2/5 カミカミ指輪探し
カミカミ指輪探し
「でね、この引き出しに入れたと思うの」
三十代後半の女性(にしては随分と若くみえる)が、家具職人が作ったであろう趣のある若草色の食器棚を指さす。
「本当にここに仕舞いました?」
引き出しをあけて中を確認しながら、彼女に再確認する。
「きっと本当だと思うわ。おそらく私の記憶に多分大体間違いないと思うわ」
「……そうですか」
信用してほしいときに使っちゃいけない言葉がこんなに短い会話文の中にこんなに入っているのはとても不思議だったが、自信たっぷりの顔をした彼女にそれを言うと話が進まなくなるような気がしたので、ツッコまない。
こめかみに中指を当てる。これは考え事をするときの俺の癖だ。深く集中する時にはこれをしないとダメなのだ。
いま俺がいるのは芝田市の丘舟六丁目にあるマンション。世帯数三十六、三年前に出来た建物だけにまだ新しいという印象を受ける。その五階の一室、広いリビングに洋間が二つ、和室が一つ。台所はこの奥さんの趣味なのか、少し古ぼけた、しかし趣のある家具が並び、据え付けの真新しいシステムキッチンだけがまるで時代に取り残されたかのように異彩を放っている。いや、むしろ時代に取り残されているのはシステムキッチン以外か。
「やっぱり泥棒かしら、どうしましょう」
彼女は困ったような、怖がっているような表情で口に手を添える。
「泥棒だったらまあ、僕じゃなく警察の仕事なんですけどね。でもまあ、これはおそらく違います」
他にも金目のものはたくさんあるのに、これだけ取って行くなんておかしな話ですしねと、落ち着いて彼女に告げる。
「安心してください。見つけますよ、あなたの探し物」
一体俺は何をしているのか。話は昨日の晩まで遡る。
俺は自宅のリビングで盲牌(麻雀の牌を指先の感覚だけで当てる技術。あまり役に立たない)の練習をしていた。
「これは……二萬か?」
ピン――――ポーン
「おお、あたりか! ――って違うじゃねえかよ! 誰だよ嘘偽りの正解音なんか流しやがったのは――って」
――と、呼び鈴が鳴った。
「ああ、お客さんか」
ちんたらゆっくりゆるゆるそろそろゆったりのほほんだらだらと、玄関に向かう俺を急かすように、再度鈴が鳴る。
ピン――――ポーンと。
ためらいを多分に含んだように思えるそれは、押している人物像を容易に想像させた。しかしまあ、人を急かすのには向いてない音だねえ。
「へいへーい、なんでございや松竹梅っと」
身につけているのは下着だけという、四月下旬の室内のファッションとしてはアリかナシかかなり微妙なスタイル(室外では完全に無しだね!)で玄関ドアを開けると、そこにはまあ、なんというか、美少年が立っていた。
サラサラの茶髪に汚れを知らないような綺麗な瞳、歳は十二、十三と言ったところか。服装は全体的にパンクを思わせるが、なんだろう、この少年が着るとかわいい以外の感想が出てこない。つまり、そんな感じの少年が立ってましたとさ。
「あ、あの、ここは、その、七草さんのお家で間違いないですか?」
美少年はサラッサラの前髪の奥に揺れる瞳に涙を溜めて、頬を紅潮させて言った。初対面で緊張してるのかな? ははは、そんなかたくならなくていいのに。この辺じゃ俺はキングオブ優しいで通ってるんだぜ?
「そうだよ」
緊張を解いてあげる為にすこぶるさわやかな笑顔でこたえるキングオブ優しい俺。
美少年はその言葉に(というより俺の笑顔にだな、絶対)安心したのか、ほうっとため息をついて、すぐに大きく深呼吸してこちらをまっすぐ見つめてきた。なんかドキッとした俺は病気かもしれない。
「お母しゃんのけっきょん指輪を見ちゅけてくだひゃい!」
「すごいな、たったそれだけの台詞で四カミできるなんて」
神童現る、だなこりゃ。ってあれ?
