4/5 女子高生と日本刀
女子高生と日本刀
祝日というものがある。歴史的な出来事があったり、何かでっかい事をやらかした人を称えた日のことで、その日は基本的にお休みという事になっている。所謂国民の休日というやつだ。
そしてさらにさらに、それが日曜日に当てはまってしまった場合には、次の日を、つまりは月曜日を、そう月曜日を、現役バリバリの平日であるところの月曜日を、振り替え休日と称して、休みにしてしまう。そんな制度もあるのだ。どんだけ休みたいんだよ! と言いたくもなるけれど、歴史的な出来事や、何かでっかい事をやらかした人を祝う日だと言われたら、日を改めて祝うのもやぶさかじゃない優しい七草さんである。
さあ、盛大に祝ってやろうじゃないか!
「あ、ナナさん、そこの右下の所に宝箱ありますよ」
「まじか。二四番目だな。何が入ってるんだっけ?」
「たしか、夏の思い出だったと思いますよ」
「宝箱に夏の思い出を詰め込むって、このゲームの制作者、なかなかシュールなギャグをかましてくるな」
「これ子供には伝わらないでしょうね」
「子供向けの番組で洋楽のパロディしてたのもあったし」
「ありましたね、今見ると凄い面白いですよあれ」
「お前もアレの面白さが分かる歳になったのか」
時刻は正午、場所は暖人の部屋。やっているのはレトロなゲームである。
「そういや今日はなんで休みなんでしたっけ。みどりの日?」
「昭和の日だ」
「昭和の日ですか。平成なのに?」
「昭和の日ってのは、昭和天皇の誕生日だよ。ちなみに平成の日ってのはないけど、十二月二三日の天皇誕生日というのが、平成天皇の誕生日だ。未来的には平成の日も出来るかもしれないな」
「なるほど。そうなると、今日この日のお休みは、昭和天皇の誕生をお祝いしなくてはいけないってわけですか」
画面から目をそらさずに、コントローラーを操作する手を休めずに言葉を紡ぐ暖人。
「いや、昭和の時代を顧みて、国の将来を考えろって日だった気がする」
たしか。
「そうなんですか。ナナさんやっぱ博識っすね」
「そうだろそうだろ、もっと褒めろ」
「ところで博識なナナさん、その昭和の日に僕らはなにをやっているんでしょうかね」
「……ゲームです」
本当にすみませんでした。
「しかしだな暖人、俺もただこうやってゲームしてるわけじゃない。古いゲームをやって、昭和を顧みて――」
「このゲームソフトが発売されたのは一九九六年で、完全に平成ですからね」
なんかもう本当にすみませんでした。
しかし、すべての国民が祝日の度に、その祝日の意味に則した行動をとっているわけではないと思うのだ。
例えば体育の日に全ての国民がスポーツで汗を流すわけでもないし、秋分の日に全ての国民が先祖を敬い、亡くなった人を偲んでいるわけでもない。
だから俺が今こうしてゲームしていることだって、世間的に見れば普通なはずだ。
「しかしそんなものは、赤信号、みんなで渡れば怖くないってのと同じ考え方ですよね」
痛い所を突いてくる高校三年生だ。というか心を読むな。
「というかお前だって一緒にゲームやってんじゃねーかよ」
「俺は良いんです」
そうなのか、それなら仕方が無い。
「それなら一体、俺はどうすればいいのかね。今日は依頼も無いし、遊びに行く予定もない。恐ろしく暇な日だぞ」
「行動力のある真子ちゃんと杏子ちゃんはクラスの子達と遊びに行ってますしね」
「まったく、これだから男はいかんのだ」
「激しく同意です」
とまあここまでが、今日が暇だという確認と、朝からダラダラゲームをしている言い訳である。
考えてみると、暇なときはこの男といるのが多い気がする。
小夜暖人とは、もう二年の付き合いになる。彼がこのアパートに引っ越してきたのは、彼が入学してから二週間が過ぎたあたりのことだった。
友達と朝まで騒いで、前のアパートを追い出されたとのことだった。
正直に言って、第一印象は悪かった。前のアパートを追い出されたエピソードもそうだが、ダラダラした服装、チャラチャラした言葉遣い、明るい髪色。何より目つきが気に入らなかった。
冷めきっていた。いや、温度の無い、目つき。
「ういーっす」
「イチ、お前空気読めよ。今、生意気にも主要キャラの一人である暖人の回想シーンに入る所だったんだぞ」
そんなの知らねえよ、と部屋にずかずか上がり込んできたのは次郎坊一学。このアパートの二〇一号室に住む引き籠りである。年齢は俺と同じ二二歳。あれ、こいつ何月生まれだっけ? えっと――――まあいいか、二二歳か二三歳である。
「というかナナさん、なんで俺の回想に入ろうとしてたんですか!?」
しまった、本人の知らない所でこっそり行おうとしていたのに、口に出してしまった。
「いや、今日は暇だし、特筆することも無いから時間つぶしに」
なんというか、間を繋ぐ為にといいますか。
「そんな理由で人の過去を晒さないでくださいよ!」
「大丈夫だって、ちゃんとドラマチックに脚色してやるつもりだったから。地味で詰まらないお前の過去も、俺の手にかかれば銀幕だって夢じゃないほどの壮大なストーリーに生まれ変わる」
「人の過去をどれだけ酷く言うんだあんたは!?」
「お、何コレ、懐かしいゲームやってんじゃん」
「イチさんもいきなり流れぶった切んないでくださいよ!」
自由すぎるだろあんた達、と暖人はコントローラー(2P)を床に叩きつけた。
本体と繋がれているコードが伸び切らないようなるべく近くで、優しく、音も出ないような勢いで叩きつけた。
「暖人お前……」
「だってセーブデータが消えちゃったら嫌だなって思ってしまったんですもん! すいませんでしたね感情的になれないかっこ悪い男で!」
そこまで言ってないよ。気持ちは分かるよ。
暖人の肩に優しく手を置いて慰める。イチは叩きつけられた(?)コントローラーを手に取ると、子供の様な笑顔を見せた。
「しかしこれ本当に懐かしいな、高校の時やったよな」
「ああ」
「夏の暑い日にやったっけな」
「クーラーガンガンに効かせてな」
「お前片っ端からアイテム取って行ったよな」
「一つたりともお前には渡さなかった」
「それで喧嘩になって、掴み合いをした拍子にゲームを蹴りあげったけな」
「データ吹っ飛んだよな」
「今どこにあるんだろう、前に探したけど見つからなかったんだよな」
「これだけど?」
「借りパクかよ!!!」
まっこと良い反応である。
「小学生みたいな事してんじゃねえよ!」
「失礼な、あの時俺は立派に高校生してたよ」
高校三年生してたよ。
「よかったっすねイチさん、夏の思い出が見つかって」
「いやこれ見つかったのって夏の思い出っていうより、ゲームソフトと過去の盗難事件じゃね?」
「見つけ屋七草に見つけられないものはないぜ!」
「……ああ、そのようだな」
イチはソフトの裏側に書いてある名前を確認すると、力の抜けた表情で頷いた。
また一つ、見つけてしまったか。まったく、自分の才能が恐ろしいぜ。依頼料? いいって別に。その顔が見れただけで俺は満足さ。
「ナナさん、今回は心の中読めませんでしたけど、その顔はなんかもう、色々違うと思いますよ」
呆れたような顔で凡人がなにか呟いていたようだが、何を言っているのか分からなかった。
「そういえば、イチお前、最近見かけなかったけど、何してたんだ?」
いつも三日に一度、真子が引っ越してきてからは毎日、晩飯を食べに来ていたのに。
「ああ、山籠りしてた」
ああ、山籠りしてたか。
「ってなんだそれ!? 山籠り? 意味わかんねーよ!!」
「イチさん別にアスリートでも修行者でもなんでもないじゃないですか、ただの引き籠りじゃないですか、なんで山籠りなんですか」
全くだ。こいつはただの引き籠りだ。管理人とは名ばかりの俺の業務を代わりに全て引き受けてくれているとても優しい引き籠りだ。そんなお前がなんで?
