第14話 潜むもの
(────なにかくる!?)
グレンは赤魔素の塊が足元に迫るのを感じ取った瞬間、即座に立っていた場所から後ろに跳び退いた。
ドゴオオオオオオオオオオオオッ!!
「な…!?」
グレンの視界に映ったのは、岩盤を砕きながら地面から突如として生え、そして天井にまで突き刺さった巨大な黒い牙であった。
(これはいったい…)
グレンは『魔素探知』の出力を上げながら、ゆっくりと後ずさりする。
(見張りの兵士に伝えないと…犯人は、人間じゃない…っ!)
下がり続け、遂に曲がり角の壁に背中がぶつかった瞬間──突き刺さる巨大な牙の根本から、鞭のような形をした赤魔素が迫り来るのを『察知』した。
目視で確認するより早く、再び反射的に横へ跳ぶ。直後、グレンが先ほどまでいた場所の壁が、凄まじい衝撃音と共に砕け散った。
「…はあっ、…はあっ」
次の攻撃に備えてすぐに立ち上がり、砕けた壁を見る。そこには、一瞬ではあるが『白い糸』がするすると坑道の奥へ引き込まれていくのが見えた。同時に、魔素探知に引っ掛かっていた赤魔素の鞭も後退していくのがわかる。
(あの白い糸は、赤魔素を纏っている…?)
息を殺して構えていると、鞭のように伸びていた気配は、地下に潜む巨大な本体へと合流し、そのまま地中深くへと沈んでいった。
グレンは慌てて魔素探知の範囲を広げ、相手の現在地を追跡しようとする。しかし、ここは赤魔素の魔脈坑だ。岩肌のあちこちから絶えず吹き出す濃密な魔素がノイズとなり、ついにその気配を完全に見失ってしまった。
「な、なんだったんだ…っ! そうだ、みんなは!」
危機が去ったのを感じたグレンは、慌てて坑道の最奥へ戻る。しかし、先ほどまで巨大な牙があった場所は嘘のように地面がならされており、穴一つ見当たらなかった。
(くそ、あれは間違いなく魔獣だ。それも、俺が見たこともないようなバケモノ……!)
グレンは地面に落としたランタンを拾い上げると、坑道の外へ向かって駆け出した。そして、ちょうど外へ出たところに見回りの兵士の姿を見つける。
「おまえ! 何さぼっている!」
「ち、違います! 話を聞いてください!」
兵士は魔素銃をグレンに向け、怒鳴り続ける。
「なにを喋っている!? 俺は許可していないぞ! このゴミが!」
(ダメだ、聞く耳を持ってもらえない!)
どうすれば話を聞いてもらえるか必死に考えを巡らすが、そのわずかな沈黙に業を煮やした兵士が、魔素銃の銃床でグレンを殴りつけた。
「おらあ! サボるんじゃねえ!」
「ぐぅっ!」
グレンは派手に後ろへ飛ばされる。だが、ジャズとの訓練で受け身を身体に叩き込まれていたグレンは、自ら後ろへ跳ぶことでダメージを最小限に抑えていた。
「さっさと掘削作業へ戻れ!」
(くっ、どうすればいいんだ)
第6班が全滅したことを伝えられず、グレンの中に焦りが積もり積もっていく。
向かい合う兵士とグレンの間に、重い緊張が走った。
「……チッ。怯えて動けねえか。いいだろう、てめえの班の連中も連帯責任だ。たっぷり教育してやる!」
兵士はグレンの首根っこを乱暴に掴み、そのまま坑道の奥へと引きずっていく。
(くそ、またあの魔獣が現れるかも)
抵抗する間もなく、グレンは再び第6班の作業場へと引き戻された。
「おい貴様ら! このサボり魔のクソガキを……あ?」
兵士の怒声は薄暗い空間に虚しく響き、不自然な静寂に吸い込まれた。
そこには、先ほどまで岩を叩いていた3人の大人の姿が影も形もない。転がったピッケルと、主を失った荷車だけが残されていた。
「……なんだ、こりゃあ。誰もいねえじゃねえか」
兵士が手にしたランプで周囲を照らすが、血痕ひとつ落ちていない。
「あいつら……まさか、脱走しやがったのか!?」
「ち、違います! 魔獣が、下から……!」
必死に訴えるグレンの顔面を、兵士の裏拳が容赦なく打ち据えた。
「黙れと言っているだろうが! 岩盤の中から魔獣が出るわけがねえ! あいつら、どこに逃げやがったんだ!」
兵士は舌打ちをし、忌々しそうに壁を蹴り上げた。
「クソッ、第4班と第5班に続いて、また脱走兵か! 俺たちの首が飛ぶぞ……!」
焦燥に駆られた兵士は、足元でうずくまるグレンを睨み下ろした。
「ガキは足手まといだから置いていかれたか。くそっ」
兵士はグレンの襟首を再び掴み上げると、坑道の外へ引きずり出す。
そして地面へ放り投げると、魔素銃を突き付け脅しつけた。
「さっさと歩け!」
そうして兵士に見張られながら進み、グレンは第7班が掘削を進める坑道の入り口に到着した。
「第6班の連中が逃げた分、ノルマが足りてねえ! てめえは今すぐ隣の第7班に合流して、休むことなく土を運び続けろ。……さあ行け! お前も逃げてみろ、見つけたら次はその場で撃ち殺す!」
