三題小説第十六弾『ポーカーフェイス』『のぼり』『駅』
※ガールズラブという程ではない友情くらいの百合要素があります。
1
入学式は一カ月前に終わり、新入生勧誘期間も終わってしまった。春のうららかな午後の狭い部室で私は机に突っ伏し午睡もとい、一人脳内反省会議をするのだった。
今年こそはと張りきった。プラカードも作ったし、沢山のビラも刷った。しかし今年は昨年以上に駄目だった。新入生の誰一人として入部届けを持って来ない。私は寂しさに張り裂けそう、でもなかったが少しばかりやるせない気持ちになった。
昨年はそれでも二人の後輩が入って来たのだ。今はどちらも幽霊部員だけど。名前は何だっけ? 片方はアイカワさんだった気がする。最初の数日は部室にも来ていたのだけれどいつの間にやら来なくなった。もう一人のキヌガワ君に至ってはテニスコートでテニス部の部員相手にテニスをしていたのを見かけた事があった。あれ? おかしいな? とは思ったものの声をかける事もなかった。喋った事ほとんどないし。
何といっても私が原因なのだから仕方がない。いや、原因である本人が仕方がないとか言っちゃ駄目なのかもしれないけれど、とにかく仕方ないんだ。
私ほど無表情の人間はいない。生まれつきなのかそう育ったのか分からないけれど、とにかく私は内心を顔の形態で表現する事が苦手だった。いや、少し盛った。苦手というか無理だった。無理なのだ。
最初の数日か……数週間は『アイカワなんとか』さんも『キヌガワ何とか』君も来てくれていたのだけれど無表情でついでに口下手な先輩を前に居たたまれなくなったのだろう。二人でお喋りしてくれててもいいのにさ。
必然的にコミュニケーション手段の一つを持たない上に特別話の上手いわけでもない私はまともな人間関係を作れずにこれまで生きてきて18年。というわけだ。
申し訳ありません諸先輩方。OGの皆さま。私の、真喜志マキエの代でこの手芸部は終わりです。 たとえ部員が一人のクラブが存在するようなこの緩い学校といえども、幽霊部員だけの幽霊クラブでは存続は不可能です。一瞬で除霊されて、そこには手芸部の墓が残るだけです。南無。
これも私が不甲斐ないばかりに、というか表情がないばかりに。
どれほど眠っていただろう。じゃなくて脳内会議をしていただろう。新入生をいかにして勧誘するかという議題に解決は見られず結局愚痴に終始してしまった。
気が付けば涎をダラダラと机に垂らしていた。あまりに会議に集中していて気付かなかった。
長方形の机の対角線に見知らぬ女子が一人座っている。座っていても背が低い事が分かる。茶髪に染めた市松人形のような女の子だ。黙々と何かを作っている姿はクルミに齧りつくげっ歯類を思わせて愛らしい。何を作っているんだろう? 手芸には詳しくないのでよく分からない。
「あ! お早うございます先輩!」の一言の間に目まぐるしく表情がくるくると変わった気がした。実際はせいぜい2,3種類だったかもしれないけれど、その鮮やかな変わりように錯覚を起こしたのだろう。
っていうか入部希望者? 果報は寝て待てとはこの事ね。寝てないけど。
「あ、はい。お早う。えーっと。どなた?」
「柳楽ナギサ。15歳の女です! 趣味は手芸です! なんちゃって当たり前か!」
世の中にはこうも多様な表情があるのかと目眩がしてきた。確実に一般人の遥か上をいく表情マイスターだ。それらが的確に内心を表現しているのか私には分からない。表情が熟練の手話の如く変化していく様を見るのは謎の爽快感があった。
「そう。私は真喜志マキエ18歳です。趣味は読書です」
無表情で淡々とそう名乗った私を前に天性の百面相ガール柳楽ナギサの表情もさすがに凍りついた。
別に皮肉を言ったわけじゃない。本当に趣味が読書で、趣味は手芸と言う程に手芸を嗜んでいないのだから。
「えーっとここは、そのう、手芸部ですよね?」
「そうよ」
少しばかり表情が解凍されたようだ。最初ほどではないが表情の嵐が吹き荒ぶ。
「えっと、じゃあ、先輩は手芸部員さんでいらっしゃいますか?」
「そうよ」
ああ! 私は今全力で間違えている気がする! もっとフレンドリーに話さないと! それに質問に答えるばかりでは駄目なはずなのに! 何て言えばいいの? 思い浮かばないの誰か助けて!