「山籠りって、ある意味最強の引き籠りじゃん? だから、俺にぴったりかなって」
こいつバカだ。
「だってさ、完全にアウトドアなのに、響きはインドアってなんか格好良くね?」
「よくね―な」
「良くないっすね」
主にお前の頭とセンスが良くないな。
「実際格好良いものじゃなかったわ。なんかこう、魚とか茸とか食べて生きていけるかなって思ってたけど、魚は獲れないし、茸はどれ食えるか分からなかったよ」
どんだけ考えなしで行ったんだよコイツ。
「え、じゃあ一体なに食べてたんですか?」
「蛙」
…………蛙かあ。
「そんなに引くなよ、蛙いいぜ、素人でも調理出来るし、何より他の動物と違って騒がないから」
それは、確かに良いかもしれない。鶏とか自分で絞められないもん。叫び声みたいなの上げられたら手を離してしまいそうだもん。
「蛙って実際はどうなんですかね、味の方は。よく鶏肉に似た味とかって聞きますけど」
「ああ、あれ本当。そんなに美味しくは無いけどな。すごく似てるわけではないけど、何に似てるかって言われたら、鶏肉かなって感じ。あ、それと魚っぽい感じもしないでもなかったような……」
分かるような分からんような感想だ。
「まあ調味料とかも持って行ってないし」
「本格的ですね」
「忘れたんだよ」
バカだこいつ。というかコイツ、三日前から来てないけど、その間ずっとサバイバル、いや山籠りをしていたんじゃないだろうな。
「してたけど?」
してたか。
「なんというか、あの自分を追いつめてる感が何とも言えなくてな、本当ならもっと籠っていたかった所だ」
なんでこいつ引き籠りしてんだろ。そのストイックさをもっと社会の為に使おうとは思わないのだろうか。思わないのだろうけど。
「ん? もっと籠っていたかったなら、そうすればいいじゃないか」
引き籠りの無職であるお前を縛るものなど、おのれ自身の感情以外何もないだろうに。
「ナナさん何気に酷い事思ってません?」
「オモッテナイヨ」
「ああ、そうだったそうだった。お前に依頼のメールが来てたからさ、わざわざこうやって下山してきたんだよ」
この次郎坊一学という引き籠り、アパートの管理業務だけではなく、見つけ屋のホームページの管理、メールでの依頼の受け付け業務も行っているのだ。手際も良く、気配りもできるので、随分と助けられている。
しかし、メールでの依頼があったのなら、俺に電話かメールで連絡すればいいだけではないのだろうか。
「そう思うんなら携帯電話の充電くらいしておいてほしいもんだ」
「…………テヘッ」
人間忘れることくらいある。たまにこういうミスをするくらい許してほしいものだ。
「たまにじゃないじゃないですかナナさんは」
「…………」
反省します。
「いやまあ、今回の依頼に関しては、メールや電話でってわけにもいかなかったからな。どっちにしろ下山はしてたよ」
「大きな依頼か? 珍しいな」
珍しいな。本当に珍しいな。
「大きな依頼っていうか、少しやばい依頼だな」
「やばい?」
語尾を上げた俺に、イチはスマートフォンを手渡す。暖人と一緒に覗きこむ画面には、切れ味抜群の単語が刻まれていた。
「日本刀ですか……」
「ああ、それも女子高生の依頼だぜ」
「盗まれた日本刀を探してほしい――か」
依頼の内容は、祖父の形見である日本刀が盗まれた。それを見つけてほしいというものだった。
「確かに、やばめの依頼だな」
「だろ?」
「日本刀を所持してるなんて、この女子高生、なんかやばい人なんですかね? 普通に銃刀法違反なんじゃないですか?」
だって日本刀ですよ? と暖人は緊張した声で言った。
「そうとは言い切れないんだよ、というか別段そんなことはないんだよ。勘違いしている人って凄く多いんだけど、日本刀の所持って、そんなに難しい事じゃないんだ。普通に販売されてる日本刀には、銃砲刀剣類登録証という用紙が貼ってあるんだが、それが貼ってあるってだけで、つまりは日本刀を所持する許可を受けたことになる。もしもその登録証が貼ってない刀剣があったとしても、教育委員会に申請すれば簡単に許可をもらえるものなんだ。葉書一枚でもらえるくらいにな」
正しくは日本刀所持の許可ではなく、日本刀の登録かな。それに発見届けの場合は管轄は警察だったっけ。
「そうなんですか……でもそれって恐くないですか? あんな凶器を簡単に所持出来るなんて」
「そうだな」
「でも、じゃあ何がやばいんですか? 普通の盗難事件じゃないですか」
盗まれたものは確かに日本刀という危ないものだけど、単なる探し物じゃないですか、と暖人。
「お前の言う通り、単なる盗難事件だから、やばいんだよ」
イチの言葉にますます首を傾げる暖人。
「単なる盗難事件で、何故うちに依頼がきたか――という事を考えてみてくれ」
「何故……?」
盗難事件――もしそうなら普通、警察を頼る。信頼も、操作能力も高いし、金だって掛からない。それでは何故?
