、家庭の関係で普通の人たちよりは詳しいと言わざるおえない。
「君、部活は入ってる?」
「いえ、あまり入りたいものがなかったので」
ちなみに中学は帰宅部でした。と言うのはさすがに憚れた。
「なら和重君。文芸部にはいりなさい」
「え?」
「だって君、少し読んだだけでこれだけのことがわかるんだもん。もしかしたら文章編集の才能があるのかも。それに文芸部に入って貰えばいつでも和重君に私の小説のアドバイス貰えるでしょ?」
なんとも自分本位の考えなんだろうと思ったが、はっきりと断る理由も見つからなかった。どうせ暇だし何もしないでぶらぶらとしているよりは、部活に入ってせっせと内申点をあげている方が健全であるとは思う。それに文芸部となると、文字を扱う部活な訳だしそこまで大それたこともしないだろう。悪くはないのかも。それに、将来のことを考えると。
「いいですよ。でも、アドバイスしかしませんからね。何か書いたりってゆうのは専門外ですから」
「いいよいいよ、全然それでいい! やったー! 私一人で正直不安な所があったんだよ。君に入って貰えれば文芸部も存続できるしね」
「そうですか……」
一人?
「あの、先輩?」
「ん? なんだ?」
「先輩、一人なんですか?」
「ああそうだぞ。何か問題でもあるのか?」
「問題って言うか……よくそれで部としてなりたってますね」
もうそれは同好会のレベルなのでは?
「そうなんだよ。この清涼学園の七不思議の一つでもあるからな」
「変なとこで七不思議使うんですね」
大丈夫だろうか、この学園は。
「まあそんなことは置いとけ。それよりも、これからよろしくな」
差し出された手を、俺はおずおずと握った。
「よろしくお願いします」
このことがきっかけで、俺は清涼学園文芸部として活動を続けている。だが入ってみて思ったのは、この人の天真爛漫と傍若無人加減が最強クラスだと言うことだ。朝、昼、放課後関係なくこの人は俺の教室に突撃してくるし。気になったことには一直線な性格をしているため、たびたび騒動に巻き込まれている。入って一カ月もしない内に辞めてやる! と何度誓ったかわからないが、何故か今もこうして俺は凛歌さんにと共に部活を続けている。
「まったく君と言う男は、何故そうやってサボリたがるんだ」
文芸際の作業をしている廊下の端をずかずか歩きながら、凛歌さんは後ろから付いて行っている俺に怒りをぶつけている。教室を出てからずっとこの調子なのでかなりご機嫌斜めならしい。だがこれはまだいい方だ。凛歌さんは拗ねた時が一番面倒くさい。一度凛歌さんを拗ねさせて、三日間口をきいてくれなかったことがあったが、あれは意外と精神的に来るものがあった。普段は大人びた雰囲気を全面に出しているが、その根っ子部分までがそうであるとは限らない。案外見た目通りの子供っぽさも待ち合わせているのだ。
「もう時間もないのに何度も何度もばっくられては寛容な私だって怒るんだぞ? それに君がいないと執筆だって進まないんだ。私の編集ならもう少し私に気を遣ってくれてもいいんじゃないか?」
「いやまあ確かにばっくれたことは謝りますけど、編集だってそう毎日作者と打ち合わせしてるわけじゃないんですよ? 週刊だったら週に二~三度とか、月間だったら月に何度かとか」
「私の執筆速度は知ってるだろ?」
「そりゃあ速いのはわかってますけど、でも」
「私が来てほしいって言ってるんだから来るんだよ!」
俺の反論に凛歌さんは完全に逆切れした。我が儘で子供っぽい所は可愛らしいと思うこともあるが、今はただただ面倒だ。こういう時は無視して機嫌が直るのを待っているのが得策、でも今回はそうはいかないだろうな。諦めて振り回されるしかないだろう。
「それで、どこまで進んだんですか? 二日前に見た時は三分の一は残ってましたけど、四分の一になりましたか?」
「終わった」
「は?」
「だから終わった」