「う、うう、うううう~」
……泣き出した。
もう完全に子供泣きしだした。
「お、おいおい、泣くなって」
「ご、ごめんな、さい。ちゃん、と、言えなく、て、ごめっ、ヒックッ、んな、さ、い」
玄関先で美少年を泣かせる成人男性か……別にやましいことなど微塵もないが、世間様的には厳しいものがあるな(その成人男性の服装も大きく関係している事は言うまでも無いよね)。
「ま、まあ、話は中でゆっくりきくから。ココアでも飲みながらさ。あ、ホットミルクがいいかな? あ、お菓子もあるよ」
「は、はい、すみません」
泣いている美少年を、とりあえず部屋に入れる。泣きながらもしっかり靴は揃えていた所を見ると、なかなかしっかりした親御さんなんだろうな。
「それじゃそこに座っててね」
美少年くんを居間に待たせて、台所へ向かう。
「たしか牛乳は真子が買ってきてくれてたのがあったから――あったあった」
冷蔵庫の牛乳をマグカップに注いでレンジに入れる。
「砂糖はいくつ入れようか」
台所から居間にいる美少年くんに話しかけると、ふたちゅでおねがいしますと返ってきたので、箱から角砂糖をふたちゅ用意する。ミルクを温めている間にポットのお湯でコーヒーを淹れる。砂糖? ははは、俺は渋い大人の男だからブラックなんですよ。
ホットミルクとコーヒーを持って居間に戻る。
「あ、ありがとうございます」
「うん。あ、砂糖足りなかったらコレ入れてね」
テーブルの、美少年くん側に砂糖の箱を置く。
「あ、ありがとうございま……これ……」
美少年くんは砂糖の箱を凝視して固まった。
「え、なに?」
「うちのと同じ砂糖……」
美少年くんが見つめるその砂糖はどうやら輸入品らしく、ちょっと茶色っぽくて角が丸い。箱もなんか英語とか書いてあってかっこいい。ほとんど読めないんだけどね。
「ああ、砂糖か。それね、俺の従妹が買ってきたんだよ。がさつで大雑把な奴なんだけど、料理関係のはえらいこだわるんだよな」
「うちのお母さんもそうなんです!」
テーブルに手をつき、膝立ちで乗り出してきそうな勢いで美少年くんが言う。
「うちのお母さんも元気で大雑把なんですけど、料理とかは得意で、あ、お母さんの料理で一番好きなのは親子丼ですっごい美味しいんですよって何言ってんだろ私。とにかく、うちのお母さんもそういうの好きで、この砂糖もうちと一緒なんです。これだとあんまり不自然な甘さにならないんだってお母さんが言ってました。というか私もこの砂糖が好きで、いつもコレにしてってお母さんに頼んでるんですよ。そうそう、前にユウちゃんとあさみんが――って、すいません、ユウちゃんとあさみんは私の友達で、ユウちゃんは優花ちゃんって名前で、優しいし、絵が上手なんですよ。あさみんは麻美ちゃんっていって、運動が得意なんですよ。バレー部でエースだし、あ、あと面白いんですよ! この間なんか宮本武蔵と佐々木小次郎の――」
「ストップ!」
右手を広げて美少年くんに向けて突き出し制止する。ちょっと大げさな所作となってしまったが許してほしい。だって、だってこれじゃ――
「話始まんねえよ!」
である。
砂糖から始まった話が宮本武蔵になるとこだったよ。砂糖が武蔵だよ。佐藤武蔵。もう
びっくりだよ。いやまあ正直続きは凄い気になるよ。麻美ちゃんは宮本武蔵と佐々木小次郎でどんな笑いをとってくるのか凄く気にはなるんだけども、始まらないんだよ。話が。まだ本人の名前すら聞いてないからね俺。あ、そういや名前聞いてなかったな。
「そういや名ま――えええ!?」
いや、一風変わった名前の訊き方とかじゃないから。驚いたんです。そう、びっくりしたの。何にって?
「な、なんで泣いてるんですか……?」
目の前の美少年くんは涙を目に溜めてぷるぷる震えていた。
「ごめんなさい。関係ない話、ば、ばっかりしちゃって……」
まじか。
「いやいやいやいや! 違うから! さっきのはアレだよほら、えーっとその、そう! ツッコミ!」
「ツッコミ?」
疑問に満ちた表情をしているが、とりあえず顔は上がった。
「ツッコミ! ほら、お笑では必須だろ? ツッコミ」
「でも、ツッコミって、なんでやねーんっていうやつですよ?」
どんだけ笑いの幅狭いんだよ。この調子じゃさっきの武蔵と小次郎も大して期待できねえな。でもまあ、震えも止まった。
「なんでやねーんもあるけどさ、ツッコミってのはケースバイケースなんだよ」
「ケースバイケース……」
「そう。なんでやねんってのは、なんでそうなるんだよっておかしいって点を指摘するだけだから幅広くて使いやすいけど破壊力が少ない。ボケに対して的確な言葉を瞬時に選び、鋭く指摘するのが今のパターン。範囲は狭いがパワーはある……みたいな?」
何言ってんだ俺。なんかもう、バカみたい。すごく。恥ずかしくなってきた。意味分からないしね。こんなんでどうにかなると思ってんのかな。二二年間も何をしてきたの?
「なるほど、そうだったんですか。勉強が足りてませんでした」
取り乱してすいませんでしたと頭を下げる美少年くん。なんとかなった。なんとかなっちゃった。まあ結果がすべてだからね。過程なんて、プロセスなんて、結果が得られれば必要ないからね。
「的確なことばですか……」
まだうんうん唸って考えている。もうやめて。もういいじゃんその話。もう引っ張らないで、千切れちゃうから。俺の心が。
「なら、あさみんのあの話に対してのツッコミは、それはB5用紙だよ! が正解だったのかな……」
……どんなオチだったんだよあさみん。宮本武蔵と佐々木小次郎の話じゃなかったのかよ。実はその話すごい面白いんじゃなかろうか。ちょっと気になってきたわ。
「っと、俺が脱線を考えてどうするんだよ。えーっと、あのさ、まずは名前を教えてくれるかな?」
「はっ! す、すみません! 名前も名乗らず失礼いたしました!」
姿勢を正してぶんぶんと頭を下げて上げて下げて上げてを繰り返す。どうどう、赤べこだってもっと落ち着いてるぜ。
「あの、私、紫藤つかさって言います。むらさきふじで紫藤、つかさはひらがなです。よろしくお願いします」
「つかさくんね。よろしく」
この年齢でわたしって言うのは大人びているなあ。見た目は可愛い美少年なのに。そして俺は未だにおれなのに。
「それじゃ本題ね、今日は――」
「実はこのつかさって、お母さんが付けてくれた名前で、お父さんがずっと前から考えてたのに、絶対に譲らない! この子はつかさ! 決定! って強引に決めちゃったらしいんですよ。わたしもこの名前は気に入ってて、響きも綺麗だし、大好きなお母さんが付けてくれたからなおさらです!」
「え? あ、うん、いや、あの、本題……」
「あっ、お父さんも大好きですよもちろん。優しいし、いつも夜遅くまでお仕事頑張って、でもお休みの日はいつも一緒にいてくれるんです。でもお父さん、私がお母さんとばっかり仲良くしてると拗ねちゃうんですよ? すごくかわいいんです。それでね、前の日曜日に水族館に行った時にはね――」
止めることにはもう飽きた。諦めることにはもう慣れた。今回は話し終わるまで待とうじゃないか。
止めてもさっきの二の舞。ならばそれなら待つだけさ。多分それが一番早い。鳴くのなら、止むまで待とう、ホトトギス。
それからの話しの内容は憶えていない。どれくらい経ったかも憶えていない。徳川将軍も一五代までいったんじゃないかなってくらいに長かった気がする。気がするだけだが。しかし、長かったのは本当だ。ずぶずぶと泥濘に沈んでいく意識。なにか感じる事さえやめていた。だから、話の終わりにも気付くのが大分遅れた。
「――でね、今度はちゃんと言ってあげようと思うんですよ。それはB5用紙だよ! って……あれ? 七草さん?」
「ふぇ!? あ!? なに!?」
名前を呼ばれて何故かあたふたする。眠りかけてるときに急に名前呼ばれるのってなんだか焦るよね……俺だけ?
