第4話 魔法
次の日の朝。グレンはさっそく、父から借りた短い木の杖と、鶏卵ほどの魔石を両手に握りしめ、いつもの小高い丘へと向かっていた。
(誰にも見られないようにっと)
石畳の通りを早足で歩いていると、パン屋の店先で釜の準備をしていた店主のバドさんとばっちり目が合ってしまった。
「お、グレンじゃねえか。朝からどこ行くんだ?」
「あ、バ、バドさん! おはよう!」
グレンは慌てて両手を背中に回し、杖と魔石を隠す。しかし、大柄なバドはぐいっと身を乗り出して、グレンの後ろを覗き込んだ。
「お、魔石のアクセサリー作りか。そりゃまた懐かしいもんを持ってるな。なんだ、好きな女の子にでもプレゼントするのか?」
「違うよ! 母さんの誕生日が近くて……それで……」
「あ〜なるほどな、母ちゃんへのプレゼントか。……あれ? お前、まだ八歳だよな?」
(まずい、怒られる!)
カノンのルールを破っているのを見つかり、グレンがギュッと目を瞑った瞬間。
「がははっ! ロイドの奴もこっそり悪い親父だな〜。ま、これも経験か」
「え?」
「確かに赤魔素だったら子どもには危ねえ。だが、緑魔素なら最初はそよ風が出るだけだ。それに、お前に緑魔素の素養があるかもわからないし、使えたとしても最初は相当苦戦するからな」
「そうなの?」
「ああ。魔具を通して魔素を動かすってのはな、自分の体から見えない『もう一本の手』が伸びているような奇妙な感覚なんだ。慣れないうちはすげえ不快感があるし、思い通りになんて動かせねえのさ」
「じゃあ、俺には難しいのかな……」
グレンがしょんぼりと肩を落とすと、バドは大きな手でグレンの頭をポンと撫でた。
「まだ誕生日まで時間があるだろう? それに、魔石を削る程度なら、学校で習ったスペルで他の石とゴロゴロぶつけ合わせるだけだ。そんなに強い風も必要ねえし、毎日練習すれば大丈夫だ」
「本当?」
「ああ、母ちゃんのためにがんばれよ」
すっかり元気づけられたグレンは、「うん!」と頷いて丘の方へ駆け出した。そして数歩進んだところで振り返り、大きく両手でバツ印を作る。
「カレンには絶対に内緒にしてね!」
「あいよ」
苦笑いして手を振るバドを背に、グレンは丘へと急いだ。
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(さて、始めよう)
グレンは周囲を見回し、大きく息を吸い込んだ。
まず、緑魔素の素養が自分にあるのか確かめるために、大事な魔石は足元に置き、何もない草むらに向けて杖を構える。
(とにかく、まずは素養があるかどうかだよね)
大人が魔具を使う姿はいつも見てきた。バドさんが釜に火を入れる姿、鍛冶屋のおじさんが風でふいごを回すところ、夏に水路で風を起こし涼みながら井戸端会議をするおばさんたち、黒魔素で土を固めて煉瓦を積む職人……。
カノンの日常の光景を頭に思い浮かべ、自分にも才能があることを祈りながら、学校の授業で習った呪文を唱える。
「──緑魔素よ、進め」
グレンが短く唱えた、その瞬間だった。
ドバアァッ! と、杖の先から言葉を言い終わるのと同じタイミングで、凄まじい突風が吹き出した。
「うわあっ!?」
あまりの反動にグレンは尻餅をつき、手から短杖を落としそうになる。
突風は周囲の芝生を激しくむしり取り、土煙を上げて空へと消えていった。大人たちがふいごを回す時のそよ風とは比べ物にならない、嵐のような風だ。
(な、なんだこれ……。どうして唱えた直後にすぐ風が出るんだ? しかも、強すぎる……!)
グレンは心臓をバクバクさせながら、ぱらぱらと落ちてくる土交じりの草を見つめる。もしこれを魔石に向けてやってしまっていたら、遥か遠くへ吹き飛ばしていただろう。
(とにかく、緑魔素の素養はあった。けれど、バドさんが言っていたみたいに「自分から見えない手が伸びるような不快感」なんて全然なかった。むしろ……)
グレンは立ち上がり、服についた土を払うと、杖を構え直してもう一度はっきりと唱える。
「──緑魔素よ、進め!」
すると、今度は風の魔法が一点に集中し、まるで竜巻のような渦が直線上に放射された。そして同時に、まるで冷たい川で水浴びをしているかのように、全身で心地よく魔素の流れを感じ取ることができた。
(すごい……! 魔素が掴める、魔素の動きがなんとなくわかる!)
