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白夜戦記──世界に光を降らせる日  作者: ルシア
第1章 ログザ魔脈坑

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第17話 初めての死闘

「キィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィッ!!」


 巨大な蜘蛛が、地殻そのものを震わせるかのような咆哮を上げた。鼓膜を内側から引き裂かれそうな不快な高音に、グレンは思わず顔をしかめる。

 次の瞬間、魔獣の口元から機関砲のような勢いで、白い『糸の弾丸』が何発も高速で吐き出された。


(──『魔素探知』!)


 グレンは眼前に迫る死の気配を横目に、即座に回避行動へと移った。

 大気中に張り巡らされた無魔素の揺らぎから、飛来する糸の射線を完全に先読みする。右へ、左へ、さらに前転を交えながら、赤茶けた岩盤の上をジグザグに走り抜ける。グレンの残像を食い破るように、白い糸が次々と地面に突き刺さり、シュウシュウと熱で硬い岩を焦がす。


(これに触れたら大火傷だな)


 グレンは極限の集中力で状況を把握しながら、重い魔素銃(マジックライフル)を構え直した。走りながら銃床を肩に押し当て、蜘蛛の巨大な『目』──黒曜石のように不気味に光る複眼へと照準をピタリと合わせる。


赤魔素よ、射出せよ(イグ・ザル)!」


 ダァァンッ!


 一般兵が撃つものとは比較にならない、膨大な無魔素によって最適化された高威力の赤魔素弾。それが発射の反動でグレンの肩を激しく打ち据えながら、空気を焼き切り、一直線に飛んで蜘蛛の複眼に直撃した。


「キィィィィィィッ!」


 蜘蛛は苦痛の混じった甲高い声を上げ、巨大な上半身を大きく仰け反らせる。

 手応えはあった。しかし、爆炎と土煙が晴れた後、グレンは絶望的な現実を突きつけられる。あのガラス玉のような複眼には、ヒビ一つ、傷一つついてはいなかったのだ。


(怯みはするが、流石に硬すぎる!)


 グレンは足を止めない。止まれば即座に溶ける糸の餌食だ。彼は蜘蛛の巨体の周囲を大きく円を描くように走りながら、どこか攻撃が通りそうな隙がないか、魔獣の全身を血走った目で観察し続ける。


(足の関節はどうだ?  いや、隙間という隙間まで、びっしりと鎧のような分厚い甲殻で覆われてる。あれじゃあ爆風も熱も通らない)


 背後──腹部の裏側へ回り込もうと加速するが、蜘蛛も巨体に似合わぬ異常な速度で八本の多脚を蠢かせ、常に硬い頭部と前脚をグレンの正面に向け続ける。


(くそっ、取り合えず撃ち続けて弱点を探るしかない!)


 グレンは引き金に指をかけ、無魔素を次々と銃身の魔石へと注ぎ込みながら、魔獣の足、目、口、頭部に向けて乱れ撃ちを開始した。


赤魔素よ、射出せよ(イグ・ザル)!」


 ダアンッ! ダアンッ! ダァンッ!


 走りながら、息を吐くように魔法の構築を止めず、次々と陽炎を纏う魔素弾を連射する。


「キィィィィィィッ!!」


 頭や足の装甲に着弾する爆発を、魔獣は全く意に介さない。鬱陶しい虫でも払うかのように前脚を振るうだけだ。口元への攻撃は、着弾の直前に二本の巨大で硬い牙を交差させ、完璧な盾としてガードされてしまう。

 だが、やはり『目』に命中したときのみ、明確に頭を振って嫌がる素振りを見せた。


(やっぱり目が弱点なのか? だが、決定打にはなってない。火力が足りない……!)


