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白夜戦記──世界に光を降らせる日  作者: ルシア
第0章 過去の祈り、未来の光

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第6話 光

 母・クレアに危うく魔法を使っていることがばれそうになった夜の家族団らんから、およそ1週間が過ぎた。

 その間、グレンは毎日学校が終わると真っ直ぐに秘密の丘へと通い詰め、風の魔法の特訓とペンダント作りに没頭していた。

 そうして迎えた、母・クレアの誕生日前日。


 午前10時。

 カノンの街の中央に位置する教会の礼拝堂は、今日もひんやりとした空気に包まれていた。

 高く作られた天井からは、ステンドグラスを通した色とりどりの秋の陽光が差し込み、空気中を漂う細かな埃をキラキラと照らしている。カビ臭いような古い石と、長年磨き込まれた木の匂い。硬い長椅子に座ってじっと目を閉じていると、すぐに足がジンジンと痺れてくる。


(あーあ、早く終わらないかな。今日はいよいよ最後の仕上げなのに)


 祭壇の前では、純白の法衣に身を包んだ神父である父・ロイドが、街の人々に向けて平和を感謝する長いお祈りの言葉を紡いでいる。堂内に響く父の低く穏やかな声は、まるで静かな子守唄のようだった。

 いつもなら隣に座るアルスと一緒になって欠伸を噛み殺すのに必死な時間だが、今日のグレンは少し違った。ズボンのポケットに手を入れて、中にあるすっかり丸くなった石の感触をそっと指の腹で確かめる。

 1週間の特訓の成果で、すでに表面はつるつるだが、今日、丘の上で最後の微細な風を当てて極限まで磨き上げれば、最高の誕生日プレゼントが完成するのだ。そう思うと、自然と口元が緩んでしまう。


「──皆の心に、平穏と魔素の恵みがあらんことを」


 ようやく父の言葉が終わり、礼拝堂の大きな鐘がカノンの街に鳴り響く。

 長椅子から立ち上がった街の人々が、伸びをしたり、今日の昼飯の相談をしたりしながら三々五々に散っていく。

 お腹も空いたし、早くお昼ご飯を食べて丘へ向かおう。そう思って人波を掻き分け、礼拝堂の扉へ向かって歩き出した時だった。


「ちょっと、グレン」


 背中からちょいくいっと袖を引かれ、振り返ると、幼馴染のカレンが腕を組んで立っていた。

 休日の彼女は、いつも学校で着ている質素な服ではなく、少しだけフリルのついた可愛らしいワンピースを着ている。だが、その表情はいつも通り、少しだけ吊り上がった目をさらに細め、小言を言う時の『優等生』の顔を作っていた。


「なんだよ、カレン。腹減ったのか?」


「違うわよ! あなたね、今日もお祈り中にずっとモジモジして、ニヤニヤしてたでしょ。神父様の息子なんだから、みんなのお手本になるようにもっとシャキッとしなさいよね」


「えー、だってお尻痛いし足が痺れるんだもん。父さんの話、長いんだよ」


「もう、いつもそうやって誤魔化すんだから。本当に子どもね」


 カレンは呆れたようにふうっとため息をついた。だが、そこからいつものお説教が続くかと思いきや、彼女は急に口を噤み、視線をスッと床に落とした。組んでいた腕を解き、自分のスカートの裾をぎゅっと握りしめる。


「……でも。この前の話」


「この前?」


「秘密基地で言ってたじゃない。魔法使いになって、みんなを助けるってやつ。……あれは、その。悪くない、んじゃないかしら」


「ほんと!? だろ!」


「調子に乗らないの! まだ短杖(ワンド)も触ったことないくせに」


 カレンは慌てて顔を上げ、ツンと顔を背けた。しかし、透き通るような白い耳の先は、ほんのりと赤く染まっていた。

 彼女は周囲の大人たちに聞かれないよう、少しだけ声を潜めてグレンを真っ直ぐに見つめる。


「だ、だからっ。私が大人になって学校の先生になったら、私の生徒たちに、一番最初にかっこいい魔法を見せに来なさいよ! 特別授業の先生として呼んであげるから」


「おおっ! 任せて! 一番すごい魔法を見せるよ!」


「約束だからね! 破ったら、一生居残りなんだから!」


 それだけを早口でまくしたてると、カレンは「じゃあね!」と足早に教会の外へと駆け出していってしまった。背中で揺れる赤いリボンを見送りながら、グレンは目をぱちぱちとさせた後、「なんだよ、あいつ」と嬉しそうに笑った。