「いえ、まるで意識が半分飛んでいたように見えたので」
「飛んでない飛んでない! 俺の意識は鶏だぜ!? 飛ぶわけ無いじゃん!」
「ニワトリさんなんですか……」
「そうそう、心臓も神経も鶏にわとり――って誰がチキンだ!」
「ええ!?」
「あ、ごめん。まだ頭が寝ぼけてるみたいだ」
「やっぱり飛んでたんじゃないですか」
「ギク」
「口でギクって言わないで下さいよぉ」
「……すみません」
「やっぱり、私の話なんてつまらないですよね……だから寝ちゃうんですよね」
瞳がうるうると潤いだす。頬は好調に紅潮していき、下瞼は洪水警報絶賛発令中。
「いやいやいやいや! 楽しいから! すげえ楽しいよつかさくんの話! あっ! そうだ、お母さんの話聞きたいな。つかさくんの大好きなお母さんの話!」
ぱあっと明るくなる顔。洪水を避ける為に嵐に踏み入る俺。もうどうにでもしてくれよ。こいよエンドレスリピート。
……まあ本当にくるんだけど。今回の嵐の内容は温泉に行った時の話で、明るく気さくなつかさ母は、知らない人との会話も自然に花が咲いて楽しく過ごしていたそうな。露天風呂では子供みたいにはしゃいじゃって滑って転んでしまったらしい。
「マンガみたいだったんですよ! もうステーンって! もうこんな風に――あいたっ!」
座った姿勢のまま足を振り上げ、テーブルに蹴りをいれてしまうつかさくん。テーブル上の二つのマグカップは、突然訪れた震度六強の揺れに耐えきれず転倒。テーブルの上で黒と白とが混ざり合いミルクコーヒーの出来上がり――そんなマイルドなテーブル上の世界の外、ほんの一瞬おとずれた静寂。次に起こりうる事が分かるからこそ、それはとても長く感じた。
「ご、ごめんなさいぃぃぃいい! 本当にすみません申し訳ありません! もう私こんなのばっかりだ! なんでいつもこんなっ! すみませんすみませんすみません!」
怒涛の謝罪のコンマ一秒後、わんわんと泣き出してしまった。
「いやいや、そんな大変な事じゃないだろ!? 大丈夫だよ、下にはこぼれてないし。っていうか、つかさくん服にかかったりしてない? 大丈夫?」
テーブルを拭きながら、泣きやむよう優しい言葉を掛けるとさらに涙は勢いを増した。
「えええええ!? なんでだよ! おいおいそんな泣くなよ、男の子だ――」
「何をしているのかなお兄ちゃん?」
「は?」
誰がいたのかと言えば真子で。どこにいたのかと言えば横に。どんな表情かと言えばそう、鬼だ。え? なんで?
「何をしてるのかって聞いてるでしょー!」
メジャーリーガーのスウィングスピードにも勝るんじゃないかって速度の蹴りが、怒声とともに俺を襲った。
床を一畳くらい滑り、そのまま倒れる。
「…………!!」
つかさくんもいきなりの事に驚き、泣きやんでしまった。と言うかめっちゃびびってる。理由を変えてまた泣きそうだ。
「お兄ちゃん!」
「なにすんだよいきなり! 危ないだろうが!」
「こんな小さい女の子を部屋に連れ込んで、泣きながら嫌がっているのを押さえつけて無理やりなんて、ケダモノすぎるよ!」
……はい?
