2.デスゾーン
危険地帯。
……だと思う。
イケメンの近くって。
お昼に食堂で一人虚しくラーメンを食べていた時のこと。
隣の席に男子四人のグループがやって来た。
無駄にキラキラしたこやつらは…と思い確かめると、案の定。
うちのクラスの中心的グループだった。
しかも私のすぐ隣に座ったのは、あの爽やかくんだ。
なんて不運なの。
昨日の王子との一件で、イケメンには恐怖しか抱けなくなってしまった私はまったく喜べない。
近くのイケメンより遠くのイケメン。
よって、目の保養以外にイケメンは必要ない。
「でさあー。」
「マジで!?」
「ぎゃはは!」
しかもうるさい。
食堂自体が大勢の生徒によって賑わいを見せているのでこの席だけが特別うるさいというわけじゃないけど、すごく耳に障るのだ。
私のラーメンを啜る音すら掻き消されるくらい。
「……」
頑張れ私。
無心だ、無心になるのだ。
これも一種の修行と思えばいい。
ぼっちがどうした!
女の子たちがチラチラとこちらを見て座りたそうにしているので、私はちゃっちゃっと食べ終えて席を譲ろうと、ひたすらに麺を流し込む。
味が分からなくなってきたけど、スピードは緩めることなかれ。
一刻も早くこの地獄から解放されるのだ。
しかし。
ここで、がむしゃらに食べ続けていた私を悲劇が襲った。
隣の爽やかくんが友達に相田ちゃんのことでからかわれ、頭にきたのか立ち上がろうとした時。
ちょうど彼奴の肘が、私の頭に当たったのだ。
「ごぉふっ!!」
女の子らしからぬ悲鳴が零れた。
衝撃で、口の中にあった汁が気管支に入り、私は大いにむせる。
少しだけ男たちの顔が見えたが、みな一様にどん引いた表情だった。
な、なんたる屈辱…。
「あ、あー、大丈夫? 松村さん。」
爽やかくんが気を取り直したように声を掛けてくるけど、未だ咳が止まない私を見て大丈夫だと思えるなら、眼科行った方がいい。
むしろ脳科?
あれ、脳科なんてあったっけ…。
「悪かった! わざとじゃなくて……。」
わざとだったら五寸釘と藁人形で十倍返しだぞこの野郎っ!
口には出せないから、胸の中で怒鳴った。
イケメンにも、許されることと許されないことがある。
「だ、ゴホッ! 大丈夫だかゴホッ、………ら。」
まずい。
ちょっとマトモに話せない。
全然大丈夫な台詞に聞こえないや。
「あ、ああ……。」
いつもの爽快な笑顔を引き攣らせて、爽やかくんが言う。
確実に引いてる顔だ。
お前が私をこうさせたんだろーが!
……とは、やっぱり言えはしない。
食堂にいる人たちが同情的な視線を送ってきたので、すごく居づらかった。
…さっさと席を譲ろう。
厄災はまだ続いた。
今度は美術の時間だ。
校内の好きなところをスケッチしてこいと先生に言われ、人のいない場所へと移動していくうちに辿り着いた花壇。
環境委員がサボってるのか、花はチューリップが一本しか咲いていない。
人の気配がないと書いて、人気がない。
こんな殺風景をデッサンする生徒などいるはずもないと思い、油断していると。
体操着姿の不良先輩が隣にいて、何故か締め上げられた。
「テメェが犯人かッ! よくも……。」
ごめんなさい。
ちょっと私、意味分かんない。
てか苦しい。
胸元を掴まれ殴られかかったのだけど、駆けつけてきた三年の体育教師に止められ、なんとか私は無事だった。
本当に死ぬかと思った。
後々聞いた話によると、あそこの花壇は心ない生徒によく荒らされるそうで、花壇の世話をしていた不良先輩は私をその心ない生徒と勘違いしたらしい。
不良が花壇の世話とか…あえて突っ込まないよ。
ちなみに謝罪はなかった。
お前も紛らわしいことしてたんだから、と。
うん、イケメン許さない。
三度目は横峰先生だった。
授業終わり、生物係ということで実験の器具の片付けを命じられた私がせっせと作業を進めていると。
ブシュッ、と。
水をかけられた。
「………」
呆然と隣を見ると、同じく固まっている横峰先生。
どうやらビーカーを洗っている最中に、ビーカーを蛇口に近づけすぎて水をこちらに放射させてしまったらしい。
ブルータス、お前もか…。
「す、すまない、松村……。」
「イエ……。」
とりあえず、上下共に被害にあった制服を絞り、水気を切った。
「私…保健室行ってジャージ借りてきますね。」
「あ、ああ。」
これが相田ちゃんなら横峰先生も「俺が脱がしてやろうか☆」みたいな展開になったのだろうけど、生憎と相手は私だ。
制服から下着が透けようが、絶対にそういう方向にはいかないだろう。
横峰先生は申し訳なさそうに見送るだけだった。
生まれも育ちもモブモブ。
ふ、こちらとて、昨日から立場は弁えてる。
保健室に行くと、先客がいた。
体育教師の平野先生だ。
養護教諭はいないようで、私はパアッと明るくなる。
「賢ちゃん!」
