第13話 下層
──ログザ魔脈坑 第5層
早朝に地上を出発したグレンたち100名の奴隷は、その日の夕方、遂に第5層に設けられた中継拠点へと到着した。先導していた下士官が、疲労困憊の奴隷たちに向かって鞭を鳴らした。
「貴様ら、よく聞け! これより既存の坑道群の奥深くに分かれ、新たな湧気口を掘り当てるための掘削作業を開始する!」
別の兵士たちが、中継拠点の倉庫から無数のピッケルやシャベル、ランプ、そして土を運ぶための木製の荷車を引きずり出してきた。
「これより班分けと役割分担を決める! 名前を呼ばれた班から道具を取り、すぐに作業へ取り掛かれ!」
(嘘だろ……日が暮れるまで歩き通しだったのに、休む暇もなくすぐ作業なのか?)
グレンの絶望をよそに、兵士たちは手際よく奴隷たちを小集団に分けていく。
「お前と、お前。あとそこのデカい奴。お前らは第6班だ、ピッケルを持っていけ! それから、そこのガキ! お前は掘り出した土を坑道の外へ捨てる運搬役だ。荷車とランプを持て!」
グレンは4人1組の『第6班』に編成され、身体の大きな男たち3人と共に荷車をあてがわれた。
「さて、第1班から第8班は既存の坑道の奥へ向かう! 我々についてこい!」
松明の炎だけが頼りの、完全な闇の底。
グレンはジャズから教わった呼吸法で心を落ち着かせ、重い荷車の取っ手を握りしめて歩き出した。
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「第6班はここだ」
奴隷の隊列は、横穴が現れるたびに数人ずつ坑道の中へと押し込まれ、徐々に人数を減らしていった。やがて、グレンら第6班の前にも、幅1.5メートル、高さ2メートルほどの、人がすれ違うのもやっとの狭い穴が現れた。
「では、中に入り掘削作業を開始せよ!」
兵士の怒声に急かされ、3人の男たちがランプを片手に穴の奥へと進んでいく。グレンも荷車を引いてその後へ続いた。
(狭い……それに、息が詰まるほど暑い!)
坑道の中は異常に湿度が高く、泥のような生温かい空気が肌に纏わりついてくる。ただ立っているだけでも、全身から嫌な汗が吹き出した。
やがて、兵士が別の班を連れて遠ざかっていく足音が聞こえなくなり、坑道の奥は、4人の荒い息遣いと、重苦しい静寂だけに包まれた。
「……さて、兵隊のクソ野郎もいなくなったし、さっさと掘り進めるか」
「ああ、そうだな。あまり遅いとまた鞭が飛んでくる」
先頭を歩いていた男たちが、ピッケルを構えながら振り返る。
「坊主。お前はそのシャベルで、俺たちが砕いた足元の土を荷車に積むんだ。満杯になったら、外の捨て場まで運んでこい。いけるか?」
「は、はい!」
グレンは、監視の目が届かない場所では奴隷同士がよく会話をすることを知っていた。だが、初対面の大人たちがここまでスムーズに、しかも子供のグレンを気遣うように声をかけてくれるとは思わず、少し驚いていた。
「がんばれよ坊主。ここは地上と違って、兵士の連中も閉鎖空間のストレスで気が立ってる。些細なことで平気で奴隷を殺すようなクズばかりだ。だからこそ、俺たちは助け合わなきゃ生きて帰れねえ」
「ああ、坊主も生きて地上に帰るぞ」
(そっか。俺はずっと上層の運搬役だったから知らなかったけど……この人たちは何度も下層の地獄を乗り越えてきたんだ)
彼らの手慣れた様子と、大柄ながらも温厚そうな態度に、グレンは心底ほっと胸を撫で下ろした。ギレッドのような凶暴な奴隷と同じ班になっていたら、それだけで命の危機だったからだ。
「よし、やるぞ!」
男たちのピッケルが硬い岩盤を叩き、グレンが懸命に土を運ぶ。
こうして、第6班の過酷な掘削作業が幕を開けた。
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第5層での作業が始まり、3日が経過した夜。