「そりゃあ、外に情報を漏らしたくないってことだろうな当然」
「ああ、なるほど――じゃあなんでばれたらやばいんですかね、依頼主は盗まれた側じゃ
ないですか」
「まあ、考えられるのはいくつかあるよ。その日本刀に登録証が貼っていなかった。登録証は貼っていたけど、依頼主が日本刀の所持に関する知識が浅かった――これらの理由なら、警察には言えない。もしくは言えないと勘違いしてしまうよな」
「たしかにそうですね」
暖人は、手のひらに拳をうつという、典型的な理解のポーズをとった。
「だけどまあ、これらの理由は違うだろう」
しかしそのポーズはイチのこの一言であっさりと崩される。
「違うって、なんでです? この理由、正しい様に思えますけど」
「そうだな、一見正しい様に思えるけど、これが祖父の形見って所でそれは否定されるんだ」
そういうことだ。イチの言葉を繋いで説明する。
「この日本刀の元の所持者である依頼主の祖父、彼が亡くなった際、日本刀という美術品の相続には、申請が必要なんだ。価格評価とかもしなくちゃいけないからな。まあその辺の細かい所は省くけど、その際に必ず登録証は交付されているだろうし、その事実だって確認しているはずだ」
「はあ、だからその可能性は無いわけですね」
納得納得、と首を2回程振った所で、暖人は動きを止めてこちらに視線を持ってくる。
「じゃあ、なんでなんですか? その心配が無いなら本当に警察でしょう。見つけ屋なんて意味のわからない胡散臭い灰色の髪した男に頼む理由なんてないじゃないですか」
言いすぎだ、泣くぞ。
「それじゃないなら別なんだろ」
「イチさん、分かってるならもったいぶらないで教えてくださいよ。話がさっぱり進まないんで」
「考えてみろよ、周りに言えない理由。結構簡単に思いつくはずだぜ」
「と言われましてもね、恥ずかしながらまったく――って、あ」
気付いた様だ。
「恥ずかしい……か」
ご名刀、じゃなかった、ご名答か。
「恥ずかしい理由は? 盗難は恥じゃないだろ?」
「盗まれるのは恥じゃないけど、盗むのは恥でしょう」
「その心は?」
「身内の恥ってことです。盗んだのは依頼主の家族」
良い回答だ。
「ふむ、なかなか頭回るようになってきたな暖人。だけどどうだろう、もう少し先が、奥があるとは思わないか?」
「奥ですか? うーん…………申し訳ない、さっぱりです」
お手上げ、というように両手を上げてはにかむ。そんなポーズも様になるからイケメンってのは得だな――っと、そんなのはどうでもいい。
「依頼主が女子高生なのは、なぜだ?」
「――――あっ」
「この依頼、さっきのお前の考えが正しければ、うちに依頼が来るのもわかる。だけど、それでも依頼主が女子高生というのはおかしい、おかしいからこそわかる。犯人、特定できる、日本刀を盗んだ人物」
「……誰だ?」
「あ、イチさんもそこまで分かってたわけじゃないんですね」
「その娘の彼氏だろう」
「なるほど!」
「なるほどなー」
まあ、あくまで仮定だけど、と付け加えておく。
「女子高生にとっては、彼氏も身内、ですもんね。ナナさん本当に凄いですね、こういうことだけは」
「ああ、本当に感心するよ、こういうことだけは」
なんでちょっと貶すんだよ。素直に褒めろよ。
「多分、この娘の家族は、日本刀を盗まれたことにも気付いてないんじゃないかな。というかこの娘がその事実を隠している――ってところかね」
「ふむ、やばいな」
「ええ、やばいっすね」
「な、やばいよな」
「…………」
「…………」
「…………」
沈黙。
なんというか、口に出して整理してみると、思った以上にやばそうだった。というかさっきから何回やばいって言葉を使っているのだろうか。やばいくらいやばいって言ってると思うマジやばい。
「日本刀を盗む目的って、何があると思う? イチからどーぞ」
「えっ――――そりゃ日本刀は美術品だからな、自分のものにしてじっくり鑑賞したいとか」
「ふむふむ、それじゃ暖人は?」
「えーっと、日本刀って高価なものですからね、売ってお金にするとか」
「ふむふむ、なるほどな」
でもさ。
「でも今回は絶対違うよな、日本刀って美術品である前に、価値のあるものである前に、凶器だもんな! 現実から目を逸らさずに言ってみようぜ! これ殺傷事件の可能性があるって!」
物凄く濃厚だよ、その線が物凄く濃厚だよ!
「そうですね、考えたくないですけど、その可能性から目をそらしたいですけど、女子高生の彼氏が盗んだって時点でもう」
仮説ですけどね、と言う暖人の言葉には、そうであってくれという願いのようなものが多分に含まれているように感られた。
「ここに居たって仮定でしか話は進まない。七草、どうする?」
どうするもなにも。
「会って話を聞かないとな。一刻を争う事態かもしれんし。イチ、車出してくれ」
「ちょっと待ってナナさん、俺は? 仲間はずれってことはないよね?」
暖人が腕を掴んで顔を覗き込んでくる。
「高校生をこんなことに巻き込めるかよ――って格好よく言いたいとこなんだけど、すまないがお前の顔の広さを利用させてもらいたい」
普通ならお前には関係ない! とか言うんだろうけど、今回のような探し物の場合、こいつは本当に役に立つ。
「頼むぜ、情報聞き出したら連絡するからな」
「了解!」
駐車場からクラクションとイチの呼ぶ声が聞こえる。急いで玄関に行き、ドアノブに手をかけたところで気がついた。
「暖人、俺服どこに脱いだっけ?」
「おせえんだよ!」
「すまん、しかし春から残暑にかけての室内ファッションは下着と決めてあるもんでな」
助手席に乗り込み、シートべルトをしながら言い訳する。いやこれ言い訳になってるか?
