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5/5  探し物は

 


  探し物は


「おや、七草さんじゃありませんか。どうしたんですかこんなところで」

 と抑揚の少ない声は、俺が管理人を務めるアパートに住む、司馬友里。ジト目とメガネがトレードマークの現役女子校生である。

 今俺は、彼女の通う私立宮高等学校に来ている。二階から三階に続く中央階段、その踊り場で、ばったり彼女と出くわしたのだ。まあたしかに、こんなところ――ではあるな。

 もちろん理由がある。この学校の理事長に呼び出されたのだ。

 と言うと、真子が何かやらかして俺が保護者として出向いたように聞こえるが、そうではない。仕事の依頼だ。

 理事長は、俺がこの学校に通っていた時からの知り合いで、度々厄介事を持ち込んでくるのだ。と言っても、支払いはいいし、見つけ屋稼業のバックアップもしてくれている。持ちつ持たれつの関係である。

「あの、なんで黙っているんですか。私の質問に答えてください」

「え、今説明したじゃん」

「……? 一体何を言っているんです?」

 おっと、最近心の中を読まれすぎていて、感覚がおかしくなっていた。もうすっかり説明した気でいたよ。危ない危ない。いろんな意味で。どおりで、なんですかそのトレードマークは、とジト目でツッコんでくれないわけだ。

「しかしなあ、なんというか二回も同じこと説明するのはめんどくさいし、テンポも悪くなるからなあ。よし、答えないことに決めたよ」

「何を爽やかな顔で清々しくハキハキと意味のわからないことを決定しているのですか」

「それじゃ、俺急ぐから」

「ちょっ、話は終わってませんよ! というかほとんど始まってもいませんよ!」

 始まっていないのならいいじゃないか。上がってない幕はそのままでいいと思うよ。

 一気に階段を駆け上がり、目的地に向かう。廊下じゃないから走ってもいいよね!

「いやナナさん、それは廊下を走るなって言葉を都合よく解釈しすぎでしょう」

 駆け上がったところで、新鮮さに欠ける、正直言うともう飽きてきたマンネリ顔が視界に飛び込んできた。そう、小夜暖人がそこにいた。

「いやいや、なんですかそのマンネリ顔って!? 初めて聞きましたよ!」

「よく言うじゃん、イケメンは三日で飽きるって。あれ本当みたいだわ。というか心を読むな」

 なんというか、やっぱり楽だな。テンポよく進むしね。よく野球漫画で、ピッチャーとキャッチャーが一八.四四メートルも離れながら、テレパシーレベルのアイコンタクトで会話しているのを、ありえないだろこれ! とさんざん突っ込んできたけど、バカにできないな、うん。

「ナナさんなんで学校にいるんですか? あ、愛しの真子ちゃんにお弁当でも渡しに来たんですか?」

「冷凍食品食べ過ぎて頭の中凍ってるんじゃねえの? 解凍してやろうか?」

「怖いこと言わないでくださいよ、冗談ですよ。というか冷凍食品を食べても頭の中は凍りませんよ」

「そうだな」

「なんですかその素直さは、ツッコミ甲斐がないですね。じゃあまあ、ほかに考えられるのは理事長ですか?」

 本当に手間の省ける奴だなこいつは。

「ほんと理事長に信頼されてますよねナナさん。アパートの管理人だって任されてるし」

「まあ、あれに関しては俺なにもしてないけどな」

「イチさん引きこもりのくせに万能型ですからね」

「引きこもりのくせにな」

「引きこもりのくせにね」

「引きこもりのくせにな」

「引きこもりのくせにね」

「引きこもりのくせにな」

「そろそろやめておきましょうか、どこかで聞いてるかもしれない」

「いやここ学校だぞ」

「あの人ならありえる」

「忍者かスパイなのかあいつは」

 あいつなら忍者やスパイも出来そうだから怖い。引きこもりのくせに。

「でもまあ、イチならまた山籠りしてるから大丈夫だよ」

「ああ、それなら安心です――ってまた山籠りしてるんですか!? 本当になんなんですかねあの人、引きこもりのくせに」

「そろそろやめてあげてくれ、あんなのでも俺の友達なんだよ」

 あんなのでもさ。

 そうですね、と暖人が頷いたところでチャイムが鳴り響いた。

「おっと、予鈴鳴ったんで俺、行きますね。理事長によろしく伝えておいてください」

「何をだよ」

「もちろん成績悪くても卒業させてもらえるようにですよ」

「わかった、一年生からやり直したほうがいい生徒がいるって伝えておくよ」

「勘弁してくださいよ」

「早く行かないと授業に遅れるぞ。本当に卒業できなくなっても知らないぞ」

 それじゃまたあとで、と大きく手を振って廊下をかけていく暖人。廊下を走るなんて悪い生徒もいたものだ、理事長に報告しておかないとな。

 廊下には、暖人と同じように慌てて教室に戻る生徒の姿がちらほら見えたが、すぐに誰もいなくなった。

「なんというか、この廊下に自分しかいないって感覚、懐かしいな」

 もう五年も前のことなのか、と少し懐かしくなる。

「本当に懐かしいな」

 不意に、背後からそんな声が聞こえた。少し驚いたが、すぐに誰のものか理解した。

「授業始まっちゃいますよ、小山先生」

 そう振り返ると、予想通りの人物がいた。予想通りのガタイの良さ、予想通りの恐い顔、小山正助こやましょうすけがそこにいた。

「俺は先生だから遅れてもいいんだよ」

「ずっけえなあ」

 二人の笑い声は大きなものではなかったが、誰もいない廊下にはよく響いた。この、誰もいない廊下という風景には、小山先生はセットだった。授業を抜け出す俺を、なぜか必ず彼は見つけて、最後には結局見逃してくれた。本当に懐かしい。

「しかし七草、今日はどうしたんだ?」

 ……こんな短い間に三回も同じことを聞かれるなんて。

「小山先生に会いに来たんですよ」

「嬉しい事言うじゃねえかよ。まあ俺の教師生活で一番苦労したお前だ、そう言ってくれるのは嬉しいが、他になにかあるんだろう?」

 一番苦労したのか。いやまあ、苦労したろうな。

「ええ、理事長に呼び出されまして」

「ああ、なるほどな」

 小山先生は、理事長と俺の間柄を知っている数少ない人物の一人だ。

「でもお前、理事長は今いないぞ。たしか朝一番で黒岩高校に行ったよ」

「ええ!?」

 呼び出しておいて居ないだと? まったくあの理事長め、依頼料多めに請求してやる。

「ははは、残念だったな。まあそんなに遅くはならないだろうし、ゆっくり校内でも回っていればいい。武内先生も堂前先生もまだいる、話でもしてくればいい」

 近いから出直してもいいんだけど、この学校の坂道をもう一度登る気にはならないしな。そうさせてもらうとしますか。

「でも、武内先生も堂前先生も、俺になんて会いたくないんじゃないですかね。在校中にはさんざん迷惑かけたし」

 生活指導の堂前先生には特に。

 しかしそう言うと、小山先生は豪快に笑って頭を撫でてきた。いやもう凄い力でぐりぐり押さえつけているこれに、撫でるという表現はそぐわないようにも思えるのだけれど、あえて小山先生的に言うならば、撫でてきた、のだ。

「ちょっと、先生痛いって」

「ああ、すまんすまん。しかしな、七草。手のかかった生徒ほど、可愛いもんなのよ、先生にしてみればな。それにお前は、不良というわけではなかったからな」

「そんなもんですかね」

「そんなもんだ」

 小山先生はうんうんと頷き、もう一度豪快に笑うと、今度は肩をぽんっと叩いて教室の方に歩いて行った。

「……そんなもんですか」

 肩を見ながら小さく呟いた言葉は、静かな廊下に小さく響いた。

 母校を回ること一時間、そろそろ回りつくしたなと思った所で、校内アナウンスで呼び出された。理事長が到着したようだ。

 結局、武内先生も堂前先生も受業中だったようで、話をすることはできなかった。それはまた今度のお楽しみに取っておこうかと思う。

 三階の中央階段から、三年生の教室が並ぶ廊下を通り過ぎ、突き当りを右に曲がった先に、理事長室はある。

 木目が綺麗で丁寧な造りの木製扉は、厳かな雰囲気を醸し出していて、他の場所とは違うのだと言う事を確認させられているような気がした。

 そんな扉を、コンコン、コンコンと四度叩く。すぐに中から返事が聞こえ、静かにドアノブに力を加える。

「すまなかったね、呼び出しておいて」

 部屋にはソファが対面式に置かれ、その間にあるテーブルにはクリアファイルがいくつか置かれている。その向こう側に位置する大きな机の横に、今回の依頼人は立っていた。

「本当ですよ、別段用もない校内を一時間も回るはめになったんですよ」

 ソファへ着席するよう促され、明らかに高級そうな質感に腰を委ねる。

「あ、お構いなく」

 コーヒーを淹れようとしていた理事長は、わたしが飲みたいのさ、と手際良くコーヒーを淹れて、テーブルに着いた。

「ブラックで良かったんだよね」

「ええ、ありがとうございます」

 理事長はコーヒーを一口だけ口に含むと、あからさまに肩の力を抜いてカップを置いた。

「もういいかな、堅苦しい感じとか苦手なんだよ。七草くんも知ってるだろ?」

 これが理事長で無い時の彼の顔である。理事長としての月見里智やまなしさとるではなく、ただのおっさん、月見里智。

「知ってますけど、やっぱり学校の中だし、ちゃんとした方がいいかなって気を使ったんですよ?」

「いやいや、いいよいいよ。そういうの気にしなくていいから。理事長って言ってもほら、

今はそうかもしれないけど、君が在学してた頃はただの一教師だったわけだし」

 そのときだって教師と生徒の関係なのだから、もう少しちゃんとした方がいいと思うのだが、本人がいいと言っているのだし、そういう事にしておこう。

「まああの頃も、理事長の息子って立場の一教師だったから、かなり浮いてましたけどね」

「そういう事言わないでくれよ、当時それで結構悩んでたんだから」

「それはすみません、それで、話って何なんですか?」

「そんなに急がないでくれよ。もう少し話し相手になっておくれ」

 面倒な四七歳だな。

 しかし、淹れてくれたコーヒーも美味しいし、少しだけならつきあってあげますか。

「仕方が無いですね、いいですよ。少しだけなら付きあってあげます」

「ははっ、ありがとう」

 そう笑いながらカップに口を付ける理事長。……白髪が増えたな。やはり大変なのだろうか。父親の急な入院から現在の役職について、右も左も分からない中、相談できる相手も、そういないだろう。

「もう、慣れましたか?」

「ん?」

「理事長職」

「ああ、うーん、どうだろうね。まだやらなきゃいけないことを次々こなしてるだけって感じかな」

「そうですか」

「うん。七草くんはどうだい? もう結構知名度も上がってきたように思えるけど」

「知名度って……。そうですね、俺も同じですかね。みんな色んな思いを持って、探し物を探しているから、俺も一緒になって悩んで、見つける。慣れるってことは、ないですね」

 大変ですけど、毎日が楽しいですよ、とカップに口をつける。

「七草くんらしいね。学生の頃から本当に君は変わらない」

 それは褒められているのだろうか。成長が無いともとれるような。

「いやいや、褒め言葉だよ。僕は二〇年の教員生活で、君以上の生徒を、いや、君以上の人間を見たことが無いよ」

 言いすぎだろ。成績がずば抜けていたわけでもないし、部活動もやっていないし、遅刻は無かったが、欠席早退の常習犯。どちらかと言えば問題児に分類される生徒だったと自覚している。

「わたしを、そんな上辺だけで判断する安い男と?」

「格好良いですね」

「だろう? よく言われるよ、娘以外にね」

 あれ、なんか急に格好悪いな。そう言えば娘さんもこの学校の生徒だったっけ。例によってお父さんの下着と一緒に洗濯しないでとか言われているのだろうか。

「それで? そんなに持ち上げて何を依頼するおつもりなんです? そんなにおだてなくても、ちゃんと働きますよ」

「酷いなあ、そんなつもりで言ったのではないよ。本心から――」

「はいはい、分かりましたから本題に入りましょうよ」

「はっはあ、さては照れてるな」

 うるさいなあ。なんというか、むず痒いんだよ。

「わかった。では本題に入ろうかな」

  と言うと、大体何かしら邪魔が入るのが世の常と言いますか、お決まりの展開と言いますか、今回の場合は、コンコンコンコンと小気味よいリズムがそれだった。

 理事長は、目で俺に謝りながら、どうぞ、と答えた。

「失礼します」

 少し幼くも落ち着いた声が扉をゆっくりと開いた。

「おや、司馬君か」

 現れたのは、本日二度目のご登場、ジト目と眼鏡がトレードマークの司馬友里だ。

「理事長、まさか全校生徒の顔と名前を覚えているとかじゃないでしょうね」

「いやまさか。優秀だったり、特徴のある何人かだけだよ。司馬君は入試トップでクラス委員も務めているからね」

 それは凄いな。入試トップって本当に存在するんだな。

 ……ツッコミを待ったけど、ここには俺の心を読む奴がいないんだった。なんか寂しい。

「七草さんが学校に来ていた理由は、理事長に御用があったからだったんですか」

「そゆこと」

「ああ、司馬君はあのアパートに住んでいるんだったね。なんで二人に面識があるのかと考えてしまったよ」

 嫌われてますけどね。

「それで? 何の用かな司馬さん」

「ええ、合同文化祭の打ち合わせからお戻りになられたと聞いたので、議事録のコピーを頂こうと思いまして」

 なんか凄くきっちりしてるな。うちの従妹やバスケバカと同じ高校生なのだろうか。というか俺よりもしっかりしているな、間違いなく。

「ああ、クラスでの出し物についてと、出店についてのところでいいかな」

「はい」

「凄いなあ、文化祭って十月くらいじゃなかったっけ? もう準備始めてんだ」

 俺なんて文化祭の準備ほとんどしたこと無いよ。

「今年は黒岩高校と合同で行う事になったからね。少し大掛かりなるし、相手側とのすり合わせもある」

 なるほど、大変だなあ。

「司馬君のクラスは安泰だろうね、こんな優秀なクラス委員がいるんだからね」

「すごいな、俺は在学中先生にこんなこと言われたことないぞ」

 和やかな笑いが部屋を包んだ――はずだった。

「それでも私はあなたに、七草さんに大きく劣るんですよね」

 何故か鋭く刺すように、司馬友里はそんな事を言った。うん、意味分からん。

「一体何を言ってるん――」

「そうですよね理事長」

 まるで睨むように、視線を送る。これにはさすがに理事長も驚きを隠せないようだ。

「入学して三日目、理事長と廊下でお話しすることがありました。その時に理事長は、私は七草さんに劣ると、そう仰いました」

 そんなこと言ったのかおっさん。ちょっと待ってよ、まさか友里が俺を嫌ってる理由って、それなのか?