 グレンの猛攻撃を無傷で凌ぎ切った蜘蛛が、苛立ちを露わにするようにカッと大きく顎を開いた。


 ────その奥で、周囲の空間が歪むほどの強烈な熱を持った『複数の赤魔素弾』が形成される。それは、先ほどの糸とは次元の違う、純粋な破壊のエネルギー体だった。


 ドバババババッ! という爆音と共に、グレンに向かって機関銃のように巨大な火球が乱射され始めた。


「くそっ、赤魔素よ、射出せよ(イグ・ザル)!」


 糸とは違い、着弾と同時に広範囲の岩盤を吹き飛ばす魔素弾の豪雨に、グレンはかつてない焦燥を覚えた。

 右に跳んでも左に跳んでも、爆風の範囲から逃れきれない。回避できるスペースを強制的に広げるため、グレンは咄嗟に魔素銃の銃口を自身の足元の地面に向け、爆風を利用した強引な跳躍を試みた。


(しまっ……威力が!?)


 だが、風魔法による直接的な身体操作とは違い、銃の反動と足元の爆風を利用した移動は、軌道と威力のコントロールが極めて難しい。自身がダメージを受けないよう、無意識に爆発の威力を抑えようとする防衛本能が働き、戦闘の緊迫感も相まって出力調整を誤ってしまった。

 パンッ、というくぐもった破裂音と共に、爆風に乗って体は宙に浮いたものの、想定していた飛距離には全く届かない。

 ふわりと着地した地点。そのすぐ目の前の空間に、魔獣の放った巨大な魔素弾が迫っていた。視界が真っ赤に染まる。


 ドゴォォォォォォンッ!!


「ぐはあっ!」


 直撃こそ免れたものの、至近距離での大爆発。そのすさまじい爆風の壁をモロに受け、グレンの小さな体はまるでボロ布のように吹き飛ばされ、ゴツゴツとした硬い岩盤の上を何度もバウンドしながら転がった。

 肺から空気が強制的に搾り出され、頭が激しく揺さぶられて視界が明滅する。口の中に鉄錆のような血の味が広がった。

 だが、脳の警報──魔素探知が、追撃の『蜘蛛の糸』がすぐそこまで迫っていることをガンガンと告げていた。


(喰われて……たまるかっ……!)


 グレンは全身の骨が軋む激痛に抗い、血まみれの手を地面について無理やり立ち上がると、獣のような横っ飛びで糸の追撃を間一髪で躱した。掠めた糸が、グレンの服の裾を焦がす。

 膝をつき、ゼーゼーと血の混じった荒い息を吐きながら、再び重い魔素銃を構え、魔獣を睨み据える。

 全身は打撲と擦り傷だらけ。爆風を至近距離で受けた右腕は、手の甲から肘にかけて酷い火傷を負い、皮膚が爛れて熱を持っていた。


 ──だが、その発狂しそうなほどの灼熱の痛みが、グレンの集中を乱すことはなかった。


 八歳という年齢には不釣り合いなほどの、氷のように冷たく、研ぎ澄まされた冷静さ。

 それは、元々彼に備わっていた天性の戦闘センスなのか。それともこの数か月間、ジャズとの死と隣り合わせの訓練や、地獄のような魔脈坑での労役が、少年の精神を冷酷な戦士へと作り変えてしまったのか。あるいは、その両方か。

 グレンの脳内は、恐怖や痛みを強制的にシャットアウトし、ただひたすらに『目の前の蜘蛛を殺す手段』だけを、オーバーヒート寸前の思考回路で高速演算し続けていた。


(これまでの戦闘の中に、必ず何かヒントがあったはずだ……ジャズさんも言っていた。見えない相手の魔素を見ろ、と)


 血走った目で蜘蛛を見据えながら、思考を巡らせる。


(一番効きそうなのは、やはりあの『目』か)


 攻撃が当たるたびに、魔獣は明確に嫌がり、強く怯んでいた。間違いなく、分厚い装甲で覆われた他の部位と違い、ガラス細工のような複眼は耐熱性能や物理耐性が低いはずだ。


(けれど、あの強靭な外殻を貫通するほど、極限まで圧縮した魔素弾を作るには、俺の技術じゃ最低でも数秒の『タメ』が必要になる)