「…………なに言ってんだ? マジで」
「そういう態度に出ますか変態さん」
「いやいやお前勘違いしてるぞってか勘違いしかしてないよ」
第二の攻撃に出ようとしている真子。ちゃんと説明しないとヤバいこれ。何がヤバいって俺の命がヤバい。
「この子は客だよ。依頼にきたんだよ……ね?」
「はい、そうです」
「そんで、泣いてたのをなだめてたの」
「はい、すみません」
「それから、こいつは男の子だ」
「……違いますけど?」
「え?」
「あの、わたし、女です……けど?」
いやいやいやいやいやいやいやいやそーいう嘘やめてってまじで。冗談とか今はいいから死んじゃうから俺。軽い冗談でも軽く死んじゃうから俺。
「ちょっと勘弁してくれよ、騙されないよ七草さんは」
「いえ、でも実際女ですし」
「なまえ!」
「え?」
「つかさくんだろ? 男の子の名前じゃんか」
「女の子でも割とメジャーだと思うよお兄ちゃん」
「まじか」
「まじよ」
「まじです、すみません」
すみません、男の子みたいな名前で、とまた涙を浮かべる。
「おいおい! 泣くな泣くな! 可愛いって! つかさって名前可愛いよ!」
肩をがしっと掴んで真直ぐ目を見て言う。二二歳七草、必死である。
「……本当ですか?」
潤んだ瞳で上目づかいが可愛い。ああ、つかさちゃんは本当に女の子なんだな。
「本当だよ。本当に可愛い。つかさちゃん可愛い」
「えへ、えへへへへ、照れちゃいますよそんなに」
「ふふふ、可愛い奴め。髪もサラッサラだ」
「ふぁあ……」
頭を撫でると気持ちよさそうに目を細めるつかさちゃん。犬みたいだな。
「お兄ちゃん?」
「何だ? 今忙しいんだよ、後にしてくれぐがはぁあっ――!!」
真子の前蹴りを右肩に受けて、左こめかみ付近で壁に激突する。耳の先からじんわりと熱くなっていく。
「いってえな! 何すんだよ!」
「なんか犯罪臭がするよ! 離れてよ!」
「人の部屋の合鍵勝手に作ってチェーン切断してまで不法侵入する奴に言われたくはねえよ!」
「そんな女子中学生に欲情するような変態さんだとは思わなかったよお兄ちゃん!」
「してねえよ! 欲情なんて!」
「じゃあなんでそんな可愛いとか連呼して頭とかナデナデしてんのさ!」
「こんなの別に大したことじゃないだろ」
「じゃあ私にもしてみてよ」
「え? あ、ああ?」
そう言って近寄ってくる真子の頭を優しく撫でてやる。真子はふふっと笑い、さらに身体を近づけ上目づかいで言う。
「可愛いって言って、お兄ちゃん」
「…………何言ってんだお前」
スッと立上ると、支えをなくした真子はふぎゃっとか言いながら床に崩れた。
「今のは私かなり可愛かったと思うんだけど? お兄ちゃん」
「自分で言うな。それに、子供が色目使うなんて一〇〇年早えよ」
「白寿超え萌え?」
「そいつは言葉の綾だ」
「コトバのアヤねー、そう言えば言葉の綾ってどういう意味なの?」
何だいきなり。えっと、巧みな言い回しとか、言い回しの技巧のことじゃなかったかな?
「それじゃあ、今の使い方おかしくない?」
「意外に鋭いバカな娘だな」
「ふふん、驚いた?」
いや、今のもバカにしてるんだけど。
「ちょいと表現で誤解を招いた時は、そいつは言葉の綾だと弁明するのは結構多いんだよ。ややこしい表現をして誤解させたようだけど、みたいにな」
「ふうん、なんか単純に間違っちゃった時に使う言葉かと思ってた」
「まあ、知らない人も多いよ。それじゃあこれは知ってるか? 情けは人の為ならずって――」
「凄いです!!!」
いきなり部屋に響き渡る大きく幼めな声。発生源ならぬ発声源はつかさくん改めつかさちゃんだ。目をキラキラさせてこちらを見ている。
「七草さんは凄く頭が良いんですね! 先生みたいです!」
「い、いや、そんな格好良いもんじゃないって。ただの雑学だしこんなの」
なんか猛烈に恥ずかしくなって頭をかきながら説明する。
「そうなんだよ、お兄ちゃんは頭いいんだよ。その上かっこいいし、強いし、完璧なんだよ」
しかしつかさちゃん以上に目を輝かせた真子が間に入り込んで、俺の、自分がいかに凄くないかという説明を遮った。
「七草さんはお強いんですか?」
「いや別にそんなことはな――」
「強いなんてもんじゃなよ! たった一人で不良の三〇人をなぎ払ったこともあるんだから」
嘘はよくないよ。っていうかなんだなぎ払うって。
「頭も良くて有名大学も確実だったんだけど、人助けが忙しくて断念したの」
嘘はよくないよ。出席日数だってギリギリでなんとか卒業させてもらえたんだから俺。
「七草さんってカッコ良くて凄いんですね!」
「そうなの、つかさちゃんは賢いね。お兄ちゃんの凄さがすぐ分かるなんて。どこかの司馬ちゃんとは大違いだわ」
個人名出しちゃったらどっかのって付ける意味無くないか?