「その、手の芸の手芸……ですか?」
「ええ」
駄目よ! ナギサちゃん! イエスノーで答えられる質問にはイエスノーでしか答えられない駄目なお姉さんなの私は!
「うーんと、じゃあ、他の部員さんはどこにいらっしゃるんですか?」
良い質問よナギサちゃん! グッジョブ!
「ここにはもう来ないわ」
「……え?」
嗚呼! 私のバカ! もっと話の広げようがあるでしょうに。他の部員? 幽霊部員なのよ。額の三角のやつとか作ってるわ。何ちゃって! みたいな!
クルクル回ってたナギサちゃんの表情ルーレットが『不審』のポケットに落ちてしまった。 終わった。もう終わり。幽霊部員すら誘いこむ事も出来ずに今年は終わるのね。
「それじゃあ二人で何するんですか?」
まだ諦めないで付き合ってくれるの? 貴女はもしかして天使なの? それともそんなにも手芸が好きなの?
「二人でって。手芸は一人でするものなんじゃないの?」
少なくとも先輩たちはそうだった。誘われて何となく手芸部に入った私に手芸を教えてくれたI先輩。余りにもの私の不器用さに教える事を諦めたN先輩。それでもただ返事するだけの私を聞き上手な後輩だと言って居させてくれたO先輩。彼女達は皆楽しげにお喋りし、お菓子を食べ、作りたいものを作っていた。
私は何かを見間違っていたのだろうか? 共同作業? 共作と言う事? コラボ? ごめんなさい先輩。私には後輩を導いてあげる事も出来そうにありません。
「あの、何というか手芸部としての目標とかあるのかなって思いまして」
「ああ、そういう事ね。特にないわ。別にあってもいいけれど、好きなものを好きなだけ作ればいいんじゃない?」
ナギサちゃんの表情が天上の喜びを表現していた。
「何でもいいんですか? 材料とかも部費で出るんですよね? それで自由に作っていいんですか?」
「ええ、まあ基本的にはそうよ。確か3人以下の部員数だとスズメの涙ほどしか貰えないんだと卒業した先輩が仰っていたような気がするけれども」
今気がついた。私がこの部にいられたのは人数合わ……いえいえ考えるまい。今は今の事を考えるのよ私。
「それでもすごいです! さすが高校生!」
さあマキエ! ナギサちゃんがキラキラしている今のうちに話題をストックしておくのよ! 何かないか何かないか。焦るな焦るな。
「そうだ! あ、いえ。柳楽さんは今それ何を作っているの?」
「ナギサでいいですよ。ワタシもマキエ先輩って言ってもいいですか?」
「え、ええ。それでいいわ」
すごい踏み込みね! そうやって距離を詰めるのね! 私に真似できそうにもないけれど勉強になる。でも私の質問には答えてくれないのね。
「これはテディベアです。今はこれ右腕を作ってます」
少し焦ってしまったわ。ごめんなさいナギサちゃん。
「それじゃあワタシずっとテディベアを作ってもいいんですよね! 好きなだけ! 部費のあらん限り! わあ! うれしー!」
何もかもの感情をぶちまけられるナギサちゃんが羨ましい。
「それで、先輩は何も作らないんですか?」
「私は不器用だから。何も作れないの。先輩に、せめて貴方がいる間だけでも部を存続させてねって言われたのよ。喫茶店代わりに使わせてもらっていたわ。手芸部としての活動は何もしていなかった。さしずめ地縛霊部員と言ったところかしら。貴女が望むなら浮遊霊部員になってもいいけど」
なんちゃって。
「あ、いえ。別に大丈夫ですよ」
無表情な私が言うと冗談に聞こえない、と先輩に言われた事を1年ぶりに思い出した。
2
春から梅雨へ季節が移った。ある日の放課後もいつも通り私は手芸部の部室に行く。いつの間にやら部室はとても整頓されている。どこに仕舞ったのか分からないが過去の作品がどこにも見当たらなくなった。
ナギサちゃんが言うには、顧問の先生に頼みこみ空いている部屋を倉庫代わりに使わせてもらっているらしい。何という交渉能力だろう。私は最後に担任の先生と喋ったのがいつか分からないし、顧問の先生に至っては声を聞いた覚えもないというのに。