いや待とう。確かに凛歌さんの執筆の速度は速い。でもいくら速いからといってたかだか二日で終わらせることなんてなかなかできることじゃないぞ? 一日中部屋の中に缶詰状態にでもなっていたのか。いやでも、あの人学校休んでるところ見たことないし。
「聞いてるのか時也君?」
「!?」
いつの間にか凛歌さんの顔が目の前にあり、考えていて反応が遅れてしまった俺は咄嗟に仰け反ってしまった。凛歌さんは俺を見て不思議そうに眉を寄せて見上げてくる。顔は可愛いので急に近づかれると意識してしまう。まあこの人はそんなこと全く思ってはないんだろうけど。
「なんでもないです。それより、できたなら早く見ないといけないですね」
なんだか意識してしまったのが恥ずかしくて、顔を見えないように上を向きながら凛歌さんを追い抜き、速足で部室に向かう。
部室は二階にある地学準備室にある。元々は教材を置く場所として使われていたが、社会科の教材は一ヶ所に纏めてしまったので空き教室になったのだ。なので今は文芸部が教室を間借りさせてもらっている。教材を移動してしまったので部屋の中と棚の中は思ったほど綺麗になっていて、間取りは小さいながらも充分な広さがある。なので不自由は一切なく、むしろ居心地がいいくらいだ。
少し埃っぽい教室に入り、長机の奥にある教卓に置かれているノートパソコンに向かう。PCルームにあるような大きめで座り心地のいい椅子に座ると、スリープ状態になっているパソコンを起ち上げてデセクトップにある“小説”のファイルを開き、その中で一番保存日時が新しいものを開く。
凛歌さんは長机の方のパイプ椅子に腰をかけて、棚に新たに入れた本の中から一つ抜き取って読んでいる。
静かに時間が流れていく。何分かたったころに、この空間に耐えかねたのか、はたまたただ暇になったからなのか、凛歌さんは唐突に話しを振ってきた。
「なあ、そういえばなんだが」
「なんですか?」
俺は作業する手を止めずに受け答えをする。凛歌さんも特にそれは気に留めてないようで、普通に話し始める。
「司書の先生に言われたんだけどさ、なんだか最近図書室の本の内容の一ページを切り取ってる人がいるんだってさ」
「切り取ってるとはまた物騒な人ですね。破くならわかりますけど」
「そうなんだよね。しかもその切り取り方がすっごい綺麗みたいで、もはや抜き取られたんじゃないかってくらいなのよ。でもなんでそんなことするんだろうね?」
「知りませんよそんなの。犯人はまだなんですよね? 貸出カードとかに名前書いてないんですか?」
「最後に借りたのが随分前らしいんだ。最近はないんだって」
また可笑しな話しがあったものだ。本の一ページを切り取るのは相当の神経を使う作業だ。しかもそれが綺麗となると、それなりの準備と技術がないとできる芸当ではないだろう。さらにもっと可笑しな話しが、借りてないとゆう事実だ。この学校は盗難防止のため、本の貸し出しカードを学校側が保管する制度がある。貸出カードにはクラスと名前も書くので、誰がどの本を借りたのか一発でわかる。最近のがないとなると、犯人は本を借りずに図書室の中で犯行を行ったことになる。
「だいぶリスキーなことしてますね、その犯人」
図書室の中は誰かに見つかる可能性があるため、ちんたらとページを切っている暇はないはずだ。
「誰にも見つかってないんだから凄いとは思うけどね。でもどうやってやってるのか気になるんだよね」
「あ~、気にしないでください」
後々面倒なことになるから。
「いや、気になる。いったいいつ、どのタイミングで切り取ったのか。そんで犯行の手口はなんなのか。これを調べずにはいられないじゃないか」
「そうですか~、じゃあ凛歌さん一人で行っててください。俺はここで一人小説の直しとアイディア纏めてるんで」
「よし。今から調べにいくぞ、時也君」
凛歌さんは立ち上がると部屋を出ていく。俺は特に作業の手を止めることなくパソコンに向かっている。すると凛歌さんが戻ってきて、俺の手を掴むとそのまま手を引っ張って行き、されるがままに立ち上がり凛歌さんに付いて行く。手を掴まれた時に諦めは付いていたが、やっぱりこうなったかとゆう溜め息は出た。興味を持ったことには一直線、飽きるまで諦めない。それが速水凛歌とゆう人だ。