 高速で溶ける糸と広範囲の魔素弾を乱射してくる相手を前に、足を止めて数秒間無防備な的になるのは、文字通り自殺行為に等しい。


(くそっ、他に何かなかったか? 背中側に隠された弱点でも……いや、回り込ませてくれない。じゃあ、他に……)


 飛来する蜘蛛の糸を、魔素探知の感覚だけを頼りにミリ単位で躱し続けながら、グレンは数分前の記憶を巻き戻す。

 先ほどの乱れ撃ちの際、目以外で、魔獣が明確な『防御反応』を見せた部位があったはずだ。


(……『口』だ)


 グレンの脳裏に、稲妻のような閃きが走る。

 魔素弾が口元に着弾する瞬間、奴は必ず口を閉じ、分厚い鋼鉄のような二本の牙を交差させて弾き落としていた。


(もし仮に、あの無防備に開いた口の『中』へ……直接、魔素弾を撃ち込むことができたら……?)


 よく考えれば、グレンの放つ異常な威力の火魔法を無傷で弾き返しているのは、外側を覆う強靭な『甲殻』のおかげだ。


(なら、甲殻に守られていない『体内』は別なんじゃないか!?)


 グレンは覚悟を決めた。これ以上逃げ回りながら撃ち合っても、体力と魔素が尽きてジリ貧になるだけだ。

 蜘蛛の周囲を回るように走っていた軌道を強引に転換し、岩を蹴り飛ばして、あろうことか魔獣の真正面へ向けて一直線に走り出す。


「キィィィィィィッ!」


 飛んで火に入る夏の虫。そう判断したのか、魔獣は再び大きく顎を開け、迎撃の魔素弾を乱射し始める。

 だが、グレンは止まらない。

 視覚を半ば捨て、魔素感知のみに意識を全振りし、迫り来る火球の弾道を完全に予測する。右に傾き、左にステップを踏み、頭を下げ、最小限の動きで熱波を躱し続ける。頬を爆炎が掠め、髪がチリチリと焦げるが、瞳の奥の闘志は一切揺らがない。


 距離が縮まる。20メートル、15メートル、10メートル。

 ついに、グレンと蜘蛛が至近距離で対峙する。魔獣が、絶対に回避不可能なタイミングと距離で、最後にして最大の魔素弾をグレンの顔面に向けて吐き出した。

 だがそれは、グレンの計算通りの『完璧なタイミング』だった。


 グレンは逃げない。迫り来る巨大な魔素弾に対し、真っ向から銃口を突きつける。

 そして、威力や爆発力は捨て、火魔素を極小の一点にまで圧縮し、ただ『貫通力』と『超高速』のみに特化させた魔素弾を一瞬で練り上げる。


赤魔素よ、射出せよ(イグ・ザル)!!!」


 シュパンッ!!


 甲高い風切り音と共に放たれたグレンの極小魔素弾は、迫り来る巨大な魔素弾の中心を正確に撃ち抜いた。魔力の均衡を崩された巨大火球は、グレンに届く直前で霧散して消滅する。

 そして、その勢いを一切殺すことなく、グレンの放った超高速の弾丸は、火球を吐き出し終えて無防備に開いていた蜘蛛の『口の中』へと、吸い込まれるように着弾した。


「ギイイイイガアアアアアアアアアアアアアッ!!」


 蜘蛛の体内で、圧縮された火魔素が弾けた。

 内部からの爆発により、蜘蛛の口元が内側から無惨に抉り取られる。緑色の体液が噴き出し、焦げ臭い煙が立ち上り、凶悪な二本の牙のうち片側が根本から砕け、今にも落ちそうにぶら下がっていた。


「よしっ!」


 会心の一撃。グレンの緻密で大胆な作戦が成功した瞬間であった。


 ──だが、グレンが勝利を確信した次の瞬間。


 激痛に狂乱した蜘蛛が、残された前脚を高く振り上げ、怒りに任せて思い切り地面へと叩きつけた。


 ズドオオオオオンッ!!