「……そんなこと言ったかね、私」

 しかも全然憶えてないよこの人。そんな軽い感じで言った言葉で、俺は自分が管理人を務めるアパートの住人に、こんなにまでも嫌われているって言うのか。なんかへこむ。

「憶えていないのですか?」

「ああ、正直、記憶にない」

「友里、お前の聞き違いかなんかじゃねーのか?」

 ということにして、俺に対して変に意識するのをやめてくれ。

「むぅ、それでは、七草さんより私の方が優れていると言う事で良いですか?」

 ああ、いいよいいよ、どうでもいいよ。これで万事丸く収まる。

「いや、七草くんの方が優れている」

 何言ってんだお前はあああああああああ!

「何言ってんだあんたは!」

「七草くんの方が優れている」

「いやそれは聞こえてんだよ! そういう意味じゃねえよ!」

「やはり私の聞き間違いではなかったんですね」

「いや友里、違うから! これはその、なんというか、とにかく違うから!」

「……? 何を言っているのですか?」

「七草くんの方が優れている」

「いや理事長あんたもう黙ってろ!」

 もう何なんだよ一体!? 

「分かりました」

 友里はそう言うと、俺の目の前まで近づいてきた。え、っていうか何が分かったの? なんか怖いんだけど。表情ほとんど変わってないのに怒ってんのが丸わかりなところが凄く怖いんですけど。

「そこまで言うなら勝負です! 私と七草さん、どちらがより優れているか、白黒つけましょう!」

「いやいやいやいや! そこまで言うならって、俺何も言ってないからね!?」

「その勝負、受けて立とう」

「理事長おめーまじふざけんなよ」

「ふっ、いい度胸ですね」

「なんなの? なんで俺の話を誰もきいてくれないの?」

 言っておくけど俺あんまりメンタル強くないからな? すぐにいじけるからな?

「では、勝負の内容を決めましょうか」

「そうだね、何にしようかな」

「大食い対決とかでいいんじゃないでしょうかね?」

「七草さんふざけないでください不愉快です」

「七草くん、ふざけるのはよくないよ、これは真剣勝負なんだ」

 怒られた。理不尽だ。不合理だ。非合理だ。世界はこんなことで溢れているのか。だから戦争は無くならないんだ。

「そうだ、ちょうど良いのがある」

 頭に電球浮かべて思いついた、と理事長。電球ごと頭をかち割りたい。

 テーブルの上のクリアファイルを手に取り、話し始める。

「これは宝が隠してある場所の地図と暗号だ」

「宝?」

「暗号?」

 怪しすぎるその単語に思わず語尾を上げて繰り返す友里と俺。

「理事長、宝って……」

「ああいや、そんな君らが想像しているような凄いものではないよ。これは――」

「タイムカプセルの隠し場所とかでしょ、どうせ」

「…………七草くん、なんで分かったの?」

「いや、ただの勘ですけど」

そんなに驚くことじゃないだろう。

「勘……ねえ……」

「ええ、その地図と暗号も、コピーしてあるから紙自体は新しいけど、原本は大分ボロボロだなってのが分かるし、その絵も字も、大人のものじゃなさそうだ――ってくれば、こんなもんかなって」

「確かに良く見れば分かるものばかりですが、今の一瞬でそれですか」

「わかったかい? これが七草くんだよ」

どれが七草くん? ちょっとまってそういうのやめてって、完全に煽ってるよねもう本当になんなのこのアホ理事長。

「なるほど……相手にとって不足無しです」

かっこいいなこの女子高生。俺の、一生に一度でいいから言ってみたい台詞十傑に入ってる台詞を軽々と言ってのけやがった。

「それではまあ、七草くんに言い当てられてしまったが、あらためて今回の依頼内容を公開させてもらおう」

 真剣な顔で頷く友里。あ、これはもうあれだね。俺が何言ってもダメなパターンだね。もう慣れたよ。なんか俺の周りこんな奴らばっかりなんだもん。

「私が小学生の時に隠したタイムカプセルを探しだして欲しい。勿論、探し出してほしいと言うのだから、どこに隠したのかは分からない。これには理由がある」

「理由?」

 ただ単に忘れたのではなくて? と首を傾げる友里に、理事長はゆっくり首を振る。

「まず、このタイムカプセルを隠した人物について語らなければならない。少し、長くなるけれどいいかな?」

「構いません」

「必要なら」

「私ばかりが目立って、空気主人公とか言われてしまうけど良いかな?」

「いやどんだけ喋る気なのアンタ!? それは良くねえわ――って言うかそういう危ない感じのセリフやめて!」

「まあ冗談だけどね」

「そうでしょうけど」

「目立つ? 主人公? お二人は一体何を話しているのですか?」

 なんでもないです。友里は、友里だけはずっとそのままでいてくれよ? まるで保護動物でも見るような目で見たら思いっきり目を逸らされた。

 少し傷ついた俺には気付かず、理事長は話し始める。

「私は小学生の頃、いつも遊んでいた二人がいた。三人はそれぞれ性格も何もバラバラだったが、最高の仲間だった。リーダーの武雄は器用でなんでも出来たし、明るくてリーダーシップがあってクラスの人気者だった。裕二は足が速かった。小学生の時は足の速いヤツが一目置かれたもんだ。スポーツはなにをやらせても得意だったしね。わたしはそうだな、言ってみればハカセポジションだったよ。この頃から本を読んだり勉強をするのが好きだったからね。この二人と一緒にいるのは誇らしかったなあ。霧の夜に首切り川原を調べたり、中学生の不良と闘ったり、秘密基地を造った時は武雄が色んな道具を使いこなして凄かったなあ。探検冒険、楽しいこと危ないこと、本当に色々やった。三人なら何でもできたし、乗り越えられた。だけどそんな三人にも、別れの時が来る。卒業だ。私は私立の中学に通うために、この町から離れたところに引っ越すことになった。裕二は親の仕事の都合で九州に。父親は単身赴任で先に九州に住んでいたらしい。裕二が小学校を卒業したら一緒に暮らすことが決まっていたようだが、アイツもギリギリまで言いだせなかったみたいだ。それで、残ったのはリーダーの武雄だ。私たちはこの三人の友情の証として、それぞれの

宝ものを保管しておくことにした。そして、いつかみんなでそれを見ようと、約束したんだ」

「それで、その宝ものを武雄が隠した――とまあ、そういうことですね?」

 理事長はどこか遠くを見るように、無言で頷いた。

「それなら、武雄さんに直接訊けばいいのでは? というのは、勿論叶わないのでしょうね」

 暖人と違って察しの良い娘だ。

「ああ、それが今回、この宝ものを探す事と深く関係している」

 大きく息を吸う彼の目が微かに潤んだのを、俺も友里も見逃さなかった。

「先日、彼の部屋でこれが見つかった。いや、彼のいない、もう誰のものでも無い、部屋でね」



 天井を仰ぎながら、理事長の言葉を反芻する。目を瞑り、理事長の顔を思い出す。

思い出話をする彼の顔は、まるで子供のようだった。それは、自身の経営する学校の生徒よりも、或いは幼く、或いは楽しそうで、或いは寂しそうな、そんな顔だった。

 人のこういう部分に触れるってのは、いつになっても――

「お兄ちゃん、ダラダラしないで、ちゃんと服着てねー。テーブルの上も片してね」

「もうお前ぶち壊しだよ」

 今シリアスモード七草さんだったのに。

「もう真子お前さ、お前がいるとアレなんだけど。俺がちゃんと主人公出来ないんだけど。ちょっと御退場願えるかな?」

「部屋から?」

「物語から」

「物語から!? そんなにかな!? そんなに私が嫌いなのかなお兄ちゃん!?」

 胸ぐら掴んで思いっきり揺さぶられる。うわあすげえ力、本当に人間かこいつ。

「いや、別にお前のことは嫌いじゃないんだけど」

「え、じゃあ好きなの!?」

「普通」

「ぐへえ、それはアレだねお兄ちゃん、何気に一番傷つく言葉だね」

 がっくりと項垂れる真子。項垂れるって言うかそれはもう立位体前屈だよ――って体柔らかいなこいつ。しかし、嫌いより普通の方が傷つくのか、憶えておこう。

「そんな酷い事を言うお兄ちゃんには、もう料理作ってあげない」

「……まあ、いたしかたない」

「ええ!? いたしかたないの!? 本当にいいの!? ほんっとうに、いいの!? 本気? 正気? 負けん気?」

「なんか最後おかしくない?」

「やる気! 根気! 負けん気!」

「校長先生!?」

「今日も仲睦まじいですねお二人さん」

「お前はいつもいきなり現れるな」

 扉を開く音も足音も発せずに出現した不審者暖人は、台所から笑みを湛えてこちらを覗いていた。

「そんな、いきなりだなんて。ちゃんと呼び鈴も鳴らしたし、挨拶もしましたよ? 昨日」

 毎回しろよ、それは。

「暖人さんこんばんわー。今日もかっこいいですね。お兄ちゃんの次に」

「真子ちゃんこんばんわ。ナナさんの次ってことは世界で二番目ってこと? 褒めすぎだよー」

「何しに来たんだよ帰れよ。真子と一緒に出て行けよ」

「なんで私も出ていくことになってるのかなお兄ちゃん!?」

「冷たいなあナナさん、社会人一年目の男性社員が家で食べるお惣菜くらい冷たい」

「チンしろよ」

「うわ、やっぱり冷たいですね。まあナナさんには真子ちゃんの作った温かい料理がありますからね! ささ、冷めないうちに食べちゃいましょうよ」

「暖人お前それはさすがに無理矢理すぎない?」

 なるほど晩飯食いに来たのか。

「今月厳しいんですよ」

「いや今月始まったばっかりだからね? 始まったばっかりって言うかまさに本日今日この日、今月はスタートしたんだからね?」

「バイト代入るのが毎月五日なんで、俺にとっては四日までが今月です」

 知らねえよ。

「まあまあお兄ちゃん、みんなで食べた方が美味しいよ。お腹すいてるでしょ? ご飯にしましょう」

 わざわざ作ってくれたし、無下にもできない。俺は渋々テーブルの上を片付ける。決して台所から漂う美味しそうな香りに負けたわけではない。決して。

 暖人は手際良く棚から食器を取りだして――ってここお前んち? なにその慣れた感じ。

「まあまあ、細かい事気にしてるとモテませんよ? ギャルゲーで」

「別に良いよ。というか心を読むな」

 今夜のメニューは、ポテトサラダに鶏肉の山賊焼きと卵焼き。ポテトサラダは好物ですはい。山賊焼は名前に反した揚げ物料理。にんにくの香りが食欲をそそる長野県バージョンですはい。卵焼きはこれ言う事無いです完璧ですはい。

「真子ちゃんやっぱすごいね、空手のスポーツ推薦で高校入っちゃう完全なバトルタイプ

なのにこの女子力。素直に羨ましいですナナさん」

 黙って食え。ニヤニヤすんな。追い出すぞ。

「ほほう、邪魔者を消して二人きりになりたいと」

「お兄ちゃんたらそんな……大胆」

 こいつら本当に腹立つわあ。

「でもナナさん、料理は本当に美味しいですよねー」

 卵焼きに箸を伸ばしながら暖人。真子は黙ってこちらを見つめている。

「……まあ、美味いよ」

 俺の、完全に照れているその言葉を聞き、ぱあっと笑顔になる真子の右隣で、暖人はニヤニヤを加速させた。

「もうナナさん素直じゃないんだから本当にもう! 素直に言っちゃいなよユー! こんな素晴らしい料理を作れるなんて本当に従妹にしておくには勿体無い! 結婚しよう! って言っちゃいなよユー!」

「そのくだりは前々回――じゃなかった、一昨日にもう終わってるから」

「え、もう既にプロポーズ済み!?」

「そうじゃねえよ! そのネタはもう終わったって言って――」

「ああ、暖人さんにも招待状渡しておかないとね。式場はゴールデンウィークの最終日を押えておきました!」

「真子お前は黙ってろ」

「おめでとうお二人さん! 真子ちゃん、長い長い片想いがついに実ったんだね! 先輩は全力で祝福するよ! おっと、こうしちゃいられない、結婚披露宴で二人に捧げるラブソングを作成しないと!」

「おい」

「まあ、冗談ですけどね」

「だろうけどよ」

「私は冗談じゃないけどね」

「おい!」

 すげえ疲れる。すげえ疲れる。

「そんなに疲れましたか」

「そんなに疲れたよ心読むな」

「またまたー、本当は心読まれるの嬉しいくせにー」

 嬉しかねえよ、迷惑だよ。

「ツンデレってヤツですね、分かります分かります、あんだーすたんど。他にツンデレがいないから自らその役を買って出ているわけですね分かります」

「こいつ何も分かってない!」

 というか俺がツンデレで誰が喜ぶんだよ。需要ねえだろ。

「ふふふふふふふ、ふふふのふ」

 ふふふのふってお前……。

「ナナさん、世の中には本当に、本当に色んな人がいて、色んな需要があるんですよ」

「色んなって……」

「そう、例えば――」

 例えば?