引き摺られるように部屋を出た俺は、とりあえず手を離してもらい素直に凛歌さんの後を追う。まったく、小説のほうはいいのかよ。と思うが、今の凛歌さんにとってはそれよりもこっちの方が重要度は高い。こうなっては何を言っても無駄なので、あとは凛歌さんが飽きるのを待つしかない。
特別棟三階にある図書室は地学準備室からは目と鼻の先にある。三階に上がると、下とは比べ物にならないくらい物静かだった。それもそのはず。時別棟の一般公開は二階までで、三階、四階は当日封鎖する予定なのだ。だからここを装飾する理由は一切ない。
図書室に入ると、廊下ほどではないが人がいた。机の一角を陣取って数人の生徒が話し合いをしているようだった。耳を傾けて聞いてみると、木材の残りや、各教室の進行状況、予算の余りなどの話しが聞こえる。それに良く見てみると、黒い髪に銀縁の眼鏡をかけている生徒会長の亘理修三殿がいたので、生徒会と文芸際実行委員の集まりだとわかった。あまり邪魔しちゃ悪いと思いさっさと凛歌さんの用事を済ませようと促すために、前にいる凛歌さんに声をかけようとしたら。
「あれ?」
いつのまにか姿を晦ませていた。どこにいったのかと辺りをキョロキョロしていると。先程の生徒会の集まりの方から聞き慣れた声が響いた。
「ふむふむ、この出し物は気になるな」
「ちょっと凛歌さん! なにやってるんですか!? すいません家の好奇心娘が」
俺が謝っていると、亘理生徒会長はニッコリ笑って「いいよいいよ」と言ってくれた。
「速水さんには色々お世話になってるからね。これくらい構わないよ」
お世話になってるって。この人にか? ありえん。
「それに少し相談もしたいと思ってたしね」
「相談ですか?」
生徒会長直々の相談。少しだけ、なんとなくだが悪い予感がした。周りの生徒から腹黒生徒会長とゆう異名もあるため、この笑顔が怖く思える。いったいどんなことを言われるのかと身構えていると、生徒会長はまたニッコリと笑う。
「実は後夜祭に向けて木材の発注をしていて、今朝がた学校に届いたのだけどね。その時はなんの問題もなかったんだよ。けど昼休みなった時に改めて見てみると、なんだか気持ち少なく見えてしまってね。どうもそれが頭から離れずにいるんだ」
会長の口車に乗せられるように凛歌さんの興味がその話しに傾いているのがわかる。このペースはマズイと思ったが、それをさせまいと会長の話しは終わらない。
「いったい誰がなんで木材なんか持って行ったのかわからないが、生徒会としては窃盗犯を野放しにしておくことはできなくてね。でもご覧の通り生徒会は今文芸際の準備でてんやわんやなんだ。そこで速水さんにこの窃盗犯の捕まえて欲しいんだよ」
やっぱりそう来るか。目を輝かせている凛歌さんの後ろで顔色悪くしている俺に、生徒会長はまたニッコリと笑う。この人確信犯だ。
「ここで会ったのも何かの縁だと思ってさ、一つ協力してくれないか」
「わかっ」
「ちょっと待って下さい」
二つ返事で頷こうとしていた凛歌さんの言葉を遮り、俺は生徒会長を見る。
「協力することはこの際構いませんが、まさかただ働きなんてことないですよね?」
生徒会長はそうくることがわかっていたようで、今までの人を引き付けるような人畜無害の笑みでなく黒い笑みを浮かべた。
「勿論タダとは言わないよ。君たちは文芸際では小説を売るんだったね。それを生徒会の方で数冊委託して構わないよ。売る範囲の拡大だ」
「まあそれくらいなら前借りとして貰っておきましょう」
「君はなかなか欲張りな子だね、いいだろう。問題が解決できようができまいが、売り場拡大は約束しようじゃないか」
「ありがとうございます。では解決したら」
「ああ。この学校では通信販売もしている。それ用に数冊こちらで買うことにするよ。では、よろしく頼むね」