「でもねつかさちゃん、お兄ちゃんには心に決めた人がいるから、好きになっちゃだめよ」
なんかもうオチが丸わかりな戯言言いだしたよコイツ。
「ええ!? け、けけけ、結婚を考えている女性がいるってことですか!? 凄いです! 大人です!」
と、ここまであまりのカギカッコの多さに辟易している人も多いだろう。でもこいつら全然考えて喋らないから仕方ないんだよ。思いついた言葉をそのまま口に出してるだけなんだもん。むしろ話しながら考えてる。もっと言うなら、最初に口に出した言葉に合う様に会話をつくっている。つまりめちゃくちゃである。わやくちゃである。将棋の一秒指しみたいな会話である。そんな会話につきあう理由も特にないので、この後の会話をざっくりカットさせていただく。これは別に、この後の流れが俺にとって非常に厄介だからとか、面倒だからとか、そういう事は一切ありません。多分。
「それで、その七草さんの心に決めた女性と言うのはどんな人なんですか?」
つかさちゃんは目をこれ以上ないってくらい輝かせて真子に詰め寄る。恋愛関係の話で(しかも今日あったばかりの他人の)こんなに盛り上がるなんて、やはりつかさちゃんは女の子なんだな。というかあれ? カットって言ったよね俺。なんで普通に進んでるのこれ。
困惑する俺を、つかさちゃんの相手をしながら横眼で見て、嘲笑うような表情を浮かべる真子。
なるほどな、主人公だ語り部だなんて言っても、所詮はひとりの人間。そんなちっぽけな存在が世界の流れをどうこうしようなんて、おこがましいってことか。自分の小ささに今更気付くなんて、俺は中二か。
落ち込む俺を後目に真子は頬を赤らめて言った。予想通りに、シナリオ通りに、まるで暗記している台本のセリフを読み上げるかのように、言った。
「お兄ちゃんは、私と結婚するの」
なんかもう、突っ込む気さえ起きないな。
「それはない」
なんてうそだけど。すぐさま真顔で否定する俺に今度はつかさちゃんが困惑する。
「え? えーっと、え? あの、え?」
困惑している。
「俺は別に頭も良くないし、喧嘩も強くない。それに心に決めた女性もいない。全部真子の嘘だ」
「さりげなく格好良いは否定しなかったねお兄ちゃん」
そのくらいは許してよ。
つかさちゃんは、七草さんかっこいいですもんねと笑いカップに口を付けた……が、さっき零したので中身は空だった。しょんぼりしたつかさちゃんは可愛かったが、俺は新しく三人分のコーヒーを淹れてきた。俺、真子、つかさちゃんの順にカップを配り、優しく微笑む。
「そんな俺でも一つだけ、たった一つだけ、特技がある。それはキミが今日ここを、俺を訪ねてきた理由だろう。教えてくれる? キミの――」
「つかさちゃんは、お兄ちゃんに何を見つけてほしいの!?」
まじか。いやいやいや、真子お前まじか。今の俺の台詞大事だろ。ここはビシっと決め台詞をかましておかないといけない場面だろう。
「どんなモノだって見つけてみせるよ! 見つけ屋七草に見つけられないものはないからね!」
「うおい! お前最後まで言っちゃってんじゃねえよ! 大事な大事な初依頼だろ!?」
「いや何言ってんのお兄ちゃん、今まで数えきれないほど依頼なんてあったじゃない」
「え、あ……ああ、そうだな、そうだよな」
俺、なんで初めての依頼なんて言ったんだ? なんか今日の俺はおかしいな。
「それで? つかさちゃんの見つけてほしいものって何?」
「おかあしゃんの、指輪なんです」
突っ込まない。
「おかあさんの、指輪なんです」
「…………っ!!」
言いなおした。あぶない、吹き出す所だった。そんなことしたらまた話が進まなくなってしまう。それだけは避けたい。なんとしても。目線を一旦下げて、静かに小さく深呼吸する。気合を入れて顔を上げると、真子が頬を膨らませて肩を小刻みに震わせ笑いを堪えていた。
「ぶわははははははははははは!! 真子おまっ、ふざけっ、あひゃひゃひゃひゃ、ははは、はぁっ、はは、あははははははははあはははは!!!」
笑ってしまった。ええ、そりゃもう盛大に、やってしまいましたよ。誰かが笑い堪えてるのって凄い破壊力だな。こんなに笑ったのは本当に久しぶりだよあははははははははははははははははは!!!!
そのあと笑った俺につられて真子まで笑いだして約一分間ほど二人で笑い続けた。完全にツボに入ってしまい、腹が捩れて引き裂けるかと思った。そして火がついたんじゃないかと思うくらい熱くなった。当然つかさちゃんは泣きだしてしまい、俺の部屋には痙攣してぐったりした二人がたまに力なく思い出し笑いする声と、小さな少女の泣き声が響き渡っていた。
「……ふふっ」
「あら、どうしました?」
「ああ、いえ、ちょっと昨日のことを思い出しまして」
笑ったことを思い出して笑ってしまうというのは、言葉にしてみるとバカみたいだけれど、意外と誰もがやっていることではないだろうか。昔のことを思い出す時も、そこで何故笑っているかは分からないけれど、その時の楽しかったという気持ちを思い出し、頬が緩んでしまう。そんな経験が、誰にでもある筈だ。
思い出というのは出来事だけのことを指すわけではない。その時の思いや感情も、思い出なのだ。それはとてつもなく大事なもので、無くしたくないものだ。その思い出をモノに込めておく、そんなこともある。婚約指輪。今回の探し物は間違いなくそういったものだ。
「昨日のこと、ああ、うちのつかさがお世話になりましてありがとうございました。でも、指輪のことはいいんですよ? とても大事なモノだけれど、無くしてしまったのは私だし、諦めるわ。来週の記念日には主人にちゃんと話します。がっかりするかも知れないけれど、正直に話せば分かってくれるわ」
そういう人だもの、と俺に気を使わせないように笑顔で話す。しかしこの人は自分の気持ちを隠すのが得意ではないようで(つかさちゃんはお母さんに似たのだろう)、落ち込ん
でいるのがすぐに分かった。分かってしまう。そんな笑顔だ。昨日つかさちゃんから延々と聞かされた大好きなお母さんの話からも分かる。
この人は多分、どんな時も笑ってきたんだ。楽しいから笑う。嬉しいから笑う。辛いから笑う。苦しいから笑う。悲しいから笑う。それは多分、何より自分以外の人の為にそうしてきたのだろう。つかさちゃんが言っていたおっちょこちょいも、自分以外の人のことも考えてしまうから、容量が足りなくなってそうなってしまうんだろう。
まあ、もちろん全部俺の勝手な想像で、本当の所なんて本人にしか分からない。もしかしたら、本人にも分からないのかもしれない。だから仮定しよう。誰も分からない、答えが無いのなら仮定する。彼女はそういう人なのだと。そんな人に、これ以上こんな苦しい笑顔をさせていていいのか? 答えはノーだ。おお、いいね。さあ、それじゃあどうする?