「俺とナナさんのアツーい愛の物語とかね」

「却下です!」

 俺よりも先に、真子。

「却下です却下です却下です却下です却下ですー!!」

 息継ぎなしの大声で叫んだ真子は、息が乱れて頬はうっすら紅潮している。どんだけ興奮してんだよ。

「いや、真子ちゃん? 例えばだからね? 俺だって男なんか絶対ごめんだよ? 空から降ってくる美少女の方が断然――」

「お兄ちゃんは真子とハッピーエンドを迎えるの! これは必然で絶対で運命で決定事項なの! むしろそのエンディングから逆算してこの物語は作成されているんだから! 暖人さんにも杏子先輩にも司馬ちゃんにも譲れないんだから!」

「暖人、真子からライバル宣言だぞ。なにか返してやれ」

「ええええええ!? いや嫌ですよ! ナナさんなんかいらないですもん」

 いらないとか言うなよお前、俺だってごめんだけど。しかしここで友里の名前が出るのか。

「そういや真子、お前って友里と仲悪いよな」

「名前呼びですかお兄ちゃん。同級生の私が名字で呼んでいるのにお兄ちゃんは名前呼びですかそうですか」

 うわめんどくせえ。

「そこはどうでもいいだろ。なんでお前らってそんなに仲悪いんだよ」

 まあ性格の不一致だと思うけれど、今日、俺が友里に嫌われている理由が理事長にあることが分かったからな。もしかしたらその辺のことなのかもしれない。

「そりゃあ、恋のライバルだからね。慣れ合いはしないさ」

「なんで格好良く言ったの?」

 関係なかった。その辺のこと関係なかった。かすりもしませんでした。しかもこいつの完全な勘違いね。もう駄目だこいつ、今更だけど。

「ナナさんモッテモテー」

 こいつうるせえ……。小学生みたいな茶化し方してやがって――っていうかヒューヒューやめろ、久しぶりに聞いたわ。

「いや真子さ、それはお前の勘違いだよ。俺アイツに嫌われてるもん。今日それがはっきりした」

 というわけなので、お前らがいがみ合う必要はないんだよ。でも、こいつらは多分それが無くても仲悪いと思うけど。

「お兄ちゃん、それは司馬ちゃんが言ったの?」

「うん、まあ大体そんなニュアンスのことを言われた。だから、お前らは――」

「分かって無いなお兄ちゃんは。乙女心を」

 ……そうきたか。

「なるほど、真のツンデレポジションは司馬ちゃんだったか」

 こっちの残念イケメンも揃ってダメそうだ。ゴクリッ――じゃねえよ。

「というかナナさん、学校で司馬ちゃんに会ったんですか?」

「ん、ああ。理事長室でちょっとな」

「なるほど、そう言えば理事長の依頼の内容ってなんだったんですか?」

 お、なんかいきなり本筋に戻ってきた。逆にやりずらい。

「探し物でさ、昔埋めたタイムカプセルを探してほしいんだってさ」

「おお、なんかかなり見つけ屋っぽい仕事ですね」

 珍しく、と付け加える暖人。失礼な。最近ちょっと変なのが多いだけでいつもこんな感じの依頼バンバンこなしてるわい。

「探してってことは理事長が場所分かんないってことですよね。なんか手掛かりあるんですか?」

 こいつは本当にバカなんだか鋭いんだか。

「手掛かりはこの二つ」

 テーブルの下から、理事長から預かった紙を取り出し、暖人の前に置く。

「……手掛かりって……これですか?」

「これです」

 暖人が眉をひそめるのも無理はない。手掛かりと言って見せられたその紙は、およそヒントになるようなものはひとつもないように見えたからだ。

「これは?」

「地図」

 暖人が指差した紙には、大きな家と星マーク、その大きな家の前から星マークまで、家を半周する形で描かれた線しか描かれていない。本当にそれだけである。他に目印になるようなものも、他の道も、何も描かれていない、大胆な地図だった。

「じゃあこっちは?」

「宝の隠し場所の暗号」

 呆れ顔で変えた指先には、腕白な小学生が書いたのが目に浮かぶような元気な文字で「おれたちのたから物のかくし場所 トラでのぼる でも高い所にあるから大人でもウマに乗らないとのぼれない 青いネコが入口 だれかに見つかっても メガネを使ったからだれにも入れない」と書かれている。

「虎に馬に猫ですか。動物園ですかね」

「虎や馬は分かるけど、猫は動物園にいるか?」

「青ければいるんじゃないですかね。見たこと無いですけど」

「青い猫は俺も見たことないな。まあ犬や猫の毛並みなら、濃い目の灰色をブルーとかって言うからねえ」

「あ、そうなんですか。いやでも、そんなのは目印にならないですよね?」

 ありふれてるからな。

「というか虎でのぼるとか馬に乗るとか、動物園だとしても絶対無理ですよね」

「そりゃそうだ」

「じゃあまあ、やっぱり他の意味なんでしょうねー。暗号かあ、小学生が作った暗号が解けないなんて――って、この暗号を作ったのは誰なんですか? 理事長の同級生ですよね? その人に訊けばいいじゃないですか。ちょっと悔しいような気もしますけど」

「……それは、できない」

 一瞬、言葉が詰まってしまう。慣れることはない――なんて格好付けて言ったけれど、こんなことで、何度も揺れる自分の心の脆さにこうして気付くたび、呆れる様な気持になる。

 それは弱さではないとか、強いと言う事は、とか、分かってるつもりで、分かったつもりで、いつかのどこかの誰かの何かの、言葉の上っ面だけ見て偉そうに言っても、実は一つも分かってなくて、分かってない事もあいまいで、あやふやで、どうにも参ってしまう。

「ナナさん?」

「あ、ああ、いやその、それを書いた人は、もういないらしい。その人の部屋だった場所から、それが出てきたらしい」

「……そうだったんですか」

 暖人の表情が曇る。こいつも俺と同類か。

「今週末、その人に会うらしい。その時に持って行きたいって言ってた」

「最後のお別れに思い出を――ですか。……見つけてあげたいですね」

「当然だ。神様にもお願いされてるからな」

「神様? 理事長のことですか?」

「いや、なんでもない。今日お前洗いものな」

「はいはーいっと。それじゃ片付けますか。真子ちゃん、それもう片付けていい? ……真子ちゃん?」

 話しかけても何の反応も示さない真子の目の前で、手を上下に振る暖人。

「え、なんでフリーズしちゃってんの――――ってうわっ!!」

 突然立ち上がった真子に驚き、暖人は尻もちをついた。いつも奇怪な行動を取っている真子だから俺は驚かないが、一体なんだって言うんだ。俺はテーブル越しに、暖人は尻もちをついたまま見上げる形で、真子の言葉を待った。そして――

「お兄ちゃん今日学校にいたの!?」

「いまそこ!?」



 五月の二日、ゴールデンウィークと言われている一週間の、忌み嫌われている二日間のうちの一つだ。

 と言っても、俺にとっては毎日が平日で、毎日が休日みたいなものだから、何も思う所はない。

「学生さんはどうなんだろうね、そこのところさ」

「どこのところですか? 唐突に脈絡もなしにそんな言葉を投げかけられて、完璧な答えを返せるほど、私とあなたは親密な関係にはないと思いますけど」

 抑揚のない声で、呆れた風に返してきたのは友里。ゆっくりと階段を下りてきて、俺の横で立ち止まる。

「今日は随分ゆっくりだな、週番じゃなかったんだっけ?」

「それは先週の話です。頭の中が周回遅れですか七草さんは」

 そこまで言わなくてもいいんじゃないかな。それでも笑顔を崩さない大人な七草さん。

「今日もいい天気だね、こんな日はきっと良い日になるような気がするね」

「朝からあなたに会ってしまったという事でその可能性は粉微塵に砕け散りました」

 ……笑顔を崩さない……大人な……七草さん……。

「まあ捉えようによっては、今が最悪なのだからこれからはどんどん良くなっていくというようにも考えられますが」

 笑顔を……笑顔を……。

「それじゃあもう行ってもいいですか? これ以上あなたに時間を使いたくなんてないので。まあ時間が止まると言っても嫌ですけどね」

「お前どんだけ俺のこと嫌いなんだよ!? 理事長が勝手になんか言っただけだろ? 関係ないじゃん、俺」

「関係ない?」

 友里の表情が曇る。

「私とあなたとでは勝負にすらならないと、そういう意味ですか?」

「今のをどう受け取ったらそういう解釈になるんだか理解に苦しむよ」

「せいぜい偉そうにしていればいいです。今回の勝負、絶対に負けませんから」

 話が通じないどころじゃないな。

「勝負ねえ……友里は見当ついたのかい? あの地図と暗号で」

「それは――――そんなこと、敵のアナタに、敵に情報を漏らすようなまねはしません」

「敵って……」

「敵です」

「なんでそんなに拘るかねえ」

 嘆息するように呟くと、友里はキッと俺を睨んできた。また噛みついてくるかと思ったが、目を伏せ俯き、小さく短い言葉を吐くだけで、友里は逃げ出すように歩いて行った。

「あなたにはわかりませんよ……か」

「小さくなる背中にその意味を問いかけても」

「晴れた空に吸い込まれるだけで」

「答えは返ってこない」

「ナレーション風に言うな」

 階段の影から現れたのは、真子、暖人、杏子。このアパートが誇る世界最高レベルのおバカさん達だ。

「いやいやナナさん、そこまでじゃないよ俺ら。地区大会レベルだよ地区大会レベル」

「そうそう、私たちに国際大会は荷が重いですよ七草さん」

「どんな相手にも負けるつもりはないよ! 私は!」

「ほら、一年生がそこまで言ってんのに、先輩として情けないと思わないの? お前ら」

「杏子先輩! 暖人先輩! 私たちならやれますよ、てっぺん狙いましょう!」

 凄いなこいつ。

「へっ、へへ、そこまで言われちゃあ仕方が無いな。見せてやるぜ、高校二年間で取得した赤点の数、実に二二! 人呼んでレッドポインターハル! その実力を!!」

 かっこわる! かっこいいのにかっこわる! どこまで残念なんだこのイケメンは。

「目の前に壁があったら諦める? 迂回する? のぼる? 分かってる、当然答えは壊すよね! やろう、ハルちゃん! 真子ちゃん! 全力全開! エネルギー全開! 目指すは日本武道館!」

 バカの日本代表が正式に決定した瞬間である。日本オリンピック目指して頑張ってくれ。

「そんで三バカ、そこでなにやってんの?」

「ナナさんが朝からラブコメモード全開なんで後ろからこっそりのぞいて楽しんでました」

 お前は眼科と精神科に行った方がいい。そして帰ってこなければいい。

「私は目が覚めた瞬間朝練に間に合わないことを感覚で悟り、もういっそのことゆっくり学校に行こうと階段を降りたら、ハルちゃんと真子ちゃんがなんか隠れてたから、一緒に隠れてみました」

 早く学校行け。そして顧問の先生に怒られろ。

「まったくお前らは……早く学校行けよ、遅刻するぞ」

「あれ? お兄ちゃん、私まだ発言してないよ?」

「へいへい、それじゃナナさん行ってきまーす」

「それじゃ七草さん、またスランプになったらよろしくお願いします」

「アホなこと言ってないで早く行け」

「あれ? 先輩方もスル―ですか? ちょっとお兄ちゃん、私の、あの女誰よ! 私という女がいながら! みたいなアレコレがまだ始まってないよ? あの泥棒猫! キー! ってハンカチを噛んで引っ張るヤツもまだやってないよ?」