「くっ!?」


 叩きつけられた衝撃で発生した凄まじい風圧と岩の破片に、グレンの軽い体は木の葉のように吹き飛ばされる。

 なんとか空中で体勢を立て直し、後方に着地して顔を上げるが──前方に、あの巨大蜘蛛の姿はなかった。

 抉れた大穴だけを残し、蜘蛛は一瞬にして『地中』へと逃げ込んでいたのだ。


(くそっ、見失った! 『魔素探知』!)


 即座に意識を地中へ向けて探知を発動する。


 ──ゾクリ。


 背筋に氷を当てられたような悪寒。巨大な質量の赤魔素が、遥か深い地中から、グレンの『真下の足元』に向かって超高速で垂直に接近してくるのが伝わってきた。


(下から来る!?)


 慌ててグレンは銃口を地面に向け、先ほどの失敗を教訓に魔素弾の出力を調整し、爆風を利用して斜め後方の宙へと高く跳び退く。

 しかし、相手の質量と速度はグレンの予測を遥かに超えていた。


 ドドドドドォォォォォォンッ!!!


 グレンが跳び上がった直後、真下の地面が火山の噴火のようにドーム状に隆起し、爆発的に吹き飛んだ。

 突き上げられた岩盤の破片と凄まじい土砂の奔流に巻き込まれ、空中にいたグレンは完全に体勢のコントロールを失ってしまう。


「なっ、かはっ……!」


 背中を岩に強打し、肺から空気が抜け、一瞬意識が白濁する。

 苦しさに悶えながらも、必死に状況を把握しようと薄れゆく視界を下へ向けると、地中から這い出た巨大蜘蛛が、空中で無防備に落下していくグレンめがけて、太く粘着質な『糸』を放っているのが見えた。


(しまった、空中にいる今は、回避ができない……!)


 無重力状態の中で、グレンは体を捻ってなんとかもがくが、逃げ場などどこにもない。

 ビチャッ! という嫌な音と共に、遂にグレンの右の足首に、太い糸が残酷に巻きついた。

 その糸は、異常なほどの高熱を放っていた。足首の皮膚が瞬時に焼け焦げ、肉を焼く匂いと共に、脳を焼き切るような激痛が走る。


「ぐあああああああああああああああっ!!」


 絶叫するグレン。

 蜘蛛は勝ちを確信したように不気味に鳴き声を上げると、糸を一気に巻き取り始めた。

 ギリギリと足首の骨が鳴り、宙吊りにされたグレンの体は、猛スピードで魔獣の元へと引き寄せられていく。

 グレンの視界の中で、先ほど自分が抉り取った蜘蛛のグロテスクな口元と、残された一本の鋭い牙が、絶望的なまでに徐々に大きくなっていく。


(くそっ……俺は、ここで死ぬのか……)


 グレンの見る景色がスローモーションとなる。


(ごめん、カノンのみんな。ごめん、父さん、母さん)





 迫り来る死の淵で、グレンが目を固く閉じ、覚悟を決めたそのときだった。





 ──ヒュンッ。





 突如として、鋭い一陣の『風』が吹き抜けた。

 グレンの足首を締め付けていた強靭な蜘蛛の糸が、まるで熱したナイフでバターを切るかのように、スパッと鮮やかに切断される。

 フワリと重力から解放されたグレンの体は、何者かの力強い腕によってしっかりと空中で抱え止められ、そのままふわりと音もなく地面に着地した。


「────よく生きていたな、グレン」


 耳に届いたのは、聞き慣れた、少し呆れたような、けれど底知れぬ安心感を与える低い声。

 グレンが恐る恐る目を開けると、そこには、舞い散る土煙を背に受け、飄々とした笑みを浮かべる男の姿があった。


「ジャ、ジャズさん……!?」


 地獄の底に、グレンの師匠であるジャズが、一陣の風と共に降り立っていた。


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