最近では大抵ナギサちゃんが先に居り、黙々とテディベアを作っているのだった。時には電気を付け忘れるほどの集中力でひたすらにちくちくと針を刺し続けている。
でも私が部屋に入ると、途端に笑顔で出迎えてくれて、いそいそとお菓子やお茶を用意してくれるのだ。どこの新妻だ。
ナギサちゃんはひたすらテディベアを作りながら色々なお喋りをし、私が何かしらの本を読みながら返事をする。正直なところ本の内容が全然入ってこないが私は楽しいのでそれでよかった。
「それにしても先輩ってえ」
最近のナギサちゃんの敬語は砕けてきていた。おそらくこっちが素のナギサちゃんなのだろう。
「うん?」
「表情が乏しいっすよね」
来た。急所来た。訳もなく恥ずかしくなる。訳あるよ。とにかく恥ずかしい。けど私の顔には何の変化もない。眉根を寄せない。唇を曲げない。頬を染めたりもしない。ナギサちゃんの言う事は完全に間違っている。私は表情が乏しいのではなく無いのだ。
「そうかしら」
「そうかしらっていやいやマキエ先輩。今現在何の変化もないじゃないっすか」
私は黙ってしまうのだった。そして本から目線を上げるがナギサちゃんはテディベアの頭に視線を落としていた。その後ろの窓際にいくつか並ぶナギサちゃん作のテディベアも無表情でこちらを見つめていた。
「……ごめんなさい」
私が無表情でそう言うとナギサちゃんはテディベアを放り投げて身を乗り出し、百面相を始めた。
「いえいえごめんなさい先輩。別に責めてるわけじゃないんすよ! 先輩ごめんなさい! ただ何というかそうだなあって思っただけで別に悪い事じゃないっすもん。こちらこそごめんなさいマキエ先輩!」
申し訳なさそうな表情やバツの悪そうな笑顔、子犬のような涙目と目まぐるしく変わっていく。私に言わせれば本当に素敵な女の子で彼女のようになりたいと思う。切に願う。
「その、何というかね、昔からこうなの。小さい頃は子供らしくないってよく言われたわ」
部室に沈黙が立ち込めてしまった。外はまだ明るいが時間は遅くなってきた。
「正直に言うとちょっと不安になってたんっす。先輩は楽しそうでもつまらなそうでもないからよく分からなくて」
「楽しいわよ。でなきゃ来ないわ。親にもそのような事をよく言われていたけれどね。別に感情がないわけじゃないんだから。ただ楽しい時に楽しそうに出来なくて。つまらない時につまらなそうに出来なくて」
「そうなんすかあ」
「ええ。そうなんす」
ナギサちゃんがくくくと笑い、堪え切れず噴き出した。
「無表情で何言ってんすか先輩」
「そうなんすって言ったんす」
あははと豪快に笑うナギサちゃんだが私はつられて笑ったりはしない。だけど内心とても幸せな気分になった。楽しげなナギサちゃんを見ると楽しくなる。
「そういえばジョークっぽい事今までにも言ってましたよね。無表情で」
無表情でーと言いながら笑うナギサちゃんは涙目で腹を抑えて肩を震わせていた。
ひとしきり笑うとナギサちゃんはケータイを取り出し、カメラのレンズを私に向けた。
「撮りますよー。はい!チーズ!」
「ちいず」
ぱしゃりと人工のシャッター音が鳴る。ナギサちゃんはケータイを覗きやはり笑うのだった。
「ちょっとナギサさん。失礼よ」
「だって先輩! これ見てくださいよ」
ナギサちゃんが見せて寄越したケータイの画面には『チ』の口の形でこちらを見つめる私がいた。何がおかしいのか分からない。
「何の為にチーズって言わせると思ってるんすか! これじゃあただチーズって言ってるだけじゃないっすか!」
そうしてまたあははと笑うのだった。
「チーズって言うのは笑顔にするためでしょ。それくらい分かってるわよ」
頭では分かっている。
「先輩は表情筋が凝り固まってるんですかねえ。もっと大げさに『チ』って言わないと駄目っすよ。そういえば先輩は喋る時もあまり口を動かしてないですもんね。だからですよきっと」
「むう」と無表情で言う。