「いいから行けや!」

 まじで遅刻すんぞ。

「はーい、それじゃまた今晩にでも続きしようねお兄ちゃん! じゃなかった、ア・ナ・タ」

 投げキッスしながら(本当にやるヤツいるんだな)走っていった真子は、すぐに暖人を追い抜いて、杏子と何故かデットヒートしている。あ、暖人息切れしてる。あいつ体力ねえなあ。



 月見里家はこの黒岩市では有名な家柄で、黒岩市にはその名字が多く見られる。その本家が私立宮高校の理事長、月美里智の家である。私立宮高校は四〇年ほど前に智の父、月美里静修やまなしせいしゅうが、勉学、運動の両方に力を入れる学校として創設した。

 一組といわれる特進コースは毎年有名大学に多くの入学者を輩出している。司馬友里はこの一組で、その中でも成績優秀者である。スポーツ特待は二組といわれ、運動部の全国大会でも宮高校の名前を目にすることは少なくない。犹守真子も実はこの二組だが、運動部には所属していない。その他は、持館杏子や小夜暖人のように普通受験で入学した生徒だ。

 一組二組といわれているが、クラス分けには関係が無く、普通受験で入学した生徒、特進コースで入学した生徒、スポーツ推薦で入学した生徒が一クラス三〇人でバランス良く分けられている。ホームルームは同じ教室で受け、授業はバラバラになることが多い。何故そのようなシステムにしているか、理事長に聞いたことがあったが、答えは、その方が面白いからだそうだ。まあ確かに面白い。それに人間形成の場として重要な学校という場所で、偏った人間とばかり関係を持つのは健全とは言い難い。その辺は賛否両論だろうけれど、俺は悪くないと思う。

 俺とイチもこの学校の卒業生だが、まあその辺はどうでもいいだろう。

 理事長からもらったこの地図、粗方見当はついたが、いくつか候補を絞らなければならない。

 俺も高校からはこの黒岩市に住んでいるが、大蔵町の出身だ。この町の全てを知っているわけではない。普通ならそんなに多くはないはずなんだが、この町は少し特殊な事情があるからなあ。

「何をうんうん唸っているのですか? 不審で邪魔です不快です」

「言いすぎだろお前」

 言うまでも無く友里である。理事長室の前でばったりである。

「昨日の今日で理事長に何の用ですか七草さん」

「それはこっちの台詞だよ。理事長に一体何の用だ?」

 これが漫画だったらバチバチと火花が飛び散る所なのだが、勿論そんな事はなく、生徒の足音と話し声が木霊する廊下で、身長差のある男女が睨みあっているだけだ。

「なにか掴んだんですね七草さん。それで理事長に何かを確認に来た――というところですか」

「鋭いねえ――というよりも、友里もそうなんだろ? まあ多分お前が掴んだのは間違ってると思うけど」

 バチッ――っと、今度こそ火花が散った。

「今朝とは随分様子が違いますね。自信がなかったように見えたアレは演技だったんですか?」

「演技じゃ無い、自信がなかったわけでもない。争う理由が無かっただけだ」

「へえ、今は、あると?」

「争う理由は今でも無いが、思うところがあってね」

「いちいち含みを持たせる人ですね。自分が優れていると思っているからそれが態度に出るんでしょうね」

「拘るね、優劣に」

 ぶれない。何が彼女をそこまで駆りたてるのか。これはもう、ただの言葉じゃ意味を持たないだろう。言葉って言うのは、結局どこまでいっても言葉でしかないからね。

「開けないの?」

 硬直状態に突入しようとしていたこの場に助け舟、理事長が扉を開けた――助け舟っていうか原因は全部この人なんだけどね。廊下から声が聞こえて待っていたけれど、なかなか入ってこないからしびれを切らせて向こうから開けてしまったようだ。

「二人とも私に用があるんだよね? 中で話そう」

 言われるまま理事長室に入る。いつものように、理事長自らコーヒーを淹れてくれた。今日はお茶菓子まであって和やかトークの準備は万端――なのだが、沈黙。

「えっと……友里くん、私に確認したいことがあるんだろう? なんでも訊いてくれて構わないよ」

「今訊いてしまうと、七草さんにヒントを与えることになります。また時間を改めさせてもらいます」

「おいおい友里、この人仮にも理事長だぞ? いつでも暇なわけじゃない。今だって忙しい中、こうやって時間を割いてくれているんだぞ?」

「ちょっと七草くん、仮にもって酷いなあ」

 おっと失言。つい本音が。

「しかしこれは勝負ですし――」

「わかった、そんじゃ俺から理事長に訊くわ。そんで、終わったら出ていく。それならいいな?」

「それは……」

「それじゃすみません理事長、確認したいのはふたつだけです。理事長と、後の二人の住所を教えてください。勿論、小学生の時のです。正確な住所が分からなければ、大体どの辺だったかで良いんで」

「ああ、構わないよ。えっと――」

「この地図に直接丸付けてもらえれば良いんで」

 用意してきた黒岩市の地図をテーブルの上に広げる。理事長は大して時間もかけず、三箇所に印を付け終えた。

「これで良いかい?」

「ありがとうございます、それじゃふたつ目。理事長以外の二人の親の職業、何をしていたかわかりますか?」

 親の職業? と首を傾げながらも、なんとか思い出そうと考える理事長。

「まあこれは大した意味も無いんで、分かった時に連絡ください」

「ああ、すまないね」

「いえいえ、それじゃ俺はもう行きます。ありがとうございました」

「ちょっと待ってください」

 質問が終わり部屋を出て行こうとした俺を、友里が止める。

「なんだよ、俺も急いで――――まあ、ぶっちゃけると別に急いでないけど、なんだよ」

「これで七草さんが出て行ったら、私が有利になったような形になってしまいます。フェアじゃない」

「固いねえ、俺の質問内容じゃほとんどヒントにはならなかっただろうし、俺はそんなこと気にしないよ――って言っても、お前が気にするわけだ」

 友里は黙って首を縦に振る。つくづく面倒だ。嘆息しながら席に着く。

「それで、司馬君の質問は?」

「はい、暗号の作者、武雄さんは、詩などの文学を好む少年でしたか?」

「文学……?」

 友里の質問に理事長は困惑する。

「武雄は……そうだねえ、勉強はまあ出来たが、本を読むようなやつではなかったなあ。しかし何故そんな質問を?」

「えっと……その……」

 ちらちらとこちらを見ながら口ごもる友里。それに答えてしまうと、俺に情報が漏れ過ぎてしまう――とかなんとか考えてそうだな。

「青猫。暗号の中に出てくる、青いネコというところから、そう考えたんだろ?」

 友里は驚いた様な表情を一瞬だけ見せたが、一呼吸して、微笑む。

「知っていたんですか」

「萩原朔太郎の青猫は有名だからな。まあ、あの暗号の中で一番目立ってる青いネコってワードから考え始めたら、普通ここに行きあたる」

 萩原朔太郎の詩集、青猫。まあ読んだことはないのだけれど、名前くらいなら知っている。

「なるほど、流石は七草さん――なんですかね。さっきの質問、親の職業を訊いたのも、これに繋がるかもと?」

「残念、全然違う。友里、お前の考え、その質問、見当違い、的外れだよ。その先進んでも道はない」

「なっ――!」

「ヒントをくれてやる。これは、この文章は、暗号なんかじゃない。そのまんま宝のありかを、宝のありかに辿り着く術を記してあるだけだ。そんでこの地図、これは案外存外意外としっかり、ちゃんと書かれてるかもしれないぜ?」

 立ちあがりながら茶化すように言う。

「この黒岩市の特徴、有名な城主様の特殊な立場から出来た、黒岩市の特徴。この地図置いていくから考えてみな。俺は大体場所憶えたからいらねえや」

 それだけ言って、素早く廊下に出た。扉越しに聞こえた友里の怒鳴り声は、室内ならどれだけうるさかったか想像してしまう。

 一緒に置いてきた理事長は大変だろうが、そもそも事の始まりは理事長だし、これくらいは良いだろう。

 逃げるように小走りで進む廊下、窓の外を見つめる生徒達。ああ、予報では明日だったはずなのになあ。



「それで? これは一体どういう状況か説明してくれるかな?」

「残念ながら、それは出来ないんだぜ七草さん」

「そうか、じゃあ俺帰るわ」

「待てよー! つれないじゃんか七草さーん! 私と七草さんの関係ってそんなにドライなものだったのかよー! あの熱い抱擁はなんだったんだよー! あの夜のこと、もう忘れちまったのかよー!」

「誤解を招くようなことを大声で言うな!」

 状況説明をしてくれないらしい杏子に代わって、俺が、分かる範囲で、説明しようと思う。

 理事長室を出た俺は、渡り廊下で雨が降っていることに気が付いた。天気予報では明日の午前中に降るという事だったので、傘を持っていない俺は困っていた。しかし、そんなに遠いわけでもないし、走って帰るかと1階まで降りたところで、杏子とばったり会った。

 普通の傘と折り畳み傘を持っていて、折り畳み傘の方を貸してくれるという話になり、折り畳み傘を入れたバッグを取りに体育館まで来た。ここまでは俺にもわかる。ここまで

はな。だけどこれは――

「なんでジャージ着てんの俺?」

 どういうことなんだ。

「いやー七草さん、わたしちょっとスランプみたい。さあいくよ!」

「さあいくよ! じゃねえよ! お前いい加減にしろよ! 大人なめんのも大概にしろ!」

 踵を返して体育館を去ろうとする――が、いつの間にか完全包囲。女子バスケット部員による完全包囲網である。

「えー、杏子ー、この人彼氏?」

「いないって言ったじゃん裏切り者ー」

「学校に連れ込むとかやるねー杏子」

「ワイワイキャーキャー」

 すごいな女子高生。というかワイワイキャーキャーってなんだ。

「おいおい、杏子これお前なんとかしろ」

「いやー七草さんは彼氏じゃないよー。ただ、苦しい時はいつもそばにいてくれる人って言うか――キャッ、私何言ってんだろ恥ずかしー」

「本当に何言ってんの!?」

 周りのやつらもキャーキャーうるさいよ。というか俺が着てるジャージ誰のなの? なんか妙に真新しいんだけど。

「それ私のです。まだ一回も着てないやつです。小さくないですか?」

「いや、そんなに小さくはないかな――ってお前の!?」

「洗わないで返してくださいね。 それであんなことやこんなことをぐへへ」

「クリーニングに出す」

 あとお前を警察に突き出す。

「それじゃ傘貸してくれ。帰るから」

「おいおい、そんな寂しいこと言うなよー。折角来たんだからもっとゆっくりして行けよー。運動部女子の練習を生で間近で見れるんだぜ? こんなチャンス滅多にないぜ?」

「そんなチャンスは滅多にもいらないよ。早く俺を帰してくれ」

「今夜は君を帰さない」

「傘いいわ、それじゃ」

「冗談だよ~! 冷たい対応するなよ~! 非情! 冷徹! クールボーイ!」

「最後なんだって?」

「まあまあ杏子の彼氏さん、ゆっくりしていってくださいよ。何度となくこのスランプエースを立ち直らせてきたその手腕を是非とも拝見したいですし」

「どうぞどうぞ、こちらへ」

「よ! 名伯楽!」

 なんだこのノリ。あと名伯楽の意味を多分間違えてる。

 あれよあれよという間にパイプ椅子に座らされ、紙コップを持たされ、麦茶を注がれ、見学準備万端の七草さん。え、あれなんで?

「それじゃみんなー! 今日は男の目があるからってか弱い女の子のフリなんかするんじゃないよー」

「「「はいキャプテン!」」」

「はいもうダメ―、いつもみんな、ウッス! キャップ! って言ってるじゃーん」

「「「言ってないですキャプテン調子乗らないでください」」」

「すいませんでした調子乗りました」

 ショートカットで線目の彼女がキャプテンらしい。さっきワイワイキャーキャーって言ってた娘だ。なんというか、アイスの蓋の裏なめたり、平積みされてる本は上から二、三冊目を選んだり、別に気になるアーティストはいないけど、とりあえず紅白観ないと今年終わった気がしないみたいな理由でついつい観てしまうとか、そんな小市民臭がする。なんとなく。

「あれ? なんかわたし凄く失礼なこと思われてます?」

「いや? そんなことないかもしれないよ?」

「そうですか、よかった」

「そうだよね、よかったね」

 アホの子多いなこの学校。友里と同じ学校なんだよなあ。よく漫画で見かける、「あれ? なんでこいつら同じ学校通ってんだ? あり得ないだろ」現象だ。俺が在学してた頃もこんな感じだったのかしら。

 なんてこと考えてるうちに練習スタート。柔軟、アップを終えると、オールコートを三人で走り、パスを出し、シュートを決める、スリーメンが始まる。動いている人へのパスの練習、動きながらのパスの練習、視野を広げる練習、ロングパスの練習、走る練習、シュートの練習、そして何より、プレーしながら走る感覚を養う事を目的とした、メジャーな練習である――って何を解説してんだ俺は。無理矢理見学させられているはずなのに、いつの間にか真剣に観てしまっていた。杏子に無理矢理引っ張られて試合は何度か観たことあったが、練習は初めてだ。まあ確かに、こんな機会は滅多にないもんな。

 野球、ラグビー、男子バスケ、男子ソフトボール、空手等、スポーツに力を入れているとは言っても、全ての部活動がその対象ではない。この女子バスケットは普通高校と変わりない――どころか、スポーツ推薦組、進学組がいるこの学校では、普通の生徒は他校に比べ少ない。その上部活に入ることを強要しない。それらの理由から、ここは創部以来ずっと弱小で通ってきた。

 しかし去年、地区優勝、県大会ベスト八と躍進した。なるほど、こうして練習を見ると納得だ。こんなに一生懸命なんだ。

「一生懸命努力しても、報われるとは限らないぜ」

「身も蓋もない、しかしまあ正しい言葉だな――心を読むな」

 一瞬の隙をついて杏子が背後に回り込んでいた。練習サボるなよ。

「ふふ、七草さんにはいつも調子悪い所ばかり見られてるけど、今日はバリバリ絶好調全力全壊杏子ちゃんだぜ!」

 何を壊すの? 空気?