「……決まってんだろ」
目を瞑り、大きく息を吸い込んでこめかみに中指をあてた。
頭の中の中の、深い、所まで、一気に、いくぜ。
「…………えっと、七草さん? どうしたんですか、急に黙ってしまって」
「………………………………………………………………………………………………」
「……あ、あの……」
「……はい、なんですか?」
黙ること四七秒。何もなかったかのように笑顔で答える。
「ああ、よかった。急に黙ってしまったから、立ったまま寝てしまったのかと」
私もたまにありますから、と笑った。さっきの仮定は間違いって線が濃厚だ。ただのおっちょこちょいさんだこの人。でももう遅い。
「見つかりましたよ。指輪」
「え?」
目をまんまるにして驚くつかさ母。それはそうだ、ちょっと目を瞑っただけで見つけましたよって、この人は何を言ってるんだってなる。俺でもなる。
「本当ですか!?見つかったんですか!?」
でもこの人はならないみたい。
「ええ、見つかったんですよ。懐中電灯と、細長い棒みたいなものと、ガムテープありますか?」
「ありますあります!」
そう言って駆けだした彼女は、なかなか戻って来なかった上に、結局細長い棒しか見つけて来ることができず、指輪より先に先に懐中電灯とガムテープを見つけることになった。
そして向かったのは外国――風のキッチンだ。
そして言う。なんの前置きもなくあっさりと、言う。
「あのキッチンの裏です」
「あのキッチンの裏ですか?」
「あのキッチンの裏です。簡単なことだったんですよ。四七秒で答えに辿り着いてしまうくらいに、簡単なこと」
首を傾げるつかさ母。なんでそんなところに?なんでそんなことが分かるの? そのどちらが頭を傾かせているかは知らないが、とにかく何か分からなそうだ。分からなそうなので、説明する。それはまさに犯人を追いつめた探偵が、関係者を集めて行う解決編のように。
「思いだしたのは昨日のつかさちゃんの話です。大好きな、お母さんの話。いつも優しいお母さんの話、料理が上手なお母さんの話、料理以外の事は大雑把なお母さんの話、知らない人とでもすぐ仲良くなれちゃうお母さんの話、だけどすっごくドジでおっちょこちょいなお母さんの話」
その沢山の話は、今日こうして実際に会って話をする以上に、目の前の女性の人物像を正確に作り上げた。
「そして奥さんは結婚記念日とその前後数日間、指輪をはめると言っていました」
「はい、そうです」
「つかさちゃんの沢山の話から作られたお母さんを思い描くと、すっごく鮮明に、こんな画が浮かぶんですよ。指輪をはめたまま食器洗いをして、『いっけなーい、指輪しながら食器洗いなんて私ったら! 外さなきゃ』なんて言ってる画がね。まあ、銀の指輪をはめて温泉入るわけじゃないから別に問題ないんですけどね」
「…………」
赤面。心当たり大有りか。
「そしてこのキッチン、正直に言いますけど施工が雑です。雑と言うか、大きな忘れものがあるんですよね。壁のタイルとキッチンの間ってのは、普通コーキングといって防水性のあるシリコンで間詰めするんです。左の方はやってあるでしょう? でも真ん中から右にかけては施工されていない。大方、途中でコーキング材が切れてしまい、次の機会にと思っていたのを忘れたんでしょう。ここは五階ですから、施工中近くに材料置き場を設けていない限り、取りに戻るのってやっぱり面倒なんですよね。このシンクは後ろに少し広い隙間が出来るタイプなんで、シリコンで間詰めしていないこれなら、指輪が落ちるには十分だ。とまあ、そんな所です」
再度首を傾げるつかさ母。一体どこでそんな知識を得たんだと思っているのか、何故自分の行動パターンが読まれているのかと思っているのかは知らないけれど、とにかく分からなそうだ。
「で、でも、そんなところにあったんじゃ、キッチンを動かさないと取れないんじゃ?」
その隙間からじゃ下は見えないし、ガムテープでくっつけて上げるのも無理そうだしと表情を曇らせる。困った時は笑顔ではないか、流石に。という事は俺の仮説は総崩れだ。でも心配御無用。
「大丈夫です、もっと近くて大きな孔から取りますから」
「そんなのあるかしら?」
「奥さん、キッチンの下に物を詰め込むタイプですね?」
ギクっとしたつかさ母の制止も間に合わない速度で、扉をあける。中には醤油や調理酒、みりんその他もろもろがぎっしりと詰め込まれていた。つかさ母が照れた様に笑う。
「なんかそういう収納スペースって、物を入れておかないと損した気分になるじゃない?」
「……まあ、気持は分かります」
一つ一リットルから二リットルの液体を、全て外へ出していく。出てくること出てくること。憶えておこう、キッチンの下と飴ちゃんをくれるおばちゃんのポケットは四次元空間だと。
全部出し切って中を見てもらう。
「分かります? 奥に四角い切れ目が見えるでしょう。普通キッチンの下や洗面台の下には、掃除口としてああいう孔が付いているんですよ」
全然気が付きませんでした、と奥さん。まあこれだけ物を詰め込んでいたら気付かないか。
俺はキッチン下に頭を突っ込んで奥の板を外す。懐中電灯で照らし――――大当たり。棒もガムテープも必要ない位置にそれはあった。それを優しくつまんで暗闇からエスケープ!