その間、グレンたちはただひたすらに岩を砕き、土を運び、短い睡眠をとるだけの泥のようなサイクルを繰り返していた。
(くそっ……何とか体を休めないと、1週間なんて絶対に持たないぞ)
ジャズとの特訓で基礎体力は劇的に向上していたが、それでも光のない密室での重労働は、8歳の身体と精神を確実に削り取っていた。
中継拠点の広場で配給の薄いスープをすすりながら、グレンがいかに体力を温存するか考えていたその時。兵士たちの怒鳴り声が、静かな広場に響き渡った。
「──第4班と第5班が全滅だと!? 脱水で死んだわけじゃなくてか!?」
「ああ! 作業進捗を確認しに行ったら、坑道に誰もいなかったんだ!」
「てめえ、見張りをサボったんじゃねえのか!? 奴隷が逃げ出したんだろうが!」
「ふざけんな! ここから配給なしで地上に向かったって死ぬだけだ! それに逃亡は死罪、上の検問で見つかればその場で銃殺だぞ!」
「じゃあ、さらに下の層へ逃げたんじゃねえのか!」
「それこそ自殺行為だ! 下の層なんかに逃げ場があるわけねえだろ!?」
唾を飛ばして言い争う兵士たちの声を聞きながら、グレンは背筋に冷たいものを感じた。
(これが、ジャズさんが言っていた下層の無法地帯……。狂った兵士が殺したのか、それとも奴隷同士で殺し合いがあったのか……?)
周囲の奴隷たちも、怯えたように身をすくませてスープをすすっている。ふと第6班の男たちを見ると、彼らもまた、スープの器を持ったまま険しい顔でアイコンタクトを交わしていた。
翌朝。
グレンたち第6班は、ランプの薄明かりの中、いつものようにピッケルを振るいながら声を潜めて会話を交わした。
「なあ……流石に昨夜の騒ぎはおかしくねえか」
「ああ。いくらなんでも異常だ」
男たちの会話に、グレンは土を掬う手を止めて首を傾げた。
「あの……兵士が腹いせに殺したか、奴隷の間で殺し合いがあったんじゃないんですか?」
しかし、男たちは重い顔で首を横に振った。
「以前までは、質の悪い兵士が面白半分に奴隷を手に掛けることはあった。だが、そういった時は兵士の間でも『見て見ぬふり』をして終わるんだ。あんな風に、兵士同士で青筋立てて言い争うってことは……奴らも本当に『何が起きたのか分かっていない』ってことだ」
「ああ。そもそも、一度に2つの班の人間が消滅するなんて、根本的にヤバい事態が起きてる。兵士たちには赤魔素の採取ノルマが課せられてるんだ。奴隷を全員殺しちまったら、自分の首が飛ぶんだよ」
1人の男が、ピッケルを置いて額の汗を拭う。
「これは暴動や逃亡とかじゃねえ。もはや……俺たちの想像もつかない何かが、ただ殺すことだけが目的のやつが坑道の闇の中に潜んでるんじゃねえか」
「……ああ、嫌な予感がする。奴隷や兵士のなかに殺人鬼がいるとしたら、俺たちの所へ来るのも、時間の問題だ」
男の言葉に、グレンはごくりと生唾を飲み込んだ。
下層の過酷な労働環境や、狂った兵士の暴力とはまったく違う、おどろおどろしい『見えない脅威』の存在。特訓の日々から培ってきたグレンの直感が、警鐘を鳴らしていた。
「もし……もし俺たちの坑道にその『何者か』が来たら、どうすればいいんでしょうか」
この一本道の坑道には、逃げ場などない。不安に駆られるグレンに、男たちは力強く頷いた。
「とにかく、でかい声を出すしかない。外の見張り兵に異常を知らせるんだ」
「ああ。それに、もし敵が来るなら坑道の外側から来る。出入り口を往復してる坊主が、一番最初に鉢合わせする可能性が高い。その時は、荷車なんて捨てて大声を出しながら俺たちの奥まで走ってこい! 俺たちがピッケルとシャベルで時間を稼いでやる!」
8歳の少年であるグレンにとって、彼らの言葉はどれほど心強かったか分からない。