「いやいや七草さん、話してるだけなのに漢字の間違い指摘するとかやっちゃダメでしょ」

 間違うなよ。

「こらー! サボるな休むなイチャつくなー!」

「ウッス! キャップ! スイマセン!」

 ウッス! キャップって言ってんのかい。

 練習に戻る杏子を目で追う。すると、あることに気がついた。コート内で練習している子達とは別の子がいる。そしてその子は一心不乱にあることをしていた。

 ダムダムしてるーーー!! もうめっちゃダムダムしてる。ダムダムダムダムしてる。ダムダムしかしてない! ダムダムキングダム(?)!

 おっと、いささか興奮しすぎてしまったか。だってあのバスケットボール漫画の主人公のごとくコートの外でドリブル練習ですよ? そりゃお前興奮するだろう。 別にドリブルする少女に興奮するとかそういう特殊な性癖とかでは無くね。漫画と同じ場面みるとテンション跳ね上がるじゃん。聖地巡礼する人たちとまあ近い感じ。多分そんな感じ。

 経験なしでバスケ部に入った一年生なんだろう。

「あ、杏子先輩の彼氏で真子ちゃんの婚約者で友里ちゃんと廊下で話してた七草さん。どうしたんですか?」

「うん、その情報一つしか合ってないよ一年生ガール」

 近寄ったら愛想よく話しかけてくれたのは良いんだけど、彼氏でも婚約者でも無いんだよ? じゃなくて、今友里ちゃんって言ったかこの子。

「君はアレかな、もしかして友里と仲良しだったりするのかな?」

「おやおや、ガードの固い友里ちゃんをオトすために、外堀から埋めていこうって魂胆ですか? 杏子先輩や真子ちゃんがいながら……さながら獣ですね。しかし友里ちゃんは難しいと思いますよ。難攻不落の金城鉄壁、湯池鉄城南山不落。絶壁に大阪城が建ってるようなもんですよ! あ、絶壁ってアレですよ? 胸のこととかじゃなくてね? 攻めにくい的な意味でね」

 誰もそんなこと思ってないよ。というか思ったよりも大幅に変な子だったわこの子。

「いや、そうじゃなくてさ、友里のこともう少し知りたいなーって思っただけなんだけど」

「あんまり変わって無いように思えるんですけど」

「うん、俺もそう思う」

 なんて言うのが妥当なのかしら。

「まあでも、友里ちゃんって秘密主義だからなー。小さい頃から友達とあんまり遊ばないし、心の壁全開ですもん」

 小さい頃からあんな感じなのか。家の教育方針とかかなあ。

「まあ私も小学校から知ってるからそこそこ長い付き合いですけど、知ってることは少ないです。すいません」

「いや、そんな、別に」

「その代わりと言ってはなんですが、大阪城についてお教えしましょう。大阪城は、姫路城、熊本城と共に日本三名城の一つに数えられているはご存じだと思いますが、やはりその魅力というのがその堅牢さです! 徳川幕府が再築したものは本来の姿とは全く異なります。二重三重の複雑な石垣が立体的に構築され、本丸、二の丸、三の丸に内堀、外堀、さらには総構と呼ばれる外周、さすがは三木の干殺し、鳥取城の飢え殺し、高松城の水攻めなどを行った城攻めの名手、豊臣秀吉が作った城です! それから、現在では考えられませんが、あの一帯は縦横無尽に川が流れる湿地帯で、そもそもの立地条件からして攻めるのが困難なんですよね。大阪冬の陣で、豊臣方十万に対し、徳川は天下の二十万の兵をしても攻めきれ無かった。しかも豊臣方は牢人などを寄せ集めた烏合の衆、実際の戦闘では作戦に乱れが生じるような状態なのにです。凄いですね! 難攻不落にして豪壮華麗なその姿は、三国無双と称されました。それから――」

「いや、もういいです」

 おなかいっぱいです。

「えー、これからなんですよ! 秀吉が当時では珍しい恋愛婚した話とか、指が六本あった話とか」

「いつの間にか秀吉の話にシフトしてるよね!?」

 いわゆる歴女って呼ばれる子なのか。いやびっくりしたあ。しかもこの間、彼女はずっとドリブルしたままなんだぜ。

「まあこんな感じで、私からは秀吉の話しか出てきません」

「俺にはまるっきり需要が無いな」

「それは残念、友里ちゃんの話が聞きたいなら、そうですね、キャプテンに訊けば良いと思いますよ」

「キャプテン?」

 ってあの、あそこの小市民?

「その小市民さが良いんじゃないですか。周りに変なプレッシャーを与えないし」

 いや別に悪いとは言ってないけど。

「キャプテンと友里はどんな繋がりなの?」

「ふむ、難しい質問ですね。ふむふむふうむ、なんと言いますか、あえて言葉にするなら、とても近い存在です」

「近い? あの小市民と堅物優等生が?」

「ええ、家が」

「物理的にかよ! ただのお隣さんじゃねーか!」

「まあ最近ではそういう表現もするようになってきましたよね」

「随分前からこんな表現してたよ」

 なんかこいつからは真子や杏子や暖人と同じ匂いがする。早く撤退しろと俺のDNAが叫んでいる。

 しかしまあ、お隣さんか。それなら何か知っているかもしれない。部活が終わったら話を聞いてみるか。

 練習が終わったのは七時を過ぎたあたりで、体育館の外はもう暗くなっていた。部室で着替えを済ませた部員が続々と帰っていく中、杏子がキャプテンをつかまえてきてくれた。

「話って何でしょう? 杏子の彼氏で暖人君の師匠七草さん」

「彼氏じゃない師匠じゃない、俺は別段なんでもないただの人間七草さんだ」

「なんかその台詞かっこいいですね。ただの人間さ、ひと一人救う事も出来ないちっぽけな人間さ――みたいな」

 くっ、俺の隠しかっこつけを容易く見破るとは……なかなかやるな。小市民から中市民くらいに格上げしてやろう。

「七草さん、キャップもしらさぎ橋まで帰り道一緒だから、帰りながらおしゃべりしましょうよ」

「あれ、家そんなに近いの?」

「近いですよー。と言っても、国道と高速道路越えて、山の近くですから、いつもは自転車通学なのです」

 今日は雨が降ってるから自転車じゃないのか。徒歩だと結構掛かるんじゃないか?

「そうですねえ、四〇分まで掛からないとふんでいます」

 結構掛かるなあ。そう言えば、田舎者と都会人では、徒歩で行けると思う距離に大分差があることに最近気がついた。いやまあだからなんだってわけではないんだけどね。

「それじゃあアパートまで一緒に行って、車で送っていってあげようか?」

 イチの車で。

「あーいやいや、そんなにお気を使わずに。音楽聴いてれば四〇分なんてすぐですから」

「まあそうだけど」

「岡持ちだけ受け取っておきます」

「いやそれはお店に返してやれよ」

 出前出来なくて困っちゃうよ。

「なかなか鋭いツッコミですね」

「お前もただものじゃ無い様だな」

「いやなんで認め合うライバル的な雰囲気出してんのさ二人とも」

 珍しい杏子のツッコミが見れたことに満足したので、体育館を出ることにした。学校の坂道を歩きながら、友里について聞く。

「友里ですかー、なるほどなるほど、イエス、オーケー、確かに私とあの子は近しい存在

です」

「お隣さんと言え」

「音鳴りさん」

「ナニソレコワイ」

 新種のお化けか何かですか?

「しかし、なんで友里のこと知りたがるんです? 私も口の堅い方じゃないけど、話すことと話す相手は選びたいと思っていたりなかったり」

 どっちやねん。

「いやさ、あいつも杏子や暖人と同じで、ウチのアパートに住んでるんだけどさ、俺あいつの事まだ何にも知らないんだよ。それなのに何故か一方的に嫌われてて、それが最近、理事長のせいだって分かったんだ。俺と友里じゃ、俺の方が優秀だって言ったらしい。それでなんかあいつと勝負することになってさ」

「勝負?」

「うん、ちょっとした宝探しなんだけど」

「探し…………七草……」

「キャップ、この人、見つけ屋七草だよ」

「うわまじでやっぱり!? へえええ、はあぁ、実在したんだ~」

 するわ。都市伝説か何かか俺は。

「まあ、それでさ、なんか、なんつーか、あいつの優劣に対する拘りっていうのかな、やっぱり何か異常な気がするんだよ」

「ちょっと負けん気が強いだけなんじゃないの?」

「まあ、杏子の言うとおりかもしれないんだけど……」

 なんとなく、影が見えるというか、上手く言葉にできないんだけど、それだけじゃない何かを感じるというか……やっぱり上手く言葉にできない。

「……そうですねえ」

 少し黙った後、傘の内側を眺めながら、キャプテンが口を開いた。

「七草さんの言うとおり……なんですが、やっぱり私は口を噤む事にします。なので、あの子から直接話を聞くことでしか、知ることはできないというわけです」

 目線は変わらず傘の裏に置いたまま、独り言のようにそう言った。

「そっか、ありがと」

 だから俺も、視線を送らずに、ただそれだけ言った。

 雨は小雨に変わっていて、風は時折冷たく吹いて、アスファルトに散らばる光をキラキラと動かした。

 それから三人でくだらない話をして、笑って、しらさぎ橋にはすぐに着いた。

「いやー、あの見つけ屋さんがこんなに身近に居たとは知らなかったです」

「なんか見つけてほしいものがあったら頼ってよ。直接来てもらってもいいし、ホームペ

ージもあるからメールでもオッケーだよ」

「その時はよろしくお願いしますね」

「キャップ、私の名前を出せば、杏子ちゃん割引でぐっとお安くなりますよ!」

「このスランプ娘にはいつも迷惑かけられてるから、もしも友人だとおっしゃる方がいたら、料金割増させていただきます」

「杏子? 誰それ。私知らない存じない。赤の他人です、真っ赤な他人です。」

「そんなに!? 真っ赤になっちゃうくらい!?」

「そうだね、他人よりさらに知らない、他人中の他人だね」

「キングオブ他人か~」

「レジェンドオブ他人だね」

「他人の空似か」

「第三者だね」

 なんだこの会話。

「ふう、それじゃそろそろ失礼しますか。七草さん、また今度! 他人ちゃんはまた明日ねー」

「またね」

「また明日~」

 ばいばーい、と、その存在価値を無視するかのように傘をぶんぶん振りながら遠ざかっていく。もうほとんど雨も降っていないから別に良いのだが、どうだろう、高校三年生の、ましてキャプテンの振る舞いとして適切なのだろうか。

 しらさぎ橋を渡りきった所で姿が見えなくなったので、俺と杏子もアパートへと歩き出す。

「七草さん、もしも司馬ちゃんが、何か問題を抱えていたとして、それを一体どうするつもりなんですか?」

「どうする――か」

「その問題の解決方法を、見つけてあげるんですか? 見つけ屋として」

 私や暖人さんの時みたいに、と杏子は付けくわえた。見つけ屋として――か。

「……見つけ屋は、困ってる人を誰かれ構わず助ける仕事じゃない」

「……そうですか…………そうでしたね」

 そう寂しそうに笑うなよ。まったく、いつからこんな世話焼きになったんだろうね俺は。

「……だけど、お前や暖人の後輩で、真子のクラスメートで、俺のアパートの住人。見つけ屋じゃない、ただの俺は、もっと楽しくさせてやりたいなって、思うよ」

 いらぬ余計な大きなお世話かもしれないけどな。

「七草さん、そういう恥ずかしい台詞はなるべく控えた方が人生楽だと思いますよ?」

「大きなお世話だ」

 人がせっかく格好良い事言ったのに。

「でもまあ、安心しました。七草さんは七草さんですね」

「どういう意味だ」

「変わらないですねってこと」

「最近理事長にも同じこと言われたよ」

「あはは」

「今日の晩飯なんだろ」

「私は揚げだし豆腐が食べたいです。もやしとほうれん草のおひたしも」

「チョイスが渋いよ。おひたしはあれか、ゴマ油のやつか。ナムルっぽいやつ」

「そうそう」

「俺はニラ玉スープが食べたい」

「ふわっふわのヤツですね」

「ふわっふわのヤツだ」

「お腹すいたー!」

「腹減ったなー」

「それじゃ七草さん、お約束の、家までよーいどんですよ!」

「ヤダよめんどくさい」

「ふふふ、そうやって、わたしに負けるのが怖いんですね?」

「古いよ、その口車古いよ。何年式?」

「故きを温めて新しき汁って言うじゃない?」

「なんで昨日の残り物みたいになってんだよ。故きを温ねて新しきを知るだろ。そして何故今それを言ったんだ」

「……ノリで?」

「訊いちゃったよ」

「よーいどん!」

「あ、こら!」

 結局、アパートまでの数百メートルを走ることになる。まったく、部活が終わった人間の動きじゃない。

何故か鍵の空いている自室のドアを開けながら、ふと見上げた空には小望月。

「幾望の空ねえ……」

 くだらない洒落は雲切れ間に隠して、部屋に入る。明日は満月だ。



 勾配の緩い道には、昨日の雨でいくつもの水溜りが出来ていた。普段歩く時には気にならないが、道路は結構デコボコで、ひび割れも多い。古い道路だし、仕方が無いと言えば仕方が無い。交通量も少ないこの道では、路面補修工事の話も出ないだろう。