「よし決めた!」と言ってナギサちゃんはケータイを頭上に掲げるのだった。「先輩の喜怒哀楽を私が引き出しますよ! そして全て写メに納めるっす」
「そんな勝手な」
まあナギサちゃんが楽しそうだから別にいいか。
3
夏休み直前のある日、私は久しぶりにナギサちゃんより先に部室に来た。
殺風景だった部室はすっかりナギサちゃん色に染められている。あちこち丹念に掃除されていた。ただ綺麗になっただけではない。机にテーブルクロスをかけたり、そのテーブルクロスに少しシミがあったり、糸くず等の材料の切れ端が落ちていたり。どこから持ってきたのかホワイトボードやコルクボードがあり、色々なメモ書きや作ったテディベアの写真を貼ったり。部室としての生命を宿した気がする。幽霊クラブという比喩は比喩ではなくなった。
たまには私がお茶を用意しよう、と準備しかけたその時ナギサちゃんが部室に飛び込んできた。ナギサちゃんはいつも大体飛び込んでくる。
「おはようございます! マキエ先輩! ポーカーやりましょう! あ、お茶ならワタシが入れますから先輩は座っててください!」
促されるままいつもの椅子に座る。ナギサちゃんはてきぱきと湯を沸かし、時々二人で補充するお菓子の入ったバスケットをテーブルに置いた。そして窓際に飾られたテディベアの内の一つを持ってきてその背中からトランプを取り出した。
「それは何?」
湧き上がる疑問を凝縮しすぎてしまった。
「何の変哲もないトランプっすよ?」
「その背中に穴のあいたテディベアの方に疑問を持っているのよ」
「ああ、これはワタシが開発した小物入れ型テディベアっす」
「あるいはテディベア型小物入れね」
「他にも茶筒型テディベアとか。水筒型テディベアとか。財布型テディベアとか」
「何かしら入れられてしまうのね、ナギサさんのテディベアは」
「そんなことよりポーカーっす、ポーカー」
「一応聞いてみるけれど何でポーカーなの」
聞くまでもないけど。
「先輩は無表情っすからね。ポーカーフェイス得意なわけじゃないっすか。是非そのお力を拝見させていただきたく候」
やはり聞くまでもなかった。無表情だしポーカーフェイスなわけだしポーカーしよう、という発想をしたのはナギサちゃんで30人目くらいだ。
「是非も及ばず」
それからお菓子を食べお茶を飲みながら様々なルールのポーカーに興じたが勝敗は歴然としていた。
「強すぎっす!」
「ナギサさんが弱いのよ」
未就学児でもあんなに喜びを隠しきれないという事はない。顔を見ていれば手に取るようにナギサちゃんの役の強さを判定出来た。最初はふざけているのかと思ったほどだ。顔が鏡張りというのでもなければナギサちゃんに負ける事は不可能だ。
「でもマキエ先輩の運も凄いっすよ。ストレートフラッシュが来てたじゃないですか。ワタシ初めて見たっす。でも全然マキエ先輩の喜びは読めなかったっすね」
「私だってあんなに良い役は初めてよ」
私じゃなくても良い役が来たからってそう簡単に顔に出る人はいない。そうはいない。
「シャッターチャンスも無かったっすね」
「まだ狙っていたのね」
「あたぼうっす。でも延々とマキエ先輩の無表情コレクションが増えていくだけっすね。もはやワタシの作ったテディベアの数を上回ってるっす」
「いつの間にそんなに撮ってたのよ」
「先輩は美人さんっすから。撮るのが楽しいっす。女は愛嬌ってのは嘘なんすかね」
ナギサちゃんがそう言ってケータイのカメラをこちらに向ける。
「おだてても表情は変わらないわよ」と、私は無表情で内心とは裏腹に言った。
4
夏休みも明けたが放課後になってもまだまだ暑い。滲む汗を拭きつつクーラーのない部室へと私はやって来た。
いつも通りナギサちゃんが先に来てテディベアを作っている。強風に設定した扇風機に当たり黙々と作業している。黙々と作業している、私が部室に入っても。
「おはようナギサさん」
ナギサちゃんは黙って上目遣いでこちらを見てくる。やばい。
「とうとう来ませんでしたね」
え?