親指と人差し指の間を突き出すと、つかさ母の表情に喜びが広がっていく。
この瞬間がたまらなく好きだ。最高だ。こんなに嬉しい事はない。今も昔もそれだけは変わらない。そうだな、ミヤマクワガタを捕まえた時くらい嬉しい。うん、冗談だ。でもミヤマクワガタを捕まえた時って凄い嬉しいよね。俺はノコギリクワガタよりも断然ミヤマクワガタの方が好きなんだ。だってまず大きいし、頭の形がごついし、ハサミもなんか格好良い。全体が金色の微毛で覆われていてやっぱり格好良い。それに――――
「あの、七草さん!」
「はい!?」
驚いて横を見ると、つかさ母が真面目な顔でこちらを見ていた。多分何度か呼んだんだろう。しまった、また無視したみたいになってしまったかな? 流石に二度目となると怒らせてしまっただろうか。 ミヤマクワガタの魅力恐るべし……。
しかし、その心配もすぐに消えた。つかさ母はまた柔らかな笑顔にもどり、
「七草さん、本当にありがとうございました」
と言った。そして怒ったように、
「もう、お礼もちゃんと言わせてもらえないのかと思いましたよ」
と言っておどけた。俺はその可愛らしい仕草に、頭を掻きながらすみませんと笑った。
その日の夜、真子と夕食を取っていた時のことである。
ピン――――ポ――ンと、いつだかどこかで聞いた様な音がリビングに響いた。まあぶっちゃけ昨日ここで聞いたんだけど。
「真子出てきてくれ」
「えー? いつもは変な誤解されるから出るなって言うのに」
「いや、知ってるやつだから」
真子は返事をしながら小走りで玄関へ向かい、ドアを開けた。
「わー、つかさちゃん!」
「あ、こんばんわ。七草さんいますか?」
「いるよー、あがってあがってー」
遠慮しがちな声で、お邪魔しますと言って部屋にあがったつかさちゃんは、小さな包みを持っていた。
「あの、七草さん! お母さんにょ指輪を……お母さんの指輪を見つけてくれてありがとうございました!」
「…………っ!!」
既の所で堪える。ただ噛んだだけなのにこんなに笑いそうになるなんて、完全に昨日のが効いていやがる。それに口にものを含んでいる状態というのが、何故か笑いに弱い。本当に何故なんだ。
口の中のものを喉から下へ送り込み、笑い耐性を上げる。下を向き深呼吸をして、顔を引き締めてつかさちゃんに向き直る。前回は真子の顔を視界に入れたのが敗因だった。同じ轍は踏まない七草さんだぜ。
「――――っ!!」
何故お前がそこにいるんだ、真子よ……!
「ぶわはははははっははっははははははは!!! おまっ! くっふふはは、ちょっ……うひゃひゃひゃっははははははははっははははは!!!」
ダメでした。轍踏みました。思いっきり踏みぬきました。二轍の七草、もしくは覆轍踏みの七草と呼んでください。
そのあとたっぷり一分間笑い転げて、痙攣しながらもなんとか持ち直すことに成功するまじ腹いてえ。
しかしなんで真子がそこにいるんだよ。
「いや、あの、なんか笑わない様にしてる人を見ると、なんか笑わせたくならない?」
小学生男子の発想だった。全校生徒が体育館に集まる月曜日の朝礼で、校長先生の話中に前の人にちょっかい出しちゃって、後ろに立っている先生に怒られる小学生男子と同じ思考レベルだった。これって、前でちょっかい出されてたヤツも怒られるんだよな。小学生が覚える最初の理不尽だよな。大人の階段だよな。
「ほんっとうにごめんな、つかさちゃん。真子がバカで」
「いや、謝る理由おかしくないですかお兄ちゃん」
おかしくない。しかし今回はつかさちゃんは泣いていない。どころかこのやり取りをみて笑っている。
「今日は泣かないねつかさちゃん、えらいね!」
言いたいことをすぱっと言える真子の性格は本当に凄いと思う。それに前回泣かせておいて、えらいねって言えるのがまた凄いと思う。
「今日は泣きません、お礼を言いに来たんですから」
つかさちゃんは凛と言った。噛まずに。
「お礼はちゃんと受け取ってるから気にしなくてもいいのに」
「そうはいきません! これは私の依頼だったんですから!」
そういえばそうだったな。それでもこんな子供から報酬を受け取るわけにはいかないな。しかも今回の仕事なんて仕事のうちにも入らないほど簡単だったし。
「受け取ってください、七草さん」
そう言って右手に持っていた小さな包みを差し出してきた。ピンク色のリボンで可愛らしいラッピングが施されている。
「……えっと、開けていいのかな?」
受け取って尋ねると、つかさちゃんは首を勢いよく縦に振った。
「おお……」
中身はクッキーだった。小さい白と黒のクッキーは、今の彼女の服装の様で可愛らしい。
「私が焼いたんですよ。あの、お母さんに教えてもらったり、手伝ってもらったりはしましたけど、あの、心を込めて作りました!」
うわああ、これは結構な破壊力だな。もうなんだろうな、この初々しさは。可愛いなあ、わざわざこんな俺なんかに、お母さんのことでああもう可愛いなあガキンチョめ。
「あ、あの、私、お母さんに料理ののみ込みが早いって、褒められたんですよ。あ、あああ、あの、それで、それでですね、えっと、その、い、良いお嫁さんになれると、思うんですよ!!」
ボンって音が聞こえてきそうなほど、顔を一瞬で真っ赤にして叫ぶ。そいつは良かった。容姿も整っているし、これで料理が出来るとなると男どもは放っておかないだろうな。
「でも七草さんってお料理出来るんですね……」
つかさちゃんはテーブルをみて溜息を吐く。先ほどとはえらくテンションの差がある。さては男の俺がこれだけ料理出来るって思って落ち込んでいるのかな。