 黒岩市の外れ、南側の県との県境付近。車一台が通ればいっぱいいっぱい、人一人分の

余裕も無いような狭い道路で市街から首切り河原へ抜ける道でもある。川原方向に向かって右側は、何十メートルも、何百メートルも竹林が続いていて、その反対、左側には、高さ二メートルほどの石垣が並び、イワヒバが着生したそれは、竹林と合わせてどこか幻想的な雰囲気を醸し出している。石垣の上は斜面になっていて、沢山のアカマツが陽射しを遮っている。イワヒバは日陰をあまり好まないと聞いたことがあるが、例外もあるらしい。

 しばらく歩くと、石垣側に階段が現れる。そこを上ると、石でできた鳥居が出迎えてくれる。

 そう、神社である。

 鳥居を潜って見渡す境内は、拝殿、本殿、そして鳥居と拝殿を結ぶように敷きつめられた石畳、それ以外には何もなく、だだっ広い敷地の周りを松の木が囲っていた。

「まるで、ここだけ世界から切り離されているみたいだな……」

「恥ずかしくないですかその台詞」

「……お前さえいなけりゃ恥ずかしくなかったんだがな」

 嘆息して振り返った先には、黒髪短髪ジトメガネ、司馬友里が立っていた。ジトメガネってなんか流行りそうじゃね? そうでもない? そうでもないな、すいません。

「あのヒントの意味、ちゃんと理解できたんだな」

「…………」

 あからさまに不機嫌な顔をして、こちらを睨む友里。

「……極めて……遺憾でしたが、あなたの言葉の意味について、考えました」

「政治家以外で遺憾って言ってる人間を、俺は初めて間近で見たよ」

「…………」

 はいはいすみませんでした、茶化さないよ、茶化しません、続けて続けて。

「あの大きな家と星マークしか描かれていない地図を、七草さんは、案外しっかり描けていると言いました。それから、この黒岩市の特徴を考えろと」

 チチチ――と、コマドリの鳴き声が、二人しかいない境内に響いた。

「黒岩城の城主、一万八千石、一ノ倉家の特殊な立場。それは宮司の家柄、武将でありながら神職。その一ノ倉家の治めたこの黒岩市は、神社が非常に多いのです」

 正解だね。まあここに友里がいる時点で、答えに辿り着いたってのはもう分かってるんだけどね。それに正しくは、一ノ倉家が納めたのはこの黒岩市だけじゃなくて、旧美霧の里ね。

「この地図、まさにこの場所の通りですね」

 そう言って友里は、境内を見渡した。

 拝殿、本殿の社殿があるだけで、手水舎も神楽殿も鐘楼も無く、本当にあの地図の通りだ。子供から見たら社殿は大きな家だろう。

「この地図だと、社殿の後ろ側にタイムカプセルがあるようですね。時に七草さん、スコップを持っていないようですが、どうやって掘り当てるおつもりで?」

 そう尋ねる友里は、自身の肩くらいまであるスコップを持っていた。なんというか、ここまでスコップが似合わない人間も珍しいな。

 俺はと言うと、荷物は少し大きめのリュックサックだけ。スコップは持って来ていない。

「タイムカプセルを掘り当てるのに、まさかシャベルで掘ろうというのではないですよね?」

「まあ、確かにシャベルは持ってきているけど、それで掘り当てる気はないよ」

「それでは、まさか折り畳みスコップ……?」

「いや、そんなの持ってないよ……」

 あんなの、アウトドアやガーデニングが好きなヤツしか持ってないよ。

「そもそも掘り当てるつもりはないんだよね」

「…………はあ?」

 物っ凄い怪訝な顔された。そしてなんかちょっと可哀想なものでも見る様な目で見られた。

「タイムカプセルですよ? 埋まってるものですよ? どのくらい深いかは分かりませんが、それでも手やシャベルで掘るのは非効率です」

「そうだよなあ」

「そうだよなって……」

「いや、掘るならだよ。タイムカプセルが本当に埋まっているならだよ」

「……埋まっていないんですか?」

 多分ね。

「でもタイムカプセルですよ? 埋まっているのが普通で、当たり前じゃないですか」

「子供に当たり前なんて通用するかよ。それに、そもそも誰もタイムカプセルとは言って無いんだよな」

「いや、さすがに言いましたよそれは」

 言ったね、さすがに。

「でもそれってさ、今の理事長が勝手に言っただけだろ? 昔話の時、確かにこう言った。それぞれの宝ものを保管しておくことにした。そして、その宝ものを武雄が隠した」

「つまりタイムカプセルじゃないですか」

 頑固だね。

「それと、武雄の書いた暗号には、おれたちのたから物のかくし場所って書いてある」

 リュックから暗号を取り出して、その文を指さす。

「いえ、ですから、タイムカプセルじゃないですかソレ」

「分かった、タイムカプセルだとしよう。というかタイムカプセルでもいいや。うん、なんでもいいや。重要なのはそこじゃないからね」

「はあ……」

「武雄が隠した……おれたちのたから物のかくし場所……どちらも隠したという表現をし

ている。これが肝要」

「まさかそんなことで埋められていないと決めつけたんですか?」

 完全に呆れている。いやまあ、そこだけで判断したわけじゃないよ? 勿論。

「……まあいいです、とにかく裏手に回ってみましょう」

 友里に従い社殿の裏に回り込む。社殿は後ろに大きな石垣を背負っており、かなり狭い。石垣は階段の下の道に並んでいたものと同じ様な造りだが、高さが四メートルほどあり、かなりの圧迫感があった。

「狭いですね。でも子供って狭い所に惹かれる傾向があるし、埋める場所としてもなかなか最適かもしれませんね」

 そう言って、友里はスコップを地面に突き立てた。

「ストップ友里、ストップ温暖化」

「後者は確かに止めなくてはいけないですけど、なんです?」

「意味無いよ、そこには何もない。ノーお宝、ノードラッグ」

 ツッコミませんよ、と無言で睨まれる。

「友里さんや、この暗号――まあ、暗号じゃないんだけど、この文をもっと重要視してあげてくれよ」

「あっ――」

 完全に忘れていらっしゃったご様子。少しバツが悪いように目を背ける。ジト目を背ける。友里は、リュックから紙を取り出して音読した。

「おれたちのたから物のかくし場所、トラでのぼる、でも高い所にあるから大人でもウマに乗らないとのぼれない、青いネコが入口、だれかに見つかっても、メガネを使ったからだれにも入れない。ええ、さっぱりですよ。やっぱりきっぱりさっぱりです」

「諦めんなよ、諦めんなよ、お前! どうしてそこでやめるんだ、そこで! もう少し頑張ってみろよ! ダメダメダメ諦めたら。周りの事思えよ、応援してる人の事思ってみろって。あともうちょっとのところなんだ――」

「うるさいです、騒がしいです、やかましいです、かしましいです、騒々しいです、鬱陶しいです、苛立たしいです、暑苦しいです」

「すいませんでした」

 謝罪します、各方面の方々に。深く反省しております。

「いや、杏子のがうつったみたい。だから悪いのは俺じゃなくて全部あいつだから」

「そうですか」

 そうなんです。

「そんなことはどうでもいいんですけど、この暗号が……この文章が何だって言うんですか。地図の星マークはおそらくここで間違いないです。文章の真意を素通りして答えに辿り着いた、ただそれだけのことなんじゃないですか?」

「いやいやいやいや、それじゃ色々成り立たないだろお前。面白くないし」

「面白くないって……面白さなんか関係ないでしょう、結果が全てですよ」

「いやまあそうなんだけどさ」

「あっさり認めてしまうんですか」

 だって最近結果が全てだなって思ったことがありまして。

「でも違うんだよ! ここじゃない! 最初の文、ほら、もう一回読んでみ?」

「どれだけ必死なんですか……正直ちょっと引いてますよ私」

 口に出すなそういう事は。いいから読め。

「おれたちのたから物のかくし場所」

「そこじゃないよ! いいよそういうお決まりは! 今まじめにやってるから! 必死にやってるから俺」

 女子高生に引かれるくらい。

「な、七草さんが最初の文って言ったんじゃないですか!」

 真っ赤になって怒鳴られた。どうやら真面目にやっていたようだ。

「その次の文」

「最初からそう言えば良いんですよ全く…………トラでのぼる、でも高い所にあるから大人でもウマに乗らないとのぼれない」

「はいそこ! トラで上りましょう」

「何を言っているんですか?」

 本日何度目かの呆れ顔は、俺の指さした方向を見て驚き顔に変わる。

「……ロープ!?」

 と言う事です。黄色と黒はすっかりボケてしまっているけれど、石垣の上、木の幹に結ばれているのは、標識ロープだ。

「標識ロープの別名はトラロープ。工事現場ではトラって略すこともある。標識ロープは駐車場とかでも多く使われるし、トラロープって呼び名も結構メジャーだ。だけど気付かなかった。それはこの文章全体の雰囲気がそうさせたんだ。トラ、ウマ、ネコ……奇しくも重なってしまった動物の呼び名が、さも暗号であるかのように、読み手を混乱させたってわけだ」

「……じゃあ、その、ウマと言うのは……?」

「こんなの簡単、作業台とかのことだよ。ただの台」

 そう言いながらリュックから折り畳みの脚立を取り出す。

 ロープで上る、でも高い所にあるから大人でも台に乗らないと上れない。なんてことはない、ただの文章だ。暗号などではない。

「でもまあ、あのロープじゃあいつ切れるか分からないからな」

 脚立を組立て、持参した鉤付きのロープを放る。標識ロープが巻き付けられている木に、同じように設置完了。グッと引っ張って外れないかを確かめる。

「忍者か何かですかあなたは」

 それはどっちかというとイチのポジション。しかし、元のロープがもっと丈夫そうならそれ使おうと思ったのに、脚立持ってきたのが無駄になったな。別に良いけど。

 ロープを伝って上りきると、綺麗な松林が視界に飛び込んできた。初めて見る景色なのに、どこか懐かしさを覚えてしまうのは、日本人の血なのだろうか。

 振り返ると、境内が一目で見渡せた。神社以外には本当に松林が続くだけだ。もう少し移動すれば、さっき歩いてきた道や竹林も見えるのだろう。

「しっかし、こうしてみると結構高いなあ。友里はやめておくか、危ないし」

「ご冗談でしょう」

 友里は短くそれだけ言うと、ロープを掴んだ。

「友里、お前握力いくつ?」

「ふ、愚問ですね」

 いや意味分かんないから。早く答えろ。

「二捨三入すれば一五は堅いです」

「よし、やめておけ」

 虚弱貧弱脆弱! 勉強もいいけど体鍛えろよ! というか二捨三入ってお前! 二捨三入って! 二と一緒にそんなくだらないプライドも捨ててしまえ!

「ふ、浅はかですね。上辺の数字だけで判断するその様、実に滑稽です。力の掛け方、重心の移動、それらのものを完璧にこなせば――」

「…………」

「――っく、――っは! ううぅうう!」

 力の掛け方、重心の移動、その全てを完璧に間違う事で、数字以上のダメっぷりを披露した友里は、顔を真っ赤にして涙を浮かべていた。

「出来ないことの一つや二つあった方が可愛いと思うよ。でももう少し身体鍛えな?」

「…………」

 友里ごとロープを引き上げ、慰める。友里は涙目のままでむすっとしていた。

「そんじゃ探すか、お宝を」

「次の文は、青いネコが入口――ですね。これが萩原朔太郎の青猫でないとすると、他に考えられるのは毛並みの色でしょうか。濃い目の灰色……だとしても、もうとっくに土になってますよね」

 意外に怖いこと言うなあ。

「それじゃ無いから安心しろ。でもまあ、もうさすがに青く無いと思うけど」

 松林は意外に広く、地面が葉や枝、樹皮などで覆われていて、歩くとフカフカと浮き沈みした。入口とされているそれは、もうさすがに目印の役割を果たせていないと考えられるので、これはもしかしたら長期戦か?