「言い訳にもなってねーよ」
なってなかったらしい。
「そうは言うけど、服なんて本来必要ないものだよ。人目とか外気から身を守るために仕方なく纏ってるだけだからね。だから室内にいるときはいらないんだよ、こんなもの。リラックスできないじゃん」
「お前の部屋ならいくらでもその理屈を通してもらって構わないけど、あそこ暖人の部屋だからね?」
「あいつの部屋は俺の部屋だ」
「どこのガキ大将!? というかガキ大将よりタチ悪いよ!」
そんなに褒めるなよ。
「そういや待ち合わせ場所はどこになった?」
「いきなり話変えるなお前、まあいいけど。小芝市と黒岩市の境らへんの公園」
「あの、駅近いところ?」
「いや、そこの川挟んだ反対側。スーパーあるとこ」
あそこか。
「しかし七草、なんでわざわざ待ち合わせ場所を家ではない場所にしたんだ?」
「色々あってな、あとで話す」
そうか、と深くは突っ込んでこないイチ。信頼されたものである。それもそうか、この男ともかれこれ五年の付き合いになるのだから。
「結構経ったんだな」
「何がだ?」
「いや、色々さ」
「また色々かよ」
「ああ」
イチがアクセルを踏むと、窓の外の景色が一斉に早送りされたように流れた。道も混雑していないし、目的地まで二〇分程度で着くだろう。
依頼主から聞いた住所からだと、多分徒歩でも一〇分掛からず着くはずなので、先にいることが予測される。
「どんな娘かね」
「ん、依頼主か」
シートにからだを埋めながら頷く。あ、コンビニだ。腹減ったなあ、そういや朝から何にも食べてないや。
「どんな娘――か。しかし七草、今回みたいな場合、依頼人はあんまり関係ない様に思えるのだが?」
「本当にコンビニ増えたよな。ガキの頃とかこんなになかったよな、コンビニ」
「お前本当にいきなり話変えすぎだろ! もう普通に返事するのもあほらしく思えてくるわ!」
肩のあたりを鷲掴みで揺さぶられる。あわわわわ、世界が振動する。というか運転に集中してくれ。お前は決して運転が上手な方ではないんだから。
「だってさ、小さい頃はお菓子買う所なんてそんななかったじゃん。深夜まで明るい店なんてなかったじゃん」
「あくまでコンビニの話を推し進めるのなお前。いや別に良いんだけどさ。というかコンビニは普通にあったろ。前から、ガキの頃からさ」
「うわ来たよコレ都会自慢だよ。どうせ俺のところなんて温泉やスキーがあって、梨などの農業が盛んなだけの町だよ! というかそうだよ町だよ! お前のところみたいに市ですらねえよ! 総人口一万二千人だよなめんなよコラァ!」
今も減っていってるよ。
「別に都会自慢とかじゃねえよ! 俺のところも都会じゃねえし――っていうかお前なに最初の方さりげなく地元アピールしてんだよ!」
「ハハハッ」
秋には紅葉狩りに果物狩り、冬には温泉スキー場、一度は来てみて大蔵町。
「いや、コンビニが増えた代わりに駄菓子屋がなくなっちゃっただろ? 俺は思うわけよ。子供が少ないお小遣いをもってさ、駄菓子屋で一生懸命考える。これが大事だと思うわけ。あそこでお金の使い方を覚えていくんじゃないのかな。金銭感覚って奴を養っていくんじゃないのかなねえどう思う一学さん!?」
「心の底からどうでもいいわ。心の底からどうでもいいわ」
「二回も言う事無くないか?」
「二回言いたくもなるわ。俺の話は聞かないし、会話の流れもぶった切って、挙句内容が駄菓子屋!? 心の底からどうでもいいわ!」
三回も言うなよ。あとアレだな、今思ったんだけど、心の底ってなんか素敵な表現だな。
「イチ、俺は駄菓子屋の話をしたわけではないぞ。今の子供が金銭感覚を養う場所を失ったという事と、あの駄菓子屋にあった金額書いてあるタイプの当たり付きお菓子って物凄くワクワクしたよなって話をしたんだよ」
「駄菓子屋の話じゃねえか!」
「そうだな」
「お前なあ……」
「おい、そこ曲れ。着いたぞ」
二〇分なんて本当にあっという間である。公園の横に停車し、公園内を見渡す。あっという間って、わずかの間とかって意味の言葉だけど、あっと言う間って表現は凄いと思う。結構頻繁に使ってしまうけれど、文字の通りの意味で捉えるなら、そうそう使いどころのない言葉である。〝あ〟って言う間ってどんだけ短いんだよ。瞬く間も同様のことが言える。瞬く間という言葉も、ごく短い間を指すものだが、実際、あって言うのと、瞬きをするのとではどちらが短いのだろうか。なんとなく、あっという間より瞬く間の方が、言葉の響き的に短い様に感じられてしまうが、考えてみると、あっと発音する方わずかに短いような気が――ベンチの前に少女を見つけた。
「どうも、大宮愛華さんですね?」
車から降りて声をかけると、小声で、はい、と言って頭を下げた。その際の上目遣いは、なにか値踏みをされているように感じてしまう。まあ単純に灰色の髪が珍しく、目がいってしまったのだろうけど。
「依頼を受けた七草です。早速ですが仕事の話に移らせてもらいます。依頼の内容は、あなたの祖父の形見である日本刀を見つけてほしい。これであってますか?」
「……はい」
すうっと、返事の前に小さな深呼吸をする大宮愛華。
「いくつか確認しておきたいことがあります、よろしいですか?」
「はい」
女子高生とは思えない落ち着き様。盗難があって慌てている様には、見えない。まあ最近の女子高生ってのは大人っぽいと聞く。うちの住人達には落ち着きなんて微塵も感じられないが。
まあ、どうでもいいかそんなこと。
「それではえっと、単刀直入、犯人はあなたの彼氏さんですか?」
「――――っ!?」
短い刀を直に入れすぎたか。分かりやすいと言うのも馬鹿らしくなるくらいに、驚きの表情を見せる。
「えっと、え!? なんで、あの、え!?」
さっきまでの落ち着きがまるで嘘のように、慌てる。慌てる。慌てる。
それは次の言葉を継ぐことができないほどに。これでは話が進まない――ってまたかよ。もうこれ毎回やる運命なんだな。
「落ち着いてください、こんなのは少し考えれば分かることです。別に何でも見透かしてるわけではないです。だから、そのほかの情報は、あなたから聞かなければならない。だから、落ち着いてください」
別になんでも見透かしてるわけではない――か。我ながら何とも見透かしたセリフだ。