「ん? お、六花……じゃなくて、松村か!」
「やだ賢ちゃん他人行儀ー! 二人しかいないんだから、六花って呼んでよー☆」
てへぇ、とおどけてみせると、賢ちゃんもニカッて白い歯を見せて笑ってくれた。
ぐふ、賢ちゃん癒される。
体育会系色黒筋肉教師こと平野賢一。
生徒たちにはゴリラと呼ばれているけど、私のあだ名は賢ちゃん。
何を隠そう、私の幼馴染(?)だ。
出会いは十数年前。
近所に住む好青年こそが、賢ちゃんだった。
下手したら二十近く歳が離れているけど、元気が良くて何事にも熱く、よく私の遊び相手になってくていた賢ちゃんに私はこれでもかというほど懐いていた。
賢ちゃんが教師になったと知って、私の将来の夢も“学校の先生”になるくらいだ。
友達のいない私にとっては、賢ちゃんは校内で唯一、本当の自分をさらけ出せる相手。
というか、人見知りしない相手である。
今日は特にぼっちの身に滲みる出来事ばかりだったので、私は甘えるように賢ちゃんに抱きついた。
「賢ちゃん~。」
「どうした…って、冷た! 濡れてるぞ六花!」
「あ、そだ。ごめん、水かけられたんだった。」
「がはは! そうか水遊びか! 楽しそうでいいな!」
いや水遊びじゃないし。
一方的にかけられただけだし。
まったく楽しくともなんともないよ。
「…そういえば、賢ちゃんは何で保健室に? どこか怪我したの?」
体育教師が保健室に用事などあるわけないよなと思い、私は尋ねた。
賢ちゃんが怪我したっていうのもあり得ない話だけど。
だって、二階のベランダから飛び降りも骨折一つしなかった鋼の肉体の持ち主だよ?
ちょっとやそっとの怪我じゃ、わざわざここには来ないだろう。
「ああ。ちと頭を打ってな。」
「え!? 脳震盪でも起こしたの!? 大丈夫!?」
「いや、俺じゃなくて―――。」
賢ちゃんがそう言った時、シャッ、とカーテンの開く音がした。
心臓が飛び跳ねる。
まさか、ベッドに誰かがいた?
恐る恐る振り返った先には……。
「悪い、東堂。起こしてしまったか。」
東堂皆葉。
純朴王子がそこにいた。
ちょ、賢ちゃん!
それ先言ってよ!!
「いえ。実を言えば、先生がここに来た時から起きてたんです。でも、出るタイミングを失ってしまって。」
「そうかそうか。体調はどうだ?まだ悪いようなら、早退した方がいいと思うぞ。」
「……大丈夫です。なかなか面白い会話も聞けましたし。」
ね、と王子がこちらに笑いかけるので、私は思わずヒッと声を上げそうになった。
…アカン。
今日一日で近くのイケメンにはうまく接せなくなってしまった。
いや、元からそうなんだけど。
イケメンとの会話なんて、モブな私には難易度が高すぎる。
「随分親しげでしたけど、二人はどういった関係なんですか?」
王子の質問。
私は賢ちゃんにアイコンタクトを送った。
幼馴染であることは言わないでと。
賢ちゃんもそれに頷く。
「家が近所でな。」
「賢ちゃん!」
「お、なんだ六花。そう怒るなよ。」
そのこと、言わないでほしかったんだけど!
答えるならただの生徒と先生の関係で良かったのに。
アイコンタクトはまったく伝わってなかったようだ。
私は急いで話題を変える。
「平野先生、保健の先生は?」
「所用で少し留守にしているだけだから、もうすぐ帰ってくると思うぞ。」
「勝手にジャージ借りちゃダメかな。」
「いいんじゃないか? そのままだと風邪引くだろ。」
「うん、でも…どこにあるんだろ。」
保健室を見渡しても、ジャージの在り処が分からない。
片っ端から引き出しを開けてってもいいんだけど、養護教諭が留守の時にそんなことをするのもな…。
「良かったら僕のジャージを貸そうか? 松村さん。」
「え……。」
そう言ったのは純朴王子だ。
クラスが違う私なんかの名前を知っていたことにも驚きだし、そんなまさかの申し出に固まってしまう。
…イケメンのジャージ借りるの?
私が?
どこの少女漫画の主人公だよ、と言いたい。
「いや、ダイジョウブ、です……。」
即座に首を振った。
イケメンの私物に触れるのって、色んな意味でアウトだと思う。
「大丈夫じゃないでしょ。風邪引いちゃうよ。」
「ほ、本当に、大丈夫なんで。」
「遠慮しなくていいのに。」
「……」
私は賢ちゃんに助けを求めた。
けれど目が合うと、ニカッと白い歯を見せられる。
なんで笑ってるの、賢ちゃん…。
無理。無理だから。
王子のジャージとか、ファンの子に売ったら間違いなく高値になるだろうけど、自ら着たいとは思えない。
むしろ私が着てしまうことで、神への冒涜にならないだろうか。
風邪を引く方が数百倍マシだよ。
しかし、神は私を見捨てていなかった。
ちょうどいいタイミングで養護教諭が帰ってきくれ、なんとか王子のジャージを借りずに済んだのだ。
神様、本当ありがとう。
四度目のデスゾーンは無事突破いたしました。