「え?」
「夏休みの間一度も部室に来ませんでしたね!」
「ナギサさんは部室に来ていたの?」
「そうですけど!」
何で? って言ってはまずそうな雰囲気ね。部活動って夏休みにもするものなの? 今まで全然気付かなかった。先輩方にも特に何も言われなかったし。
「何で先輩は来なかったんすか? やめてしまったのかと不安になったんですよ!」
「連絡してくれれば良かったのに……」
「先輩の連絡先、聞いてないし! それは私のミスかもしれませんけど!」
めっちゃ切れてる。意外に寂しがり屋だったのね。ちょっと共感。
「ごめんなさい。ナギサさん。許して」
ナギサちゃんの眼光が無表情な私の顔を射抜く。
「反省しているようなので許しましょう。まったく部長が部活をサボるだなんてとんでもないっす。大変な事っす」
「夏休みは部活も休みなのかと……」
「そういう部活もありますけど、それをちゃんと部員に布告しなきゃ駄目じゃないっすか?」
「はい。気をつけます」
「それにワタシとしては学校外でも先輩と遊びたかったのに。せっかくの夏休みが台無しっす」
「それは今度埋め合わせさせて?」
「よろしいっす」
とにかく話題を変えよう。何かないか何かないか。
「それにしても随分テディベアが増えてるわね」
それはもう溢れんばかりにクマだらけの部屋になっている。カラフルで様々なサイズ、デザインのテディベアがある。レザーや毛糸はまだしも、木製のものはもはや別種な気もするが手芸には違いないだろう。ありとあらゆるテディベアが所狭しと置かれている。テーブルに窓枠にロッカーの上、いくつかは床に置かれていた。
「夏休みの間にはりきったっす。先輩が来ない事に対する怨念を込めてみたり」
これは長い事根に持たれそうだ。
「それでこれどうするの?」
「別にどうもしませんよ? どうにかした方がいっすか?」
「別にどうにかしなければいけないという訳ではないけど。何か目的があって作っているという訳でもなかったのね」
「そっすね。テディベアもテディベアを作る事も好きってだけっす。OGの作品はどうしてたんすかね? 部室にあったのが全てって事はないと思いますけど」
先輩方は大体自分の必要とするものだけを作っていたと思う。それ以前のOGの作品だけがこの部室に飾られており、今はナギサちゃんの手によって倉庫に仕舞われたという訳だ。
「文化祭で売ってしまいましょうか」
なんてちょっとした仕返しにちょっとした意地悪を言ってしまう、無表情で。
「いいっすね。売りましょう」
「え? いいの? 売ってしまっても」
「別に構わないっすよ。こんなにあっても仕方ないし」
思っていたよりドライな扱いを受けるテディベア達だった。
「それで先輩はどうするんすか?」
「どうするって何がかしら?」
「ワタシ・テディベア・ツクル。センパイ・ナニスル?」
「えーっと……」
どうしよう。私は何も作れない。いや、不器用とは言ってもこの部に入った時に簡単なブレスレットやヘアピンを作ったりはしたのだけれど。テディベアだなんて。
ナギサちゃんは何かを閃いたようだ。見れば分かる。そしてそれは良からぬアイデアなようでみるみる悪い笑顔に変わっていく。
「売り子っすね」
「よーっし。私も何か作ろうっと。ガンバルゾー」
「なぁに。笑顔で客を呼び込んで笑顔で接客するだけの簡単なお仕事っす」
「何を作ろうかなー。テディベアと組み合わせられるアクセサリとかが良いかしら」
「そうと決まればワタシは売り子の衣装を作るっす。テディベアはもう十分ありますからね」
「ごめんなさい。ナギサさん。許して」と、私は無表情で言った。
「まだ反省が足りないようですね」と、ナギサちゃんは無表情で言った。
無表情で言われるとこんなに怖いのね。普段豊富な表情を持つナギサちゃんだと余計に怖い。
5
文化祭では散々な目に遭った。私は内心が表情に出ないが行動にはよく出てしまう。緊張のあまり簡単な言葉を噛み、簡単なミスを連発してしまった。
それでもナギサちゃんのお陰で手芸部のテディベアと少しのアクセ屋は大盛況に終わった。ほぼ全てが売り切れてしまい、大きな黒字を出した。どうやら私が分かっていなかっただけでナギサちゃんの作るテディベアはかなりクオリティーの高いものだったらしい。