大宮さんは自分の動揺ぶりに気付くと、また小さく深呼吸をして、さっきまでのように落ち着きを取り戻す。その様はまるで別人だ。
「落ち着いてもらえましたか、その反応だけで十分にも思えるのですが、日本刀を盗んだのは、あなたの彼氏で合っていますか?」
「えっと…………はい」
少し考えてから返事をする大宮愛華。考える……か。なるほど。
「彼氏が日本刀を持ち出した理由は分かりますか?」
「えっと、あの、大きな声では言えないんですけど、ある人物を殺す――と言ってました」
殺す……ね。
「そうですか、その人物は誰だか分りますか?」
「いえ、それは教えてくれませんでした」
教えてくれませんでした――か。
「彼が日本刀を持ち出す際、あなたはその場に居たのですか?」
「はい。えっと、止めようとしたんですけど、男の人の力には敵わなくて……」
「なるほど。ちなみに、その日本刀はあなたの部屋にあったのですか?」
「え? あ、いえ、客間に……飾ってありました」
「それは今日の朝方にあった出来事――で良いんですね?」
「はい」
「……わかりました、ありがとうございます。それではもう少し確認しておきたいことがいくつか。それと、彼の写真何かがあれば――」
「この廃校、本当に久しぶりに来たな。卒業前の夏――いや、秋だったっけ?」
「懐かしい話をするなよ」
時刻は一六時、イチと俺はとある廃校に来ていた。黒岩市にある新幹線の駅の北側に位置する、住宅が立ち並ぶ小高い丘に、その廃校はあった。三〇年前までは工業高校だったこの場所は、普通校舎の他に実習棟がふたつあり、校庭だった場所は酷く狭い。
大宮愛華から聞き出した心当たりがこの廃校だ。もうすぐ日が沈んで、辺りが暗くなれば、ここには誰も近寄らなくなる。民家に囲まれていながら、ここは絶好の犯罪スポットになるわけだ。
「やっぱ雰囲気あるわここ。あの時は本当にビビったもんな」
「だから懐かしい話をするなよ」
高校三年生の時に、俺とイチはこの廃校に忍び込んだことがある。暗くなったこの場所は本当に不気味で、肝試し感覚でこの廃校を訪れた俺たちは、ある事があってみっともなく逃げ出したのだ。
「あの時の七草の顔は今でも忘れられねえわ」
「うるさい」
お前だって結構ビビってただろうが。
「それに俺は幽霊なんて信じちゃいない。あの時のあれだって結局幽霊じゃなかったし、この世に幽霊なんていない。絶対にいない」
「いやまあ七草、この世には、いないんじゃねえかな。うん」
「お前はそうやっていちいち上げ足を――」
「怒るな怒るな、そんな話をしてる場合じゃないだろ。日本刀を探しに来たんだろうが」
「……ああ、そうだったな」
校庭の真ん中で立ち止まって、辺りを見渡す。道路側のネットフェンスにはツタがびっしりと巻きついていて、敷地の外は見えない。それは外からも同様だろう。
「来てみたけど、これはいないんじゃねえか? 気配がしないもん」
「イチ、お前いつから気配とか読めるようになったんだよ」
「ほら俺、山籠りしてたじゃん? 自然に触れ、自然に寄り添い、自然と一体になってたワケなんだけど、その時にこう、感じたんだよね。感じたって言うか目覚めたって言うの? やっぱ隠されていた自分の力にさ、気付いてしまったというかなんというか――」
「おい」
「聞こえたんだよ、風の声がさ」
「おい、隠された自分の力に気付いてしまった次郎防一学さん」
「なんだよ」
「風の声を聞く前に、こいつらの足音くらい聞こえなかったのかよ」
「…………わぁお」
校舎の中から、林の中から、実習棟から、現れる人、人、人。俺とイチを囲むようにじわりじわりと近寄ってくる。
「おい、これをどう見るイチガクさんや」
「どうもこうも――」
じわり、じわり、と距離を詰め、円は小さく密になり、
「――ピンチだろ!」
一斉に二人に襲いかかってきた――
「待て!」
瞬間響いたその声に、円がその動きを止める。
声がした方には、一人の若い男。よく見たら周りにいる奴ら全員若いんだけど、まあそれでもそれでも、そこには若い男が立っていた。
金髪に鋭い眼つき、本当に普段何食ってんのってくらい細い体をしたその男は、まるで品定めでもするようにこちらの上から下までゆっくり目を歩かせると、ニヤッと笑みを浮かべた。
「実際にこうして見ると、なんだか冴えない男だな」
「ですよね」
「イチ、お前は黙ってろ」
なんでお前まで同調するんだよ。黙って風の声でも聞いてろ。というか俺冴えるっての。物凄い冴えるわ。冴え渡っとるわい。
……しかし、実際に見ると――か。
「えっと、これはどういうことなのかな? 状況がつかめないんだけど」
とりあえず、状況の確認。周りの人間を止めたってことは、話す気があるってことだろう。というかそうであってくれ。
状況か、と呟いて、男は何度か頷き口を開く。
「あんた、新亮太って知ってるかい?」
質問に質問で返された。おかしい、状況の説明を要求したはずなのに、謎がまた一つ増えた。新亮太? 全然聞き覚えが無い。
「ああ、いや、その反応だけで十分だわ」
首を傾げて傾げ過ぎて、その角度が鈍角に突入しかけた俺を見て、男は右手を突き出してそう言った。
「ちょっと待てよ、俺まだ何も言ってないだろう」
勝手に決め付けるなんて失礼だろう。
「じゃあ知っているのか?」
「いや知らないけど」
「…………」
呆れられた。なんかバカを見る目で見られた。隣にいる友人まで同じ目をしている。
「新亮太――お前に捕まえられた男、俺の兄貴だ」
男は嘆息してそう言った。うん、やっぱ記憶にないわ。
「……本当に憶えてねえんだな。まあいいか。いや、よくはねえんだけど」
よくないのか。
「とにかくそういうことなんだわ。そんなこんなで、お前は今、俺達に囲まれてる。つまりはそういう状況」
なるほどなるほど、理解した。こいつ説明する気ないな。
「あ、悪いのは七草だけってことだ。じゃあ俺は関係ないよね」
「思い出しましたお兄さんのこと。その時の作戦参謀はこの次郎防一学でした。こいつも共犯です」
「七草お前……」
逃がすかこの野郎。
「しかしえっと……新さん? 二人ボコるのにこの人数は集めすぎじゃあないですかね。ぱっと見で三六人はいるんだけど」
それにみなさんナイフやら木刀やら明らかに競技目的ではない金属バットやらで武装してらっしゃる。しかも何そのバット、何でそんなにくぼんでるの? 何を殴ったらそうなるの?