 胸の奥がぽかぽかと温かい。優等生のカレンが、自分の夢を認めてくれた。将来の約束をしてくれたのだ。

 ますます気合が入ったグレンは、足取りも軽く、自宅のダイニングへとお昼ご飯を食べに戻った。




 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




「ごちそうさまでした! 俺、ちょっと遊んでくる!」


 お昼の温かい豆と豚肉のシチューをあっという間に平らげ、グレンは木製の椅子から勢いよく飛び降りた。口の周りについたスープを袖で乱暴に拭う。


「こらグレン、走ると転ぶわよ。……明日はお母さんの誕生日なんだから、怪我して服を破いて帰ってきたら許さないわよ。暗くなる前にはちゃんと帰ってくるのよ」


 台所で洗い物をしながら、クレアが振り返らずに声をかける。水の跳ねる音と、鼻歌交じりの明るい声。


「はーい! わかってるって!」


「グレン、あんまり無理はするなよ」


 食後の熱いコーヒーを飲んでいた父が、クレアから見えない角度で、グレンに向かって片目をパチンと瞑った。

 グレンも親指を立てて満面の笑みを返し、勢いよく分厚い木の扉を押し開けた。


 秋の高く澄んだ青空の下、カノンの街は今日も活気に満ちていた。

 石畳の通りを駆け抜けると、あちこちから生活の温かい音が聞こえてくる。荷馬車がゴトゴトと通り過ぎ、水路では冷たい水がサラサラと心地よい音を立てて流れている。


「おっ、グレン! 走ると転ぶぞ!」


 通りに面したパン屋の前を通りかかると、店主のバドさんが小麦粉で真っ白になった太い腕を振って声をかけてきた。かまどからは、焼き立ての丸パンのたまらない匂いが漂っている。


「こんにちは、バドさん! パン、すっごくいい匂い!」


「がははっ、だろう! 今日は特別に蜂蜜を練り込んだやつを焼いてるんだ。お前も後で食いに来いよ!」


「うんっ! 絶対行く!」


 大きく手を振り返し、さらに広場の方へと走っていくと、見慣れた2人の姿があった。


「あーっ! グレン発見ー!」


「おーいグレン、お前も防衛隊の訓練に参加しろよ!」


 水路のほとりで、木の枝を構えたアルスと、両手にバドさんのパン(おそらくつまみ食いだろう)を持ったミーシャがこちらに向かって大きく手を振っていた。


「ごめん! 俺、今日は大事な『秘密の任務』があるから遊べないんだ!」


「えーっ、つまんないの! グレンのケチー!」


 ミーシャが頬をふくらませて文句を言う。アルスは「どうせまた、昼寝屋の修行だろ!」とからかうように笑った。


「違うよ! 今度絶対にびっくりさせてやるからな!」


「はいはい、楽しみにしてるぜ! じゃあなグレン、また明日、秘密基地でな!」


「ミーシャも明日はいーっぱい遊んであげるからね! また明日ー!」


 広場で、親友たちが屈託のない笑顔で手を振っている。

 グレンも振り返り、大きく右手を掲げた。


「うん! また明日な、アルス、ミーシャ!」


 何の疑いもなく「明日」の約束を交わし、グレンは再び走り出した。

 すれ違う街の大人たちが、「おや、グレン。元気だね」「神父様によろしくな」と次々に声をかけてくれる。みんな、家族のように温かくて優しい、大好きなカノンの人々だ。

 やがて、街の外へ出ると、徐々に生活音が少なくなり、静かな自然の音だけになる。

 街外れの裏道を抜け、緩やかな斜面を登っていく。

 息を切らして振り返ると、山間と外壁に囲まれたカノンの街が一望できた。赤魔素のランタンの準備をする人、洗濯物を取り込む人、手のひらに乗ってしまいそうなほど小さなその景色が、愛おしく輝いている。




 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー





 時刻は午後2時。

 グレンは誰にも見つからないよう裏道を抜け、街外れのいつもの小高い丘へとやってきた。

 見晴らしの良いこの場所には、秋の冷たい風が吹き抜け、足元の長い草をサワサワと波のように揺らしている。


(よし、いよいよ最後の仕上げだ!)


 グレンは魔石を足元の平らな岩の上に置き、父から借りた短杖を構えた。

 この1週間で、魔法の腕は劇的に上達した。もう、暴発させることも、石を吹き飛ばすこともない。自分から伸びる見えない手で魔素を優しく、そして柔らかく包み込む。まるで呼吸をするように自然に、言葉を紡いだ。


「──緑魔素よ、進め(ヴェイ・ザル)


 杖の先から放たれた極小のつむじ風が、魔石をふわりと空中に浮かせる。

 周囲の微細な砂埃を取り込んだ風の渦が、魔石の表面に残った最後の目に見えない凹凸を、上質な絹で撫でるように滑らかに削っていく。

 全神経を集中させ、風の強さと密度をミリ単位で微調整する。バドさんが言っていた「不快感」など微塵もない。ただただ、大気中の魔素と自分の意識が、一つに溶け合って繋がっているような深い心地よさだけがあった。


(もっと綺麗に……もっと優しく……光を集めるみたいに)