「おっと!」

 なんて考えていたらありました、前方三〇メートル。

「え? あったんですか? どこです? え、いや、どこですか、指差されても分かりませんよ」

 視力は左右とも二以上、これも見つけ屋さんの必須スキルだぜ! うん、良い所は? って訊かれたら目って答えるしかありません七草です。

 何故だかちょっと悲しくなったけど、目標まで走った。フカフカして足を取られたが、松同士が間隔を空けているのでそこまで走りづらくは無かった。

「到着!」

「はあ、それで? なんですかこれ」

「ネコ」

「一輪車じゃないですか」

「イコール、ネコさ」

「意味がわかりません」

「このひっくり返した形がネコっぽいとか、鉄鉱石イコールネコ、それを運ぶからネコグルマ……で、略してネコ。狭い足場はキャットウォーク、そこを通るからネコグルマ……で、略してネコ。まあ由来は多々あるけど、一輪車の事をネコと呼びます。青いネコは青い一輪車の事だったんだね~」

 もうサビて塗装が剥がれて、全然青くはないけど。

「一体あなたはどこからそんな知識を仕入れてくるんですか」

「企業秘密」

「何が企業ですか。企業と言うのは一定の計画に従い継続的意図を持って経済活動を行う独立の――」

「細かい細かい! そんなことよりさあ、いよいよだよ」

「……そうですね」

 半分以上が埋まってしまっている一輪車を、ゆっくりと退かす。

「今度は何ですか、なんなんですかもう!」

 友里が喚き立てるのも無理はない。一輪車を退かすと、そこには短い鉄パイプが並べてあり、しっかりと固定されていたのだ。

「最後の文章」

「だれかに見つかっても、メガネを使ったからだれにも入れない――たしかに誰も入れませんよ!メガネって何ですか! 鉄パイプをメガネって呼ぶんですか!?」

「どうどう、落ち付けよ」

 友里を宥めながら、リュックをゴソゴソ。取り出したるは、なんか孔のあいた二〇センチくらいの鉄のヤツ!

「なんですか、それ」

「この文章で言うところの、メガネ」

 鉄パイプの事じゃなかったんですか、と友里。

「正式名称はなんだっけ、えーっと、ラチェットレンチ? だったかな。まあとにかく、ボルト・ナットの締付けに用いる工具です」

「なるほど、まあ形状を見ればそんなことは分かります」

 冷たい。

「しかし、なんで小学生がこんな変な略称や別称ばかり知っていたんでしょう?」

「それはほら、俺が理事長に訊いたことから分かってくると思うよ」

「七草さんが理事長に質問したことって、家の場所と……」

「親の職業ね。多分武雄さんの親は、建設業に携わってたんだ。器用な武雄、秘密基地造りで色々な道具を使いこなしていた武雄は、親の職業柄、そういうのには慣れてたんじゃないかな。ネコもトラもウマもメガネも、全部建設用語だ。ちなみに、さっきお前が言ったシャベルも、移植ごてって言うよ。まあこれは別に建設業だけじゃないけど。ちなみに、スコップが必要ないって分かったのは、このメガネを使ったって文章があったからね」

 ラチェットレンチでパイプを外していく。

「結構深いな……」

 パイプをすべて外すと、そこには人一人が辛うじて入れるくらいの孔があった。深さは三メートルくらいだろうか、下の方がどうなっているかは、暗くてよく分からない。

「下りるには――これしかないんだろうな」

 今回の昇降設備はトラロープではなく、手作り感溢れる木製梯子だ。結構しっかり造ってあるが、何年前のだっけ? さすがに怖いなあ。

「下りるしかないんだろうなあ――って友里? どうしたんだよ黙っちゃって」

「いえ、やっぱり、私は、七草さんには敵わないんだなって、そう、思っていただけです」

「拘るね、とことん」

「あなたみたいな人には分かりませんよ。私みたいな人間は、他より優れていなきゃ、ちゃんとしてなきゃ、いけないんです。居ちゃいけないんです」

「何馬鹿な事言ってんだよ。そんなこと、あるわけないだろ」

「…………」

 結局、俺なんかが言えるのって、こんなもん。こんなもんなんだ、実際。

「……それじゃ、俺、下りるから」

 腐食が進み、今にも壊れてしまいそうな梯子を、ゆっくり、ゆっくり、一段ずつ下りる。湿気が凄いな。梯子の釘も錆びてボロボロだ。これはやばいかもしれない。

 足が地面に届く。底に着いたようだ。地上に繋がっている部分以外は、胸の位置くらいの高さで、奥行きは五メートルくらい。この穴、小学生が一人で掘れるようなもんじゃないな、昔に造られた防空壕を偶然見つけたってところか。暗いけど、奥に見える箱が宝物だろうか。前屈みになって、奥へと進む――と、その前に。

「友里、危ないからお前は下りてくるなよ!」

 そう叫んだ――が、この時、もっと言い回しを考えるべきだった。彼女の性格から、はいわかりましたと素直に聞く訳が無いことくらい、容易に想像できたのに。

「そんなわけにはいきません! 私も理事長から依頼された身ですから!」

 友里は梯子に足を掛けると、一段、二段とテンポよく下り始めた。一七九センチもある男が使用しても大丈夫だったのだから、小柄で細身の友里なら余裕だと思われるが、力の掛け方、重心の移動、その二つが上手くできない友里の足は、いとも容易く、腐食が進んだ梯子の横木を踏み抜いた。

「っ――――きゃあああああああああああああ!!」

 ダンッ、と鈍い音が穴の中に響いた。俺がここで思ったことは、壊れた梯子の事でも、落ちた友里の無事でもない。

「やっぱり俺って主人公なんだなー」

「……他に言う事は無いんですか?」

 ないよ、今は自分を褒め称えたいね。やっぱりあそこで間に合うのがさ、キャッチしてしまうのがさ、主人公っていうか、なんて言うのかな、持ってるって言うかさ。

「あの、そろそろ私の腰から離れていただけますか? 助けていただいたことには感謝していますが、さすがに恥ずかしいという気持ちもあるので」

「そうですね、すいませ――」

 ぱらぱら――と、頭に何かが落ちてきた。なんだ……土? ――ってこれはっ!

「やばいっ――――」

 言うが早いか友里をそのまま奥へと放り投げた。次の瞬間――

「きゃああああああああああああああああ!!」

「うおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

 大きな振動とともに土砂が崩れてきて、友里の居た場所を、地上に唯一繋がる場所を塞いでしまったのだ。

 紙一重で逃げ切れず、右足が押しつぶされてしまった。そして背中にぶつかる土砂。身体がバラバラにされそうだ――!

 それでも、上体を倒すわけにはいかないぃぃいいいいいってえええええええ! 痛え! 身体割れる割れる! コレヤバいんじゃね俺! まじで!

 時間にしてみたら、もしかしたらほんの一瞬だったのかもしれない、しかし、それでも、あえてこう言わせてもらおう。やっと、土砂の動きが止まった。

 友里に手を引いてもらって(正直貧弱すぎて全然引っ張られている感覚がなかったけど)、どうにか足を引き抜いた。

 動くと土がぱらぱらとこぼれたが、友里の隣まで移動することが出来た。

「なんというか、あのね、よく使う言葉だけど、あれだわ、死ぬかと思った」

「ええ、本当に死ぬかと思いましたね」

 死ぬかと思った。右足が痛い、体中が痛いです、土圧すっげえ。半端じゃないわ土圧。

「あの、その…………すみませんでした、私のせいで、その……」

 靴を脱いで中の土を出していると、友里は涙をいっぱいに溜めて頭を下げてきた。普段

からあまり大きくない声はさらに小さく、今にも消え入りそうだ。

「気にすんなって」

 ここで、彼女の気持ちを軽くするような大人の台詞が出てこないのが、何とも情けない。

「枯葉や枝のクッションの表面が乾いてたから忘れてたけど、昨日雨が降ったばかりなんだもんな。少し緩くなってたみたいだ」

 しかし、友里が落ちた程度の衝撃で崩壊するとは。

 唯一の出入り口を塞いだ土砂を見つめて考える。はてさて、どうしたもんか。助けを呼ぼうにも携帯は圏外。珍しく充電はしてあるのに、これでは意味が無い。悠長に構えてもいられないし。

 こめかみに中指を当てて解決策を考えようとすると、狭い空間にズズッっという音が響いた。

「本当にすみません……本当に……」

 とうとう、泣きだしてしまった。体育座りをして、膝におでこを擦りつけて、すみませんを繰り返した。

 いつもの、勝気でクール気取ってる姿とかけ離れたそれに、少し驚いてしまう。しかし、こいつもまだ一五や一六の子供なんだ。こんなの当たり前だ。

「泣くなって、友里。そんでもって謝んなくてもいい。そんなやべえ状況じゃあねえよ。こんなのよくあることさ」

「こんなことが頻繁にあるんですか七草さんは」

 ズズッと鼻をすすりながら、顔を上げてくれた。

「よくあるよ、よくある。何回もあって、その全部が大丈夫だった。だから今回も大丈夫!」

 根拠なんてこれっぽっちもないその言葉に、友里はそれでも笑ってくれる。そうですね、と。

 俺は首にぶら下げた御守を友里に手渡して、リュックからシャベルを取りだした。

「それ、大事なものだから、汚さない様に持っておいて」

「あ、はい」

 友里が返事をしたのを聞いて、俺は土砂にシャベルを突き立てた。そしてひと掻き、ふた掻きと土を掻いていく。

「七草さん、まさか、掘りぬく気じゃないですよね」

「掘りぬく気さ」

 振り向くことなくそう答えた。

「そんなの無理ですよ。掘ったって、上からまた土が落ちてきます」

「そしたらまた掘る。そんだけだ」

 考えるまでもない、それしか手はない。それに、実を言うとそんなに余裕も無いからな。

 酸素欠乏症という言葉に聞き覚えがあるだろう。普通、空気中の酸素濃度は二一パーセント、これは小学校の授業でもやるから誰でも知っていると思うが、その酸素濃度が低く

なった時に何が起こるのか、それが酸素欠乏症だ。

 もしもこの空間に二一パーセントの酸素があったとして、それを全部使えるわけじゃない。一八パーセントから症状が見え始め、一六で吐き気や集中力の低下、一二でめまいや筋力の低下、一〇でチアノーゼや嘔吐、八で昏睡、六で痙攣、呼吸停止。これらの症状には個人差はあるが、まあ間違いなくただでは済まない。

 今のところ、眠気も軽いめまいもないが、この地下というのは酸素欠乏症が起こりやすい場所の代表格みたいな所だ。CO2などの空気より重いガスは下に溜まるものだし、土壌中や地下水に含まれる鉄分の酸化で空気中の酸素が奪われる場合もある。実際、さっき下りてきた梯子の釘は、錆びてボロボロになっていた。他にも好気性生物とかがあるけど、割愛。とにかくそんなに猶予はないってこと。目に見えない分、余計に焦る。

 しかし友里の言うとおり、掘っても掘っても土砂が雪崩れてくるだけで、一向に進まない。それでも、何度も何度も、土砂にシャベルを突き立てる。

「七草さん」

 不意に、友里が俺の名前を呼んだ。

「なんだ?」

「七草さんが、焦っている理由について口に出さないのは、私を心配させないためですか?」

 その言葉に、手が止まる。

 さすがに知ってるか。そりゃそうか。

「月見里理事長が仰ってました、君が七草くんに劣っているわけではない、と」

 ゆっくりとした口調に、耳を傾けながら、俺は再度掘り始める。

「七草くんは、優れていて、友里くんは勝れているのだと、そう仰いました」

「一緒じゃねーか」

 俺がそう言うと、友里もそうですね、と笑った。

「でも分かりましたよ、あなたを見ていて、月見里理事長の言いたいことが。私はただ、他に勝っているだけ。ただそれだけ。あなたは、人に優しく出来るくらい、優れている。いえ、違いますね。人に優しくするために、優れていようとあるのですね」

「…………」

「不思議ですよね、優って字は。人を心配することが出来るから、優しい、優しいから、優れている。私は自分の事ばかりです」

 友里は自嘲気味に笑うと、

「私は、両親がいません」

 どこを見るでもなく、ぽつりぽつりと話しだした。

「父親は私が生まれて間もない頃に、浮気して、離婚したそうです。母親は、私が幼稚園の時に、交通事故で亡くなりました。私を迎えにくる途中での事故だったそうです。親を亡くした私は、親戚の家をたらい回しにされました。施設に預けるのは世間体がどうとかって。でも、幼稚園児の時の私は、他の子より読み書きが出来ませんでした。言葉も遅れていました。他の子には出来て当たり前だったことが、私には出来ない。それが親戚の家をたらい回しにされた大きな理由です。母子家庭で、母親が毎日

遅くまで仕事に出ていて、家に一人で居ることが多かった私は、話すのも、書くのも、読むのも、人とのコミュニケーションも、他の子より大分遅れていたのです。だから私は勉強しました。自分の居場所を守るために。良い子でいれば、疎まれることはなかったし、人より優れていれば、邪魔に思われることはありませんでしたから」