「いやいや、これ作ったのは俺じゃないよ。これは真子が作ったの」
えっへんと真子が大きく胸を張る。小さい胸を大きく張る。なんか悲しい気持ちになってきたのはなぜだろう。
「お兄ちゃん、何か今凄く失礼なこと考えなかった?」
「カンガエテナイデスヨゼンゼン」
「うそ! 絶対何か考えてた。ない胸を張ってるとかそんなの!」
「なんで分かるんだよ!?」
「本当に思ってたの!? もう許さない、お兄ちゃんこのお皿没収!」
「酷い、卑怯だ! カマかけたなってやめてまじでごめんなさい肉取らないでくださいすいませんでした!」
真子に謝りながら生姜焼きの皿を取り返そうと必死になる俺を、まるでこの世の終わりみたいな目でつかさちゃんが見ていた。
「真子さんお料理できるんですか……?」
小さく震えて、かすれている声は、なんとか耳に届いた。
「えへへ、料理はね、大得意なんだよ~。小さいときからやってるからね」
照れながら答える真子は少し可愛い……気がする。なんてことは思わず、照れている真子から素早く生姜焼きを奪還する。
「……でも……」
今度の声もやはり小さかったが、震えてないしかすれていない。
「でも、私もこれから得意になります! だから大丈夫です!」
「え、ああ、そう?」
何が大丈夫なんだろうか。いやでも、うん、まあがんばれよ。応援してるから。
とりあえず可愛いので頭を撫でてあげると、後ろから真子が抱きついてくる。背中に柔らかい感触が――あるような、ないような――――うん、ないな。
「って、そういう問題じゃないな――何すんだ真子お前っ!」
それでもなんか恥ずかしい気がするのだ。
「つかさちゃんばっかりずーるーいー。私もお兄ちゃんに甘えたいー」
なんなんだよ一体。いつもはこんなじゃ――いや、大体いつもこんな感じか。
「あ、あの、真子さんはいつも七草さんをお兄ちゃんって呼んでますけど、兄弟なんですか?」
「いいや違うよ。真子は俺の母親の妹の娘。従妹だよ従妹」
「そうだよ~」
おやまあ、今日は細かいなーとか言わないんだな。
「従妹だから、結婚出来るんだよ」
「…………そうきたか」
「結婚……ですか……」
「しないけどな」
つかさちゃん経由で世間に間違った情報が発信されるのはまずいので即否定しておく。この子のことだからお母さんにうっかり話しちゃって、お母さんが近所の人にうっかり話しちゃうなんてのが、容易に想像できたからだ。
「七草はまだ知らなかった。自分の中に芽生え始めていたこの感情の名が、愛というのだと……」
「ナレーション風に言うな。なんにも芽生えちゃいねーよ別に」
「雑草一つ生えてこない荒れ果てた大地の様な心なんだね、寂しくない? お兄ちゃん」
かわいそうなものを見る様な目で見られた。おかしい、俺はそんなに間違ったことを言っただろうか。つかさちゃんまでなぜか悲しい目で俺を見ているし、俺って実は物凄い寂しい人間だったのではないだろうか――ってそんなわけあるか! 騙されねえよ、おかしいのはこいつらだ。こんな奴らにかまっていられないよ、はやく食べないとおいしい料理が冷めてしまう……そう言えばつかさちゃんは晩御飯は食べたんだろうか。
「いえ、まだ食べてないです」
「それじゃあ食べて行きなよつかさちゃん! いっちゃんさんのがあるから!」
そう言って、真子は台所にラップしてあるおかずを温め始めた。言われてみればイチが来てないな、最近毎晩来てたのに。
このあと、真子の意外な料理のおいしさに、つかさちゃんは食後「負けました!」と叫び、食後にはつかさちゃんの持ってきてくれたクッキーを三人で食べた。クッキーは思った以上においしくて、少し驚いてしまった。真子はつかさちゃんの母親に弟子入りに行くらしい。がんばってくれ。
「それじゃあ送っていこう」
もう遅いのでつかさちゃんを家に帰さなければいけない。靴を履いて外に出ると、つかさちゃんと真子が手を繋いで後についてきた。
「仲良いなお前ら」
「えへへ~、つかさちゃん可愛いから妹にするんだ! ね、つかさちゃん!」
勝手に妹にするな。
「勝手じゃないもん、これからつかさちゃんのお母さんにお願いに行くんだもん。お母さん、娘さんを私に下さい! って」
「やめろ」
「あはははは」
田舎町らしく街灯が少ないこの町を、満天の星空と少し欠けた月が優しく照らしている。こんな町に住む人間には、暗い顔は似合わないと思う。空に瞬く星と同じくらいに輝いてほしいと、そんな風に考えてしまう。
この仕事は、そんな笑顔を増やせる悪くない仕事だと思っている。この仕事を始めるきっかけこそおかしなものだったけれど。まあそのへんは語るような雰囲気になったら脚色してドラマチックに感動的に語ろうかと思う。
「おにーちゃーん! おそいよー!」
五〇メートルほど先で真子とつかさちゃんが手を振っている。
「いや、そっちじゃないから。ここ右」
「え!?」
「あ、そうだった。ウチこっちだった」
間違えるなよ。自分の家くらい。
駆け足で戻ってきた二人と並んで歩く。目的地はもうすぐそこだ。つかさちゃんを送りとどけて、帰宅すれば今日は終わる。長いような短いような今日がまた終わっていく――――なんて考えていた俺を、ぶん殴ってやりたい。蹴り飛ばしてやりたい、蔑んでやりたい、罵ってやりたい。そんな簡単に終わるわけないじゃないか。真子と、つかさちゃんとその母親が集まって、そんなあっさり終わるわけないだろう。
玄関を開けての元気なただいまと、はじめましてと、今日はありがとうございましたいえいえあのくらいと、お母さん娘さんを私に下さいから始まったコントが、今日一番の仕事だった。もちろんツッコミは一人しかいない。