生徒会長はまたニッコリとした笑みをして、俺は礼をして凛歌さんを引っ張ってその場を離れる。
「ちょっと時也君。なんであんな約束したの?」
「なんでと言われましてもね。なんだか面倒事を押し付けられた気がしたんで、咄嗟に見返りを求めただけですよ。まああの腹黒生徒会長には全部筒抜けみたいですけどね。それよりも軽はずみに返事しないでください」
「私は自分の気持ちに素直になっただけだ」
だからそれをやめろって言ってるのがわからないのかなこの人。呆れて溜め息しか出てこなかった。まあ凛歌さんに常識的なことを言ったって無駄なことは少なくともわかってることだし、今更か。むしろそこまで一直線だといっそ清々しいとゆうか。
「それより時也君。早く問題のあった本を調べに行くよ」
楽しそうに今度は俺の手を引っ張る凛歌さんに、俺は笑みが零れる。
さて、本を調べると言ったが俺はどの本に問題があったは聞いていない。いったいどんな本なのか気になる。取り敢えず手を引っ張って貰うのはやめてもらい、後を付いていきながら図書室の奥に行く。凛歌さんがやって来たのは医学書が多くカテゴラスされているブースだ。
「さてと、たしか切り取られたは医学書関連らしいんだけど……どれかしらね?」
「は?」
今何て言った?
「ほら時也君。早くどれがその問題の本なのか調べるよ」
「調べるのはわかりましたが。え? どうゆうことですか?」
「え? 何が?」
「凛歌さんは既にどの本に問題があったのかわかっててここに来たんじゃないんですか?」
「え? 知らないけど?」
本当にわかってないように、首をかしげる凛歌さん。
「私が知ってるのは図書室の本に切り取られた痕があるってことだけだよ?」
「つまり特に下調べはしてないと?」
「まあそうなるね」
「そうですか。わかりました」
なるほど。つまりいつも通りか。むしろ期待した俺は浅はかだったな。
凛歌さんと一緒に行動するようになって、最初の時はいつもこの調子で随分困らされたものだ。最近では執筆に追われていたために、こうゆう問題ごとに首を突っ込むことが少なくなっていたからすっかり頭から抜け落ちていた。
司書の先生か図書委員の誰かに聞くかな。その方が効率がいい。それに普通切り取られてる本が一般に並ばないよな。
「いったいどんなやつなんだろうな~。これかな? いやこれかも。う~ん調べがいがあるわ~」
勝手にテンション上げてる凛歌さんを無視して一人図書室のカウンターに足を運ぶ。そこには一人の男子生徒がいて、なにやら本を見ていた。
「あの~?」
声をかけると、男子生徒は手元の本の開いてるページに栞を挟み顔を上げた。野暮ったい髪のせいで顔がよく見えず表情がよくわからない。
「なんですか?」
聞こえるか聞こえないかギリギリの声のボリュームに突っぱねるようなトーン。目が隠れてよくはわからなかったが、気持ち的には睨まれている感覚になる。こういうタイプにかなりイライラする俺は、逆にもの凄く愛想よく振る舞う。
「最近図書室の本からページが切り取られてるって聞きまして、どの本が切り取られたのか気になってしまって。もしその本があるのなら見せて貰おうかと」
男子生徒の視線が鋭くなった気がした。
「どうしてですか?」
なんとも警戒させているようだ。でもなんでだ? 警戒されるようなことないのに。確かにいきなり来て本見せろって言われても戸惑うと思うが、普通はそこまでだ。それに噂になるくらいだから、誰か物好きがこうして足を運ぶことだってあるはずなのに。
少し違和感を覚えたが、それ以上突っ込んで聞く気もなかった。取り敢えず本が手に入ればそれでいい。
「いや、普通に見せて貰おうかと。見るくらい、いいですよね?」
男子生徒は少しだけ思案するように後ろ髪を掻くと、カウンターの下に潜り込んで本を五冊ほど渡してくる。
「どうぞ。でも、図書室内で読んでください。後ちゃんと返してくださいね?」
「ありがとうございます」