グレンは深く頷き、荷車が満杯になったのを確認して、取っ手を握り直した。
「坊主! 嫌な予感がしたら、荷車を捨ててすぐ走って来いよ!」
背中からかけられた温かい声に背中を押され、グレンは出口へ向かって歩き出した。
捨て場までは、せいぜい50メートルほど。しかし、一本道の坑道は蛇のようにうねっており、カーブの先は見通せない。
ごつごつとした岩肌にランプの光を揺らしながら、グレンは音を立てないように慎重に歩みを進めた。
(カーブの先に、もし誰かが待ち伏せしていたら……)
1つ目の曲がり角が近づく。グレンは心臓が早鐘のように鳴るのを感じながら、荷車からいったん手を放し、岩壁に張り付くようにしてそっと先を覗き込んだ。
……なにもいない。
小さく安堵の息を吐き、再び引いて歩き出す。だが、坑道はすぐにまた折れ曲がっている。
次こそ、見えない死角から突然何かが飛び出してくるのではないか。あるいは、音もなく忍び寄った化け物が、暗闇の中で待ち構えているのではないか。
重い荷車を引いて曲がり角を越えるたび、目に見えない恐怖がグレンの精神をじわじわと削っていく。
そして、ついに最後のカーブ──出口の手前まで来たとき、緊張が頂点に達し、思わず足が止まった。
このまま進むべきか、巡回の兵士が通りかかるのを待つべきか。
(いや、もし犯人が兵士だったら逆に殺される。それに……俺はジャズさんに鍛えられたんだ。もし何かに襲われても、必ず俺が完全回避してやる!)
ジャズとの地獄の戦闘訓練が、グレンに確かな勇気を与えていた。
グレンは覚悟を決め、荷車から手を離して一気に出口へと飛び出した。
──だが。
そこには、誰もいなかった。
遠くの坑道から響く微かなピッケルの音と、魔脈坑の底から這い上がってくる不気味な風の音だけが、変わらず響いている。
(……よかった。なにもいなかった)
グレンは小さく安堵の息を吐き、坑道の外にある土捨て場へ素早く土を空けると、再び空の荷車を引っ張って奥へと戻り始めた。
(今回は大丈夫だった。けど、隣の班が全滅してるんだ。いつ俺たちの所へ来るか分からない)
カラカラと車輪の音を響かせながら、グレンはランプの薄明かりだけを頼りに、蛇のようにうねる坑道を戻っていく。
1歩、また1歩。
なぜだろう。行きよりも、坑道の中が酷く冷たく感じた。
先ほどまで微かに聞こえていたはずの、男たちが岩を砕くピッケルの音が、まったく聞こえない。
(休憩でもしてるのかな……?)
最後のカーブを曲がり、作業場の明かりが見えた。
「みなさん、戻りまし──」
グレンは、ランプを掲げたまま、石のように固まった。
そこには、誰もいなかった。
岩盤に立てかけられたピッケル。放り出されたシャベル。そして、持ち主を失って床に転がるランプだけが、赤茶けた土を空しく照らしている。
(なっ……なんで? なにが……!?)
グレンの頭が真っ白になる。
自分が坑道の外へ出て、土を捨てて戻ってくるまでの数分間。この一本道で、誰かとすれ違うことなど絶対にありえなかった。
血の跡もない。争った形跡もない。
まるで、最初からこの空間に『誰も存在していなかった』かのような、ぞっとするほどの静寂。
────その時。
グレンの背筋に、氷を当てられたような強烈な悪寒が走った。
考えるより先に、身体が勝手に『魔素探知』の出力を限界まで引き上げていた。
視覚ではない。無魔素を通じた肌感覚。
グレンの真下──分厚い岩盤に隔てられた5メートル下の地中深く。
そこに、信じられないほど高密度に圧縮された『巨大な赤魔素の滞留』があるのを、グレンははっきりと感じ取った。
そして。
その巨大な魔素の塊が、岩盤をすり抜けるような凄まじい速度で、グレンの足元へ向かって急浮上してきていた。
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