「ぱっと見で的確な人数言い当てるなよ。いやまあ謙遜すんなよ、七草さんよお。聞いてるぜ? あんた、兄貴の時は三五人をなぎ倒したそうじゃねえかよ」
またその話か。だからなんだよなぎ倒すって。台風か何かなのか俺は。建設機械か何かなのか俺は。
「というか、その話を信じるんだったら、逆にこの人数は少ないんじゃねえか? 三五人でダメだったから三六人ってお前……」
もっとこう、五〇人とか集めなきゃいけないんじゃないかな。
「分かってる! あんたの言いたいこと良く分かるぜ? だけどな、この人数集めただけでも凄くない? よくドラマとか漫画で五〇人とか集まってるけど、そんなの簡単に集まるもんじゃないよな?」
なんかいきなり言い訳を始めた。よな? って言われてもなあ、どうしようか。
「いやでも確かに凄いわ。こんな片田舎で、たった一人ボコる為に集められる人数ではないな。な、イチ」
とりあえず乗っておくか。
「ああ、間違いなく俺らじゃ無理だ。というかそうそういないよな、こんなに集められる
人間は」
「だろ? 俺凄くない?」
「うん、実際凄いと思う」
「こんだけのリーダーシップ見せられちゃあ、素直に褒めるしかないわな」
「いや、そこまでじゃねえって」
「照れるな照れるな。自分を誇っていいと思うぜ」
「ああ、これだけの器はそうは見れない」
「……そうかな?」
「そうだって! 自信持てよ」
「お前もう兄貴越えてるって」
「俺、凄いかな?」
「凄いに決まってんじゃん! 俺、こんなリーダーだったらついていきたいって思うもん!」
「激しく同意だね。っていうかついていくわ」
「そこまでかぁ。いや言いすぎだろお前ら」
「いやいやまじまじマジだってマジ! な、イチ!」
「ああ! 本当、なんかあったらすぐ駆けつけますんでリーダー。それじゃ今日はこの辺で」
「おう、またな――――っておい!!」
完璧な、完全な、完成されたノリツッコミが放たれた。
日常生活ではまずお目にかかれない、テレビ画面の向こう側にしか存在しないって思ってたレベルのノリツッコミ。ある種の感動さえ覚えたほどだ。その綺麗過ぎる流れと、絶対のタイミング、声の大きさ、テンション、その全てに隙が無く、ツッコまれたという事実さえも、あるいは忘れてしまうほどのそれは、ほんの一瞬、その場の時の流れを止める。
凍りついた時が解ける。その時、まるで大地を覆っていた雪が溶け、流れる雫の様に、雪原から顔を出す草花の様に、彼の心に現れる羞恥の――――っていうか普通に恥ずかしいよねって話。
「ぶわっはっはははははははあはははははは! っておい! ってお前! っておいってお前! あっははははははははは!」
「指先までピンって! 完璧すぎだろお前! うわははははははは!」
腹を抱えて笑い転げる。なんだろう、つい先日もこうして笑い転げたってのに、笑いってのは枯れないもんなんだなっははははははははは!
周りのやつらも同じように笑っている。廃校になって三〇年程が経ったこの場所に、こんなに笑い声が溢れるなんて、新弟、おそろしいヤツだ。
「てめえら!!!」
ピタッと笑い声が止む。ああいや、隣の引き籠りだけは変わらず笑い転げているが、それ以外は――である。最初も一声で全員を制止していたし、冗談ではなく、確かにそれなりの器なのかもしれない――なんて思いはしないのだけれど。
「ななくさぁ、俺をここまでコケにしたヤツはお前が初めてだよ」
「そいつはどうも。俺もそこまでお決まりのセリフを恥ずかしげも無く言えるヤツは初めて見たよ」
空気がピリピリと、緊張感を高めてきた。そろそろくるか。いやでも、こっちはまだもう少し時間がいるんだよなあ。もう少し、稼ぐか。
「三六人――だったな。お前ら、ひとりひとりでなんて考えるんじゃねえぞ。前から、右から、後ろから左から、一斉に来い」
「何を言ってやがんだ? お前」
「お前の言うところの、三五人をなぎ倒した俺の、ありがたーいアドバイスだ。素直に聞いとけ。じゃねえと、かすり傷一つ負わせられねえぜ?」
低く、語気鋭く言い放つ。緊張感が高まるとともに、場に戸惑いが生まれるのが感じられる。もうひと押しほしい――と思えば、まったく、こんなときだけ空気の読める引き籠りだ。
「背中は任せろや」
上着を脱ぎ捨て上半身を晒すイチ。その鍛え上げられた肉体に驚きの声が上がる。誰も彼が引き籠りだとは思わないだろう。言っても信じないだろう。
新弟の心にも、躊躇いが広がっているのが目に見えた。数の上では圧倒的に有利なはずなのに、単純に数で押せば負けるはずはないのに、しかし、そんな単純なことさえ考えられない頭になっていた。そういう空気に、したのだ。
イチの腕時計で時間を確認する――――頃合いだ。
「こねえのかよ。こねえならこっちから行くぜ!」
地面を思いっきり蹴り、円の左側に突っ込む。いきなりの攻勢に慌てる男達。
しかし、不意を突かれて驚いたのも一瞬、木刀を構えて迎え撃つ態勢をとる――――が、突然、強く地面が揺れ、ゴゴゴゴゴゴと、大きな地鳴りが轟いた。
いきなりの事態にパニックになる男達。自然当然当たり前、彼らにしてみれば不測の事態が間髪いれずに続いたのだから。
その隙を突いて円を強引に抜け、叫ぶ。
「そんな不良漫画やバトル漫画みてえな展開にさせるかってんだよ!」
アクションには不向きなメディアなんだよ。
四〇メートルほど距離を取った所で揺れが収まり、段々と冷静さを取り戻していく男達。現在の状況を把握し、新弟が右手をかざして叫ぶ。
「逃がすな! 追え!」
その声に弾かれた様に動き出す男達――しかしまあ、もう終わりなんだわ。
「そこまでだ!」
その凛とした声に足音が一斉に止む。こいつら声に反応良すぎだろ。
男達との間に突如現れた二〇程の影。