まったく私は駄目な先輩だ。テディベアを作る事も出来ないのに売り子もほぼナギサちゃん任せになってしまった。
私は次の日の放課後、本を読むふりをしながら無表情で落ち込んでいた。自分の不甲斐なさに嫌気がさす。
「そう落ち込まないでくださいよ先輩。無理に売り子をさせた事は謝りますから。ほらお菓子食べましょ。今日はちょっと豪華っすよ!」
ナギサちゃんは早速新しいテディベアを作り始めている。本当に好きなんだね。
「売り子の事は別にいいのよ。部員として何かしらをしなきゃいけないのは確かなんだもの。でもほとんど貢献できなかったなって思ってね」
「なあんだ、そういう事っすか。それは仕方ないっすね。でもマキエ先輩とお店するのは楽しかったから気にしなくていいんすよ。あと文化祭の準備! 何で文化祭の準備って楽しいんすかね? クラスメイトや先輩と買い出し行ったりするのとか!」
「不思議よね。理屈は分からないけどとても楽しかったわ」と、私は無表情で言った。
ナギサちゃんがケータイを取り出し画面を眺める。
文化祭の時も色々と撮っている様子だった。遊びに来た友達と撮ったり、テディベアを抱きしめるお客さんを撮ったり、だ。
「ワタシの無表情マキエ先輩コレクションも増えましたし」
「目的が変わってるわよ」
「間違えました。無表情じゃないマキエ先輩コレクションっすね。コレクションどころか一つもないっすけどね。それにしてももう半年っすよ。いつになれば笑顔を収める事が出来るのやら。この調子じゃ何年かかるか分かりませんよ」
「実質あと数カ月しかないものね」
「え?」
「え? って私は3年生よ。卒業するんだから」
「それは分かってますけど。卒業したらもうワタシとは会わないって事っすか?」
「別にそんな事はないわ。たまには帰ってくるもの。その時には今まで通り遊べるわ」
「たまに? もしかして先輩、大学は地元じゃないんすか?」
「ええ。言ってなかった? 上京するのよ」
「えええ! 地元の大学じゃないんすか? 私はそのつもりだったんっすけど? どうにかなんないんすか?」
「ならないわよ。なるわけないでしょう。もう決まった事なんだから。どうにかなったとしてもどうにもしないわよ」
「何で言ってくれなかったんすか?」
「何でも何も言わなきゃいけない事でもないし、聞かれなかったからよ」
「薄情者っす!」
そんな言葉を直に聞くのは初めてだ。まさか自分が言われる事になるとは。
「怒ってるの?」
「悲しんでるんす!」
「怒ってもいるじゃない」
ナギサちゃんのそれはそういう表情だ。怒りと悲しみが同時に表れている。
ナギサちゃんは低く唸りながら目を伏せている。今にも泣きそうだ。
「私が思っていたより私の事を大事に思ってくれていたのね」
「当たり前っす!」
「無表情なのに」
「そこが良いんす!」
「えええええ。そこが良いって無表情が? 予想だにしない答えだわ」
「テディベアみたいで素敵っす」
おおう。今明かされるナギサちゃんの真実はちょっと、いやかなり私にとってはヘビーなものだった。
「だけどでもテディベアは別に無表情……だ……ね。あれ? 無表情だ。どれもこれも無表情だ」
見渡す限り、少なくとも部室にあるテディベアは全て無表情だった。
「テディベアは基本的に無表情っす。だからこそ表情豊かに見えるんす。見ている人の心を反映するとか何とか。要するに気のせいなんですけどね」
「なるほど。でも私の色々な表情を撮るのよね?」
「それはそれっす」
「そっかー」
何の話だったっけ? そうだ。大学が遠くて全然遊べないだろうという話だ。
気が付けば窓の外は真っ暗になっていた。もう今の季節は日が落ちるのも早い。
「マキエ先輩は寂しくないんすか?」
「もちろん寂しいわよ。無表情だけど寂しいよ。本当よ?」
「別に疑ってないっす。今となっては無表情でも先輩の気持ちくらい読みとれるようになりましたからね」
「え? そうなの?」
何だか……。
「恥ずかしいっすか?」