グレンは裏拳を受けて痛む頬を押さえながら、絶望的な気持ちで入り口を見つめた。
兵士はまったく信じてくれない。それどころか、あのバケモノが徘徊している坑道へ、再び戻れと命令しているのだ。
(どうすればいい……っ)
逆らえばここで殺される。進めば魔獣に食われる。グレンが緊張の面持ちで坑道の入り口を見つめていると、奥から別の兵士が奴隷4人を引き連れて出てきた。
グレンを連れてきた兵士は、その様子を見て驚き、同僚に声をかける。
「どうした、なにがあったんだ」
すると、第7班と思われる奴隷を引き連れた兵士は、苦虫を嚙み潰したような顔をして答えた。
「それが、第7班が掘削していた坑道の周辺にあった湧気口が、全て枯れちまったんだ。それも突然にな……」
「なんだと!?」
奴隷たちも何が起きたのか分からない様子で、呆然と坑道を見つめている。
「いったい何が起きたんだ?」
「わからん。この坑道は2日前にはいくつか湧気口を発見していたんだ。ある程度掘削したら、次の坑道掘削に向かわせ、採取班の奴隷を呼ぶ予定だったんだが。このままじゃ今月のノルマを達成できねえ……」
「くそ、どこもかしこもトラブルだらけじゃねえか」
「まったくだ。…ところでそっちは?」
「ああ、第6班がこのガキを残して壊滅だ。まあ、争った形跡もなく道具だけ捨てられてたところを見るに、明らかな逃亡だ」
「逃亡? 第4班や第5班は全滅って話だったが…」
グレンを連れた兵士は首を横に振る。
「いや、なにか裏で手を引いてるやつがいるな。足手まといのガキを残していなくなっているあたり、今までのも本気の逃亡で間違いないだろう」
「あ~…なるほどな」
「ともかく、こいつは第7班に入れて急ピッチで掘削作業を行わせる。奴隷ひとり休ませる余裕なんてないんだからな」
そう言うと、兵士2人は第7班の奴隷たちとグレンに魔素銃を向けた。
「さあ、これより下層の壁を掘削するぞ、進め!」
(くそ、魔獣のことは信じてくれない…このままだと坑道に入ったら全員殺されるんじゃ…)
奥歯を噛みしめながら、後ろからついてくる兵士をどうすれば説得できるかを考える。
(こんなときジャズさんがいれば…)
グレンは毎日訓練をつけてくれたジャズの顔を思い浮かべた。魔獣の初撃と追撃を避けることができたのは、間違いなくあの訓練の賜物であった。
(思い出せ、なにか方法はないか。ジャズさんとの訓練の日々に、なにかヒントはなかったか)
魔法の訓練、体術の訓練、感知の訓練…この数か月でグレンは確実に強くなった。そして、一番大事な『感知訓練の基礎』を思い出す。
(魔素は動かない。だが、あの魔獣は地中を高速で動いていた。もっと周囲に、地中に、無魔素を飛ばして、少しでも遠くの赤魔素の動きを追うんだ!)
下層へ歩みを進めながら、グレンは魔素感知に極限まで集中する。地中の奥底へ意識を深く潜らせていく。
(もっと、もっと、もっと──)
まるで深い川の底へ沈んでいくかのような、無音、光のない世界。聴覚も視覚も使わない、純粋な魔素の感覚だけを頼りに。
──────
────
──
(──見つけた)
突如、グレンの知覚のなかに巨大な赤魔素の塊が浮かび上がった。それはグレンのはるか下層におり、どうやら高速で動き回っているようだ。
そして、その周囲には赤い魔素が『ひも状』に張り巡らされており、ぽつぽつと小さな赤魔素の塊が引っ掛かっているのを感じ取った。
(よし、この赤魔素の塊を追いかけ続ければ奇襲は躱せる! …それにしても、これは赤魔素の魔脈? いや、このひも状に張り巡らされた魔素は、まるで────)
──ドクン。
そこまで思考を巡らせた瞬間、グレンの背筋が総毛立った。
サバンナで群れをなして襲ってきた狼。奴隷馬車を襲った巨大な豹。バラック街で銃口を向けてきた狂った兵士。
これまでの人生で浴びてきた、どんな悪意すらお遊びに感じてしまうほど、圧倒的で暴虐な『捕食者の飢え』。
地中の奥底にいる巨大な赤魔素の塊が、ピタリと動きを止め、こちらを『見上げた』のを感じた。
そして────
一直線に、凄まじい速度でグレンたちの足元へ向かって駆け上がってくる。
「──全員、逃げろ!!!」
グレンは叫び、我を忘れて下層へ向かって走り出した。後ろで魔素銃を構えていた兵士は、グレンが逃亡を企てたと勘違いし、怒号を上げる。
「なっ、くそガキ、舐めやがって!」
「逃亡は死罪だぞ!」
兵士が引き金に指をかけ、発砲しようとしたその瞬間。
足元の硬い岩盤が大爆発を起こしたかのように破裂し、暗闇の底から『巨大な絶望』が姿を現した。
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