沈みかけた日が照らすその姿は、見慣れたそれと変わらないが、こうして雄々しく立ち並ぶと、普段とはまるで違って見える。
「黒岩警察だ! 武器を捨てなさい!」
まるでドラマでも見ている気分だ。警察手帳を突き出して、毅然とした態度で言葉を放つ警察官を後ろから眺める――おっと、呑気に見物してる場合じゃあないんだった。
「イチ、合図を」
「ああ」
携帯で、ある番号へかける。そうしているうちに、男達は武器を捨てて逃走を始めた。蜘蛛の子を散らすようとはこういう事を言うのだったかな? いやでも、同じ方向に逃げてる場合は違うのかな。
現在俺達が立っている場所は校門。唯一の出入り口を塞いでいる形になっている。必然、彼らが走る先は蔦がびっしり巻き付いたネットフェンスと言う事になる。高さは三メートル程と高めだが、登って逃走することは可能だろう。
「へっ、こんなことで捕まってたまるかよ」
ちょっとアレめなセリフを吐きながら、一人がフェンスを登りきった。しかし――
「うわああああ!」
男はフェンスから後ろ向きに転落する。他の男たちも登っては驚きの声を上げて落下した。
「なんだ、何がどうなってやがる!?」
そんな新弟の声を合図にするかのように、フェンスの反対側から、ひょこっと頭がひとつ現れた。
「うまくいきましたねナナさーん!」
右手をブンブンと大きく振って笑顔を見せたのは、小夜暖人だ。俺が親指を立ててそれに応えると、暖人は白い歯を見せて、後方に何か合図を出した。すると、次から次にフェンスから若者が現れた。その数、優に五〇を超えていた。なんというか、圧巻だ。
「なんだよ、これ……」
尻もちを着いたままそう漏らした新弟に、笑顔で優しく、俺は言う。
「ドラマか漫画じゃないか?」
「それで? ちゃんっと説明してもらえますか?」
自宅に着いたのは、本日も残りわずか、二三時を過ぎてからとなった。正直今回はけっこう疲れたので、すぐにでも布団にダイブで寝てしまいたかったのだが、暖人の尋問が始まってしまった。
「説明って言われても、どこから説明すりゃいいのか」
「全部です全部! 日本刀を盗んだ犯人の情報を待ってたのに、知り合いかき集めて廃校に集合!? なんだそりゃ!? ですよ!」
まあ確かに、おっしゃる通りのその通り、なんですが、説明するの面倒くさいなあ。というか上手く説明できる気もしないし、めんどくさいし、めんどくさい。
「確かに七草お前、どこから気付いてたわけよ」
ゲームの電源を入れながら、イチ。二人とも、説明しないと部屋から出て行ってくれそうもないな、仕方が無い。
「ぶっちゃけると、最初から」
「ええ!?」
「はあ!?」
目を大きくして声を上げる二人。
「最初からってどういう事すか! そんなこと全然言ってなかったじゃないですか!?」
「いや、最初は違和感を感じただけ。まず、なんで俺に依頼してきたかってところ」
「それはだって、警察に言えないからって、最初に解決したじゃないですか」
「そうなんだけどさ、イチに依頼のメールが来た時間が引っかかってさ」
「時間?」
イチはスマートフォンを取りだして、依頼のメールを確認する。
「六時十分……これがどうかしたのか?」
「ああ、早すぎるんだわ」
「早すぎるって……事が起こってすぐに依頼したんだったら、別に時間なんていつでも不思議はないんじゃないですか?」
その通り、でも今回は違う。
「俺への依頼って事が、それを捻じ曲げるわけだ。女子高生からの依頼、じゃあその女子高生はどうやって見つけ屋七草を知ったのか。そんなものはまあ、噂でも聞いたって所で良いんだろうけど、突然こんな事件が起こって、すぐに思い出すか? すぐに依頼するか? しねーだろ」
「まあ、確かに。でもそんな理由……このメールの内容からじゃいつ日本刀が盗まれたかなんてわからないんだから、前日に事件が起きて、メールをしたのがその時間になっただけかもしれないじゃないですか」
「そうだとしても時間が不自然なんだが、でもまあ、その可能性だってありうるからな、だからこの時点では、違和感を感じただけ、なんだ」
「違和感……」
「それじゃあ、待ち合わせ場所をわざわざ別の場所にしたのも?」
「ああ、家でそんな話をしたら、家の人にばれてしまうって理由は、なかなか良かったろ? 本当は、彼女を家から引き離すため。その間に大島巡査が彼女の家に行った。」
大島巡査は黒岩駅前交番に勤務する警察官だ。俺が高校生の時からの知り合いだ。
「そんで、依頼人と実際に会って、話を聞いて、確信したわけ」
最初にいきなり犯人を言い当てられて驚いたのは、そこにたどり着いたことにではなく、台本の中身を言い当てられたと思ったから。
彼氏が日本刀を持ち出した理由は知っていて、誰を殺すかは知らないで、場所にだけ心当たりがあるなんてのもおかしな話だし、止めようとしたが力づくで奪われたって話だったけれど、日本刀があった客間で、それも朝にそんなことが起きていたなら、家の中の人が気付くはずだ。
なるべく抑揚を無くして、ボロが出ない様にしていたようだけど、普通その状況であんなに落ち付いていられるはずがないし、質問に対しても、台本にあったものとそうでないもので反応がまるで違った。他にもいろいろあったが、省略。
演技も下手、話は穴だらけ。あれで騙せるのは小学生までだ。
「そのあと、イチの携帯に大島巡査から、日本刀は盗まれていないという電話が来て、確信したというわけ」
「日本刀は実際に家にあったんですね。ふむなるほど、そこまで分かれば、もう誰かがナナさんをその心当たりの場所におびき寄せようとしてるってのは明白ですもんね」
そういうこと。誰が何のためにってとこまでは分からなくても、やり方や指定場所から、良くないことなのは間違いない。
「というかそこまで気付いてるんなら、行かなければいいだけじゃないですか、わざわざあんな危険な目にあって……」