「ちょっと! 先読みしないでよ」
「恥ずかしそうな無表情してましたよー」
「有るんだか無いんだか訳が分からないわね」
「ふっふっふー」
「もうナギサちゃんには隠し事できないね」
ナギサちゃんの目が見開いて、そしてにやにやと笑う。
「何よ」
「ナギサちゃんって初めて言われました」
「そうだっけ? 私の事はマキエちゃんって呼んでね」
「先輩相手にハードル高いっすよ。マキエちゃん先輩って呼ぶっす」
そう言ってナギサちゃんは笑った。私も笑った、心の中で。
6
駅のホームにも雪が降り積もっていて私とナギサちゃんは滑らないように気をつけて歩いた。
「何か荷物多くないっすか?」
確かに多い。ほとんどは先に下宿先に送ってしまったのだけれど。私はキャリーバッグを引いている。
「色々と送り忘れちゃってね」
二人してベンチに座り、近くで買った温かい飲み物で温まる。
おもむろにナギサちゃんがケータイを取り出し画像フォルダを開く。ご丁寧に人物ごとに分けているらしい。私のフォルダにはもちろん私が映っている画像が並ぶわけだ。
まるで合成写真のように様々な背景に同じ表情の私がいる。たまに映るナギサちゃんの表情とはいつだって対照的だ。
「結局この一年で先輩の表情は一つも見れなかったっす」
「いいんだよ。ナギサちゃんが嬉しい時は私も嬉しいし、ナギサちゃんが悲しい時は私も悲しいんだから。まるでテディベアのようにね」
「そうそう。そうでした」
そう言ってナギサちゃんは抱えていたリュックを開く。取り出したるはテディベアだ。だけどいつものテディベアとは違う。
「ほら。笑顔っす。たまにはこういうのも良いっすね」
そのテディベアの口角は上がっていてとても楽しそうな様子だった。
「私に?」
「もちろん! 餞別っすよ。これをワタシと思って大事にしてくださいね」
参った。泣きそうだ。泣かないけど。
「気が合うわね」
私もキャリーバッグを開き、中から三体のテディベアを取り出す。ナギサちゃんのテディベアと比べれば雑なつくりだが、この数カ月で何とか作り上げた。
「うわー。マジッすか! 不器用なマキエちゃん先輩が三体も!?」
「失礼ね。これでもかなり腕は上がったのよ。まぁ本当は喜怒哀楽の4体を作るつもりだったんだけど。無愛想な私に1年間付き合わせたお礼よ」
「とんでもないっす。喜怒哀の3体っすね」
本当は怒哀楽のつもりだったのだけれど、まぁいいか。喜も楽も似たようなものだ。
「私が貰ったこれと合わせれば喜怒哀楽だから良いよね」
「もはや丁度良かったと言っても過言ではないっすね。大事にするっす」
電車が来るメロディーが流れる。遠目に上り電車がやって来たのが見えた。私達は立ち上がって白線まで近づく。
「それじゃあナギサちゃん元気でね」
「今生の別れみたいな言い方しないでください」
「それもそうね。また暇があれば遊びに来てね」
「行くっす。何度も何度も行くんで覚悟してくださいね!」
ナギサちゃんは涙ぐんで3体のテディベアを抱きしめている。
滑り込んできた電車に乗りこむ。
「そういえばナギサちゃん。気付いてた? 私が真喜志でナギサちゃんは柳楽」
「感情が入ってるんすよね。怒と哀がいれば完璧だったんすけどねー」
「それがねえ。ナギサちゃん。実は手芸部には怒と哀の二人の幽霊」
扉が閉まった。
「部員が、……閉まっちゃった」
ナギサちゃんの表情が凍りついている。涙ぐんだ目が私を一心に見つめている。
電車が動き出した。
私は無表情で別れの手を振った。
ここまで読んで下さってありがとうございます。
ご意見ご感想ご質問をお待ちしています。
それにしても何だこのオチは。
プロット通りのオチなんですけどね。
個人的課題たるキャラ立ちも中々うまくいったように思う。
ただ何だか日常系っぽくなったような気がするのは誤算。
なんかこうもっとハートフルなお話になるはずだったんだけれど。
日常系に対して他意はありませんけどね。
そして長い! 確認してないけど今までで最長な気がする。
最初の方で先輩が長々と独白を初めて「これは長くなりそうだ」と覚悟を決めました。
あと後書きも最長ですね。