本を受け取り凛歌さんの元に向かう。向かいながらどんな本があるのか確かめてみたが、あるのは人体に関係する本が四つに、錬金術関係の本が一つ。本の年代とかはバラつきがあり、一番古そうなのは錬金術関係の本だった。
「なんか難しそうな本ばっかだな」
「そうだね」
「うお!! 脅かさないでくださいよ! てかいつから隣にいたんですか?」
「ん? 君が本を受け取った辺りからかな?」
「その時に声かけてください」
「それより本を見せろ」
目を爛々と光らせてる凛歌さんに殺意を覚えた。少しはこっちの気になって欲しいと思うが、まあ無駄なので言わない。
「わかりましたからどっか座りましょう」
手近な場所を陣取った俺たちは、テーブルに借りた本を広げる。凛歌さんは適当に一冊手に持つと、ペラペラと流し読みを始める。そしてあるページのとこで手を止めて、その場所を開いたままテーブルに置く。次の本も同様のことをして、五冊全部を開き終えた。
「凛歌さん?」
何かを考えるように腕を組みながらジーッと本たちを睨み付ける凛歌さん。左手の人差し指がトントンとリズムを刻むように動いている。これは凛歌さんの癖のようなもので、考えてる時にしているのをよく見る。
「……なにか気になることでもありましたか?」
「うん……ちょっとね、この本だけ二枚切り取られてる」
そう言って指差したのは錬金術関連の本だった。書かれている内容はどうやら人体実験の歴史みたいなものだ。
「これが二枚ですか?」
確かによく確認して見るとページ数が二枚分離れている。
「これが何か?」
「何かってわけじゃないんだけど、なんでこれだけ二枚も切ったんだろうって思ってさ。他のは一枚だけなのに」
「たまたま二枚切っちゃったんじゃないんですか?」
「そうかな? ねえ時也君。この中でどれが一番古い奴かな?」
「古いやつ?」
「一番最初に切り取られたやつ。誰かわかんないかな?」
「あ~やっぱり司書の先生か、あとはあの図書委員ですかね?」
それを聞くと凛歌さんはおもむろに立ち上がり、五つの本を抱えてカウンターに歩いていく。カウンターには先程の男子生徒が本を読んでいて、俺たちに気づくと本を閉じる。
「もう読み終わったんですか? なら早く返してください。それ元々貸出禁止」
「それより訊きたいことがあるの」
男子生徒の言葉を遮るようにカウンターに本を置くと、よく見えるように広げる。
「この中で一番最初に切り取られたのって何?」
突然の問いに男子生徒は戸惑っているが、広げられた本を見ていき一つの本を指差した。それは医学書関連の本で凛歌さんはそれを見てにやけたように笑った。
「ありがとう、それが知りたかったの。ああこの本はとりあえずもう大丈夫だから片付けていいわよ。それじゃ」
それだけ言って凛歌さんは図書室を出ていくので慌てて追いかけていく。
「凛歌さん! どうしたんですか急に!?」
凛歌さんは腕を組んでまた左の一指し指をトントンしているので、これは話しかけても無駄だなと覚り黙って隣を歩く。文芸際に向けて活気のある声に耳に傾けながら、窓の外で準備に勤しんでる生徒たちを眺める。そんな風にボーっと部室に向かってると急に背中を叩かれた。
「イッ!」
背中をさすりながら凛歌さんを見ると、掌をヒラヒラとさせて冷ましてる姿があり、俺は凛歌さんが叩いたものだとわかった。こんな小柄な割に案外力はある方で、何度かどつかれたこともあるが全部痛かった。
「なんですか?」
「部室に戻る前に亘理の依頼をしに行こう」
「ああ、確か木材関係でしたよね。だったら校門前だと思いますよ。それと当たり前みたいに俺も行くんですね。まあわかってましたけど」
「わかってたなら問題ないだろう。それに私には時也君が必要だからな」
よくもまあそんな恥ずかしい台詞言えますよね。聞いてるこっちの顔が熱くなりますよ。でもなんだかんだで、凛歌さんのこういうストレートな感情表現は嫌いじゃない。素直に自分の気持ちを伝えるのは、大きくなるにつれてできなくなるからな。
「いくよ?」
「しかたないですね」
まあ、絶対言ってはやらないけどな。