「それは違うな」
暖人の言葉をイチが遮る。ゲームを一時停止している。真剣だ。
「なんでイチさんが答えるんですか」
「考えてもみろ、こんな手の込んだやり方で七草をおびき出そうとしてるやつらがいる」
「無視ですか、そうですか、まあいいですけど、続けてください」
「今回は行かなければ済むだろうけど、今度はどんな手に出るかわからない。その時にはお前や真子にまで危害を加えるかもしれない。そう考えて七草は、今回でしっかりと芽を摘もうと考えたんだ」
「なるほど」
「なるほどなあ、イチお前頭良いなあ」
「すいませんイチさん、この人はあれです、ただのバカです」
「すまん、買い被り過ぎた。そいつはただのバカだった」
ただのバカとはなんだ、ただのバカとは。そこそこ値の張るバカだぞ俺は。
「怒るとこ間違ってますよバカ草さん。それで警察と、俺の集めた五〇人でしっかりと心まで摘んだと言う事ですね」
「まあはい、そんなところです」
「だとしても、あの布陣はダメでしょう。ナナさんもイチさんも囲まれちゃって、一歩間違えばボコボコにされてましたよ? いや、半歩も違えばやられてましたね」
「そうだな」
「だろうなあ、俺の筋肉は見せる為のものだからなあ。実用的じゃないからなあ」
「そうだな、イチは暖人並みにケンカ弱いもんな」
「いや、暖人よりは強いよ、ミヤマクワガタよりは強い」
「なんで俺を引き合いに出すんですか――って俺虫レベル!? ええそうですよ俺は弱いですよ脆弱ですよ。でも今俺の弱さはどうでもいいでしょう」
「まあまあ、校庭の真ん中に集めた方が捕まえやすいだろ? それに、抜け出せる自信あったし」
とはいえあの人数は予想外だったが。
「抜け出せる自信って、あんなのただの偶然じゃないです――――ってまさか……」
「まさかも何も、時間調整したに決まってんだろ。あんな偶然あるわけないだろう」
あの円を抜ける時に起こった地震。あれの正体は、新幹線だ。廃校がある丘は、新幹線のトンネルを背負っていて、新幹線が通る度に大きな揺れを起こすのだ。
新幹線の計画が持ち上がり、生徒数も減っていた工業高校は廃校になったと言う事だ。
新幹線が来るたびにあの揺れが起こるのだから、当然、俺を待ち伏せていた彼らも揺れのことは知っていただろう。だから、その前にひとつ動揺を誘うため、こちらからいきなり仕掛けた。どちらも一つでは効果が薄いが、間髪いれずに行けば、円を出ることくらい容易だ。
「ちゃんと、刃物を持ってるやつと金属バットを持ってるやつのところは避けたもんな」
「ああ、なるべく殺傷能力の低い武器の所を狙った」
「あの状況でよくそんな冷静でいられますね」
くぐってきた修羅場の数が違うぜ! ……そう言えばなんで修羅場はくぐるって言うのかね。通ってきたじゃ駄目なのかね。そりゃ、跨いできた、ではなんか楽そうだからダメだと思うけど。
修羅場――か。そんなものがあったかは分からないけど、危ない目には結構あったなあ。
首に下げた御守を握りしめる。この御守を貰ってから、危ない事に遭遇することが増えた。しかし、どれもなんとか無事に済んできた。こういう場合はどうなのだろうか。この御守のせい――と考えるべきなのか、この御守のおかげ――と考えるべきなのか。どっちだろうなあ。
「おい七草、2P代わってくれ。暖人ダメだ、ヘタすぎる」
コントローラを突き出して来るイチ。後ろでは暖人がいじけている。
受け取って隣に腰を下ろすと、間髪いれずにゲームがスタートされる。
今日がもうすぐ終わろうとしていた。何か成せたのか、なにか成長できたのかも分からないまま、分からないことを残したまま、終わろうとしていた。
終わって、また始まっていく。分からないことを積み上げながら、続いていく。
多分、きっと、そうやって世界は広がっていく。
誰かの、広がる世界に、自分がいる。だから――
「あ、イチお前今のなしだろ!」
「随分甘い事言うようになったな七草、なしも卑怯も無いんだよ! 勝ったヤツだけが正しい、それがこの世界の理だ!」
「イチ……貴様良い度強だな。そうなった時に、なんでもありになった時、結局誰が一番得をするのか分かっているだろうに!」
「いつまでもあの時のままじゃねえぜ。七草、俺とお前には差がついちまったんだよ! お前が外をかけずり回っている時、俺はなにをしていたと思う!? 部屋に引きこもってゲームしてたんだよ! それがどういう意味かわかるか!?」
「イチさんがダメ人間ってことじゃないですかね」
「おおっふ、的確に急所を抉る鋭い言葉の槍っ!!」
「勝手に貫かれてろダメ人間」
今こうしていられるのも、俺の世界の広がった先と、こいつらの世界が広がった先が、重なったからだ。
悩むし、痛いし、危ないし、分からない事は増えていくし、世界って奴はろくなもんじゃねえ。でも、それでも、世界を広げることをやめないのは――いや、これ以上は野暮だろう。
二本の針が天を衝く。明日が来た。今日が来た。今日が去った。昨日が去った。
どうせろくな日じゃない。危なくて、痛くて、悩ましい、分からないことだらけ間違いなし。
上等だ。危なっかしく、痛ましく、悩み悩んでやろうじゃねえか。分かんないことどんと来いだ。俺たちは――
「七草、早くスタート押せよ」
「お前本当いい加減しろよ、今回の締めに入ってたってのに……」
「安心しろ、誰も期待してねえからそんなの」
「そうか、それなら安心だ」
「安心しちゃった! いやいや、確かに誰も期待してないけど、締めなしって良いんすか!? アリなんすか!?」
「大丈夫だ、もう既にお前らの台詞がアウトだ」
笑い声が部屋に響く。笑い声が今日に響く。俺たちは、いつまでだってこうやって笑い続ける。
今は、それだけ、ただそれだけ分かっていれば、それでいい。