 友里から感じた影の原因、彼女の優劣への拘り。それを知って俺は、何を思うのだろう。何を思っているのだろう。納得? 同情? いや違う――

「だから私は、いつも、自分の事ばかりです、自分勝手で、自分本位で、そんな私が――」

「違う!」

 そう、違う。

「お前は、違う、自分勝手なんかじゃない、自分本位なんかじゃない。クラス委員で、クラスの為に、誰よりも早く文化祭の準備を進めるお前は――真子に聞いた、誰もやらないクラスの花瓶の水替えを進んでやるお前は――理事長の思い出を、自分のことのように大切に思うお前は、自分勝手でも自分本位でも利己的でも自己中心的でも無い!! 辛いことを、苦しい事を知ってるからこそ、誰よりも他人に優しく出来る、素敵なやつだよ」

「…………はっ、な、何を、い、言ってるんですか? くだらない、本当に……」

 いつの間にか友里は、大粒の涙を零していた。しかしちゃんとした泣き方を知らないまま、大声で泣く事を知らないままここまで来た友里は、胸まで込み上げている大きな感情を、どうしたらいいか分からないでいた。

「本当に……くだら……な――」

「くだらなくなんてない、自分に嘘つくな、我慢するな、無理するな、頑張りすぎるな、傷つけるな、抑えるな」

 頭に、ポン、と手を置く。

「泣きたきゃ泣けよ、大声で。子供なんだから」

 堰を切ったように、糸が切れたように、友里は泣き崩れた。狭い空間に、子供の泣き声が満たされる。俺はそれ以上何も言わずに、ただただ、彼女が感情を出し切るのを待った。



 また静けさを取り戻した空間に、ザク、ザクという音が、一定のリズムで刻まれていた。一体あれからどれくらい経っただろう。友里が泣きやんでから、俺は掘る場所を変えた。もともと穴が開いていた場所ではなく、地山、誰も手を加えていない自然のままの地盤を掘り進めていた。赤みがかっていて粘着性の強い土質は、掘りやすく、それでいて崩れにくかった。

 しかし、人間がシャベル一本で、しかも上向きに、三メートル以上掘るというのは、まさに気が遠くなるようなもので、何度このシャベルを離してしまおうかと考えたか分からない。それでもまだこうしてひたすらに上を目指すのは、生きたいと思っているからなのだろう。

「七草さんは、なぜ、見つけ屋という仕事をしているのですか」

 唐突な質問。友里の、泣きやんでから初めての言葉だった。

「お前が今持ってる御守」

「え?」

「いや、順番に話すか」

「はあ、まあ、そうして頂けると助かります」

 ですよね。

「おれさ」

「ええ」

「俺さ、一回死んでるんだよね」

「……………………はあ?」

 うん、納得のはあ? だった。ですよね。そうですよね。大丈夫、今のはアレだから、話に引き込むためのテクニックだから。ちゃんとしっかり話しますよ。

「俺昔っからさ、物を見つけるのが得意だったんだ。なんというか、簡単に言うと勘が良かったんだよね、自分で言うのも何だけど。お気に入りの文房具でも、ゲームソフトでも、ペットでも、何でも見つけたよ。それでさ、探し物を見つけてあげるとさ、相手はみんな笑顔になるんだよね。それが嬉しくってさ」

 単純だよな、って笑うと、友里も、そうかもしれませんね、と笑った。

「まあ趣味みたいなもんでさ、小学校からずっと、そんなボランティアみたいな事を続けてたんだわ。高校でも、よく授業抜けだしたりしてさ、毎日毎日。そんなある日、あの、まあ、なんというかその、死んじゃったんだわ、俺」

「…………もしかして、馬鹿にされてます? 私」

 そう怒るなよ、話はまだ途中だぜ?

「不忘山の不帰のかえらずのたきって所で死んじゃって、本当に帰らぬ人になっちゃったよ洒落になんねーって思ったんだけど、でもあれ? って。なんで俺思考出来てんだろみたいな。気付いたら真っ白で何にも無いだだっ広い空間にポツンと立ってることに気がついたんだ。なんだこれって思う暇も無く、目の前に物凄い綺麗な女の人が現れて、馬鹿って言われたんだ。俺なんにも言い返せなかったよ、確かにそうだなって」

「認めてしまうんですか」

 いやまあしょうがないよね。

「でも彼女はふっと笑って、しかし、好きな馬鹿だ、と言ったんだ。そして、続けてこう言った。今、この里から笑顔が減っている、忌々しき事態だ。お前、私と取引をしないか? 他人の世話焼きをして間抜けに死んでしまった馬鹿なお前を生き返らせてやる。そのかわり、里に笑顔を増やしておくれ――ってさ」

「微妙に口が悪いですねその人」

 たしかに。いやでもお前が言うかそれ。

「それで、取引したんですか?」

「断る理由が無かったからね。でも俺言ったんだ、そんな大層な事出来ませんよって。そしたら、構わん、今まで通り過ごしてもらえばいい。お前は今まで、沢山の笑顔をつくってきた。取引と言ったが、これは正直、お礼の様なものだよ。里からのお礼」

「里からの……お礼?」

「そう、俺もそこが気になった。訊いたよ、あんた一体誰なんだ? 彼女は少し驚いた様な顔をして、なんだ、まだ分からないのか? なんて言いやがった。分かるわけないだろっての。な?」

「それで、なんて答えたんです? その人は」

「神様だって」

「神様ですか」

 そう、神様。

「美霧の里を預かっている、青麻だ。生まれてまだ二七年、不慣れなことが多くてな。お前の力が借りたい。私が願うのはただ、里の者たちの笑顔だけだ。ただそれだけ」

「美霧の里って、黒岩市、大蔵市、芝田市の旧称ですよね。……その神様ですか」

「ああ、それで最後に、今回は初回特典だ――ってくれたのが、その御守ってわけ」

「初回特典ですか……」

 首からぶら下げた御守をつまんで、ジト目を細める友里。

「そんで気が付いたら、滝の近くの岩場で寝ころんでて、身体には傷一つなくて、何故か髪が灰色になっていたというわけ」

「それその時になったんですか!?」

「そうなのだ」

「そうだったんですか」

「まあそのあと色々あったんだけど、きっかけって言ったらこれだね。いや、まあ胡散臭い話だからな、信じなくていいよ? 今まで何人かに話したけど、ほとんど信じてもらったことないし」

「……いえ、信じます」

「いやいや、別に無理しなくても。俺自身ぶっちゃけ半信半疑って感じだし――」

「私、信じますよ」

「……………………そっか」



「ありがとう、七草くん、司馬君。本当に、ありがとう」

 今にも泣き出しそうな顔をして、感謝の言葉を重ねる理事長。この瞬間、どんな苦労も報われる気がするよほんと。友里と目が合うと、幸せそうにその目を細めた。

「これで今週末、友人とのお別れに持っていけますね」

「ああ、本当にありがとう、長いお別れになるからね、どうしても間に合わせたかった。重ねてお礼を言わせてもらうよ」

「そんな……喜んでいただければ俺はそれで満足です。なあ、友里」

「ええ、御学友との最後のお別れに、是非持って行ってあげてください」

 ――この時、理事長室の空気が一瞬固まったような、そんな違和感を、俺は確かに憶えた。気のせいか? いや、それにしてははっきりしすぎていた。自然、ごく自然な今の会話の流れで、何故? その理由は、次の理事長の言葉ではっきりすることになる。

「……? いやだな司馬君、最後だなんて大げさな。確かにアルゼンチンは遠いけど、もう会えないわけじゃないよ」

 …………これがオチ? おいおいおいおいまじか、まじかおいまじか、本当に? こんな古い感じのオチなの? いやいや、意識をしっかりと保て七草。こんなオチなわけないだろう。聞き間違いだって、絶対。な? もう一回、聞いてごらん? 確認してごらん? そこにはきっと予想だにしなかった素敵なオチが待って――

「確かにアルゼンチンは遠いけど、もう会えないわけじゃないよ」

「アルゼンチンンンンンンンンンンンンンン!! チクショウやっぱアルゼンチンだった! アルゼンチンオチだった!」

「七草さん、何をいきなり発狂しているんですか!? オチってなんですか? 何を訳の分からないことを言っているんですか? いやでも理事長、あの、アルゼンチンと言うのは……?」

「あれ、言ってなかったかな。武雄が今週末に旅立つ国の名前だよ。知ってるだろう、アルゼンチン」

「知ってるよ! アルゼンチンは知ってるよ! 世界で八番の領土面積を擁するアルゼンチン共和国は知ってんだよおおおおおお!!」

「な、七草くん!? 一体どうしたんだい!?」

「あの、理事長、確認させて頂きたいことがあるんですけど」

「む、司馬君、なんだね?」

「この宝物の在処を示した文章と地図は、どこから出てきたんですか」

「武雄の部屋だった所からだね。引っ越しを済ませた部屋の屋根裏から出てきたそうだ」

「最初っからそう言ってくださいよ!」「最初っからそう言え!!」

 紛らわしい言い方しやがってこのアホ理事長が。しかし、まじで? まじでこんなオチかよ。危ない目にまであってこれ? そりゃないぜリア。

「七草さん、そのギャグはさすがに無いと思いますよ。というかナイジェリアですから」

「いやいや、アルゼンチンが出てきたからさ、俺もワールドワイドなギャグを展開していこうと思ってって心を読むな――――あれ?」

 友里、今お前……

「それに、良かったじゃないですか。悲しいお話じゃなくて。今、ここにあるのは笑顔だけですよ? 神様の望んだとおりに」

 いたずらっぽく笑う友里に、思わずドキッとしてしまう。

「司馬君、何か掴んだようだね」

 そしてあんたはなんでそんな老師ポジションでしゃべってんだおい。

「はい、理事長は初めからこうなることが分かっていらっしゃったんですか?」

「いや、まさか」

 そうだそうだ、その人にそんな先見の明があるわけないだろう。

「……ただね、彼なら、君に素敵な月を見せてくれると思ったのさ」

「なんか格好良い事言いだしたぞこの人」

「七草さん茶々入れない」

「山が無く、月がとても美しく見れる里。月美里でやまなしと読むのが私の苗字だ。私は理事長として、この学園の生徒が綺麗な月を見れるように、邪魔な山を無くしてあげたいんだよ――なんて、全部親父の受け売りだけどね。だけど僕は理事長として何分力不足だからね、七草くんに協力を頼んだのさ」

「後付けくさいなー」

「こら、人がせっかく格好良く決めたというのに!」

「――っく、ぷっ、あはははははははははは!」

 初めて聞く友里の笑い声は、三人しかいない理事長室に大きく響き渡った。

 しかし月か……ちょっとびっくりしたよ。昨日どこかで見られてたんじゃないかって。

 昨日、地上に出てこれたのは、草木も眠る――ではないけれど、真夜中になってからだった。真っ暗な松林は怖いという言葉では表現しきれないほどの恐怖を二人に与え、生還の感慨に浸ることなく、俺たちは全力疾走という行動を余儀なくされた。

 闇の中、松の木を避けて避けてやっと見えた小さな光に、俺は間一髪で冷静さを取り戻した。

 ――崖!

 四メートルの石垣が、この松林の終点。走りぬけた友里の身体が宙に舞った。俺は既のところで踏みとどまり、友里の身体を掴み、抱き寄せることに成功した。本日二度目の間一髪である。目を閉じて呼吸を整える。しかし、心臓の高鳴りはまったく治まる気配がない。今日で一体どれくらい寿命が縮まったんだろうか。

 ――あ、という、吐息のような友里の声に瞼を開く。そこに待っていたのは、降り注ぐような満天の星空と、大きな大きな望月だった。何度も見たことがあるような、生まれて初めて見るような、瞳を、心をつかんで離さないその景色を、俺たちはしばらくそこに立って、ただただじっと眺めていた。

 「おにいちゃーん!」

 はいプチ回想シーンぶち壊し!理事長室のドアが勢いよく開かれ、真子が飛び込んできた。

「おい真子お前、ここがどこだか分かってんの!? 理事長室だよ理事長室! 仮にもこの学校で一番偉い人の部屋なんだよ!? 分かってる!?」

「ははは、いや七草くん、仮にもって酷いなあ」

「そんなことはどうでもいいの! 最近お兄ちゃん学校にちょくちょく来てたみたいだけど、何故か私だけ遭遇してない。これは何故!? ホワイ!?」

「こんな感じで騒がしくなると思ったからだよ! ちくしょう、一体誰が真子に情報を流したんだ――!?」

「当然俺です!」

「暖人!?」

「私も居ますよ七草さん!」

 杏子まで!? なんでお前らが……? 本日五月四日はみどりの日で休みのはずでは?

「俺はライブが近いんで練習です」

「私も普通に部活です」

「そこにお兄ちゃんがいるから!」

「じゃあ練習行け部活行けお前は帰れ!!」

 はあ、結局最後はこれですか。

「まったく、本当にあそこの住人は騒がしいですね……ふふっ」

 ……でもまあ、案外悪くも無いのかな? ねえ、神様?





評価シートが欲しいってだけで、頭の中に居たキャラクターたちに動きまわってみてもらいましたが、小説の書き方なんか知らないから悪戦苦闘しました本当に。

こうしてひとつ完成させてみると、どいつもこいつも可愛く見えてきて、この物語をもっと続けてあげたいなぁなんて考えてしまいます。

いやでもまあ、とりあえずはここまで。

でもいつか必ず。


みたいな感じで。

 

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