 失敗は許されない。絶対に、世界で一番きれいなプレゼントにするんだ。

 額に汗がにじむのも、膝が泥で汚れるのも構わず、グレンは瞬きすら忘れて風を操り続けた。


 ……やがて。


 日が傾き始め、カノンの街がうっすらと夕暮れのオレンジ色に染まり始めた午後4時頃。


「……できた」


 ふうっと長く息を吐いて魔法を解き、グレンは震える両手で、ふわりと落ちてきたその石を受け止めた。

 1か月前まではゴツゴツしていたただの石ころは、今や一点の曇りもない、美しい涙型(ティアドロップ)の宝石へと生まれ変わっていた。

 夕日を受けて、石の内部で翠色の光がとろけるように、そして神秘的に輝いている。



「やった……やったぞ!!」



 グレンは歓声を上げ、完成したばかりのペンダントトップを、西の空に向かって高く掲げた。

 透明な宝石を通して、眼下にある大好きなカノンの街を見下ろす。

 翠色の光の中に、カレンの家から立ち上るパンを焼く美味しそうな煙が見えた。アルスやミーシャが走り回っているかもしれない石畳の広場が見えた。そして、大好きな父と母が待つ、小さな教会の赤い屋根が見えた。



(帰ったら、すぐにお母さんに見せよう。絶対にびっくりして、褒めてくれるぞ!)



 この平和で、優しくて、愛おしい世界。

 明日も明後日も、大人になっても。ずっとこの街で、みんなと一緒に笑い合って生きていくんだ。

 グレンの心は、これ以上ないほどの幸福感と、明日への希望で満たされていた。










 ──その瞬間だった。







 カノンの街を挟んだ、反対側の険しい山脈。

 その頂の向こう側から、ふいに『2つ目の太陽』が昇ったように見えた。



「え?」



 グレンが間抜けな声を漏らした直後。

 音はなかった。

 ただ、世界の色をすべて奪い去るような、おぞましいほど強烈で、純白の極光(きょっこう)が山の向こうからあふれ出し──カノンの街を丸ごと飲み込んだ。



 一瞬の出来事だった。

 透かして見ていた翠色の石の向こう側で。

 頑丈なカノンの石壁が、鍛冶屋の煙突が、石畳の広場が、父と母のいる教会が、友人たちの家が、通い慣れた学校が。

 強烈な閃光の中で、一切の抵抗を許されず、まるで砂のお城が崩れるように、あるいは水に落ちた角砂糖のように。

 音もなく、一瞬にして光の中に飲み込まれ、サラサラと砂状になって蒸発していく。



(──)



 グレンの8歳の脳は、目の前で起きた現実をまったく処理できなかった。ただ、なにか形容しがたい()()()がグレンの全身を突き刺す。

 なにが起きているのか? 街が消えた? 誰かの魔法? それとも、悪い夢を見ているのか?




 ───────カレンは、アルスは、ミーシャは。




 ───────父さん、母さん、みんな。




 ───────みんな、無事なの?




 ただ呆然と、光に飲み込まれ、すべてが無に帰していく様を見つめていた、その時。




 ──ズドガアアアアアアアアァァァァァッ!!!!!!




 光から少し遅れて、世界が引き裂かれるような凄まじい轟音が空気を震わせた。

 同時に、山を越えて大気を圧縮した超高圧の『衝撃波』が、丘の上にいるグレンを容赦なく殴りつけた。






「あ──」






 息をする間もなかった。

 内臓が潰れるようなすさまじい圧力。グレンの小さな体は、木の葉のようにふわりと空中に舞い上がり、そのまま丘の裏側にある険しい崖の下へと真っ逆さまに吹き飛ばされた。

 天地が激しくひっくり返る。耳をつんざく、世界の終わりのような風の音。

 崖の斜面に生えた硬い木の枝が、次々と全身を激しく打ち据え、皮膚を引き裂き、骨を軋ませる。



(痛い……父さん、母さん、みんな……助けて……っ)



 バッシャアァッ!



 崖の下を流れる氷のように冷たい川の激流に、グレンの体は深く沈み込んだ。

 全身を打った衝撃で肺から空気が抜け、開いた口から濁った冷水がとめどなく流れ込んでくる。視界が急速に真っ黒に塗り潰されていく。

 遠のいていく意識の中で、グレンの右手だけが、まだあたたかい翠色の宝石を、手のひらから血が滲むほど痛いほど強く握りしめていた。



(とう、さん……かあさ……)



 それが、グレンという8歳の少年が知る「平和で優しい世界」の、最後の記憶だった。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

平和なプロローグはここまでです。以降、グレンは辛い経験を積み重ねますが、比例してどんどん強くなっていきます。この作品はプロットのみ完成しているのですが、いざ書き始めたところキャラが勝手に動き出して話数が増えていっているので、いつ完結するかわかりません。

それでも、最後までお付き合いいただけたら幸いです。よろしくお願いいたします。

次章がおわるまで、19:00~20:00頃を目指し、毎日2話更新でいきます。

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