結婚の決め手は、椅子が爆発したことでした。
本編未読でも読めます。
ロゼッタのママとパパ。
狂人夫婦の馴れ初めの話です。
王都には、一人の有名な令嬢がいた。
マリアベル・ローゼンハイム。
名門ローゼンハイム伯爵家の一人娘であり、その名は本人が社交界へほとんど姿を見せないにもかかわらず、王都の隅々にまで知られていた。
美しい。
穏やか。
優しい。
そうした評判ばかりが先行し、社交界で彼女を悪く言う者はほとんどいなかった。
もっとも、実際に彼女を見たことがある者は驚くほど少なかった。
なぜなら、マリアベルは極度の怖がりだったからだ。
夜会は怖い。
人混みは怖い。
知らない人はもっと怖い。
特に、男は怖い。
そのため社交界にもあまり顔を出さず、招待状が届いても辞退することがほとんどだった。
それでも彼女の名が王都中へ広まっていた理由は、もう一つあった。
噂である。
――刺激すると爆弾が飛んでくる。
――怖がると爆発する。
――狂人
王都ではそんな、にわかには信じがたい話まで囁かれていた。
どこまで本当なのかは分からないし、尾ひれがついている部分もあるのだろうと、多くの者は考えていた。
ただ、一つだけ確かなことがあった。
その噂を聞いてなお、彼女との縁談を望む男が後を絶たなかったことだ。
なにしろ似顔絵だけで話題になるほどの美貌であり、伯爵家の令嬢という立場も相まって、男たちは都合よく夢を見る。
どうせ噂は誇張だろう。
実際は少し怖がりなだけの、可愛らしい令嬢なのだろうと。
そして大抵は逃げ帰る。
そんな令嬢だった。
ヴィクトル・エル・グランフェルは、自分が割と冷静な人間だと思っている。
感情で動くことは少なく、何事もまず合理性を基準に考え、無駄な遠回りや非効率を好まない性格だった。
だからこそ彼は、少しだけ興味を持っていた。
マリアベル・ローゼンハイム。
評判の良さとは裏腹におかしな噂も絶えず、縁談はことごとく失敗する。
理由が分からなかった。
だから今日の顔合わせを少し楽しみにしていた。
実際に会えば分かるだろう、と。
そして……。
その考えは開始10分で吹き飛ぶことになる。
「本日はお越しいただきありがとうございます」
目の前の令嬢は美しかった。
噂通りだった。
柔らかく微笑み、おっとりとした声で挨拶をする姿には気品があり、育ちの良さが自然と滲み出ている。
上品で穏やか。
どこからどう見ても名門伯爵家の令嬢だった。
(普通だな)
ヴィクトルは少し安心した。
王都の噂など大抵は大袈裟であり、爆弾がどうとか狂人だとか、そんなものはやはり根も葉もない話なのだろうと、思った。
そう、思った時だった。
ドゴォォォォォン!!!
「…………。」
目の前で椅子が爆発した。
ヴィクトルは黙って煙を見つめる。
しばらく考えて
そして、
結論を出した。
噂は…本当だった。
「来ないでくださいませーーーっ!!」
マリアベルは泣きそうな顔だった。
本気で怯えていた。
「どうかされたのでしょうか?」
「どうかされたのでしょうか、ではありませんわ!」
火のついた爆弾が飛んでくる。
ヴィクトルは半歩だけ身体をずらしてそれをかわす。
後方で花壇が爆発した。
使用人が悲鳴を上げている
「近付かないでくださいませ!」
「ははっ、もしかして怖がらせてしまいましたか」
「男はみんな狼ですもの!」
「そうか」
「危ないですわ!」
「なるほど」
全然、なるほどではなかった。
昨夜、マリアベルは眠れなかった。
顔合わせに怯えていたからだった。
(怖いですわ)
(男はみんな狼ですわ)
(恐ろしいですわ)
だから、対策をした。
まず、動くと爆発する椅子を設置した。
これが相手の動きを封じることができるだろう。
そして万一のため、距離を取るための爆弾もたくさん準備した。
完璧だった。
これで、相手は帰るはずだった。
怖い思いをしなくて済むはずだった。
なのに目の前の男は帰らない。
椅子が爆発しても帰らない。
爆弾を投げても帰らない。
むしろ、少し楽しそうだった。
おかしい。
本当におかしい。
マリアベルは混乱していた。
責めるでもなく。
怒るでもなく。
馬鹿にするでもなく。
目の前の男はなぜか笑っている。
そして、マリアベルは一つのことに気付いた。
自分には、一度も爆風が当たっていない。
ヴィクトルが立つ位置を変えているのだ。
煙も
爆風も
破片も
全部、自分の方へ向かわないように。
さりげなく、自然に。
まるで当たり前のことのように。
(そんな配慮、されたことありませんわ)
胸が少しだけ、ざわついた。
「……なぜ逃げないんですの?」
マリアベルは思わず聞いていた。
どれだけ爆弾で牽制しても、
どれだけ怖がらせても、
この男は帰ろうとしない。
ヴィクトルは少し考えて静かに答えた。
「逃げる理由が、ないからです」
「爆発しているんですのよ?」
「そうですね」
「怖くないんですの?」
「怖いですよ」
あっさり認めた男に、マリアベルは目を丸くする。
「でしたら――」
「だけど君は、とても面白い」
ヴィクトルは自分の口元が自然に緩むのを感じていた。
自分でも不思議だった。
なぜこんなにも興味を惹かれるのか。
社交界の人間は大体理解できる。
何を考え、
何を望み、
何を隠しているのか。
ある程度は予測できるし、会話を重ねればその人物像も見えてくる。
だが彼女だけは分からない。
理解できない。
次に何を爆発させるのかも分からない。
何に怯えているのかも分からない。
なのにもっと見ていたかった。
もっと知りたかった。
婚約者候補は他にもいる。
穏やかな令嬢も。
常識的な令嬢も。
才気あふれる令嬢も。
だが初対面で爆発する椅子へ案内し、泣きそうな顔で爆弾を投げてくる令嬢は間違いなく一人しかいない。
彼女といる毎日は、おそらく予想外の出来事ばかりで、平穏とは程遠いものになるだろう。
それでもきっと、退屈はしない。
ヴィクトルは確信した。
(婚約者なら、この人がいい)
後に、ヴィクトルは『爆発を避けながら求婚した男』と呼ばれることになる。
そして本人に結婚の決め手を尋ねると、穏やかな笑顔でいつも同じ答えが返ってきた。
「そうですね」
「椅子が爆発したことでしょうか」
作者「吊り橋効果ですね。」
狂人夫婦のなれそめでした。
なお、この二人は後に結婚し、
「街が暗くて怖いから照明弾で夜を昼にする母」
「娘が心配だから宰相権限を乱用する父」
「蚊を狙撃する兄」
を育成することになります。
現在、その娘が主人公の連載を書いています。
王都を爆破する悪役令嬢に転生したはずなのに、家族が狂人すぎて普通の生活すら送れず「普通がいいですわー!」と崩れ落ちる不憫な令嬢の物語です。
シリーズ一覧から読めますので、よかったらぜひ