感動して呆然としていたが、ふと我に返る。本来の目的はアクセサリー作りだ。
(そうだった、これじゃあ魔石が壊れちゃう)
また何もない空間に向けて、今度は風をうんと細く、小さくまとめるイメージを持ち、出力を弱めながら長く魔素を動かし続けるように意識する。
「──緑魔素よ、進め」
杖の先から放たれた風を受けて、地面の砂利が激しく波打った。
「もっと、うんと小さく……優しく、息を吐くみたいに……」
声を出しながら集中すると、ついに渦状に小石と砂だけをくるくると動かすことに成功する。
が、少しでも意識が途切れると、すぐに風が止まってしまったり、逆に激しい突風が暴発してしまう。
(難しい……!)
グレンは眉間にしわを寄せ、魔法を止めて短杖を両手でしっかりと握り直した。
魔法の力なんてよくわからない。ただ、思い描いた通りに風を細く、小さく操らないと、綺麗な宝石にはならないことだけは分かっていた。
失敗を繰り返しながら、グレンは少しずつ、強すぎる風を「自分の指先のように」操る感覚を身につけていった。
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それからの毎日は、学校が終わると誰よりも早くカバンを掴み、真っ直ぐにこの秘密の丘へ向かう生活になった。
「──緑魔素よ、進め!」
ビュンッ!
勢い余った風が魔石を弾き飛ばし、遠くの茂みへと消えていく。
「ああっ! 待って、どこ行ったの!?」
グレンは慌てて草むらに飛び込み、四つん這いになって泥だらけになりながら石を探した。これを無くしたら、母さんへのプレゼントどころか、父さんにもこってり絞られてしまう。
三十分ほど探してようやく見つけた魔石は、少しだけ欠けてしまっていた。
(あ~!? くそっ、母さんへの誕生日プレゼントなんだ。次はもっと優しくやらなきゃ!)
グレンは服の袖で泥を拭い、再び杖を構える。
ただ風をぶつけるだけじゃ駄目だ。意識して、見えない手で石をふわりと包み込むように。そして、拾い集めた細かい砂利を、石の周りでくるくると渦を巻くように回すんだ。
「──緑魔素よ、進め……」
今度は叫ばず、そっと囁くように唱える。
すると、杖の先から放たれた風が小さなつむじ風となり、空中に浮かんだ魔石の周りで、砂利がシャリシャリと音を立てて削り始めた。目に見えないヤスリをかけているみたいだ。
(すごい……! できた、削れてる!)
ほんの少しでも気を抜くと、すぐに石は落ちてしまうし、力が強すぎると飛んでいってしまう。グレンは額に汗をにじませながら、夕日が沈んで薄暗くなるまで、夢中になって風を操り続けた。
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そんな秘密の特訓を始めてから、十日ほどが過ぎた。
「グレン! また泥だらけじゃないの! ちゃんと水路で洗ってきなさいって言ったでしょ!」
「ご、ごめんなさい母さん! 転んじゃって!」
家に帰るたびにクレアに怒られ、拳骨をもらうのが日課になってしまったが、グレンの心はちっとも痛くなかった。
なぜなら、ポケットの中にある魔石が、ゴツゴツしたただの石ころから、少しずつ丸みを帯びた綺麗な形に変わってきていたからだ。
そして、石が綺麗になっていくのと同じくらい、グレンの「魔法」も上達していた。
最初は力みすぎて暴発していた風も、今では息を吸って吐くのと同じくらい自然に、そして一瞬で出せるようになっている。ただの「そよ風」から、「思い通りに砂利を集める風」、そして「砂利と魔石を合わせて削り合わせる風」まで、頭の中で思い描いた通りに魔素が動いてくれるのだ。
(俺、もしかして風の魔法が得意なのかな。バドさんは魔素を扱う感覚が難しいって言ってたのに、ちっとも嫌な感じがしないや)
ベッドの中で、グレンは布団に潜り込みながら、つるつるになってきた魔石を指先で撫でた。
緑色のランタンの光に透かすと、魔石はうっすらと綺麗な翠色に光って見える。
(そういえば、明日はアルスたちと秘密基地に集まる日だ)
みんなに見せたら、きっと驚くぞ。魔法をこんなに上手に使えるなんて、まだ誰にも言っていないのだ。まだいまは言えないけれど、この石は自慢したい。
(早く明日にならないかな)
そんなワクワクで胸をいっぱいにしながら、八歳の少年は静かに眠りについた。
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